391話 大名としての死、一門衆としての生

 七尾城 浅井長政


 1575年冬


「・・・私にこの地の主が務まるであろうか?」


 開口一番不安な言葉を口にした。今我らの目の前に座る男は、つい先日この城が落城した際に元服をした畠山はたけやま義春よしはるである。

 この者、3代前の当主であった畠山義続の次子であった。年上ではあったが、先代・先々代当主の甥達が相次いで死んだ為に能登畠山家の当主として立てられたのだ。

 であるが、今後能登の支配は実質的に織田殿の元にあると言えるであろう。


「ご安心を。長らく能登を混乱におとしめていた元凶である一向宗はその主力勢力を此度の戦で駆逐いたしました。また畠山家の重臣達による派閥闘争にも決着をつけた今、義春様がすべきことは民達を想うことのみ。邪魔立てする者は我らが露払いをいたしますので、そこはご安心を」

「そうなのか?であれば私は安心してそなたらに頼るとしよう。そもそも越前で死んでいた身なのだ」


 信広殿の言葉に義春は安堵の表情を溢す。

 実はこの男、生まれてすぐに能登にて発生した政変に巻き込まれて父と祖父と共に京へと逃れていたのだ。

 そして幕府の助力の元、朝倉家の元に身を寄せ能登に返り咲く日を待っていた。だが朝倉家は我らによって滅び、その中で畠山家の家臣らによって匿われていたのがこの男である。

 織田殿は後々の利用価値を見越して、殺さずに助けられた。そして今、能登畠山家を我らの盟友とすべく当主へと推されたわけである。


「ただ残念なことは一向宗の指導者らの大部分を取り逃したことでしょうか?」


 信広殿の悔しげな言葉。それに私が思うような意図はなかったとは思うが、わずかに私の心を締め付ける。


「まさか近海に毛利の水軍が備えているとは思いませんでした。これは我らの失態にございます」

「長政殿、今の発言に責めるような意は・・・。奴ら毛利が待機していたのは浜辺の陰であったと聞いております。であれば、我ら全員の不手際にございましょう。もっと周囲を警戒していれば、せめて海に追い出すことは出来たはず。さすれば奴らを取り逃がさずに済んだ」


 船に乗ることが出来る人数などたかが知れている。隠れることが出来る程度の規模の船団であれば、陸上戦など圧倒的にこちらの有利であったはずなのだ。

 せめて毛利の者らを海に追い出すことが出来れば、一向宗の指導者らを取り逃すことはなかったであろう。それが最も悔やまれることである。

 加賀一向宗を指導していた杉浦玄任をここで討ち取ることが出来ていれば、今後の本願寺との戦も変わっていたやもしれない。


「皆様、そう気を落とされずに。此度こうして能登に平穏を取り戻せたことを喜びませんか?」

「諏訪殿・・・」


 此度今川から援軍として寄越された諏訪頼忠殿。

 信濃北部の領主らを動員した上での援軍は、我らにとって大きな力となった。特にかつて上杉家の家臣であったという北条きたじょう殿や本庄殿の奮闘ぶりは凄まじく、七尾城周辺で激しく抵抗した遊佐の残党らを打ち破ったその功は非常に大きなものだ。


「その通り。さきにも言ったが、私はあなた方に感謝している。今後は養父様の、そして浅井様や今川様のお力となれるよう、私が頑張る番にございますので」

「義春殿もこう言っておられますので、あまり責任を抱え込まれず」

「・・・そうですね。この喜ばしい場に水を差すのは控えさせていただきます」

「しかし今の義春殿の言葉で改めて思うことであるが、まさか殿が朝陽あさひ姫を嫁がせるとは思いもしなかった。いや、当然いつかその日が来るとは思ってはいたが」

「朝陽姫・・・。たしか信興殿の唯一の姫であったと記憶しておりますが」

「その通り。弟信興の後を継いだのはその子である信定であったが、朝陽姫のことを思えば殿が引き取った方が良いと判断されたのです。我ら兄弟の中でも特に信興を信頼していた殿の事であったが故、長く側に置いておくのかとも思いましたが」

「それだけ義春殿に期待されているということのあらわれにございましょう」


 これで畠山家は織田家の一門に並ぶ立場となった。だが元を辿れば能登畠山家には足利の血が流れている。

 これは織田家にとって大きな意味を持つ。

 公方様からすれば、能登畠山家が織田殿の手に収まったことは大きな痛手であるはず。

 この能登平定と、その経緯を聞けばきっと地蹈鞴じだたらを踏んで悔しがるであろうな。


「続連殿も今後は能登のために精進していただけるものと信じておりますので。今や対立する遊佐家の者らはおらず、元々あなた方が目指していたものが実現したのです。決して能登をこれまでのような有様にしないよう、よろしくお願いいたします」


 信広殿の言葉に、廊下に控えていた長続連は頭を下げた。この男の長子であり、かつて畠山義慶の側近であった綱連は、一向宗との戦いの最中に重傷を負っており現在療養中である。

