392話 不意打ちの同盟
今川館 今川氏真
1575年冬
「そうか、義助様はもうしばらく大井川領に滞在されると」
「はい。父政孝はそう申しておりました」
「あいわかった。麻呂は急かさぬ故、存分に楽しんでいただくが良い」
「かしこまりました」
一色の嫡子である政豊が訪ねてきた。こうして顔を合わせるのは何度目かではあるが、いつも政孝の影に隠れておった。
故にこうして話し続けることは初めてである。だが政豊は多少緊張しているようであるが、麻呂に臆した様子は無い。
むしろ楽しげに話しておったな。麻呂が受け取った印象はあまりに出来すぎているほどによいものであった。
「して政豊よ」
「はっ」
「しばらくこちらに残るのであろうか?それともすぐに大井川領に戻ろうか」
「少しこちらの屋敷に滞在する予定にございます」
「ならばまた来るが良い。そなたに会わせたい者らが何人かいるのだ。いずれ一色を継ぐものであるならば、会っておいて損はなかろう」
一瞬困惑した様子の政豊はその背後に控える氷上の当主を見た。氷上はこれだけ大きくなった一色家にとって未だに家臣筆頭の立場を持ち続けている。
故に此度も同行させたのであろうな。
何か視線でやり取りをしたような政豊は、再びこちらに向き直り頭を下げた。
「かしこまりました。近くかならず登城いたします」
「うむ、待っているでな」
政豊らはそのまま部屋を出ていった。
その様子を側で見ていた親矩はわずかに笑みをこぼす。
「随分と堂々としておられましたな」
「うむ、あと何年か先が楽しみであるな。一色を没落させるほど愚かな男では無いように見えた。だが政孝が築いたものはあまりに大きい。その役目を引き継げるか、それを思えば政豊には同情すらしてしまうの」
「たしかに。政孝殿と同じものを求められることは酷でありましょうな」
現状を見ても麻呂が政孝に頼っている部分は多くある。
信濃の上役に加えて資金・火器の調達、それに例の会談のこともある。少し違うが武田との結びつきや、少し前には三河でのこともあった。
「ここまで求められて、大方全てをこなしてしまうような者の跡継ぎにはなりとうない。正直に言えばな」
「殿も義元公の跡を継がれましたが」
「父は確かに偉大であった。偉大ではあったがあれほど完璧ではなかった。わずかな油断で命を落としたのであるから、それは父の失策よ」
多くの家臣も失ってしまい、今川家を滅ぼしかけた。当然であるが、その要因の1つは麻呂の力不足もある。
故にそれを考えれば、危険な任を何度も請け負い、全てにおいて成果を上げてきた政孝の功は凄まじい。そしてそれを今後求められていくであろう政豊があまりに不憫であると思うのだ。
「まぁそれは良い。まだこれからという者に対して評価を下すのは早過ぎるであろう」
「ごもっともにございます。して泰朝殿からの一件、果たして如何いたしましょうか?」
「・・・里見の要請であったな。たしかに陸続きになることが望ましいことではあるが、また大きな戦となると思うとあまり気が進まぬな」
「間違いなく佐竹は兵を動かしましょう。もし勘づいているのであればこちらの国境部にも動員してくるやもしれませぬ。それは宇都宮や他同盟締結国らも同様に」
「だが里見を見捨てるわけにはいかぬ。義弘の言葉を信じるのであれば、精一杯我らが援護をしてやらねば、房総の支配は佐竹に握られてしまう」
「それは何としても避けねばなりませぬ。今後東に兵を進めるにしても、彼の地が味方か敵かでは大きく話が変わってしまいます」
「そうであるな。故に此度は乗ってやらねばならぬ。我らにとって利があるかはこちらの奮闘次第であろう」
先日元信が先だって周辺地域に援軍を求めた。里見と千葉の関係が不穏な状況であると知ったからである。
麻呂もその判断に問題は無いと判断し、伊豆衆らにも援軍に向かうよう命じた。
元康は国府台城に、元信は古河城へと最前線になるであろう城に入ったと報せがあった。だが何か不気味である。
佐竹は対北条の戦で後方を警戒して兵をほとんど動かさなかったのだ。伊達がこちらについたことを知っているのかはともかく、蘆名や伊達が背後にいる状況でこれほどまでにこちらに力を入れるであろうか?
