385話 派手な男
岡崎城城下 一色政孝
1575年秋
忠隣の使者が岡崎城に向かった数日後、それを追うように俺達は大井川港を出た。船で一色港に入り、その後は陸を馬に乗って移動する。
岡崎城までの道のりは、もう何度も通った道であり慣れたものだと城下を進む。
俺の顔を知っている領民らが頭を下げる中、突如として事件が起きた。
「おい、あんた!団子の代金!!」
とある店の前を通ったとき、中から店の者らしき男が声を荒げた。直後に店の中から凄まじい音が聞こえたかと思うと、1人の大男が飛び出してくる。
手には湯飲みを持ち、口には団子をひと串咥えていた。咄嗟のことに、側を進んでいた直政や、一色村から同行させている道房の次子吉房が庇うように俺の側へと寄ってくる。
反射的に側にいる者たちが俺を含めて刀を抜いた。それを目にした大男は驚いたのであろう。その巨体をグルッと90度方向転換すると、野次馬が集まりつつある通りの方へと一目散にかけていった。
店の者は怒鳴りながら出て来たが、俺の姿を見て慌てて平伏する。
「一色様!?ご無礼いたしました」
「それは良い。して今のは食い逃げか?」
「はい。意味の分からぬ言いがかりをつけられ、無銭で立ち去っていったのです。最近は松平様の統治もあって、あのような者も減っておったのですが・・・」
「なるほどな。だが金を払ってもらわねば困るのも事実よな」
「それはもう・・・。こちらも商売にございますので」
俺は先ほどの男が逃げていった方を目で確認した。幸いにも俺は馬の上におり、まだ通りに向こう側が騒がしいことが見えている。
ならばすべきことは1つだ。
「直政、先ほどの奴を追え」
「かしこまりました」
「掴まえ次第俺の元へ連れてこい」
「はっ!」
直政は馬の腹を蹴り、その場からかけた。またそれに従うように複数の者らが後を追う。
「してあの男は幾ら分食べたのだ」
「・・・何故そのようなことを?」
そう言ってきた店主であったが、慌てて手を振った。
俺が何をしようとしているのか察したのであろう。だがどうせ捕らえるのだ。俺は一銭たりとも損をする計算にはならない。
一時的に手元から金が無くなるだけである。
「しかし随分と酷いやられようだ」
馬上より店の中を見ると、机がひっくり返され店の中は色々壊れていた。どれだけ金を払いたくなかったのであろうか、ここまで店に迷惑をかけて。
「遠慮するな。俺があの場でとっ捕まえていれば良かったのだ。少し驚いてしまった」
吉房を手招きし、預けていた1つの袋を俺に渡すように合図する。
「これで店も直すが良い。余った分があればその銭で周囲の者らに団子でも振る舞ってやれ」
「このような大金!?このようなもの、いただくわけには」
「この場に出くわしたのは何かの縁であろう。遠慮無く使えば良い。みなも聞いたとおりだ、この金を盗もうなどする愚かな輩はおらