395話 決別
槇島城 細川昭元
1575年冬
「お待ちしておりました。この槇島城であれば信長の命で築かれた御所よりも安全にございます。また敵を迎え撃つための支度も整っておりますので、毛利が上洛するまで必ず耐えられましょう」
「よくぞここまで備えをしたものだ。ここは信長の監視もあったであろうに」
「なんの。公方様のお力になるためならば多少の危険も何ら問題ではございません。すべてはこの日ノ本を足利将軍家の天下とするためにございますので」
槇島城主、
公方様は二条御所を引き払われ、全てを持ってこの城に入られるのだ。
穏健派であった親長殿らは最初こそ引き留めはしたが、決して譲られぬ公方様を見て諦められていた。
だが果たして今敵対行動をすることが最善であると思われているのか。そうであるならば、幕府はこのまま滅びてしまおうな。
「よい心がけである。であるがそう肩肘張らずとも良い。じきに義弟である義継に加えて赤井や一色、松永やその他の反信長を約束している者達が立ち上がろうでな。そうなれば毛利の上洛もそう時間はかからぬであろう。今川めも援軍に来ることはない」
「まさか公方様が佐竹と蘆名の同盟を取り持たれるなど、誰も予想出来ませんでした。必ず今川はそちらの対応に追われましょう」
「そうであろうとも。奴らの驚き慌てふためく顔を直で見られぬのが残念であるわ」
その公方様の発言を側近の方々含めて愉快げに笑われていた。
それほどまでにこの戦に勝算があるということなのであろうが、ただ付き従っているだけの幕臣達の不安げな様子は二条御所を出立した頃から何ら変わってはいない。
むしろ日に日に顔から生気が抜け落ちていくようであった。
「しかし城1つではどれだけ優勢であったとしても、やはり心許ないの」
「それはご安心していただければと思います。城の周囲にはいくつかの砦を秘密裏に築いており、すでに私の家臣の者らを派遣し守りを固めております。また何かあれば狼煙を上げて敵の襲来をこちらに伝えるよう準備をしておりますので」
「ほぉ、まことに用意が良いな。昭光を頼って正解であったわ。それに比べて」
公方様はそれ以上何も申されなかった。だがその言葉が幕臣の一部に向いている事は明白であり、その言葉を聞いてばつが悪そうな顔をされた方々も数人いらした。
これでは纏まらねばならぬこの状況においても纏まれぬ。すでに離脱された方も数人おられる現状で、ここまで付き従った者達を罵る必要があるのかは全くの疑問であった。
しかし今の言葉は私にも向いているのであろうな。特に前の義助様が追放された摂津での戦以降に付き従った者達への風当たりは依然厳しいままであった。信用されていないことは前々よりわかっていたことではあるが、こうもあからさまであると分断も招きかねぬ。好都合であることに限りは無いが、急ぎ今の状況を織田様に送らねばならぬか・・・。
であるが迂闊な真似は出来ぬ。私には義助様を京にて出迎えるという大事な任があるゆえに。
「伝令にございます!多聞山城にて松永久秀様が挙兵されました!それに合わせるように岸和田城の三好義継様や本願寺の顕如様も続々と挙兵されております!」
「良い頃合いである。近く赤井や一色も兵を挙げようぞ」
広間は歓喜の声で溢れる。であるがその内、三好様と松永様は織田様に与しておられることを、ここにいるほとんどの方は知らぬという。
なんと能天気なことであるのか。妹君を嫁がせば味方になると思っておられる辺り、分かっておられぬし甘すぎる。
「一大事にございます!」
そんな歓喜の声で震える広間。だが次に飛び込んできた御方、一色藤長殿の様子を見て誰もが声を発するのを止められた。
その表情に尋常でない何かがあったと思わされたのだ。
「如何したのだ、藤長よ。このような目出度い場でその顔は場違いであろう。その顔、洗って出直すが良い」
「そ、それどころではございませぬ!一色家の義定殿より人がありました!山名家が分裂したとのことにございます!」
「・・・は?」
疑問の声が漏れ出たのは公方様ではなかった。
であるが誰も事態についていけず、ただ絶句してしまっている。
「山名領南部に城と領地を拝していた山名の重臣の1人が織田に寝返ったと。
「何故そのようなことになっているのだ!?山名は何ら問題は無いと申しておったではないか!」
「そのように聞いていたのですが・・・。申し訳ございませぬ!」
藤長殿は頭を下げられてはいるが、どうにも公方様はご気分が静まらぬ様子。幕臣達はただその様を眺めるしか出来ない。しかし元政殿に並んで側近としての立場を築かれていたはずの藤長殿がこれだけ怒りを買うとは思いもしなかったことであるな。
そして結局は誰も公方様を止められぬのだ。これがここまで公方様の状況を悪化させた原因であろうと、外から見ていてわかるもの。
案外側にいれば気づかぬのであろう。
「山名が動かねば毛利上洛の助けが出来ぬでは無いか!すでに予は信長に対して敵対とも捉えられる行動を起こしているのだ。今更あとには退けぬぞ」
「今配下の者を山名領へと送り込んでおります。じきに状況は掴めるでしょう」
「解決する見込みは」
だがそれに対して藤長殿は答えられない。
その僅かな間も公方様は気に障ったようであった。
「解決する見込みがあるのかと聞いておるのだ!藤長、答えよ!」
「身命を賭して解決してみせます!もし出来なかったときは・・・」