「不穏よな」
「今の我らであれば負けることはありますまい。とは言い切れませぬが、それでも最低限をこなすことは出来ましょう」
「そっちの話では無い。佐竹があまりにも背後を警戒していないことがよ」
「そちらの話にございましたか。里見が抜けたことで危機感が増したということでは・・・」
親矩はそう言いかけたが、突如外で物音がした。警戒した様子の親矩は外に控えている者に声をかける。
だが返事をしたのはその者では無い。
「秋山十郎兵衛にございます。急ぎお報せすべきことがございます」
「十郎兵衛であったか、して如何したのだ」
小姓が障子を開けると、外に片膝をついている十郎兵衛の姿がある。
麻呂は親矩を連れて廊下へと出た。
「佐竹義重は京の公方の元に秘密裏に人をやっておりました。どうやら商人に紛らせていたようで」
「・・・嫌な予感がするの」
「公方が成そうとしている反織田勢力に加わる兆候を確認いたしました 。またそれに先だって、公方仲介のもとで蘆名との同盟の動きも見せております。目的はその同盟を元に伊達を滅ぼさんと」
十郎兵衛の報せはあまりに驚きのものである。
まさか佐竹と蘆名が結びつくとは・・・。いや、これまでも何度かその機会があった。たまたまそれが実を結んでいなかっただけなのであろう。それが今回、公方を通じて実を結ぶこととなる。
麻呂としては最悪の展開になったと言うほか無い。
「親矩」
「はっ」
「急ぎみなに命を下す。武蔵、下総に兵を集結させよ。政孝には商人らを動員し、物資を確保するように命じるのだ」
「かしこまりました。すぐにでも支度をさせて頂きます」
「十郎兵衛」
「はっ」
「伊達家を取り巻く状況が知りたい。他にも公方と通じている者がおるやもしれん。その者らが結託して伊達家に攻め寄せれば、流石の輝宗も耐えられぬであろう。すぐに探れ」
「かしこまりました!」
「それと風魔の忍びにも命を下す。小田原城の氏助に書状を渡すのだ」
「重ねて承りました」
しかし義昭にやられてしまったな。これも父と同じ油断である。
まさかここでその両家を結びつけてくるとはおもわなんだ。伊達家は今後麻呂らが東に兵を進めるために必要な存在である。
滅べば陸奥侵攻に支障をきたすであろうでな。
「正綱、麻呂も出るぞ。支度を進めるのだ」
「かしこまりました」
隣の部屋で話の経緯を聞いていたであろう正綱は、いつの間にか麻呂の側に来ておった。
どれだけ慌てていたのか、であるがそれも仕方あるまいな。
麻呂の周りが慌ただしくなったことに気がついたのであろう。廊下の向こう側より春の姿が見えた。何やら心配そうな顔つきである。
「戦にございますか?」
「うむ、麻呂も武蔵にまで出ることとなる。いきなりの話ではあるが、留守を頼む。それと市のこともな」
「そのことに関してはお任せを。必ずや私が守ってみせます。ですがどうかご無事でお戻りください。近く生まれるであろう赤子の為にも」
「わかっておる。必ず無事に戻って来て、真っ先に市の元に向かうと約束しよう」
「お待ちしておりますので」
市の腹にはじきに生まれるであろう子がおる。故に死ねぬ。
此度も勝たねばならぬ。待ってくれている者達のためにもな。
「では支度をしてくる」
しかしいよいよ公方様が動きを隠すことをしなくなり始めた。織田殿もそろそろ動き始めるであろう。
こうも隠す気が無いのであれば、最早見逃すことも出来ぬであろうでな。
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