411話 厳罰

 下総国船橋城 一色政孝


 1576年春


「夏見殿、よくぞ決心された」

「そのような大層なことではございません。今川様こそがこの地を治めるに相応しいと考えたまでにございます。私が千葉家を離れたのは、あの家のやりように腹が立ったからでございますので」


 家康の調略は思った以上に上手くいった。

 夏見城城主であった夏見政芳はすんなりとこちらへの臣従を誓い、船橋城に城主自ら赴いてきたのだ。

 話を聞いた感じでは、千葉家の蝙蝠外交に嫌気がさしてとのこと。それと家中に不穏なものを感じたとも言っていた。

 主な原因は高城家と原家の対立だ。原家は宗家、分家とともに力を持っており、何よりも当主である胤富からの信頼も厚いようだ。

 だがそんな原家は、千葉家の先代当主の死に分家の者らが関わっているという噂があり、それが原因で高城家との対立を生んでいるのだという。そしてその弱みにつけ込んだのが里見であったり佐竹である。

 力の無い家臣らは不安な日々を過ごしており、夏見殿もまさにその1人だったというわけだ。


「して、いつ頃我が夏見城へと入られましょうか?報せによるところ、先日の今川様との一戦で随分と痛手を負ったようにございますが」

「俺としてはすぐに動こうと思っている。この城に一部の兵を残して、南からの援軍の備えとする。いくら必要であろうか」


 側に座る氏規に尋ねる。氏規はしばらく考えたそぶりを見せた後に一言で答えた。


「必要ないかと」

「自前の兵だけで耐えられるか?」

「おそらく。ここ数度の戦で千葉家の兵は随分と減っておりましょう。さらに南の里見家にも兵を残さねばならず、こちらに向けられる兵の数などたかがしれておるかと」

「信じて良いのだな?もしこの城が落ちるようなことになれば、俺達は夏見城で孤立する事態となるが」

「お任せを。一色様のお背中をしかと守らせて頂きます」

「頼もしい限りだ。家康、三河衆の指揮を任せる。此度はともに戦うぞ」

「かしこまりました」


 先の予定を詰めた後、夏目政芳は城へと帰っていった。

 それにしてもなかなかの胆力の持ち主ではあると思う。臣従を誓ったとはいえ、いきなり城主自らが挨拶に来るとは。

 もちろん俺達としてはそうして貰えた方が信頼出来るというものであるが、それが出来るかと言えばなかなかに難しい。

 かつて井伊谷城で家康と久と会ったときも、なかなかに怖かった。襲われることは無いと踏んでいたが、相当に覚悟を決めたことを思い出す。


「何か不安でも?」

「いや、少々昔のことを思い出していただけだ」

「昔、のことにございますか・・・。まさか井伊谷のことではございませんでしょうな」

「ほぉ・・・、よく分かったな」

「わかりますとも。あのような赤っ恥はなかなかかけるものではございません。死ぬまで忘れられませぬ。此度の夏見殿の参城は、当時の政孝様の状況に似ておられる」


 思わず笑ってしまった。あのとき栄衆の働きにより、家康は思いっきり赤っ恥をかいた。

 信長に胆力を見せつけるはずが、俺の評判を上げるための駒として利用されたのだから。


「私の知らぬ話にございます。落ち着けば詳しく聞かせていただきたい」


 思った以上の氏規の食いつきに困惑したのは家康であった。また恥を晒せと言うのかと。頬の引き攣る家康のことなど気にしていないのか、氏規はグイグイと家康に詰め寄っていた。

