401話 里見家と北条家に挟まれし者

 下総国栗原 一色政孝


 1576年冬


「そうか、関東で聞かぬ名であると思ったが頼忠殿の出自は上総であったか」

「はい。国府台合戦にて敗北した里見家から北条家へと寝返ったのです。その際に私は人質として小田原へと送られました」


 東側を警戒するという名目で俺達は江戸川を越えた栗原という地に着陣している。近くには小栗原城があり、その地は元々千葉家の城であったがここ数年の混乱のせいで廃城として誰も管理していない状況にある。

 見た目はボロボロであり現地の者らも近寄らぬ有様であることから、よからぬ者らのたまり場になっている可能性もあるため、日を改めて兵を送り込む予定だ。

 旧北条家臣らは氏規を大将として江戸川に沿って北上中。氏規配下の救援に向かっているはずだ。

 そして俺や家康は東に僅かに進んだこの地にて停滞している。目指すは里見家との合流であるが、こちらがあまり進みすぎると再び里見家との領地争いに発展しかねない。適度なところから様子見するという判断になったわけである。


「一族の者らは無事なのか?里見家の混乱は一度数年前に片がついたと聞いているが」

「みな私を残して死にました。現当主である義弘様がそのお立場を確立すべく、里見から北条家へと靡いた者達の悉くを滅したと聞いております。ですがそんな私を氏政様は良くしてくださいました。幻庵様も孫のように私を可愛がってくださり、どうにか今も生きています」

「たしか奥方は照姫様であったか」

「はい。氏照様の姫君を迎えさせて頂いております。おかげで余所者であると白い目で見られることも無くなりまして」


 照姫とは北条氏照唯一の娘の名である。

 北条氏政にとって甥や姪の利用価値は非常に高かったであろうに、それでも実家を失った頼忠殿にその内の1人を預けたということは、それだけ可能性を見出したということであろうか?

 今は兵の1人も連れられぬ立場であるというのに、果たしてこの男は何を目指して日々を生きているのか・・・。


「里見との盟が成れば上総に戻られますか?義弘殿が許されればそれも出来ぬ話ではないやも知れません。正木といえば里見家にとって見ても重要なお家柄。粗略な扱いにもしにくいでしょうし」

「いえ。もし例えかつて父がやらかした行いを義弘様が許されたとしても、私が上総に戻ることはありません。それよりも返さねばならぬ恩がやまほどありますので」

「そうか」

「それに正木家ではありますが、私の家はそこまで重要視されていなかったのです。いえ、この言い方には語弊がありますが」

「・・・つまり?」

「現在里見家の重臣かつ、義弘様の側近という立場についておられる方がおられます。その方の名は正木憲時殿。叔父である弘季様の御子にございますが、正木家の嫡流が断絶したことでそちらに養子入りし、その跡を継いだ御方です。嫡流の一族には代々里見家の姫様が嫁がれておりますが、分家筋にあたる我らはそうではありませんでした。それ故に明確に我ら一族は分けられているのです。宗家筋を外房正木家、分家筋を内房正木家、と」

「そしてその内房正木家は国府台合戦での敗戦を受け、一族総出で北条へと寝返ったわけか」

「その通りにございます。父上は良きときに寝返ったと今でも思っております。ただ不幸であったのは千葉家がそこまで北条家に協力的ではなかったことでしょうか?そのこともあって父上や酒井様や土岐様といった同様に北条に寝返った方々が同時期に滅ぼされております。おそらく北条家からの援軍がないと踏まれたのでしょう」


