402話 釣りの支度

 下総国栗原 一色政孝


 1576年冬


 俺は同行させていた栄衆を動員してとある手をうつことにした。それは偽報の流布である。

 こちらに攻め寄せてくる千葉家の兵らに対抗すべく、そして海岸におびき寄せて雑賀衆の餌食とするための一手だ。


「殿、松平様らは無事に小栗原城へと入られたとのことに御座います。噂にあったならず者共らの姿はなく、多少壁やら床やらに傷みがございますが、それでも使えぬほどではないと」

「わかった。直政、お前も支度をせよ」

「はっ!」


 この段階で俺達の兵は3つに分けている。

 家康ら三河衆の一部はこの地より北に位置する小栗原城へと入れた。それも秘密裏に、である。

 そして数正には俺達の隊の大部分を率いさせて江戸川のかつて佐竹と対峙した辺りまで兵を退かせた。敵の目に映るのはこの部隊だけとする。

 栄衆の偽報とは全軍が江戸川流域にまで撤退したという情報。千葉家との決戦の場は再びあの地であると、奴らに思い込ませるのが目的なのだ。


「さて、頼忠殿」

「なんでございましょう」

「まことにこのような場所に残ってよろしかったので?ここは死地にございますよ」

「我らの大将が残ると申されたのです。むしろ指揮する兵もいない私が残らねば、この身軽な立場も意味がありません。それに私、幻庵様にご指導頂いたため、騎馬での戦いは得意にございます。それに逃げ足も早うございますので」

「ならばよし。奴らがここに来るまでにもう少し時間がある故、休んでおられるがよい」

「ではそうさせて頂きましょう」


 頼忠殿もまたこの場から離れていった。愛馬の側に向かい、何かを語りかけている様子である。

 そしてこの戦前の最後の客である。


「まさか大将自ら囮になろうとは。俺も大概変人扱いされるが、政孝殿もまた同様であったようだ」

「何を申されますか、あなたもなかなかの変人でしょう。味方に向けて大筒を放とうとされたのですから」

「吉次に随分と小言を言われたわ。あの場であのような配慮なき発言は如何なものであるのか、とな。たしかに大筒の扱いに長けていない者らからすれば、あれは脅威でしかあるまい。特に一色家が率先して戦にてその強さを証明し続けてきたが故に、今川の将らは余計に恐れを抱いているであろう」

「ならば余計に、でございます。我ら囮部隊をこれだけ少数に絞ったのは、他の方々がこの策に不安を抱いているからにございます」


 俺の言葉に僅かな沈黙が流れた。

 だがそれも本当に僅かな間で終わる。重秀殿は口角を上げると、一度大きく息を吐くような笑い声を上げられた。


「怒っているのか」


 まるで悪戯をしている子供のような、ある種純粋な問いかけであった。

 だがそれは俺が怒っていないと分かっているようでもある。


「まったく。むしろ一色の強さを改めて示す良い機会となりましょう。特にここまで領地が増えた今、俺が手柄を挙げるような機会は減っていたので」


 ここ最近はいつも後方で指揮を執っていた。本当は前に出たかったが、他の者らの手柄をとる気にもなれず、というよりも俺がおらずとも勝ててしまうほどにみなが優秀であったのだ。

 能登では俺不在の状況で、織田や浅井としっかりと連携を取って勝ちきった。

 佐渡方面は未だ読めぬ状況であることに変わりは無いが、藤孝殿には確かな実績がある。その点においては全く不安なことはない。

 大井川城も前線となることがなくなり、一色家が身体を張ってという状況もめっきり無くなったのだ。新参の方々は戦における一色の強さをほとんど知らぬであろう。


「それは良いことを聞いた。ならば此度も俺達の手柄の助けとなって貰おうか」

「何を申されます。それはこちらの言葉にございますよ」


 また重秀殿は笑われた。今度は我慢するようなことなく、声を上げて笑われる。

 そしてひとしきり笑って満足されたのか、真面目な顔をして机を見た。陣は引き払った後であるが、机と椅子だけは残している。

 家康が置いて行った地図を見て、最終確認を行うためだ。


「しかし照算殿をお借り頂いても良かったので?」

「あの男は船では使えぬ。陸に置いてこそその本領を発揮する。奴ら元根来衆はな。それ故に貸してやるのだ。せいぜい上手く使うがよい」

「かつて家康は守重殿らとともに伊豆で戦ったことがございます。それ故そこまで心配はしておりませんが」


 そう言いながら俺は地図に目を落とした。

 家康が偵察で事前に手に入れた情報から察するに、千葉家はおそらく国府台城以東を再び手中に収めたいのであろう。故に狙いは小栗原城と、俺達の完全なる撤退。

 複数のルートを用いたと言うことであり、うち2つは完全に目星がついている。


「まずは高城某が大将であるこの部隊。おそらく使用する道はここでございましょう」


 俺が指を地図の上に置く。それを覗き込むような形で重秀殿が確認された。


「あぁ。この地にあった陣を奪うべく、奴らは進んで来るであろう。すでに撤退の偽報は流してあるが故に、奴らは油断しているはず」

「近くに身を隠すような場所がないため、偶然を装って敵と遭遇する必要がございます。そして適度に被害を与えた後、敗走を装って全力で撤退を開始する」

「国府台城では無く、そのまま江戸湾に向けてであったな」

「はい。もし我らが囮であると気づかれれば、すぐさま大筒を2発放ってください。それが策が外れた合図となる」


 そしてその2発立て続けの轟音を聞いた数正らは、俺達の援軍として再び兵を進めてくることになる。

 逆にもし俺達の思惑に気がつかず、江戸湾にまで深追いを仕掛けてきた場合はそのまま俺達は戦線離脱。まんまとつり出された千葉家の兵らは大筒の餌食となる。

 海版釣り野伏せと名付けようか?何故数正らを安全な場所にまで退かせたのかは単純な話で、兵が多いと素早い移動に混乱が生じる危険があるからである。

 特に火縄銃を担いでいる者達は行動に遅れが出る。そしてそれが大筒被害の拡大に繋がるわけである。それは俺達が最初に危惧した展開であり、最も避けなくてはならない事態であった。

