412話 米ヶ崎の戦い

 下総国米ヶ崎 一色政孝


 1576年夏


「日本武尊の気分だった」


 俺の言葉に頷いたのは信綱であった。

 水軍衆は今も江戸湾にて里見義頼の動きを警戒しているが、他の部隊の多くは陸の前線へと移動してきたのだ。

 そして当然その中には昌秋ら、福浦の者らも含まれている。

 昌秋は俺に代わって兵を指揮しており、それに昌頼も従っている。まだ復帰から間もない故に後方で控えておれと言ったのだが、直政もまたそれに従って前に出ていた。

 しかしそこまで心配はしていない。

 家康ら三河衆と雑賀の陸上部隊が前衛として先頭を進んでいる。その中には、つい先日俺達の軍と合流した政芳殿も含まれており、案内役として家康と行動を共にしているのだ。


「たしかに。あのような小舟で川を渡るとは・・・」

「片腕が無い信綱は余計に恐ろしかったであろう」

「まことに。転べば恥をかくどころでは済みませぬ」


 信綱は振り返って、先ほど渡ったばかりの海老川を見る。

 そして一度ため息を吐いた後に、また前を見た。


「しかし殿はまことに博識にございますな。そのような話、遠江の領主が知るはずも無いと思うておりましたが」

「最近は使える者らが増えてきたからな。色々と調べ物をする時間が増えたのよ。昌秋も立派にやってくれておるし、信濃も義定や重治がいれば安心だ」


 ちなみに何故日本武尊なのか。

 それはかつて日本武尊が東征を行う際、ここ海老川に地元民が小舟を浮かべて橋を渡したという伝説から来ている。

 まぁ事実であるのかはさておき、先日の雨で水量が増えていたためか、それとも奴らに落とされたのか。とにかく橋が架かっていなかったために、その伝説を採用したわけだ。

 だが流石に足下があまりに悪かった。信綱が未だに落ち着きが無いのは、相当に怖かったのであろう。

 水軍衆の率いている船の上の方がまだ安定しているからな。


「にしても昌頼は随分と面白いことをやってのけたな」

「はい。我らも驚いたものにございます。そもそもあれほどの火薬を一度に爆発させるなど、あの価値を知っている我々からすればたどり着かぬ発想にございました」

「・・・そういうことであったか。火薬の価値はいずれしかと教え込むのだぞ」

「お任せください」


 たしかにそうである。俺も城1つの機能が停止してしまうほどの火薬を爆発させようと思ったことは流石に無い。

 言っても火薬は貴重なもので、現状自国生産していない。というか製法を未だ堺が独占している状態であり、高値で雑賀や堺から買っている状況でなのだ。

 それを知らぬからこそ思いついた置き土産であったのだろうな。今後は控えてもらいたいものではあるが・・・。


「昌友に口うるさく言われそうだな」

「昌頼殿の初手柄にございます。どうかその際には殿よりお口添えをしていただければと」

「そこは信綱が盾となるのではないのか?」

「私などでは到底盾にはなれませぬ。昌頼殿に小言が届いてしまいましょう」


 相変わらず俺を主と思わぬ言いように、思わず気が緩む。このように俺に対して接することが出来るものは本当に僅かなのだ。

 家康も氏規も俺が一門衆であるとして僅かに壁を作る。

 同じ一門衆である氏詮殿や信興殿といった比較的関わりのある方々も、接し方が他の一門衆と異なっている。

 もう諦めたところもあるが、やはりこうして気楽に話すことが出来る者が1人いると有り難いのだ。


「ならば仕方ないな。俺が詫びて事を収めるとしようか」

