413話 光明
下総国米ヶ崎 一色政孝
1576年夏
「三河衆の右翼隊を任されております。奥平様より救援要請にございます!」
「後方支援隊より物資が足らぬとのこと」
「雑賀衆の被害が甚大なため、後方へ下がると人がありました!」
次々ともたらされる戦況悪化の報せ。
時間が過ぎるにつれ、増え続ける敵兵の数。
こちらの被害と消耗する物資。
「奴ら、ついにこの地を最大の戦場と定めたか」
「そのようにございます。敵本陣に陣取るのは千葉家の紋。つまり南の里見では無く、ここ船橋に主自らが出陣された」
「義頼が挟撃を諦めて退いていくはずだ、まったく」
信綱が指摘した千葉家の紋であるが、落人の調べでは後方に陣取るは
そしてこの良胤という男、千葉家が北条から佐竹に乗り換えるきっかけとなった人物であるとも報告を受けた。
「だがあの男が背後に着陣したことで、高城の兵らの士気が間違いなく上がった」
「私にもそう見えました。あの者をどうにかせぬことには、この場での戦は終わりますまい」
「同感だ。だがこちらが押されているのも事実。城攻めを控えていることを思えば、あまり無理はしたくなかったが・・・」
「ここで敗走すれば、それどころの話ではありませぬ。ご決断をお願いいたします」
信昌殿はすでに窮地とあったが、未だ報せが無いだけで全軍で劣勢が続いている。後方支援組の物資が足らぬというのはおそらく矢や火薬、弾のことであろう。急ぎであるとして小栗原城と、江戸湾に停泊している雑賀衆に運搬要請を出した。どうにか早く来てくれれば良いのだが。
そして雑賀衆の撤退は致し方ない。
あまりにも重い役目を任せていた。あの者らの敵は千葉家ではなく佐竹だ。
傭兵としての働きを期待はしていたが、こうも正面から敵を崩すように動いてくれるなど想定していなかったわけである。
むしろ礼を言わねばならぬし、報酬も弾まねばならぬであろう。
「仕方が無い、退くぞ」
「どこまで下がりましょうか」
「海老川のほとりまでだ。彼の地まで迅速に兵を撤退させ、態勢を整えて追っ手を迎撃する」
「・・・その策、奴らは乗ってきましょうか?」
「乗ってこなければ少数で動く昌秋ら別働隊が死ぬこととなる。そうなれば、最早どうあがいてもこの地での勝ちは無くなるであろう。良くて引き分け、だが得たもの・失ったものを比べればこちらの負けと言えような」
それに近く、さらなる援軍が来るであろうからな。佐竹という、今川も千葉も避けたい援軍が。
「かしこまりました。危険は大きいですが、背後、または側面を突けたときの得るものもまた大きい」
「その通りだ。このままでは押して押されてを繰り返し、ただ互いにすり減らし続けるだけとなるであろうからな。家康にはこの策の狙いを細かく伝え、効果的な撤退を実行させよ」
「そのように」
信綱は陣より出て行き、俺は他の者らからの報告を聞いて指示を出す。
とりあえず、すでに押しきられた様子である信昌隊には撤退するように命じた。敵に押し込めると思わせて深追いさせる。
それが先々の布石となるであろう。
そして雑賀衆には完全に退いて貰おう。次の出番は佐竹が出張ってきたとき。
それまでに英気を養って貰わねば。
そんなとき、後方からも人の気配がした。誰かがこちらに向かって走ってくる。
陣を守る兵と何かを話した後、すぐに中へと飛び込んできた。
「伝令にございます!船橋城に敵襲が!」
「そちらにも兵が動いたか?」
「はっ!敵大将は
「里見も動かぬとみたか・・・」
義頼がすでに安房へと退いたことは千葉家も知っているであろう。その上で義弘殿は北上してこないと踏んだのか?
