389話 能登畠山家の三大派閥

 大井川城 一色政孝


 1575年冬


 義助様は大井川領の港町を随分と気に入られたようで、当初の予定からかなり予定を延長して領内に滞在されている。

 氏真様にも報告済みで何も問題は無い。そう、そちらに関しては。


「殿、能登方面より報せが来ております」

「能登?ならば頼忠殿からか」

「その通りにございます。ですが此度はいつもの報告とは少々異なるようで」


 ずっと側に控えていた昌友の長子である昌成は、大量の紙の束を俺の前へと差し出してきた。

 紙の質が悪いのか、裏面にまで墨が広がっており、中にびっしりと書き込まれているのが手に取らずともわかった。


「一応順には並んでおります。上からご確認を」


 言われるがままに一番上にあるものから手に取って中を確認した。

 基本的には戦況であったりとか、こちらが被った被害。あとは物資の消費や、商人らを通じて買ったものなど事細かに記されている。

 そもそも能登方面に関しては、長らく織田家による調略が進んでいたため大部分が形勢不利を悟って寝返っているのだが、畠山家の居城である七尾城と周辺の城いくつかだけは未だ降伏を拒否しているのだ。

 というのも、その七尾城に一向宗が押し寄せており、乗っ取られている畠山家に降伏の選択肢が存在しない状況なのである。


「・・・殿、眉間に皺が寄っております」

「そうか?いや、だがこれを読めば寄らざるを得ない」


 何枚目かの報告書。そこに記されていた内容は、これまでの報告の中で一番よろしくないものであった。

 まず最初に書かれていたこと。それは密偵を城に送り込んで発覚した事態。


「畠山義慶が不審死。老衰という歳でもあるまい」

「病か、もしくは毒を盛られたか」

「どちらもあり得ぬ話では無いが、この時期に病で倒れるというのは些か都合が良すぎるようにも思えるな」

「同感にございます。誰かしらの都合が悪くなり、城内の何者かに毒を盛られたというのが一番あり得ることでございましょうか」

「そして弟で二本松を名乗っていた義高よしたかが跡を継いだか」

「はい」


 俺は報告書に書いてある文字を次々と読んでいく。長らく縁が無いものと放置していた畠山家の状況は、この圧倒的報告書を読めば何と無く理解することが出来た。

 それもとんでもない情報量であり、すでに頭はパンク寸前であるわけだが、それでも俺には把握しておく義務がある。

 何かあった際に、すぐに決断出来るように備えておかなければならないからだ。


「畠山家には大きく分けて3つの派閥が存在しており、混乱する能登を鎮めるため再び畠山家の当主に権力を集中しよう画策する者達、これまで通り重臣達で権力を握ろうとしている者達、そして本願寺の手駒として動かしたい一向宗達か」

「1つ目の派閥を導くのはちょう続連つぐつら、2つ目の派閥を率いるのは遊佐ゆさ続光つぐみつ温井ぬくい景隆かげたか、3つ目の一向宗を率いているのが杉浦すぎうら玄任げんとうにございます」

「杉浦玄任と言えば加賀一向一揆を取りまとめる1人であったな」

「はい。これを読む限り、先日織田様と本願寺で結ばれた和睦を痛烈に批判したようにございます。加賀を失っておりますから、織田家と一時とはいえ停戦するなど許せなかったのでございましょう」


 そんな過激派が派閥の1つを率いているのか。そりゃ纏まらないわけだ。

 そしてこの中で当主の毒殺に動いたと思われるのは後2つのどちらかだ。元々畠山義慶を傀儡のように扱っていた家臣らであったが、成長するにつれ思うようにいかなくなっていたようで、そしてそれを恨めしく思った者達が手を下した。

 あり得ぬ話では無い。


「織田家の名目は能登に安寧をもたらすこと。これは上杉様が能登から完全に手を引いた際に定められたことでございますので、織田様が手を貸されるとすれば長続連にございましょう」

「他の者らはその妨害に動くか。そしてこれに関与しているのが・・・」

「毛利水軍にございます。山名も船を出しているようでございますね」

「浅井の急ごしらえの水軍では手も足も出ぬ、とな。敦賀の沖で見事に沈められたとある。そしてそれらの船は能登の半島部を回り込み、景隆の弟である三宅みやけ長盛ながもりが守る甲山かぶとやま城に物資を運び入れているか」

「そこからは船を用いて長続連の領内を通らぬように七尾城に運搬しているようで」

「厄介だな。上杉は盟約上も、そして佐渡のことも含めて水軍を動員出来ぬ。だが浅井のように海での戦に慣れぬ者では、練度の高い毛利の水軍にとっては水練にもならぬであろう」


 そして家中は織田の介入を良しとしない2つの派閥が勢いを保っている。ようやく自立出来始めていた当主も急死し再び幼い当主が跡を継いだ。

 畠山家は何年か前と同じ道を歩もうとしているわけである。


「能登方面は少々手を焼きそうか」

「早々に包囲するべきなのでしょうが、ここにきて一向宗の勢いが凄まじいと。神保家による越中平定を織田様と上杉様の協力で退けた際に、それに手を貸した一向宗が多く討たれました。ですが未だ門徒は大勢おりますので」

「そうだな。毛利が援助したのは畠山であるからなのか、それとも一向宗があるからなのか。そこは1つ重要な要素なのかもしれん」

「栄衆を忍ばせましょうか?」


 そんなとき、外から誰かがこちらに歩いてくる音が聞こえた。

 複数あるが果たして誰であるのか。そしてわずかに障子が開き、外から勘吉が顔を覗かせる。


「殿、時真様にございます。それと・・・」


 勘吉が最後まで名を申さなかったのは何故なのか。だが時真がいるのであれば、それが誰であろうと問題は無い。

 危害が及ぶような人物であるならば、ここまで連れてきたりはしない。


「昌友、この話はまた後だ」

「かしこまりました」


 昌成が散らかった文を片していると、時真が入ってきた。おそらく俺が昌友と話しているのを知っていたのであろう。俺に頭を下げた後、昌友に軽く頭を下げていた。そこに驚きの表情はなかったからな。