 それ故に機動性を重視して数を減らしたのだ。長年厳しい戦いに晒され続けた俺達であれば、何も難しいことはないだろう。

 ただ最初の一撃を与えた後、引き時さえ間違えなければな。


「そしてもう1つ。佐竹を主力とした小栗原城方面。こちらは空き城であると思われているので、奇襲にはもってこいにございます。おそらくならず者らがいることは頭にありましょうが、それでも油断はしていましょう」

「そこを火縄銃隊で襲いかかるという算段か。怖さを十分に知っているが故に身の毛がよだつ話だ」

「一瞬の油断で隊は壊滅いたします。そしてあの方々であればそれが出来る」


 家康もまた俺が火縄銃を取り入れたことを肯定的に受け入れた1人である。数は未だ一色に劣れど、火縄銃による戦いが始まった頃から運用しているために扱いは随分と上手い方だ。

 だからそちらの大将として小栗原城へと入れた。


「問題は奴らもまた扱いに長けているという点であろうな」

「それにございます。持っていない者らには有効である火縄銃での戦いですが、佐竹は自国で生産を進めていたようにございます。例の一件のこともあるので、我らも、そして雑賀衆の方々も気が逸りそうなものにございますが、どうにか抑えて頂かなくてはなりません」

「わかっている。わざわざ自ら負けにいくような真似はせぬ」


 ここまで特に表情を出していなかった重秀殿であるが、この話題になった途端苦々しい顔つきへと変わった。

 どれだけ雑賀衆にとって、あの一件が腹立たしいことであったのかのあらわれである。そしてそれは俺達も同様に。


「そろそろ船に戻られた方がよろしいかと」

「あぁ、そうだな。政孝殿」

「はい」

「負け戦とは一瞬だ。決して後ろを振り向かず、海だけ見て駆けられよ」


 そう言って重秀殿は去って行かれた。

 意味深な言葉ではあったが、それがどれだけ正しいことかも分かる。追撃してくる敵に目をやりながらではいずれ追いつかれかねないからな。

 ただひたすら駆けるとしよう。待ち受ける味方を信じて。




 今川館 一色政豊


 1576年冬


 父上が佐竹との戦に赴かれた。駿河や遠江より多くの方々が今川様に従われたため、こちらはものすごく静かである。

 そしててっきり初陣であると思っていたが、父からの命は今川様が留守にされている間、今川館をしっかりと守るように言われたのが先日のことであった。


「・・・では失礼いたします」

「はい。また来てくださいね、茶々も喜びましょうから」


 にこやかに私をお見送りくださったのは、今川様の御正室であらされる市様である。そして隣で手を振っておられるのは茶々姫様であった。

 何故このような状況になっているのかは言うまでも無い。駿河の屋敷に滞在中、時々使いの方がやってこられて今川館へと何度もお邪魔しているのだ。

 たまに世間話をして、たまに織田家のことを聞く。そして父上のことを尋ねられて、大井川領のことも聞かれた。

 最近では茶々姫様と遊戯をしたり、たまにこちらに顔を出される五郎様と剣術稽古をしたりする。そんな困惑の連続の日々が続いているのだ。


「いったい私はどのように接すれば良いのか・・・」


 この悩みは毎度のことである。たまに市姫様より伺う父上の接し方であるが、あまり参考にはならなかった。

 何故父上はそうも遠慮無く市様や春様とお話しすることが出来るのか。

 例え一門衆筆頭という立場があったとしても、例え今川様の側近の1人という立場があるにしてもあまりに首をかしげなければならない事態である。

 そんなとき、背後より僅かに気配を感じた。

 足を止めて振り返ると1人の子供がこちらをじーっと見ている。


「これは一色政豊殿ではございませんか。今日も市姫様に呼ばれたのですかな?」

「そのようなところです。新野様はどうしてこちらに?というよりもその御方は・・・」


 五郎様と同じくらいの歳に見えるその御方。顔を見たことはこれまで何度か今川館にやって来ていたが、一度も見たことが無かった。

 だが今川様の相談役である新野様が側にいるということは、それなりの立場の方であるということであろうか?


「こちらは伊達竺丸殿。伊達家当主より預けられた御子でありますぞ」

「伊達・・・。あぁ、そういうことにございましたか」

「そのとおり。これから剣術の指導をと思っておったのですがな、政豊殿は屋敷に戻られるので」

「そのつもりでおります」

「ならば仕方あるまい。気をつけて帰られよ」


 そう言って2人は私が今来た道を歩いていった。

 しかし伊達竺丸殿、か。随分と人質に出すかどうかで揉めたと父上は言われていたな。一言も発さなかったのは、噂通り人見知りが激しいが故なのであろうか。にしても不思議な視線を感じたものであったが。

 まあそれもいずれであろうか。また機会もあるであろう。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る