ならば今こそ好機であると思うが、簡単に兵を動かすことも出来ぬであろう。流石に南部地域をがら空きにするわけにもいかぬであろうし、家臣が二分された状況で無理は出来ぬか。
そのようなリスクを取るような男では無いのであろう。
「氏規殿の見解はどうだ?耐えられぬと思われているのであろうか」
「今の兵数であれば耐えることは出来ると見ておられます!ですがあまり長くは持たないとも考えられているようにございます。それ故にこちらで早期決着をつけるか、撤退も視野に入れて敵の目を分散していただくことを望まれております」
「早期決着か撤退か・・・」
本当であれば主だった者らを集めて軍議をしなければならない場面である。
だがそのような時間は無い。船橋城の落城は刻一刻と迫ってきている。それに奇襲隊のこともあり、さらには先ほど信綱に命じたこともある。
どうする?どうすれば最善の結果を出すことが出来るのだ・・・。
「ご決断を頂きたく」
「待て、もう少し待つのだ」
「ですがっ」
「待てば流れが変わる。千葉家の者らがこちらに着陣したときのように」
騒がしい声が聞こえるのは戦場となっている前方からのみ。対してここは静かなものであった。
俺がこの使いの男の言葉を抑え込んだからであろう。誰も言葉を発さず俺からに命を待っている。
だがどうする?流れが変わらねば本当に何かを見殺しにしなければならなくなるぞ?
何か、何か流れが変われば。
俺の神経は思考を巡らせることで消耗している。そう、追い込まれているのだと思った。
当初はどのような形であれ、あれだけ初戦で痛手を与えたのだから勝てると思っていたが、これほどまでに追い詰められるとは。家康に色々言っておいて、結局は俺も油断をしていたのだ。
最悪すぎるわ。
「殿、お伝えしたきお話がございます」
「落人か?」
「はっ。北の戦線にて今川様の本隊が結城城を奪還いたしました。またそれに合わせて動いていた佐野様もまた宇都宮家の援軍を押し返しているとのこと。それとは別に、後方にて内政に注力されていた旧北条家の方々も兵を続々と下総へと動員しておるようにございます」
「・・・まことか?」
「はい。あと1つ」
落人の報告は終わらなかった。すでにこれだけでも随分と朗報であるのだが、まだあるようである。
その声色からも、決して悪いものではないとわかった。
「殿が心配しておられた佐竹の援軍にございますが、北部地域の快進撃を知り、兵を南に動かすことを止めたようにございます」
思わず天を見る。まだ俺達は見放されていなかった。
これならば、まだ勝つ見込みはある。
「落人、千葉家の兵らの中に人を送り込め」
「今の情報を広めます」
「そうだ。そして里見にも出陣要請を出したと、偽報も広げよ」
「かしこまりました」
これで多少なりとも動揺するであろう。船橋城への負担も減るはず。
さらに旧北条家臣らの援軍も来れば、形勢をひっくり返すことも叶うはずだ。
「聞いていたな」
「はっ。我らは後方からの援軍を頼りに、城に籠もることといたします」
「偽報が広まれば、多少なりとも隙が生じよう。そうなれば氏規殿の負担も減る」
船橋城の使いは足早に陣を後にした。
「殿、先ほど外で落人殿と会いましたが」
「あぁ、流れをこちらにもう一度引き戻す」
「その目途がたったと?」
「そういうことだ。北部に兵を率いて行かれた氏真様が結城城に到達された。佐野家の助力もあり、宇都宮家がまともに援軍を出せぬらしい」
「なるほど。佐竹はあちらの同盟の中では一番今川家と領地を接しておりますから、兵を上手く分散する必要があった。ですが北ではすでに防衛線を突破され、こちらでも初戦は見事な負け戦となった」
「佐竹は迷っていような、どこを優先して守るべきであるのか。結果として千葉家は佐竹の介入を嫌がり、下総の南部地域に兵を集中させた」
「守り切れると踏んだわけにございますな」
「だから佐竹の援軍はこちらに来ぬ。つまりこの者らを叩いてしまえば、もう後ろから迫ってくるものは無いと言うこと」
予定通り海老川まで撤退するとしよう。そして俺達が勝つ。
落人からの報せはまさに光明であったと言えような。
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