390話 次期当主の重責

 大井川城 一色政孝


 1575年冬


 寒くなり始めた今日この頃。時々雪が降り、城から見える山々も白くなっている。

 だがそんな中、今日の天気は雨だった。気温が冷え込んでいるせいで、雪が降っているのかと勘違いするほどに寒い。


「高瀬、ご苦労であったな」

「いえ、殿が港に向かわれるというのであればお供するのは当然にございます」

「すでに大井川港の差配は昌友に大部分を任されているのであったな?」

「はい。昌友様に認めていただいたこと、心から嬉しいことにございます。ですがそれでは足りません。いずれは全て任されるほどに信頼していただきたい、そう思っております」


 大井川港の視察を終えた俺達は、雨に濡れたまま城に戻ってきていた。

 高瀬の側には、喜八郎の娘であった八代も控えている。


「まだまだ現状に満足していないその心意気、まことに頼もしい限りだ。だがその姿のままでは体調を崩すであろう。今日はもう下がって良い」

「ですがまだ」


 高瀬は俺に何か話があるようであるが、さすがに雨でびしょびしょなのだ。特に足下が。

 そのまま城の中を歩き回るわけにもいくまい。流石の昌友も怒ろうでな。


「・・・かしこまりました。支度が整い次第、また参ります」


 高瀬とともに八代も頭を下げて出ていった。

 それからしばらく作業をしていたのだが、なにやら外が騒がしい。

 小窓から外の様子を見ると、鮮やかな傘を差した豊が外を走り回っていた。それを慌てて侍女らが追いかけている状況である。


「久、豊は随分元気だな。外はこれほどに寒いというのに」


 俺の部屋の近くでその様子を見ていた久に声をかけた。

 久は俺がいないと思っていたのか、ビックリした様子でこちらを見た後、慌てて俺の側へと寄ってくる。


「五月蠅かったでしょうか?すぐに止めさせましょう」

「よい、むしろこうして元気な姿を見せてくれるだけで俺は安心出来る」


 久もやはり廊下は寒かったのか、俺があたっていた火鉢のもとに寄り暖を取り始めた。だがそんなこともお構いなしで豊は庭で元気いっぱいだ。


「にしても良い買い物をしたのでは無いか?」

「京の和傘は鮮やかにございます。さすがはお公家様の為に作られているだけはありますね」

「特に山城の南部で生産が活発なようだ。領内が織田様の統治で安定しているからであろう。罪人の取り締まりをしっかりとしているが故、道ばたで襲われることが随分と減った。故に片手がとられる和傘の需要が高まったというわけよ」

「これまでもありましたが、求められることもなかったために出回っている数はたかがしれておりました。ですがあの京傘はあれだけ高価な見た目をしているというのに、決して手が届かぬ価格ではありませんでした」


 聞いた話では飛鳥屋が持参し、母がそれを買った。それを豊にプレゼントしたようだ。以降豊は雨が降れば傘を差して庭を走り回っている。

 侍女の中では天気が怪しいと、晴れ乞いを始める者達までいると言っていた。

 元気すぎて困るということであろう。当の侍女らは雨の中走り回るわけだからな。


「ちなみに領内でも金木に命じて生産量を増やしている。直に傘を持った者で領内も溢れよう」

「笠の方が都合が良いと思う者もおりましょうが」

「手を傘の柄に取られるわけにはいかぬ仕事をしている者はこれまで通りでいくであろうが、そうで無いものは案外乗り換えるやもしれん。むしろ今の楽しげな豊を城下に連れて行ってやるのも1つだ」


 別に笠を否定するわけではないが、1つの産業として推奨してみる価値はあると思う。時代を先取りしておくことは悪くないし、万が一ここで流行らずとも全体の成果としてマイナスにしか成らぬということもあるまい。