「そのときは予が介錯してやろう。これまでの功績を鑑みての、せめてもの情けである。これ以上、時をかけるは惜しい故、早う行くのだ」
「はっ!!」
藤長殿は真っ青な顔で出て行かれた。
先ほどのお祭り騒ぎはなんであったのか。沈黙がしばらく続き、空気は重い。
「気分が悪い。予はしばらく休む。夕暮れ時に人を集めよ、具体的な織田への備えを話し合うこととする。それまでに必ず人を集めるのだ」
「かしこまりました」
元政殿が頭を下げれば、公方様は広間を後にされる。公方様を案内するためにその場を立った昭光殿以外は、緊張した面持ちでその様子をただジッと眺められていた。
そして不安げな様子の幕臣達は元政殿の元へと集まり始める。実際山名の力に頼っていた部分は非常に大きいのだ。
藤長殿の出身である丹後一色家は、かつて若狭にて三好との戦で大敗して以降、山名へとすり寄っていた。それ故に山名に関する情報は間違いないと思われたのであろうな。それが結果として今回のような事態を招いた。
藤長殿は間違いなくその報せの裏を取っていなかったのであろうよ。
「元政殿、まことに我らは大丈夫なのでしょうか?」
幕臣の1人が尋ねた。未だ若い男である。何と言っても公方様が上洛してから側に仕えた者達は、戦いを経験していない者が圧倒的に多い。
そのせいもあって、このような状況において緊張で身体が縮こまってしまっている。
「昭光殿が申されていたであろう。この城は籠城を見据えて守りの備えがある。それに南北に味方がいるのだ。そう簡単に信長の手が及ぶことはない」
「ですがこの地は近江に近うございます。西からの脅威はなくとも、東からということも・・・」
「それも安心せい。甲賀の地侍らより報せがあった。甲賀南部と伊賀の大部分を巻き込んで、信長に対してよい感情を抱いておらぬ者達を扇動しているとのことである。織田や浅井に所領を奪われた甲賀衆らの長である山中らがうまく奴らの目を引き付けておるわ」
それも少し古い話であるな。この冬を越えれば、織田の本家では無く伊勢の者らが平定に動き始める。
その大将を織田様の御子が務められるというのであるから、手柄を挙げさせることが目的なのであろう。そしてすでに公方様やその側近方の目は西の毛利に釘付けであるが為に、その動きに気がついていない。もしくは眼中にないのか。
また公方様が怒り狂われる様が目に見える。これでは勝てる戦も勝てまいよ。
「そなたらがすべきは城の守りを固めること。それといずれ来るであろう公方様の天下に備えることだけである。それ以上の心配はいらぬ。いらぬが1つだけ手を回しておかねばならぬ事がある」
元政殿は周囲に集まる幕臣の方々を見渡された。
そして1周回りきった後、私としっかり視線があった。
「昭元殿」
「なんでございましょうか?」
「昭元殿はかつて"義助様"にお仕えされていたとき、朝廷との交渉役も担っておられましたな?」
義助様がやけに強調されていた。やはり遅れて幕臣となった者への風当たりは厳しいままである。それは公方様に限らず、長らく公方様、そしてその兄であった義輝様に仕えていた者達であれば余計に。
「その通りでございますが?」
「ならばこの役目はうってつけでありましょう。今回起きるであろう一連の流れを朝廷に納得していただかなければならぬのです。その意味おわかりにございますな」
「この騒動が収束した後も幕府は朝廷とよい関係を続けていきたい。そういうことに御座いますな」
「その通りよ。そしてその役目を昭元殿にお願いしたい」
「私にございますか・・・」
「そう心配されずとも良い。もし何かあれば私が介錯して差し上げましょう。潔く腹を切られれば、お身内の方々は赦されるやもしれませぬぞ」
公方様に何も言えぬ幕臣らは、同じく幕臣の位置にある元政殿にも何も言えぬ。しかし公方様の側室に一族の者が嫁いだことで、権力の集中は避けられぬものとなった。
このような光景をかつて見たことがあったわ。あれは確か・・・。
「昭元殿、返事は如何されましょうか?」
「かしこまった。良い返事が得られるよう努力いたしましょう」
「何やら自信がある様子。ならば楽しみにしております。私から公方様にお伝えいたしますので、存分にお働きを」
ともにこちらに移った一族の者らは全員城に残している。謂わば人質であろう。
私が他勢力に寝返れば、みなが殺される。
「しかし私の人脈の広さを侮っておるな、あの男は」
これでもかつては義助様の元で朝廷との交渉役に精を出していたのだ。そしてここ数代の幕政の内、義助様の時代は朝廷との関係もかつて無いほどに良好であった。
その私に朝廷との関係を取り持つように命じるとは。それもわざわざ脅しまでかけて。
「しかし・・・。まぁ良いか」
私は軽く歩いてきた道へと視線を移した。誰もおらぬが誰かがいる。
そんな不気味な気配がずっと槇島城からあるのだ。おそらく私が不審な動きをすれば、即刻対応を取るように命じられているのであろうな。
果たして甲賀の者か、それとも別の者か。
「とにかくは朝廷か。誰に話をつけるべきかな」
やはりここは二条様か・・・。いや、ここは敢えて九条様の元を尋ねるとしよう。そちらの方が多くの方に話が広がるであろうからな。
では行くとしようか。公方様がその身を滅ぼすための戦へと。
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