 陣中にて茶を飲みながら話し込んでいた。今は家康配下の者らが周辺の探索をしている最中である。

 この地は完全に俺達が足を踏み入れたことの無い地であるからな。用心に用心を重ねるように慎重な動きで周囲を警戒していた。

 ちなみに頼忠殿は氏規に預けられた。兵を持たぬ者故、俺の方が安全であると踏んだようだ。たしかに俺達ならば最悪海に逃れることが出来る。

 護衛がおらずとも船にさえ乗ってしまえば、あとはどうとでもなるだろう。

 そんなとき、外で誰かが話す声が聞こえた。

 俺と頼忠殿の視線が陣の入り口へと向く。


「家康殿でしょうか?」

「いや、家康らが戻るにはあまりに早すぎる。それにこの声は」


 俺が誰であるのか言おうとしたとき、陣幕が開きその声の主が顔を覗かせた。


「やはり信綱であったか。随分と久しいことであるな」

「まことに。文でのやり取りでしか殿とは会話を交わしておりませんでしたので」


 隻腕の将である信綱は陣幕をくぐって俺達の前へと足を進める。そして頼忠殿に軽く礼をした後、俺に1枚の文を預けてきた。

 このタイミングで俺に文を出す者など、数人程度しか心当たりがない。果たして誰であるのか、そう考えていると信綱が僅かに頷いたように見えた。


「・・・ならばこれは」

「つい先日、福浦の港に朝比奈様が参られました。我ら後方支援を命じられましたが、これを受け取った限りは出なければならぬでしょう」


 中を確認すると、送り主はやはり里見義弘であった。

 そして内容は・・・。


「里見義頼はやはり義弘殿を裏切った」

「ではあの話は」

「まことになったということだ。信綱、上陸隊への命はすでに完了している。氏真様にも報告済みである」

「ならばあの策を実行に移します」

「あぁ、それと海岸にて陣を張っている雑賀衆にも声をかけよ。例の大筒を乗せた船が数隻あるはずだ。援護射撃を要請せよ。俺からの命だと言ってな」

「かしこまりました。そのようにさせて頂きます」

「それと昌秋は如何している?此度の福浦からの兵は上陸隊に任じたが、来ているのか?」

「一応は・・・。今頃品川湊にて覚悟を決められている頃かと思います」

「そうか。無理はするなと伝えておけ」

「はっ」


 船酔いした状態で敵と遭遇すれば間違いなく酔っている側が不利となる。

 いくら武功を数えきれぬほど上げている昌秋であったとしても、さすがに危険であるからな。

 船に乗ることが無理であるならば、さすがに強引に乗らせる必要は無い。此度の上陸隊大将は九鬼水軍の大将である嘉隆殿となっているのだ。

 そうそう負けぬであろう。だが代わりに澄隆殿は日に日に弱っていく有様である。ながらく戦場に出ず、政からも遠ざかっているが故に一気に悪化するような様子でも無いのだが、これもただの時間稼ぎのようになっている。

 回復する兆しがあればそれでも、時間稼ぎだろうがなんだろうが、という話なのだがな。


 信綱がおそらく品川湊へと戻っていき、そしてしばらく雑談と軍議をしていたところ、騒がしい鎧のすれる音が聞こえてきた。

 軍議中に陣へと飛び込んできたのは家康である。


「敵襲にございます。敵大将は千葉家重臣の1人である高城たかぎ胤辰たねとき

「たしか北条が降伏した際、この辺りを領地として預かったというような話を聞いていたが、ようやく出て来たか」

「敵の数は把握出来ませんでしたが、複数の道を用いてこの地へと兵を進めているようにございます」


 遅れて陣へと入ってきたのは石川数正であった。

 物資の搬入を指示していて遅れたのであろう。


「数正殿、兵糧は如何でしたか?」

「雑賀衆の方々のおかげで物資は滞りなく搬入され続けております。これならば多少長引く戦になろうとも、餓死するようなことにはならぬかと」

「ならばよい。この地は平野部となっており逃げも隠れも出来ない。正面から奴らを迎え撃ってやろう」


 俺がそう言うと、家康が手を挙げた。

 そしてそれとほとんど同時に、俺が呼んでいた方々が入ってこられた。


「その中には佐竹の者らも紛れております。どうやら千葉家に援軍として入った後、上総と下総両面に兵を動かしている様子にございます」

「ならば俺達の出番だな。海岸沿いに敵を引き込めば、海から援護射撃をしてやれる」


 自信満々に雑賀衆の頭である重秀殿が言い放った。

 だが数人ばかりはその発言に肯定的ではない。かくいう俺もその1人であった。


「重秀殿、あの大筒は精度が低く射手では制御出来ぬと聞いておりますが」

「その通りだ。だがそれは素人が使ったときの話。俺達であれば容易に当てられよう」

「それは必ずこちらに被害が出ないということでよろしいでしょうか?」

「当然だ。この場にいる誰よりも火縄銃や大筒に触れてきたのだ。もはや我が子同然のあいつらを扱えずにどうするっていうんだ」


 自信満々であった。だがやはり不安は尽きない。

 背後の味方から攻撃されたと知れば、士気は間違いなくどん底にまで落ちるであろうし、何よりも混乱する。

 それが一番怖い。


「重秀殿、流石にそれは言い過ぎでは?」

「なんだ、守重は自身の腕を信じられぬと言うか」

「そうではございません。ですがそれは完成した子らである場合の話にございます。あの大筒はまだ流石に扱いこなすことが出来るのは重秀殿くらいのもの。他の者らには難しい話にございます」


 なんとあの守重までもが止めに入った。

 しかし今の話を聞くに、やはり鈴木重秀の腕は相当であるようだ。頼もしいと思う反面、この暴走癖が危険であるとも感じてしまう。

 いや、この場合暴走と言うよりも他との認識のズレ、だろうか。

 あまりにその才能が違いすぎるのであろう。だからこういう事態に陥るのだ。


「ですが海からの援護射撃。それが頼もしいことには変わりない。ならば練るとしましょうか、奴らが来る前に最善の策を」


 あの暴れ馬をどう扱うのか。

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