394話 兄弟の確執
下総国小弓城 里見義弘
1575年冬
「兄上!今川と手を結ぶなど正気の沙汰ではございません!」
「公方様の御前である。無礼であろう、義頼よ」
唇をかみしめた義頼であったが、小弓公方として我らがまつり上げた頼純様を見て頭を下げた。
渋々といった様子ではあったがな。
「失礼いたしました。ですがこればかりははぐらかさずお答えいただきたい」
頼純様は未だ気まずいような表情で俺を見ていた。俺としてもこの場で気の荒れた弟を放置するつもりはない。
1つわざとらしく大きなため息を吐いた。
それに過剰に反応した義頼であったが、俺の顔をまっすぐ見て次の言葉を待っている。
「今川との同盟はまことの話だ。我ら里見はかつて北条が行った里見家中への介入により、大きくその戦力を低下させている。佐竹の援軍がなかった千葉家にすらまともに勝てぬほどなのだ。これ以上を望むべきではない」
「何と弱気なことなのですか。これでは亡き父が悲しまれましょう」
「果たしてそれはどうか。死人に口なし、というであろう。亡き父上に何と思われていようと、そのお気持ちを確認する術など最早存在せぬ」
「兄上!私はまことに里見のことを思って言っているのです!」
「里見を思っているのであれば、むやみに今川との関係を悪化させる必要などなかったことであろう。お前が裏で色々手を回したことは知っている。だがあの時は父上の存在があり、俺では直接手を下すことが出来なかった。父上もお前の扱いには困っていたようであるからな」
「それこそ」
死人に口なしでありましょう。そこまで義頼は口にしなかった。
頼純様の視線を感じ取ったからであろうな。
「今川殿より提案があったのだ」
「提案、にございますか」
突如として頼純様に話しかけられた義頼は訝しげに、それでも非礼の無いような口調でそちらを見る。
「かつて我が父や兄とその覇権を争った古河公方は、最早滅びたも同然である。北条の庇護下にあり、その北条の権勢を笠に着ていたのだ。北条が滅べば、ともに力を失うであろう」
「それがいったい何だと言うのです」
「今川殿は鎌倉公方に執心しているわけではない。では何故何の力も持たぬ鎌倉公方家に手をつけたのか。それは中央との関わりを持っていたためであると私は思うのだ」
「中央・・・、将軍家にございますか?」
「その通り。征夷大将軍に任命された義昭殿は、鎌倉公方を義氏に、その守り手として北条を認められた。そしてそんな幕府と険悪であると噂される今川殿」
「鎌倉公方家に下した判断は全て幕府が原因であるということに御座いますか」
「私はそう思っている。そして今川殿からの提案とは、義氏の娘を私の子に嫁がせて、正式に鎌倉公方家を継承せぬかというものであった」
義頼は固まった。果たして内心何を思っているのやら。
だが俺はその条件で手を打った。1度手切れとなった同盟であるが、今回は利害が完全に一致したと思ったのだ。
我らは今以上の拡張が出来ぬ。望めばそれこそどこぞの大名のように、家中分裂の危機に瀕するであろう。
それは何としても避けねばならぬ。今であれば今川や佐竹に食い荒らされてしまおうでな。
それ故の決断であった。この半島部に里見の勢力圏を形成し、それを今川家に認めさせる。東に兵を進めたい今川からすれば、この地が敵か味方かでは随分と変わるであろうからな。
俺はその今川の弱みを突いたのだ。
「それがまことの話であるかなど分からぬではありませぬか」
「今川は裏切らぬ。当主である氏真は裏切らぬわ」
「ですが前の盟約は・・・」
「あれはお前が勝手に押し進めた反今川の行動が原因であろう。今川・北条両家を煽るようなやりよう。おそらく勘づいていた者はおろうな」
「ですが私はっ」
「それにどさくさに紛れて奴らの水軍衆を潰そうと画策した奇襲策も見事に看破された。我ら里見の水軍はその再編に時間も人も取られているのが現状だ。その責をお前は上手く逃れたようであるが、多くの者らがそのやりように不信感を募らせている。挽回するのであれば、おそらく次が最後の機会となるであろう。俺は父上のように甘くは無い」
強く畳を叩いた。乾いた音が部屋に鳴り響く。
またこの男は頼純様の前で無礼を働いた。己の信じる道を曲げぬのは良いことである。ときには美徳として褒め称えられよう。
であるが、義頼は度が過ぎる。
周りが一切見えなくなるのが悪い癖である。
煽ったのは俺であるがな。
「頼元、義頼は体調が悪いようだ。別の部屋に連れて行ってやれ」
