393話 子の心親知らず

 大井川城 一色政孝


 1575年冬


 能登の頼忠殿より人が寄越された。

 落人の報告にあったように七尾城の落城と、相次ぐ畠山家臣の降伏により能登の平定は成った。

 また城を実質占拠していた一向宗は、城内へ突入した連合の兵らによって多くが討ち果たされた。だがやはり指導者とされる立場の者達は大部分が毛利の船に逃れたと。


「討ち取ったのは下間の一族の者だけか」

「はっ!ですがその者、顕如より派遣された実質頭のような存在にございました。少数の兵を率いて浜辺に逃げ延びているところを、周囲を警戒していた兵に見つかり討たれております」

「なるほどな。して名は何というたか」

頼照らいしょうと」


 加賀方面の一向宗事情には詳しくないが、頼照という男は知っている。顕如に尽くした坊官で有名な男の1人に下間しもつま仲孝なかたかという者がいる。

 その男の父の名が頼照であったはずだ。史実では越前の一向宗を指導するため、顕如の命を受けて派遣された。

 朝倉滅亡後、越前の実質的な守護のような役割を果たすほどの者である。

 その男が死んだ。いや、史実でも信長による攻撃を受けた頼照は敗走し、海に逃れようとしたところで敵対していた真宗高田派の門徒に見つかって首をとられたのだ。

 それを思えばこの男に関してはほとんど史実通りの末路を辿ったことになる。


「よくわかった。頼忠殿には頃合いを見て帰還するように伝えてくれ」

「かしこまりました」


 寄越された男は俺の前から下がっていった。慌てたような足取りは、北の方の降雪具合が酷いからであろうか?

 こちらも相変わらず寒いことには変わりないが、東海と北陸で全く天気が違うことくらいは現代と変わることも無いだろう。


「して佐渡の方は如何されているので?」

「まったくもって順調ではない。そうある」


 俺は藤孝殿から送られてきた文を昌友に渡した。昌友は受け取り、そして中を確認する。


「思った以上に島の守りが堅いとのこと。というよりも敵兵が多いようだ」

「・・・やはり蘆名の支援があるということで御座いましょうか?」

「であろうな。蘆名もあの地の重要性は理解していよう」


 しかし蘆名は未だ海岸線を自国の領地として保有していない。だが何故か島である佐渡に対して援軍派兵や物資搬入を成功させている。

 つまりは他に協力している者がいる可能性が高いわけで。

 考えられることは2つ。

 1つ目にそもそも上杉家中に内通者がいる。だがこちらに関しては、あまり現実味がない。

 他の上杉に忠誠を誓っている者らの目を欺して蘆名の兵を海岸に届けることに無理があるからだ。

 ならばもう1つの可能性。

 それは越後の北に位置する大名らが蘆名に従っているということ。

 越後の北に位置する者といえば、かつて本庄繁長殿とともに兵を挙げようとしていた大宝寺家がある。その大宝寺がすでに蘆名に与していればどうだ?

 あちらの情勢などほとんど知らない俺達だからこそ、蘆名は秘密裏に佐渡への援助を成功させているのであれば、佐渡の平定に手こずることは上杉の越後統治に暗雲たちこめる事態となりかねない。


「援軍を増やすか、もしくは宗佑に先導させる形で一部の水軍を越後に派兵するか」

「ですが流石にそれは」

「分かっている。現実的な話で無いことはな。だが佐竹との戦が迫ってきている今、上杉にはやはり越後の守りに専念して貰いたいのだ」

「兵を外に動かすには危険が伴いますので」


 昌友の言葉に俺は頷く。

 前の上杉家の御家騒動の折、早々に景虎を見限った揚北衆は未だに越後の北部に残っている。

 一部は離れたわけであるが。

 だがそれでも安心出来ないのが越後という国だ。


「だがこればかりは仕方が無いな。援軍を派遣したとしても、元々の盟約通り上陸して拠点を築くまでは上杉の役目。こちらの兵力が増えたところで何の解決にもならない。むしろ足手まといと兵糧の消費量が増えるだけになってしまう」

「あちらは細川様にお任せするしかありませんね」

「そういうことだ」


 結局何の解決策もないままに俺達はため息を吐いた。

 外を眺めればもう夕暮れ時である。ここ最近は大井川城にて政務に精を出しているわけだが、俺が城を空けていた間に溜まっていた事務仕事があまりに多いため本当にあっという間に1日1日が過ぎていく。

 一色村や福浦村からも人が寄越されている。前者は村拡張・発展計画に関して。後者は里見家と千葉家の小競り合いに警戒するため、武蔵に兵を出すことの報告。


「能登が平定されたことで織田様の目は西に行く」

「そして今川様が東へ」

「上杉が佐渡を押さえるかどうかはともかく、ようやくここまで来た。そしてここからが本当の始まりであろう」


 次期将軍としてその器を持つ人物はこちらの手中にある。あとは義昭の檄文に応えた反織田・今川が大名らが立ち上がればいよいよ話は進み始める。

 ここまで本当に長かった。

 足利将軍家には義助様含めた将軍3代に振り回され続けた。特に義昭にはな。

 だがそれもそろそろ終わりであろう。毛利が果たしてどこまで抵抗するのかは分からないが、この世界線での親義昭勢力は完全に毛利一強状態である。毛利が抜ければもう烏合の衆も同然の集団と成り代わる。それこそが義昭にとっての最後であろうな。

