386話 天下一の傾奇者、その片鱗を覗かせる
岡崎城 一色政孝
1575年秋
道中、食い逃げ犯が目を覚ましたのだが、手を背中側で縛られているせいでどれだけ暴れようと、その身が自由になることはなく最後には諦めて助命を願い出てきた。
だが問題は金が本当に無いということ。
事情を聞けば、この者の出自は美濃だという。
斎藤家が重治らの企みで滅んだ後、日根野や長井といった斎藤の旧臣に従い、長島城に入ったらしい。
だが天然の要衝と言われた長島城も、結局は陸海の厳しい包囲に耐えられず降伏した。
その苛烈さを俺はこの目で見ていたわけだが、1番苛烈であったのは籠城していた者達が城から外へと出て来ている最中、信長は坊主らが乗っている船に鉄砲を撃ちかけたことであろうな。それによって多くの坊主が逃げ場を無くして命を落とした。
おそらく坊主の中で唯一生き残ったのは下間頼廉という者だけだったはずだ。
話が逸れたが、城を脱した者達はその後バラバラになったのだという。日根野も長井も畿内で仕官先を見つけたようであるが、この者のようにそれなりの身分を持たぬ者達は周辺国をひたすらに彷徨ったのだという。
特に長島での戦以降、信長は伊勢の平定に乗り出した。そのために残党狩りが頻繁に起き、それから逃れるように三河へと流れ着いたのだそうだ。
流れ着いた者はこの男だけではない。多くの者がどうにかその日を生きているという状況であると言っていた。
「長島での激しい戦を生き延びたとはいえ、あの様子を見るにあまり戦いが得意というわけではないだろう」
「見事なまでに頭上からまともに食らっておりました」
「刀であれば頭部を真っ二つに斬られていたぞ、あれは」
直政ら残った者達と城門をくぐり、松平の出迎えをうけつつ俺達は話していた。吉房には一色港から同行してきた者達を連れさせて、あの男の隠れ家へと向かわせた。本当に金がないのかの確認と、もしこれまでの話が全て事実であれば働き先を用意してやろうと思ったからだ。
「政孝様、お待ちしておりました。事情は忠隣より聞いておりますので、例の者達は丁重に保護させていただきました」
「すまぬな、急にこのようなことを頼んで」
「いえ、先日の礼もまともに言えていないのです。このようなことで良いのであれば、いつでもお申し付けください」
「それはありがたい話であるがな、信康」
「はい」
「お前は松平の嫡子で、俺は一色の当主。同じ今川家に仕える俺達の関係は主・家臣では無いのだからあまりへりくだるべきではない。俺は信康にそうして欲しくて今川館で面倒を見ていたわけではないのだ」
史実の信康事件を回避したかった。そんなことを言っても仕方が無いわけで、俺はただ信康に立派な当主としての器を磨いて欲しいと伝えた。
まだ若い信康には、家康がこれまでやってきた命がけの駆け引きなどまだとうぶんは分からぬであろうが、いずれ分かるときが来るのであろう。
そのとき、今の態度のままだときっと足下を掬われる。もしかすると掬うのが俺になるやもしれんからな。それだけは避けたいところだ。
「・・・かしこまりました。ですが口調はどうにも」
「それは良い。家康もそれに関してはいつまで経っても直らぬゆえ」
「それを聞いて安心いたしました。私の恩人であること自体は変わらぬのです。今更変えることなど出来ません」
その話し方はまさに家康そのものであった。ここまで親子で似るものなのかと、思わず苦笑いが漏れてしまう。
それを不思議そうな目で見ながら、信康は三淵の子らが待つ部屋へと案内してくれた。
「しかし随分と早いご到着で」
「海路の整備は随分と前に済んでいた。それに船の性能も日々成長を遂げている。いかに早く動くかは、奴らにとっては死活問題であるからな。その恩恵を得られたということだ」
「なるほど。父も江戸城に城を与えていただいて以降、あちらで水軍の増強に励んでいるといっておられました。すぐそばに里見の水軍があるからでございましょうが、政孝様の様子を見ていると、あって困るものでは無いかと」
「その通りだ。こうして移動も迅速に行えるようになったことを思えば、やはり船は良い」
そんな便利な水軍・船舶の開発。だが昌秋は福浦にありながら、断固として船には乗らぬと信綱からの文にあった。かつて船酔いしたことが強烈なトラウマとなったようだ。以降一度たりとも船に乗ったなんて話を聞いていない。
またそれとは別にもう1つ信綱から申し出があった。
信綱の娘であるこう姫を、昌秋の長子である昌頼に嫁がせたいというもの。史実では真田昌幸の嫡子である信之に嫁いだこう姫であるが、この世界ではまた変わった結果になろうとしている。
俺としては拒否する必要なんて微塵も感じず、むしろ福浦での備えが盤石になるのであれば喜んでお願いしたいところだ。
そう返事をしておいた。
「・・・ところで織田家からの護衛は誰が来ているのだ」
わずかにあちらの部屋が騒がしい。いつもは客を迎えたときに通す部屋で、だいたい俺達が滞在している部屋でもある。初めて信長と会ったのもあの部屋であった。
「此度は前田利久殿と林通政殿、それと」
「それと?」
「いえ、前田殿の反応を見るに扱いがよく分からないのでございます」
「その説明を受けた俺の方が意味が分からないが」
「私にも分からぬのです。機会があればご確認のほどお願いいたします」
信康から聞くのは、流石に憚られるか。
しかし前田利久も来ているのか。史実通りであれば、すでに前田の家督を弟の利家に譲っているはずだが、果たしてどうなのか。
もし譲った後であれば兄弟関係は険悪だと記憶しているが・・・。
「時間があれば聞いてみるとしようか。すまぬな、足を止めさせた」
「いえ、ではこちらにございます」
案内された部屋には数人の者達が座っていた。俺達の存在に気がついたようで、頭を深く下げて俺達の入室を待っている。
「三淵殿、面を上げてください」
「はっ!」
三淵と呼ばれた者らは顔を上げた。その背中を見て何と無く感じていたが、まだまだ若いように見える。
流石に前世の記憶を以てしても、三淵の子らがいくつであるのかまでは把握していないわけだが、よくもまぁこの者らで生き延びた者だと感心した。
「この方が一色政孝様です。今川様への仕官を取り次いでくださる方ですので、ご挨拶を」
「あなたが・・・」
「如何された」
「いえ!申し訳ございませぬ。三淵藤英の長子、三淵秋豪にございます」
「弥五郎にございます」
秋豪と名乗った者は直政と同じくらい。弥五郎と名乗った者は未だ幼い。元服など考えられぬほどに。
「その他の者らは」
「父の側に長年仕えてくれていた者達にございます。多くが屋敷に残って父と共に戦おうとしたのですが、父は一喝し僅かな者らを残して我らを逃してくださったのです」
背後の者らが悔しげに唇を噛んだのが見えた。
三淵屋敷の襲撃は商人の話を聞いても、栄衆の話を聞いてもそれは派手にやったらしい。
京の中央に近いところに三淵が屋敷を構えていたということもあり、その動揺は周辺の民だけに収まらず山城の全域にまで広がったという。
当然朝廷も幕府の行いに非難の声を上げたが、信長が迅速に動いたこともあって早々に事態は沈静化した。
全て信長が美味しいところを持っていき、朝廷の信頼は再び上がっているのだそうだ。信長からすれば、予期せず機を得たことになったわけである。
「なるほどな。改めて名乗っておくとしよう。俺の名は一色政孝だ。細川忠興殿から要請を受けて、こうして色々手配させてもらった。何か不手際があればそれは申し訳ないことをした。時間があまりにもなかった故のことであろう」
「いえ!こうして我らを公方様の追っ手から救っていただいただけでも、我らは幸せ者にございます。これ以上望むなど、きっと罰が当たりましょう」
「そう思って貰えて良かった。すぐに出立の用意を進めよう。直政、支度を」
「はっ!」
廊下で控えていた直政は慌てた様子でかけていった。
今回に関してはあまり長居する余裕がない。あちこちですべきことがあるため、すぐにでも大井川領に戻る必要があるのだ。
そしてそれに加えて三淵の者らを今川館に連れて行かねばならない。色々考えた結果、すぐさまこちらを出立しなければならないわけである。
「織田の方々にも挨拶を済ましておかねばならぬな」
「ではご案内いたしましょうか?」
「若はそのままで。案内はこちらでいたします」
直政の隣に同じく控えていた正成がそう声をかけた。
腰を浮かしかけていた信康は、「そうか」と一言口にして座り直す。三淵の者達も支度のために松平の家臣の案内で部屋を出ていった。
「一色様、こちらにございます」
「あぁ、すぐに行く」
正成の案内に従い、先ほどの部屋へと向かって歩き始める。斜め前を歩く正成に俺は気になることを1つ問いかけた。
「先日の伊賀衆の件、氏真様から正式に許可を得ることが出来たわけだが、実際のところはどうか」
「はい。まだ生活に慣れるには時間がかかりましょうが、多くの者が新天地での生活を楽しみにしているようにございます。無条件で戦に巻き込まれかけておりましたので、それもまた当然であるかとも思いますが」
「そうだな。じきに伊賀では戦が起きる。かつて六角に従った甲賀衆は、六角が滅んだ後も織田様に抵抗しているわけだが」
「伊勢の者達でその騒ぎを抑えるとのことにございましたが」