「それはよいですね。城下の女子達は惹かれると思います」

「であろう?だがどうしても価格を引き下げるのにも限界がある。まずは商人あたりを狙うほか無いな」


 生産過程の大変さを思えば、傘の無償提供はあり得ぬ。それこそ金木ら職人達の心が俺から離れかねない。

 いずれ、量産体制が出来れば。いや貨幣制度の確立が出来れば物々交換が主流だった農村にも金が出回るようになる。

 作物を金で売るという形がしっかりと整えば、例え農民達であったとしても十分に貨幣による買い物も可能となるであろう。

 そして物の価格の確立ができれば、農民も立派な身分として成り立つだろう。現代人だった俺が領主をしていても、どうしてもその身分という格差だけは取り除くことが出来なかったが、ようやくその解決に光が見え始めたのだ。

 ただこれに関しては望まぬ者らも多くいるであろう。今川家中にも織田家中にも、な。

 難しい問題であるし、デリケートな問題であるため慎重に進める必要がある。

 俺が真剣に協定に関することを考えていたとき、一瞬久と視線が重なった。どうやら俺が気がついていなかっただけで、ジッと俺の方を見ていたようだ。


「久?如何した」

「いえ、どこかに文を書かれていたようなので、やはりお邪魔であったのでは無いかと心配しておりました。旦那様はいつもご自分のことを後回しにされます」

「あぁ、これか?いや、なんてことは無い。これは駿河の殿に宛てた書状だ」

「今川様に、にございますか?」

「あぁ。義助様は今日も商人らと話に花を咲かせておられるようだ。とうぶん戻られそうにないことを一応な」


 俺が用意した屋敷には、連日商人が招待されていくつかの家の者達と義助様は話されている。

 だが当然公方様が生きておられることは外に漏れては困るため、招待している者達はそれなりの立場を持つ者たちである。そして俺と関わりが深い者達、つまり組合の長やそれに準ずる立場の者たちである。今日は染屋が呼ばれていると聞いた。


「なるほど。気に入っていただけたようでございます」

「義助様曰く、京の公家の方々が各地へ下向したがっておられるようだ。再び京で戦が起きると勘づかれた方々であろうな。そして義助様と縁のある方々は氏真様との仲を取り持って欲しいと文が来たのだそうだ」

「まぁ」


 久はそれだけ驚いたようだ。「まぁ」以降の言葉が出てこない。


「すでに義助様は京に返り咲かれたときのことを考えられている。公方様の今の立場は危うかろうな」

「また戦にございますか?」

「近く起きるであろう。関東でも同様にな」


 ここ数週間にわたって、里見家と千葉家で小競り合いが起きているという。これは実質里見家が北関東同盟から脱退したことを意味している。

 そして千葉家は当然の如く、同盟主的立場にある佐竹に援軍を要請した。果たして佐竹がどこまで協力するか、それによっては里見家も、そして千葉家すらも今後の動きに影響を与えることとなるであろう。


「元信殿から要請があった。山内上杉家と、上野領内に城を持っている者達を武蔵に動員するようにとな」

「旦那様は如何されますか?今信濃衆の大半は出払っておりますが」

「一色が動かすのは福浦方面だけだ。今回も昌秋に奮闘して貰うつもりでいる」


 だが全面戦争になればそうも言っていられない。おそらく大井川領から兵を率いて関東に向かう必要があるであろう。

 なるべく勝ち戦に出来るであろうものに政豊を連れて行ってやりたいところであるが、もはや最前線から離れた俺には判断がつかない。

 こればかりは己の勘を信じるほかないか。


「だがどちらにしても直に雪が降り始める。行軍が困難になることを見越して、戦が起こるとしても春頃になるであろう」

「もうしばらく先の話にございますね」

「そういうことだ。だから戦の話になる度にそう辛そうな顔をするな」


 久は泣きそうな顔を隠すこと無く俺に向けた。いつも気丈に振る舞う久ではあるが、毎度戦の話となればいつもこうだ。

 俺もその不安は分かるので、これ以上は何を言っても無駄であろう。だから手招きをした。

 久も気がついたのか俺の隣へと寄ってくる。肩に手が回せるほどに距離を詰めれば、後は抱き寄せてやれば。

 そう思い顔を上げると、表情を強ばらせた政豊が部屋の入り口に立っていた。

 そしてハッとしたかと思いきや、思いっきり頭を下げる。親としてその反応をされた俺達はどうすれば良かったのか、結局答えは出ないままであったが、久は慌てた様子で部屋から出ていく始末。