 そういえば義助様といえば・・・。


「なぁ、昌友よ」

「はっ」

「何故織田家は義助様の保護を今川へ頼んだのであろうか。そのようなことを考えたことはなかったか?」

「織田様の元には公方様の側近の出入りが激しゅうございますので、生きておられることを勘づかれないためではないのですか?私はずっとそう思っておりましたが」

「たしかにそれもあると思う。だが俺にはどうにもそれだけであると思えなかったのだ。だいたい将軍家の側近は美濃まで出張っては来ていないようだ。ならば岐阜城で匿えば良かったではないか。故にずっと引っかかっていた。そして先日、とある答えにたどり着いた」

「答え、にございますか?」

「あぁ、それは」


 言いかけたが、それ以上言葉にすることを控える。

 誰かがこちらに向かって走ってきている音が聞こえたが故である。


「殿!今川様より使いの方が参られました!」

「氏真様が?わかった、通せ」

「かしこまりました!」


 昌成はすぐに呼びに戻った様子だ。


「いったい何事にございましょうか?」

「わからぬ。が、あの慌てよう。嫌な予感しかしない」

「同感にございます」


 そしてすぐに人がやって来た。


「信良殿?」

「一色様、お久しぶりにございます。ですが今はゆっくり話している暇がありません。殿からのお言葉をお伝えいたします」


 飛び込んできたのは朝比奈あさひな信良のぶよし殿。信置殿の嫡子である。


「氏真様は何と」

「佐竹と蘆名が同盟を組んだようにございます。蘆名は伊達征伐に兵を動かされることが予想され、佐竹は救援要請に従い千葉家のために兵を南に集めております。周辺で兵を動かすことができる方々は急ぎ下総、武蔵へと兵を出すようにとのこと」

「佐竹がこちらに攻め寄せてくると?」

「すでに下総の国境部周辺では、小競り合い程度ですが争いが起きている地域もございます。用心に越したことはないかと」

「なるほどな。わかった、俺達も急ぎ支度を済ませて武蔵・・・、江戸城にまで向かおう」

「それと今回は冬場、それも戦支度が不十分にございます。出来れば保護下の商人の方々の動員もお願いしたく。その分の遅参は咎めぬとの事にございます」

「ではそっちを優先させてもらおう。氏真様にはそうお伝えを」

「かしこまりました!」


 信良殿はそのまま慌ただしく駆けて出ていった。

 俺は残された昌友と昌成に目を向けた。


「そういうことだ。昌成、急ぎ義助様の屋敷に人をやり熊吉を城に呼べ」

「かしこまりました」

「昌友、聞いたとおりだ。今の話はまた今度でよろしく頼む」

「はっ」


 2人は戦支度のために外へと出て行った。俺も支度をしようか、そう思って広間を出た。

 すると廊下でばったり母と豊に出会った。豊は俺の姿をジッと見た後、僅かに目を潤ませる。


「戦ですか?」

「はい。佐竹の動きが不穏にございます。それに蘆名も」

「そうですか・・・。豊に何か言わぬのですか?」


 まだ豊には何も言っていないが、俺の様子を見てまた城を空けようとしていることだけはわかってしまったようだ。


「また留守にされるのですか」


 目にはすでに涙が溜まっていた。政豊とも元服を果たしたからこそ一緒にいる時間がようやく出来たのだ。

 未だ豊や松丸と過ごした時間など少ししか無く、2人とも大井川城にいるために基本的に俺とは会う機会が少ない。

 こうしてこちらに戻って来ても政務に明け暮れ、そうでないときは城にいない。

 一緒に遊んだことも随分と前の記憶であった。

 いつもは松丸が泣くのだが、豊は遠くからその様を見つめていた。姉としてしっかりと振る舞おうとしていたのであろうな。

 そんな感情にも俺は気づかず、立派に成長しているのだと思い込んでいたわけだ。


「豊、すまないな」

「父上?」

「戻って来たら一緒にどこかに出かけようか、まだお前の兄上ですら知らぬ場所に連れて行ってやろう」

「兄上も知らぬ場所、にございますか?」

「あぁ、そうだ。豊の父と母の大事な場所だ。まだ兄も弟も知らぬ。だから」


 俺はしゃがみ込み、見上げてきていた豊に視線を合わせた。


「俺が戻ってくる日を待っていて欲しい」

「必ず連れていってください。約束にございます」

「あぁ約束しよう」


 頭に手を置くと、小さな手を俺の手に重ねる。

 少し震えているのはきっと我慢してくれているのであろうな。そんな様子に思わず目頭が熱くなった。


「母上、久と虎上にも言って参ります」

「母には何もないのですか?」

「言わずともおわかりにございましょう」


 はぁと小さく母はため息を吐いた。そんな様子を豊は交互に見上げている。


「行きなさい。きっと2人ともそれとなく城内の雰囲気が変わったことに気がついておりますよ。この子ですら気がついたのですから」

「ありがとうございます。では」


 豊が頭を下げると、他の侍女らもそれに従った。母だけは心配そうに俺のことをジッと見ている。

 いつものことではあるが。


「親の心子知らずと思われていたであろう俺が、今度は子の心親知らずになるとはな」


 親不孝者でありながら、親失格であるとも思える。

 せめて豊との約束はちゃんと守ろう。だから今回も生き残るのだ。そう新たな決心をつけることが出来たのだった。

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