「・・・かしこまりました」
ずっと外で話を聞いていたであろう岡本頼元は、遠慮した様子で義頼の側へと寄った。項垂れる義頼の肩に手を置いたが、それを強烈な手つきで跳ね返すと怒りの表情で部屋を出ていく。
払われた手をジッと見ていた頼元も、我に返って義頼の後を追いかけていった。
「良いのか、あのようなことを申して」
「あの男は野心を隠そうといたしません。我らが目指すものがはっきりと決まった今、家中で邪魔となる者は排除せねば滅びかねませんので」
「であるが弟であろう」
「私は母方の祖父であった土岐為頼の首を獲っております。そのように仕向けたのも義頼にございました。それに彼奴とは母が異なりますので祖父を討ち取って以降、その娘であった母の扱いは随分と雑なものへと変わりました。父上は母上を守ることよりも義頼を監視するために側に置き続けた。それを寵愛だと勘違いした者達が、母上を蔑ろにしたのです」
母上は父上の死後、尼となって俺の元から離れた。最後に残した言葉は「あなたの迷惑になりたくない」であった。
これまで気丈に振る舞ってこられた母上のあのような表情を見たのは、生まれて初めてであったな。だがそれ故に俺は覚悟を決めた。
母上はどこまで自身の立場が追いやられようとも、俺が当主としての立場を悪くしないようにジッと我慢された。
父上も亡くなる間際にそのことを悔やんでおられた。多くの者を犠牲にして、今の里見家は成り立っているのだと、改めて思わされた。
故に俺はここで躊躇うことはしない。例え身内に手を挙げるような真似をしてでも、守らねばならぬものがあるのだと。
「知っておる。いったいどれだけおぬしの側にいたと思っているのだ」
「頼純様がまさかその地位に就かれるとは思いませんでしたが、それでも私にとっては1つ成すべき事が出来たと安心しております。青があなた様をずっと心配しておりましたので」
「姉上はいつまで経っても弟離れ出来ぬ。困ったことだ」
「確かにその通りで」
とは言ってもやはり心配であったであろう。一時は若くして隠遁を望まれていたのが頼純様である。
父上による強引なやりようが無ければ、そのまま時代の影に隠れてしまっていたはず。
こうして表舞台に立ち、そしてその上で新たな力を手にしようとされている。
もう弟離れも出来るであろうな。青も安心しよう。
「して朝比奈は何と申しておった」
「千葉家との小競り合いが続く中で、奴らは佐竹に援軍を要請いたしました。そのこと、すでに今川家でも事態を把握しているようで対応に動いていると」
「ならばおぬしらが目指すは国府台城への合流であるな」
「あの因縁の地に進むことこそが、我らにとって大事なこととなりましょう。まことに運命とは分からぬものにございます」
「私も同様に思っていた。父や兄の眠る場所で私はさらに先に進む。お二人とも泣いて悔しがるであろう」
「それはどうでしょうか?泣いて喜ばれるやもしれません」
「父に限ってそれはなかろう。自身が1番でなければ我慢ならぬお人であったからな」
「・・・」
俺の沈黙に頼純様は笑われた。
「否定はせぬのだな」
「申し訳ございませぬ。かつての事を思い出していたのです」
「どうせ国府台城での戦いのことであろう。そなたら里見の話を聞かずに、戦を強行したのは父であったと聞いている。慣れぬ者が前に出張る故にそうなるのだ」
父のようにはならぬ。そう頼純様は申された。
俺も父上のようにはならぬであろう。不安な者を側で監視し、そして守るべき者を守れないくらいならば、この手を血に染めてでも排除する。そして守るべき者を守る。
それが俺の覚悟である。そして義頼に対する想いでもある。
「じきに朝比奈が来るであろう。これで話が纏まれば、南と西から佐竹を攻めることとなる。ようやく長きにわたる戦に決着がつくのではないだろうかな」
「はい。それを望むばかりにございます」
安房・上総・下総では戦が長く続きすぎた。ようやく1つの区切りが近づいてきていることを思えば、やはり次に起こるであろう戦は必ず勝たねばならぬ。
でなければ、もはやこの地は戦火に焼かれた荒れ地になるであろう。それだけはなんとしても避けねばならぬのだ。
「殿、義頼様が安房へとお戻りになられるとのことにございます」
「彼奴は信用出来ぬ。監視を密かにつけよ」
「かしこまりました」
そして兄弟の確執もここで断ち切らねばならぬな。
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