「父上、申し訳ありませぬ。開いていたので入ってよいものかと思い・・・」

「いや、そもそもお前を呼んだのは俺だ。そう気にするでない」

「ですが・・・」

「久のことは俺に任せればよい。それよりも政豊、お前にやってもらいたいことがある」

「かしこまりました。何なりとお申し付けください」


 俺からの頼みだと聞いた政豊は、一瞬で気持ちを切り替えたようである。真面目な顔つきで俺の方をジッと見る。


「今、殿に向けてとある書状を書いている。それを今川館に向かい、殿に届けて貰いたいのだ」

「私がにございますか!?」

「あぁ、流石に1人では行かせられぬで時真をつけるが、話をするのはお前だ。時真に任せきりになることは許さぬ」


 戸惑う政豊であるが、近い将来直接的な家臣となるのだ。ともなれば早いほうが良いであろう。


「俺は今こちらを離れられぬ。お前がいるからこそ頼めることなのだ」

「私だからこそ・・・」

「やれぬというのであれば他の者を立てるが」


 そう言ってやると、慌てた様子で腰を浮かせる。


「そのお役目、必ずや果たして参ります!」

「そうか、ならば支度を進めよ。時真には俺から言っておく」

「かしこまりました!」


 政豊は足早に部屋を出ていく。

 しかし俺も30を越え、次期当主を考えなければならない歳となった。政豊との年齢差よりも、死んだ父との歳の方が近いわけだ。


「いずれは政豊に任せるときが来るのか。心配ではあるが、楽しみでもある」


 父と俺で築き上げた一門衆筆頭という立場。政豊は果たしてその重責に押しつぶされぬような男になれるであろうか?


「どう思う、落人よ」

「何とも」

「であろうな。して如何した」

「能登の七尾城が落ちました。一向宗による暴走が能登畠山家の滅亡を招いたのです」

「詳細を話せ」


 落人は俺の前にようやく姿を現した。


「杉浦玄任は新たな当主を抱き込もうとしましたが失敗しました。畠山一族に権力を集中しようとした長家に対して不信感を抱いた畠山義高は、かつて先代の側近であった遊佐盛光を頼ったのです。折角長家の影響力に陰りが出たというのに、その分を独占するような遊佐一派のやりように不満を抱いた一向宗は本格的な城の乗っ取りに動きました。それが畠山家の滅亡」

「まさか・・・」

「城内で杉浦玄任とその側近が畠山義高を討ち、そして遊佐盛光や他側近らを討ち取って城を奪ったのです。ですがその行いはつまり」

「織田と上杉の盟約から外れるな。上杉からの要請は能登畠山家を穏便に押さえること」


 つまり能登に畠山家を残して欲しかったのだ。大名であるかどうかはさておき。

 それが本来上杉が要請を受けて成そうとしていたことである。

 だが畠山家の血筋が滅んだ。そうなれば話は変わる。


「寝返った長続連らの力もあり、城内への突入はひどく容易なものであったと」

「一向宗の指導者らはどうなった」

「行方知れずの者が多数おります。どうやら混乱の中で海へと逃れたようで」

「毛利の水軍か?」

「それも1つにございます」

「そうか・・・。わかった、ご苦労であったな」


 直に文が届けられるであろう。そして能登での戦が終わる。

 だが上杉の望んだ畠山の支配は終わりを告げそうだ。あの地が織田の手に渡るのか、はたまた別のやりようを探し出すのか、それは未だ不明ではあるがな。


「あとは佐渡島だけだ。早く朗報が届けば良いのだが」


 そう思わずにはいられなかった。

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