388話 自由の身

 大井川城 一色政孝


 1575年冬


 先日駿河より人が寄越された。

 義助様が関東行脚を終えて、近くこちらに向かう支度を進めているというものである。

 そして今日、駿河から出られた義助様一行はいくらかの護衛を伴って大井川城に入られた。俺が注意したこともあってか、その護衛は割としっかりと装備も数も整えられていた。

 だからといって油断は出来ないわけだが。


「小田原城で氏助と会ってきた。氏俊や一部北条の家臣らの補佐もあって、どうにか立て直しが進んでいたようである」

「それは安心いたしました。一時でも城で匿っていたこともあり、気になってはいたのです」


 小田原城の北条氏助とは、かつて今川家に逃れてきていた国増丸のことである。

 氏真様の猶子となり、北条氏政・氏直親子に代わって今川家臣として再び歩み始める北条家の当主となった。その際に義助様より偏諱を与えられたのだ。


「何かあれば必ず力になりたいとも申しておった。いち家臣という立場にはなったが、北条の結束は相当に強い。氏政が生かされたからであろうかな」

「そこまでは分かりかねますが・・・」

「まぁそれは良い。政孝を困らせるつもりはないのだ。私も鶴のことで大きな恩がある故な。私の力が必要となればいつでも言うが良い。今はまだ何もないが、いずれ何か返すことくらいは出来るであろう」


 義助様の正室である鶴見姫は、駿河の港まで一色家や朝倉家の船団に護衛されてたどり着き、そして今川館にて義助様と再会を果たされた。

 それまでは気丈な態度であったが、どうやら人目も気にせず涙を流されたと人伝に聞いている。義助様のお顔を見て安心したのだと漏らされていたらしい。

 一足先に大井川港で降りた重治の妻も同様だ。その足で高遠城まで向かい、無事に再会を果たした。

 再会して喜び合うものがいる一方で三淵のような悲しい最期を迎えた者がいると思えば、やはりまだまだ力不足であったと痛感する。俺がもう少し状況を整えていれば、と三淵が生きていれば余計なお世話だと怒られるようなことまで最近は考えるようになった。


「そのように思われずともよいのですが」

「それはいかぬ。感謝を忘れればそれはいずれ人でなくなる。周りに人がいなくなり、悪意を抱く者だけが残るであろう」

「それは誰かのことを申されているのでしょうか?」

「私は誰とは言っていない。自由に思うがよいぞ」


 義助様は明らかに"誰か"に向けて言葉を紡がれた。最早そのような言葉で止まるような状況では無いのだがな。


「そういえばまた人を匿ったようであるな。お人好しといえば良いのか。畿内でもそなたの名は有名であったわ、あの鬼ような振る舞いをする織田信長と似た存在である、とな。おそらく火縄銃に熱心であることからそう言われているのであろうが、大元は信長が長島城でやったことを本願寺の僧らが非難するためよ。それが広がりながら、さらに周りを巻き込んだ。火縄銃を戦で積極的に用いることは、残虐な者のやることである、と。実際は高価な代物ゆえ、戦に用いたくても数が揃えられないというのが大きな理由であると私は思うのだがな」

「全く同感にございます。そもそも刀や槍、そして弓で人を殺すことと、火縄銃で人を殺すことに差があるというのでしょうか。それを本願寺の僧達が本心から言っているのであれば、仏に仕えているとは到底信じられません」

「まぁそれほどまでに一色の名は畿内でも浸透しておった。大きな取引をする商人の大部分が一色保護下の者達であったゆえな。まぁそれは良いのだ、して藤英が死んだと聞いた」

「はい。公方様に屋敷を取り囲まれて、子らを逃すために最後まで屋敷に残っていたと」

「三淵といえば長らく幕府に仕えてきた重臣中の重臣である。例えその心が幕府から離れていたとしても、あまりのやりようである」

「私も驚いております。まさかそこまで」

「将軍家の名で兵を率いて戦うことなどしばらく無かったであろう、それ故に誰も予想出来なかった」


 信長が兵を貸したわけではない。本当に独自の兵を用意していたのだ。

 数はそれほどでもないが、無防備な屋敷を襲撃する程度は造作も無かったということであろう。三淵秋豪曰く、包囲された屋敷にはすぐに火が放たれたと言っていた。

 そもそも防衛戦力など無いに等しかったのだ、火が上がればもう逃げるしかなくなる。


「岡崎城で織田家の方々と少し話をいたしました。織田様も此度の事は予想外のことであり、山崎にて京と播磨の様子を見られていたにも関わらずその事態に気づくことが出来なかったと申されていたのです」

「上手く隠したのか、はたまた別に理由があるのか」

「三淵秋豪らは氏真様の命の元で細川家に預けることとなりました。今後も三淵を名乗るのか、それとも藤孝殿を養父とし細川と名乗るのかはまた追々になりましょう」


 藤孝殿は越後に向かわれている。全ては戻って来てからの決定になるはずだ。


「京の雲行きが怪しいせいであろうかな、公家らが各地の大名の元へと下向したがっているようである。私の所在を知っている公家らが今川と繋ぎをつけて欲しいとしきりに人を送ってくるわ」

「如何されるので?」

「私は別に構わぬ。義昭の起こす戦で関係のない者が死ぬのはどうにも可哀想であろう。であるが、その中には当時私と敵対していた者らまで含まれている。節操がないと思うてしまうわ」

