400話 覚悟のとき

 上総国 土気とけ城 里見義弘


 1576年冬


「殿!一大事にございます!!」

「小弓城の備えは万全であった。もし攻められているという報せであれば心配は無用だ」


 だが部屋に飛び込んできた頼元の様子は尋常で無かった。あの城をどれだけ固めたかはこの男も知っているはず。

 何をそこまで狼狽えているというのか。

 だがこれだけ取り乱しているのだ。聞かねばならぬであろう。


「如何した」

「先ほど父より人が寄越されたのです!急ぎその者にあっていただきたく」

「随縁斎からだと?今は確か・・・」


 岡本城にて水軍の立て直しに動いているはずである。だがあの者の側には、父上の遺言通り安房を任せた義頼がおるはず。

 ・・・まさか、な。


「急な訪問お許しください。随縁斎殿よりお伝えしなくてはならぬことがあり、こうして参った次第にございます」

「又助・・・、やはりお前であったか」

「はい。そして殿のご様子から察するに、大方何が起きたか理解されていることと思いますが、敢えて言わせて頂きます。随縁斎殿は義頼様に付き従い、殿に叛逆する意思をお持ちにございます。これよりは安房より上総の南部地域を攻め立てることとなりましょう」


 嫌な予感が的中しおった。

 俺の代で毎回続く里見家の内訌を終わらせることが出来たと思ったが、やはりあの男は諦めていなかったか。

 ここ最近は前線に援軍を出さぬほど静かであると思っていたが、まさか・・・。いや、むしろ今であるからこそか。下手をすればあの男が守ろうとしている里見すらも滅ぼしかねぬというのに。


「父上は何故殿を裏切られたのです」

「此度の戦、正直に申せば私も随縁斎殿もどちらに転ぶか読むことが出来ませなんだ。それ故、岡本家を守るために随縁斎殿は義頼様に御味方された。頼元殿が殿に味方すれば、御家の断絶は避けられましょうからな」

「・・・又助」

「はっ、なんでございましょうか?」

「実際どの程度が義頼に味方しているのだ」

「元々義頼様を次期当主へと期待されていた方々は大半が安房へと兵を向けられております。ですがかつての今川とのこともあり、先代の殿が亡くなられる前に比べれば随分と数は減ったように思いますが」

「そうか。して又助、おぬしはどうするつもりだ」

「私にございますか?私は随縁斎殿と共に殿と戦わせて頂きます」

「この戦に俺が勝つと言いきってもか?」


 又助はまっすぐ俺の目を見続けた。そしてただ一言。


「はい」


 とだけ言って頷く。随縁斎と違って、この男には子がおらぬ。それゆえに頼元を可愛がっていたのだ。


「安西の家が滅びるぞ」

「ならばそれも仕方なきことかと。これまでも里見家はそうして成り立っていたのですから。それにすでに多くの家を失っております。土岐も酒井も正木も滅びました」

「あれは北条という里見家の敵に寝返ったからであろう。お前たちとは状況が異なる」

「同じでございます。我らが刃を向けるということは、すなわち敵となりましょう。もうお側に残ることは叶いませぬ。それに私は随縁斎殿とともに任されていた水軍大将としての毎日が忘れられません。すでに我が心は決まっております。斬られますか?」


 又助は頼元に視線を向けた。

 今この場で刀を腰に差しているのは、慌てて外から飛び込んできたのであろう頼元だけである。

 だがそれでも頼元にこの男を、少なくとも今の状況で斬ることは出来ぬであろう。

 それだけ今、里見家中では信じられぬ事が起きているのだ。


「又助」

「はっ」

「随縁斎に伝えよ」


 又助は黙って俺の言葉を待った。そしてその様子を頼元がグッと堪えたような表情で見ている。


「岡本の家は頼元が必ずや盛り立てる。それ故安心してかかってくるがよい、とな」

「かしこまりました。必ずやそのお言葉を伝えさせて頂きます。それだけは必ず」


 又助もまた覚悟を決めた様子で出ていった。

 あれは死ぬ者の顔だ。かつて祖父の城を攻めたとき、城内でその首をとったとき、まさに同じ顔をしていたな。

 もう二度とこのような悲しき戦は起こさぬと決めたが、やはり父の代より支えてきた重臣らでも弟の暴挙を止めることは出来なかった。

 むしろ兄弟喧嘩に巻き込んでしまった。


「又助殿のあの顔は・・・」

「安房に戻れば義頼に殺されるであろう。彼奴は佐竹と手を組んで俺の背後を狙っていたようであったからな。流石にその動きは筒抜けであったが・・・」

「・・・殿、休まれますか?」

「いや、問題は無い。それにすでに兄弟で別の道を歩むと予感していた俺よりも、まさか親子で争う日が来ると予想出来なかったおぬしの方が辛いであろう。そんなお前を差し置いて休むことなどできぬ」