 よって此度、こうしてこの場に顔を出したのがこの男なのだ。

 実質的な後見は長家が行うこととなっている。


「私は一度領内を回ろうと思っています。民達の顔を見ておきたい。それにかつて京に並ぶほどに栄えたと言われた七尾城下。その状況を確認せねばなりませんので」

「では我らがお供いたします」

「うむ。続連、頼む。皆様方はどうか城でごゆるりとお過ごしを」


 そう言って義春は続連らを連れて部屋から出て行く。残された我らは、姿勢を崩して円を描くように囲んで座り直した。

 これまで後ろの方に控えていた浅井の家臣や織田家や今川家の方々も側に集まられる。


「我らはこれより佐渡への援軍に動こうと思っております。今川殿には此度の馳走の礼をしなければなりませんので」


 すんなりとした物言い。だが他国への援軍をそう簡単に決められるものでは無いという点から、最初から決まっていたことであると推測出来た。

 であるが我らにはその支度がない。


「殿、我らは如何いたしましょうか?」

「我らは近江へと戻る。未だ越前が安定していないことを思えば、予定の無い軍事行動など余計な混乱を招くだけである」

「かしこまりました。では我らは戻る支度を進めさせていただきます」


 倅が安土山に城を築いている最中ではあるが、その父である虎高は私に付き従って能登へとやって来た。

 藤堂家は親子で軍事・内政ともに功をあげている。やはりいずれ浅井にとって重要な家の1つとなるであろう。かつて小身であったことを思えば、これは嬉しい話であった。


「諏訪殿、改めて此度の馳走感謝いたします。しかし元々目指していたものが違うとはいえ、国友と雑賀の火縄銃にあれほど違いが出るとは驚きにございました」

「たしかに。同じ武器を使っているはずですが・・・。雑賀は一色家の意向が存分に反映されておりますので、それが当主である政孝殿の望むものなのでございましょう」


 噂では聞いていたがやはり今川家の火縄銃の所有数はとんでもなかった。そしてその質も。

 織田殿は雑賀の質に負けぬようにと国友を支援しておられた。にも関わらず、未だ世間の評判は雑賀が頭一つ抜け出ているのが現状であるのだ。

 そしてその雑賀は同じく産地として有名であった根来をも吸収した。それ故に雑賀は生産の質も量も他の追随を許さぬ態勢を整えたわけである。


「我らも頑張らねばなりません。そうですね、信広殿?」

「うむ。それに水軍衆の強さも抜き出ている。伊豆の水軍に里見の水軍、過去には志摩の者らをも蹴散らしている。実績は十分すぎるほどでありましょうな」

「我ら浅井も淡海がございますが、なかなか大きな規模の海戦は経験しておりませんでした。それに外海ともなると戦い方も船に求められる性質も変わってくる。此度の戦はそれをまさに痛感させられました。毛利の水軍はそれほどに手強かった」


 急ごしらえであったとはいえ、完膚なきまでに叩き潰されてしまった。能登の平定が成った今、毛利の水軍と戦う機会はとうぶん巡ってこぬであろうが、それでも強化するに越したことはない。


「なんでも今川様は上杉家に水軍技術を提供されたそうで」

「はい。殿の命によって、政孝殿が家中の技術を上杉様にお伝えしていると聞いております。まさかそのような思い切った真似をされるとは、我ら信濃衆もみな驚いておりました」

「自国の秘密を他家に伝えられるとは・・・。相当に自信があられるのでしょう」

「おそらく。ですが正直なところ、我らの上役であるとはいえ政孝殿のお考えは我らにもわからぬときがございます。しかし結局それが功を成す。一門衆ではなかったとしても家臣筆頭的立場に立たれていたと思います」


 一色政孝。かつて一度だけその顔を見たことがある。今川様が上洛する折、近江通過時に城に招待したときだけであった。

 あの時はただ静かな男であると思ったが、それ以上に何かを感じるということは無かった。

 しかし織田殿はことあるごとにその男の名を出されていたわけで。こうして普段、側にいる者らの言葉を聞くに、やはり織田殿の評価はあながち間違えていないのだと改めて確認させられる。

 我らは少々領地が離れているが故に、意識することといえば火縄銃の生産競争くらいなわけであるが。


「長政殿」

「なんでございましょうか、信広殿」

「それほど気になるのであれば、もし機会があれば積極的に会う予定を立てられた方が良いかと」

「信広殿までそのように言われるのですか?わざわざそれだけする価値があると?」

「私も元々殿ほど関心があったわけではございませんでした。ですが妹が今川様の元に輿入れするか否か。それを決断した際の会談で、殿が興味を惹かれるのも納得だと思ったものにございます。あの男が纏う雰囲気は、我らの誰とも違う。殿は自分に似ていると申されておりましたが、私からすればそれすらも違っているように思えました。会って話す価値はあるかと思います」

「なるほど・・・。そこまでいわれるのであれば、いずれその時が来れば会って話す機会を得られるように手を回してみようと思います」

「それが良いかと」


 その後も織田家の方々、今川家の方々と親睦を深めた。ただ1つ、残念であったことがある。

 それは我が友である重治殿が来られなかったこと。今川から援軍があると聞いてわずかに期待していただけに、それだけはどうにも残念であった。

 我ら浅井の恩人である重治殿は元気でやっているであろうか?元気でやっていれば良いのだがな。

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