 そしてその背後から入ってこられたのは旅装束の1人の男。その方を俺はよく知っていた。


「豊春様ではございませんか!」


 随分と年を取られたように見えるが、そこに立っておられる御方は間違いなく俺の知っている豊春様。


「お久しぶりにございます、政孝様」

「まことに久しいことで、いったいいつぶりになりましょうか?」

「父上が亡くなられたときが最後にございますので、はや6年となりましょうか」

「もうそんなに・・・。いきなり縁東寺より人が寄越され、豊春様からの伝言を聞いて驚いたものです。何も言わずに領内より出られるとは」

「あのときはあまり多くを語ることが出来ませんでしたので」

「・・・それは大叔父上が関わることにございますか?」

「その通りにございます」


 大叔父上である豊岳様が亡くなられた後、その子で一色家菩提寺の住職であった豊春様は寺を子や弟子らに任せて各地放浪の旅に出られた。

 その後、まったくといって音沙汰がないので心配していたが、こうも急に戻ってこられると結局驚いてしまうのも無理はないだろう。


「それはそうと此度こうして参ったのは、とある事実をお報せするためにございます」

「事実?いったい何のことで?」

「まず最初に遅くなりましたが信濃の上役への就任おめでとうございます。今回その信濃の者達が能登に兵を動かされたということで戻って来たのです」

「つまり能登関係の話であるということでしょうか?」

「その通り。彼の地は現状況において、1つ注目すべき地にございました。それ故、時をかけてあの地に馴染んでおったのです。今では城に出入りすることも許されました」


 俺は思わず頬を引き攣らせてしまった。何故そのような芸当が出来るのか、言っても長らく縁東寺の僧であったはずなのだがな。


「畠山家で起きていることをご存じでございますか?」

「先ほどあちらに派遣している方から文が届きました。あらかた分かっているつもりにございますが」

「ではまだ若い御当主が急死されたことは」

「それも書いてありました。我らの見解としては、畠山家中に存在する反信長派の派閥による暗殺ではないかと思っております」

「そこまでわかっておいでであったのですね。それは合っております。首謀者は遊佐続光、子で義慶様の補佐をしておった盛光に命じ毒を盛ったようにございます。そしてその罪を長続連の子である連龍つらたつに着せた。それによって親織田派の長家は一気に勢いを失っております。また新たな当主となった義高様はそんな長家と距離を空けられました」

「畠山家の安定も遠のくはずにございます。本来であればまず本願寺の影響を排さねばならぬところを、先んじて畠山家の分裂を煽るなど」

「七尾城に出入りすることは危険であると思い能登を離れたのです。そして戻って参りました」


 勘吉が用意した茶をひと呑みされた豊春様は、その後も能登の話をしてくださった。

 一向宗が流れ込んできた当時の能登の話も、現在どれだけの者達がこちらになびいているのかも。


「ですが戦はそう長くは続かぬとみております」

「何故にございましょうか?報告を見ても随分とこちらが劣勢であるように思えますが」

「織田様になびかれた者の中に水軍を持つ者達がいたのです。その者らが毛利の水軍の足止めを命じられた。そして事前に能登の商人から米を買いあさっていたこともあり、七尾城はすでに兵糧不足に陥っております。また刈り入れ時を前にして包囲されたため、今年の収穫も未だ済んでおりません。民の不満も相当なものとなっておりますが、民を人質にするかのように城に集めております」

「何故米が足らぬのに人を入れたのか・・・。あぁそういうことか」


 一瞬戸惑いを覚えたが、俺は1つの答えにたどり着いた。

 そんな俺の独り言を、ここにいる誰もが注目している。


「織田様が長島城を包囲された際、降伏してきた一向宗の内、僧以外は全員見逃したのです。本来であれば危険な存在として全員死んでいてもおかしくはありませんでしたが」

「織田様は民に手を出せぬと思われたと?そう政孝様は考えられますか?」

「その通り。それに今回籠城している者達で、今の話を聞けば門徒では無いものもそこには多く含まれているようですので」

「盾としているわけにございますね。人が死に始めれば、それが戦に無関係な者達であれば、包囲を解くのではないかと」

「その通り、ですがそこまで上手くいくのかどうか」


 長島城の時と違うのは、すでに毛利の、そして幕府の支持を得てしまっているという点だ。

 長島城は北伊勢の平定と伊勢湾の掌握も相まって孤立無援であった。もう死ぬか降伏かの2択でしかなかったのだ。

 だが今回は色々と状況が違う。果たして民を盾として集めたからと言って許されるのかは疑問なところである。


「ですがいずれ畠山が限界を迎えるのも事実にございます。毛利の水軍相手に完全なる勝利は難しいでしょうが、それでもこれまで通りに荷を運び入れるとはいかなくなりましょう」

「ならばあとは粘れば終わるということにございますね」

「じきに雪が降り始めます。どちらが先に音を上げるか、それがこの戦の勝敗の鍵になりましょう」


 今年の雪の具合か。さすがにわからないが、少なくともこちらの天気ではアテにならない。

 今回信濃衆には随分と辛い任を与えてしまったのかもしれない。

 片や雪が降りしきる中での籠城戦。片や雪が振り、風が冷たい中での海を側にした上陸戦。

 戻れば小言の1つや2つ言われそうだ。だが良い報せを聞いたのも事実。

 豊春様には感謝せねばならないな。

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