 だがこれで覚悟が決まった。先日のあの策を実行する機会が早々に訪れたのだ。これを逃せば、俺は義頼と佐竹らに挟み込まれて死ぬこととなる。


「朝比奈はまだ残っていたな?」

「はい。現在椎津城にて待機されていたかと」

「ならば例の文を渡すよう人をやれ。もう弟であるからと大目になど見てやれぬ」

「・・・かしこまりました」

「頼元。俺はこの手で弟を討つ覚悟を決めている」


 まだ表情の晴れぬ頼元であったが、俺から文を受け取り外へと出て行った。

 あれは先日とある商人風の男に渡された文の返事である。安房にて不穏な動きが出ていると俺の耳にも知らせが入り出した頃の話であった。

 にも関わらず、それとほとんど同時期にあのような事を申し出があれば誰でも驚くであろう。

『今川には里見の背後を突く用意がある』などな。


「しかしまことに上手くはいかぬものだ。いつから俺達の目指すものがかわってしまったというのだろうな。なぁ、弟よ」




 上総国金谷城 里見義頼


 1576年冬


「安西又助が勝山城を抜け出したと?」

「何やら急ぎのようであったと、その姿を見た者が申しておりました」

「・・・どこに向かったかなど分からぬか」

「おそらく殿の元に向かわれたのかと」


 真里谷信高は間を空けずにそう言った。そう言えるだけの根拠はあるということか。

 兄上もこちらを探っていたようであるが、それはこちらとて同じである。

 しかし又助がこの時期に兄上の城に向かうということはつまりそういうことであろうな。


「城にたどり着かせるな。その前に始末せよ」

「・・・ですがそうすれば安房の水軍からの協力が怪しいものとなりかねませぬ。随縁斎殿と又助殿は旧知の間柄にございますれば」

「ならば仕方ない、泳がせておく他あるまいな。ただし監視は継続せよ」

「はっ、ではその通りに」


 信高は頭を下げてわずかに座る位置を後退させた。代わりに前へと出て来たのは側近である堀江ほりえ頼忠よりただであった。

 この男はこれまでも何度か佐竹領へと送り込んでいる。

 此度の挟撃案を佐竹義重に提案したのも、この男を通じてなのだ。それほどに私はこの男を信用しているし、期待している。そしてその期待分をしっかり結果として返す。

 それゆえに『頼』の名まで与えてやった。


「佐竹様より。今川家の相手は宇都宮家や他下野南部の領主らが引き受けるため、佐竹本隊は千葉家の救援に入りつつ、上総に圧をかけるとのことにございました。隙が生じれば、義頼様はそのままに北上し背後を突かれれば良いとのことにございます」

「佐竹は対今川の構図である内はこちらに手を出さぬと申しておったな」

「そのように聞いております」

「私が兄を滅した後、必ず佐竹が裏切らぬという証が欲しい」


 そう言えば、頼忠は慌てた表情をする。


「出来ぬか?頼忠であればこそ出来ると思っての提案であるのだがな」

「すでに佐竹家は本隊を下総へと動かされております。今更証を用意するようにいったところで間に合わぬかと」

「だがそれでは信用出来ぬ。こちらは直前まで家を割って争っていたのだ。直後に攻められればそのまま里見家は終わりを迎えるぞ」

「・・・確かにそうでございますが」

「ならば待つか?それとも兄上を滅し次第、そのまま佐竹に牙を剥くか。しかしそうなるとやはり今川の存在が邪魔となるな」


 どうあがいても関東の覇権を手にしたと言える今川の影は付きまとう。御家騒動決着後即時に今川との停戦交渉を行うといえば、この場にいるものの大部分がこれから起こるであろう戦に疑問を抱くであろう。

 兄上がこれから行おうとしていることと同じである、とな。

 故にその手は使えぬ。だからといって、佐竹を全面的に信用することは到底あり得ぬ話だ。さてどうしたものか・・・。


「・・・そう言えば正木の生き残りが北条に逃れていたという話があったな?信高よ」

「はい。殿によって討ち滅ぼされた正木時忠の一族の者が、先んじて北条へ人質として入っておりました。その者が唯一勝浦正木家で生き残った者にございます」

「たしか北条一門に名を連ねる者の娘を正室として迎えていると言っていたか」

「その通りにございます」

「ならば好都合ではないか。その男を呼び戻すとしよう。兄上はかつてその立場を確立させるために、自身に従わぬ勢力を悉く滅ぼした。そういうこととして、我々が責任を持って勝浦正木家を復興させると言えば、奴らは乗ってこぬか?」

「それは分かりませぬが・・・。ですがその後は如何されるので?」

「今川との最前線の城に入れる。氏真は滅ぼした北条氏政の子を猶子とした上で北条家を継がせた。つまりは北条家に対して何かしらの配慮があるということであろう。故にその一門衆の娘婿が守る城には積極的には攻められぬと読む」

「果たして上手くいきましょうか」

「最悪時間稼ぎにでもなれば良い。その間に佐竹を追い返すか、盟を結ぶかが出来ればな。どちらにせよ私は今川といずれ戦うことを覚悟しているのだ。正木家の者が死のうが、それは数ある開戦のきっかけの1つに過ぎぬであろう」


 だがそれよりもずっと気になっていることがあった。この者らの言葉である。


「お前達には改めて言っておくことがある。これより里見家の当主は私だ。兄上のことを今後『殿』などと申せば、裏切り者として即刻その首を刎ねる。信高、そなたでも容赦はせぬ故、よく覚えておくのだ」


 慌てて信高は自分の口を押さえていた。まぁ無意識なのではあろうがな。

 だがこのままでは示しがつかぬ。未だ兄上を当主として掲げているようでは、この戦はこちらの流れになどならぬであろう。

 しかし味方は未だ纏まらず。

 こちらの状況を漏らそうとする者まで出る始末。まことに厄介なことよな。

 せめて兄上が私と同じ志であったなれば、このような真似をせずに済んだというのに。


「いったいいつから兄上は志を低く持たれるようになってしまったというのであろうな。もし兄上が・・・。いや、言葉にしても意味なきことであったな。もう我ら兄弟は止まれぬところまできておるのだから」


 誰も残っておらぬ部屋に1人。私はここに来てまだ迷っているというのか?

 いやそのような事あるわけが無い。あってはならぬ事なのだ。

 これは里見家を外敵より守るための戦なのだからな。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る