「しかしあの頃あたりより朝廷内部は随分と複雑な状況にございました。義助様を支持されていた方、三好家を支持されていた方。三好家を推す近衛前久様を支持する方、反発する方。一概に義助様に不満を持たれていたというわけでもありますまい」


 なんなら多くの公家に駿河へと下向してきて貰いたい。そしてこの地の良さを知ってもらい、京に戻った後も贔屓にして貰いたい。

 そんな邪な気持ちもあるが、俺としても義助様と大方似たような感情はある。義昭の勝手に巻き込まれるのはあまりにも可哀想ではある。だがそうなれば誰が帝を守るというのか、さすがに下向という名目を取って京を離れる限り、帝はそのまま京に残らねばならぬであろう。

 結局それを守るのは織田や浅井の役目ではあるが、此度の三淵の一件を思えば義昭がどう動くかなど、正直予測などできぬ。

 むしろ予測を立てて動く方が危険であるように思えた。


「まぁどちらでもよいのだ。今こうして安全な地に身を置いているからか、心に余裕が出来ている。いずれ京に戻ったとき、その者らが私に恩を感じておればそれほどやりやすいこともないであろう」

「まことに」

「その話の続きというわけでは無いのだがな、とある男から文が届いたのだ。表の名は気にせずともよいぞ、それは偽りの名である」

「はぁ」


 義助様から差し出された文を受け取った俺は、文の表にあった名を確認した。たしかに聞いたことの無い名であり、偽名であったとしても何も思わなかったであろう。


「では読ませていただきます」

「うむ」


 許可を得た俺は早速内容を確認する。

 最初は何気ない挨拶から始まり、何故義助様が駿河に匿われていることを知っているかという経緯が書き記されていた。

 その次に文の差出人が今どこで何をしているのか、そして京の三淵のこと。色々書いてある。

 そして最後にこの文で一番重要な用件と、本当の名が書かれていた。


「これは・・・」

「この男がこのような状況に追い込まれている原因の一端は私にある。故に私はどの公家からの要請よりも先にこの願いを叶えてやりたい」

「ですが私の一存ではどうにも」

「すでに承諾は得た。あとは政孝、そなた次第なのだ」


 俺は改めて文の内容を確認する。

 何度読んでも他の意図は読み取れず、やはり純粋に自分のやりたいことが述べられているだけであった。


「何故このようなことを」

「色々なものを背負った男であるが故であろう。もう十分にやってくれた。私も感謝しておる。あの男がおらねば、今の私はない。こうして今川家の世話になり、平島にいても経験出来なかったことが色々出来た。駿河は元より、この地や武蔵、伊豆と相模をこの目で見て回る日がくるなどかつての私は想像もしていなかった」

「全てはこの御方のおかげであると?」

「もちろんかつての三好にも恩は感じておる。だがあの者らが欲したのは天下の安寧ではなかった。一番側にいてすぐに分かったわ、この者らでは兄が目指した幕府にはならぬと。それ故三好家中で邪魔な者らを排した」


 その最たる者が篠原長房であったということか。


「あやつは賢き者であった。その上で長治、三好家を思うがままに操っていたからな。兄の死に関わったのが長房の弟であると聞いて、これを利用しない手はないとすぐに思った」

「篠原の死は義助様にとって計画通りであったと」

「私から距離を取ろうとしたところまではな。だが結果としてまだ若い伊勢の当主を殺されてしまった。あれは失敗したと本当に悔やんだものである。その後若狭が織田の手に落ち、未だ幼かった弟の熊千代が保護されたと聞いた時は心底ホッとしたものよ」


 だがその結果として政所執事として将来的に義助様を支えると約束されていた伊勢家は幕府から離れることとなったわけだ。

 今は若狭に戻ったはずだが、今後はどうなるか分からない。

 義助様も伊勢家の現当主である貞興に恨まれているやもしれぬしな。


「その後は知っての通りである。三好本国では細川を主とし、三好宗家から独立する動きが出始めた。畿内でもかつての三好家当主であった義継や松永との戦も続いていた。三好本家の力を削ぐには十分すぎたのだ。だが新たな後ろ盾としようとした信長は義昭を擁していた、何度人をやっても返事はいつも同じであった。そして私は自らが弱めた三好を頼って京を離れることとなった。石山の本願寺へと避難していたとある日のことである。その男が私の元にやって来たのは。立場があろうにその者は私に対して頭を下げたのだ。聞けば既にその立場を追われた後であった」


 そう、この文の差出人は前の関白である近衛前久だ。

 かつての縁を頼って各地を転々としていたようである。未だ京に留まる近衛家から離れたのは、すでにその関係を断ったのかもしれない。


「義助様の想いはよく分かりました。どこまで手配出来るかは分かりませんが、できる限り近衛様のご期待に添えるようにさせていただきます」

「すまぬな、恩を返したいと申しておきながらすぐに頼み事をして」

「いえ、それにこれに関しては私というよりも、商人らの方が大変にございましょう。私はそれは影から支えるだけでございますので」


 近衛前久からの文を俺は元通りに畳んだ。そしてそのまま義助様にお返しする。


『私はもう公家やら武士やらと身分に縛られるのは疲れた。身分に捕らわれず、自由に日ノ本中を旅したい』


 この願いを叶えるために一肌脱いでみようと思う。

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