「その代わりしっかりとお伝えしておきますので」


 悪びれる様子も無く信綱が言った。


「頼むぞ」


 そんな話をしていたとき、兵の足が止まる。俺達もそれに合わせて馬の足を止めた。

 前の方から1人の兵がこちらに走り寄ってくる。


「米ヶ崎城目前にして敵が待ち構えておりました!数はこちらよりも少ないようにございますが、突然のことでしたのでそのまま戦闘に移るとのことにございます」

「わかった。家康に伝えよ」

「何と」

「手痛い一撃を加えるのは今では無い。ほどほどに叩くように、とな」

「かしこまりました!」


 兵は足早に駆けていく。確かに前方が騒がしくなってきたようであった。


「信綱、一色の兵はどう動かすべきであると思う」

「先ほどのお言葉から考えるに、敵の数が少ないのであれば側面より攻撃を加え、敵の陣形を崩すが得策であるかと」

「よし、ならばそう動かすとしようか」

「はっ」


 使番が走り、俺達も次の一手を打つべく兵を前進させる。俺達本隊がすべきは家康らが崩されぬように援軍を向けること。

 そして正面に気を取られている隙を突いて、側面に一撃を与える。


「その側面への奇襲、儂も混ぜて貰いたいのだがな」

「そのような少ない兵でよろしいので?」

「これまで何度も劣勢を跳ね返してきたのだ。それに城を奪われた恨みを晴らさねばならぬでな。まずは千葉家よ」


 直政が連れて来た御仁。後の世では色々とネタのように扱われることの多い小田氏治殿であるが、この時代で生きてきて分かったことがある。

 それは不死鳥と言われるほどに粘り強いことがどれだけ偉大であるのか。


「それに手柄を立てておけば、旧領復帰も叶うやもしれぬでな」


 直政が匿われていた村には氏治殿の他にも多くの従者が匿われていたようで、その方々とともに今回は出陣されている。

 目的は先ほどもあったように旧領復帰。現在佐竹領となっている常陸の一部を取り返すべく、僅かな兵とともに俺達に付き従っているのだ。

 結城家や小山家のこともある。手柄次第ではそう難しい話では無いと俺も思っているからこそ、この提案を断ることなど到底出来はしない。


「わかりました。ではこの先で支度を進めて居るであろう一色の者らに合流してください」

「あいわかった」


 相当に気合いが入っているのであろう。護衛の兵らを置いてけぼりにするほどの勢いで馬の腹を蹴って駆けて行かれた。

 他の者らはついていくのに必死だ。

 果たして大丈夫なのか。


「とにかく俺達も進むぞ」

「かしこまりました」


 俺の号令で兵は前進を始めるが、進めば進むほどに周囲の混乱ぶりが伝わって来始める。

 数は優勢であると聞いていたが、あまり状況が良いとは言えぬようであった。


「家康様からの伝令にございます!ここより先は三河衆で押さえますので、北に位置する高根城へとお進みください」

「それは当初の予定から変更するということか」

「はい。風魔の忍びの報せでは、千葉家は前の数度の戦で大分疲弊しておるようにございます。それ故、これ以上千葉家領内に侵攻されぬように、周辺の城から兵を集めたようで。今ならば高根城の守りは薄いとのことにございました」

「そうか。信綱、どう思う?」

「・・・難しい判断にございます。我らが兵を割くこと、それすなわち大きな危険を伴うということに御座います。もしアテが外れて、高根城にも敵が多く籠もっておれば2つの戦線にて大きな被害を被ることになりましょう」