 一時であったとはいえ、旧友との再会だ。このような場で無ければ、酒のひとつでも酌み交わしたいところであるが、それは勝ったときに残しておくとしよう。


「氏規殿、その話はまた今度ということで」

「・・・一色様がそう申されるのであれば仕方が無い。だがいずれ聞かせて貰いますぞ」

「それは俺が約束しよう。それよりも"一色様"はやめてくれ。俺の立場は氏規殿とさして変わらん」

「一門衆筆頭と、いち家臣では随分と変わります。これが普通かと」

「俺としては気軽に話しかけてもらいたいのだが・・・」

「・・・ならば政孝殿、で。これ以上は難しゅうございます」


 俺の心中を察してなのか、氏規殿は大幅な譲歩を提案してきた。

 まぁそれであれば良いだろうか?俺も流石に"家康"みたいに気軽に呼べる気はしない。

 端から見れば、現状俺の方が立場は上であるが、今川家と北条家の繋がりを思えばどう考えても俺より目上なのだ。

 と言っても随分と昔の話にまで遡るわけだが。


「さて、とりあえず我らは城の周りを見てくるといたします。万が一敵が攻め寄せてきたときの備えをしなくてはなりませんので」

「私もともに参りましょう。みなに次の一手について話さねばなりませんので」


 氏規は家康とともに出ていった。

 何やら廊下で話しているようだが、さすがのその内容までは分からない。というよりも、雨音のせいで聞こえないという方が正しいか。

 前世からそうであったが、雨は嫌いだった。ただし気を落ち着かせたいときには、手の平を返して有り難いと感謝する日が多かった。

 雨の音は心を落ち着かせてくれる。

 特にこの時代に来てからは、戦前やその最中など、策を練る際には非常によい効果をもたらしてくれた。

 今もまさに、そう思っていたのだが・・・。


「殿、よろしいでしょうか?」

「落人か?珍しいな、正面からやってくるなど」

「そうせねばならぬ状況ですので」


 そう言って一歩横にズレた。

 背後にいたのは、随分と久しぶりに見た顔である。そう、あの夜襲作戦以降、行方知れずとなっていた直政であったのだ。


「殿、申し訳ございませんでした!殿の側を離れないと思っておりながら」


 飛び込むように土下座をしようとする直政。だが俺はそんなものを望んではいない。確かに戦そっちのけになりかけるほど心配はした。

 一色の兵もそれほど多くないにも関わらず、直政を探させるために一部を探索に割いた。

 だからといって謝って欲しいわけでは無いのだ。


「直政」

「はっ!」

「よく・・・。よく、生きて戻った」


 俺もおそらく振り絞ったような声だったのだろう。直政は顔も上げずにずっと畳を見ていた。

 肩が震えているのは泣いているからか?

 それを指摘出来ぬほどに俺もまた湧き上がる感情を我慢するに精一杯だった。


「此度の戦で痛感いたしました」

「・・・」

「私にはまだまだ至らぬ点が多くございます。元服前から捨てきれぬ甘えがあったのです」


 これは誓いのような言葉であった。

 俺に対して言っているのかはわからない。だが確かに直政にとって大きな岐路となったことなのであろう。

 生死の境を見たからこそ得たものなのであろう。


「俺がもし今後は戦場に出さぬと言えば、おぬしは如何する。豊のために生きることを優先せよと命じれば如何する」

「その時は殿を軽蔑いたします。軽蔑して、軽蔑し続けて・・・。その上で・・・、我が武を誇れぬことに大きな悲しみを抱きながら、その命を一生かけて守り続けることにございましょう」


 そういうことなのだ。直政にとって命の恩人である俺への恩はどうあがいても捨てきれぬ。

 だから命には従うのだ。例えどれほど辛いことであっても。

 だが武士としての誇りも持ち合わせている。故に残念に思うのだ。

 天下にその武を示せぬ事も、直政の考えを俺が汲んでやらぬ事も。


「そうであろうな。お前はそういう男であった」

「殿」

「これからも精進せよ。二度と俺の姿を見失わぬようにな」

「かしこまりました!」

「それと落人、そなたが犯した命令違反の厳罰の件だがな」


 俺は未だ廊下に控えていた落人に声をかける。


「はっ」

「今後は栄衆を俺の家臣として正式に取り扱う。隠れ里ではなく、領内に居を構えよ。そして落人と名乗る頭領はその者らの代表として必ず一色家の集まりには顔を出せ。頭領が代わるときには必ず俺に報せよ。俺からの命に拒否権が無くなる代わりに、他の者らと同様に禄を出す。ただし今後は他家からの依頼を勝手に受けることは認めぬ。全て一色家を通すようにな」

「・・・それが厳罰にございますか?」

「あぁ。縛られることを嫌う忍びにとって何よりも重い罰であろう」


 だが栄衆は俺以外の依頼を受けてはいない。

 決まった禄を出しているわけでは無いが、依頼達成料は支払っていた。

 隠れ里も遠江国内にはあるのであろうが、俺はその場所を知らない。だから領内に住めと命じた。

 忍び働きをしていない者達は、何ら領内の者らと生活は変わらない。ただでさえ移住者の多い大井川領だ。

 今さら集団で引っ越してくるものがあっても、何らおかしな話では無い。

 つまりこの者らにとって生活環境は大きく変わるが、忍びとしての役割はさほど変わらないと言うことである。厳罰と言ってはいるが、栄衆を守るためにはこれが唯一俺にできることであると考えた。

 忍びを生業とするものは嫌がるであろうがな。


「かしこまりました。そのご命令、すぐに実行に移させていただきます」


 落人は下がっていった。だがその声はいつもと変わらず穏やかなものであり、この厳罰に対して不満や不信感を抱いた様子は無い。

 いずれはこうしようと思っていたのだ。ちょうどよい口実であっただろう。


「して直政」

「はっ」

「そこの者らは?見ない顔であるが」

「忘れておりました!この方達は――――――」


 直政が連れて来た者達は、俺を大いに悩ませることとなる。

 正確に言えば、内1人のことだ。

 下手をすれば、ほどほどに痛めつけるはずであった千葉家との全面戦争になりかねない。

 果たしてどうするべきであるのか。

 まさに新たな火種の到来であった。

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