「果たしてどうなることか」
正成も心配そうに頷いた。
「若様の初陣は伊賀になるやもしれませぬ」
「あり得ぬ話では無い。毛利が上洛の意思を示した今、織田様は畿内にばかり気を取られているわけにはいかない。ともなれば同盟国の力を借りようと要請されるであろう」
「そうなればやはりこれまで通り三河衆が命じられることが予想されます。かつて北畠の先々代が起こした騒ぎのときのように」
三瀬砦やら霧山城で起きた戦い。隠居していた北畠具教は、織田による支配を受け入れず三子で元服もまだの子供を連れて信長から反発する動きを見せた。
結果として内通者が出まくった北畠具教サイドは一気に崩れて、早期に鎮圧されたわけである。あのときも三河衆は援軍として伊勢に入っており、家康もその中に含まれていた。
また同じ事が起きないとは言い切れないわけだが、今三河にいる者たちで戦経験豊富な方達の多くは関東へ出払っている。
信康のようにまだ初陣を果たしていない者が当たり前のように当主の留守を守っているなんていう状況なのだ。
そんな中で援軍として伊勢へと向かえ、など命が下されたとき、織田にも今川にも大きな被害が出ることであることは容易に想像が出来る。
「正成は織田家の伊賀平定は失敗すると思うか?」
「わかりませぬ。私は伊賀の地を知らぬ故、どのような戦になるのかすらも見当がつかぬのです」
「ならば祈るしかあるまい。おそらく大将は北畠具豊様であろうからな」
「そしてその補佐には従伯父様がつかれるわけだ」
「は?」
突然俺達の背後から声がした。
いつの間にか日の光が遮られ、誰かが後ろに立っている。そんな状況にたった今気がついたのだ。
「・・・何奴だ?」
「俺か?俺の名は前田利久、此度三淵の子らを連れて」
声高らかに自己紹介をする男。だが格好が正装とは言えないような状況である。
随分と自由なことで・・・。
だがここで俺はとある記憶が呼び起こされた。
マントを羽織るように女物の着物を背に掛け、袴には動物の皮らしきものを縫い合わせている。
そして色が何よりも派手であった。
この男、先ほど河原で直政が見たという男で間違いない。
しかし前田利久と言ったか?俺のイメージではそういうタイプでは・・・。
そう思おうとした矢先、突如として目の前の襖が勢いよく開いた。
「前田利久は儂のことであろう!またおぬしは意味の分からぬ事を申しておるな!!」
「これはこれは養父殿、今日は随分と元気ではないか。先ほども俺が戻ってくるなり大きな声で騒いでおったが」
「そのような格好で余所様の領地をウロウロしておったからであろう」
前田利久は儂であると申された人物の背後には見慣れた方の姿も見える。
あまりの騒がしさに申し訳なさそうな顔で頭を下げた通政殿。だが両者を止められぬのは、もはや無駄であると諦めているからかもしれない。
「なら養父殿は信長様より頂いたこれらのものを捨て置き、別の物を着よと申されるのか。それは困ったことだ」
本当に困っているのか疑いたくなるほど豪快に笑う男。そして困ったように正成殿もその様を見られていた。
「で、実際おぬしは何者なのだ」
「おぉ!養父殿が割り込んできたせいで、すっかり名乗ることを忘れておったわ。俺の名は
「養父・・・。あぁ、やはりか」
城下で直政が見たという傾奇者はやはり前田慶次のことだったのだ。今はまだ利益、つまり滝川家の名残があった故、すぐに気がつかなかったわけか。
「子が無礼を働いたこと、まことに申し訳ない」
「いえ、それに我らに勘づかれず背後に近づくその身のこなし、見事なものにございました」
「今のは伊賀の忍びの技よ。知り合いにその流れの者がおって、密かに習っていたわけだ」
自信満々に俺達にその身のこなしのことを教授する前田慶次。だがその様子を青ざめた表情で前田利久は見ている。
「まぁ印象に残る登場であったことはたしか。前田殿、今後またこうして話す機会があればよしなにお願いいたします」
「だそうだ、養父殿」
「分かっておるわ!」
一度ヴウンと咳払いをした利久殿は、改めて俺を見た。
「随分と失礼をした出会いとなってしまいましたが、今後ともどうかよろしくお願いいたします」
「こちらこそにございます」
しかし前田慶次。随分とメチャクチャであった。だがそれはそれで面白い。
この時代にこの手の人間は本当にごく僅かであるから、久しぶりに前世の悪ノリに近しいものを見た気がした。
またこの男と出会うことはあるであろうか、そのときはもう少しまともに語り合いたいものだ。
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