「それは同感だ。だが当初の報せが間違っていると思わされるほどに押されていることも確か」


 三河衆だけでこの場を抑え込むことが出来るのか?この状況を見れば断言は出来ぬな・・・。


「家康に伝えよ」

「はっ」

「俺達はこのまま三河衆の後詰めとして進軍する。高根城は米ヶ崎城を落とした後、ともに向かうと」

「まことにそのように」

「あぁ。刻が惜しい、すぐに戻れ」


 頭を下げたその者は慌てた様子で戻っていく。


「よろしかったのですか?」

「何と無く嫌な予感がした。そういうときは直感を信じるべきであると思ったのだ」

「嫌な予感にございますか?」

「あぁ。なんとなくな」


 刻が惜しいとは言ったが、それは俺達だけでは無いのかもしれない。直感的にそう感じた。

 事前の情報から違うことを考えれば、高根城や周辺の城から千葉家の援軍が向かってきていることは事実なのであろう。

 だが何故そのような真似をしたのかが問題である。

 そのような真似をすれば、それこそ家康が進言した通りの事が起きたかもしれぬというのに。

 つまり俺達の知らぬ何かが動いているのだ。そしてそれがもたらす危険は俺達本隊ではなく、家康らであると思った。

 だからこちらに残る判断を下した。


「命令に変わりは無い。だが少し気合いを入れて攻めるとしよう。刻はかけられぬでな」


 ササッと奴らを城に押し戻さねばな。




 館山城 里見義頼


 1576年夏


「これを里見義弘にお見せくだされ。さすれば即刻戦を取りやめ、あなた様の元で里見家は1つとなり房総統一の足がかりとなりましょう」

「・・・」


 城に戻るなり客人があると言われて会ってみれば・・・。

 私の手にはとある男からの迷惑極まりない1枚の書状があった。


「これはまこと公方様が申されたことであるのであろうか?」

「それは確かにございます。確かにこの耳で」


 思わず手にしていた書状を畳へとたたきつけてしまった。


「ふざけるな!このようなもの、私は望んでなどおらぬ!」


 突然の出来事に、その男は何が起きたのかなど分かっておらぬのであろう。私も思わずやってしまったことであり、一瞬何をしたのか理解出来ぬほどに身体が勝手に動いたのだ。

 だが今さら後には退けぬし、謝罪を述べるつもりなど毛頭無い。

 あまりの衝撃で言葉を失っていた目の前の男。幕臣の1人である武田たけだ信景のぶかげは、ハッと我に返った様子でワナワナと震え始めた。


「義頼殿!いったい何をされたのか分かっておられるのですか!?それは公方様のお言葉を書き示したものにございますぞ!」

「それが有り難くないと申しているのだ!何故ぬしらはいつも余計な真似をするのか!」


 これを有り難がっている者などこの世に存在するのであろうか?それほどの馬鹿な代物であった。


「このようなときに幕府が私を正式に里見の跡継ぎであると認めてみよ!里見家の御家騒動からさらに大きな問題となるであろうが!今は積極的に攻めてはこぬ今川に攻める口実を与えることとなるであろう!」


 公方と関わりを持てば、私も反織田・今川の包囲網の一員であると思われる。西の商人らの話を聞く限りでは、どう考えても公方が負けるらしい。

 そのような負け戦に乗るほどこちらに余裕など無いのだ。

 そもそも佐竹の勢いが完全に死んでおることが問題である。公方はアテに出来ぬが、佐竹や蘆名に勢いがあればとも思った。それを利用して里見を統一し、千葉家をも呑み込めばと考えていたのだ。

 しかし奴らの勢いは完全に今川に殺された。原因はおそらく同盟を組んだはずの蘆名を信じられぬ事であろう。

 万全の状態の兵が南に集まりきらぬのはおそらくそれが原因。家臣らが蘆名を信用しておらぬのだ。

 故に私は兄上の挟撃を諦めて安房へと戻って来た。それが・・・、それが公方のいらぬ気遣いで・・・。


「これ以上話すことはない。帰られよ」

「その言葉を取り消されるのは今にございますぞ」

「ならば問う。私が公方様に味方したとして、いったい何になる?何の恩恵があるのだ。戦況は悪くなる一方であり、織田家や今川家に牛耳られた商人らはじきに入らぬようになるであろう。悪いことはすぐに思いつく。ならば我らにもたらされる益とは何である」


 答えはすぐに無かった。これは公方による戦力の分散であり、それに付き従う大名らに益などない。ただ公方の招いた事態に巻き込まれるだけである。

 当然公方に味方した者らの中には、どちらにしても奴らと戦わなければならぬ大名もいたことであろう。

 だが私は違う。里見の統一がなっていない今、今川と積極的に戦う必要など無いのだ。


「帰られよ」

「この話は・・・」

「私はいらぬと申したのだ。これ以上余所者が余計な真似をして、この地をかき乱すな!!」


 私が席を立てば、慌てた様子で信景が立ち上がった。だが控えていた家臣らによって取り押さえられる。

 私を追ってきたのは信高であった。


「殿、よろしかったのですか?」

「構わぬ。あのようなもの、枷でしか無い」

「しかし今後の関係は」

「幕府に力など無い。すでに京は織田が制しているのだ。今さら誰も幕府に価値など見出さぬ。関係が悪化したとて問題なかろう」


 しかし厄介なこととなった。

 あれだけ今川の船が浮いておるというのに、奴はいったいどこから入り込んできたのか。もし奴らにこの使者の存在が知られればそれだけで面倒なこととなるやもしれぬ。

 いらぬ事をしてくれたな、公方・・・。いや、義昭めが・・・。

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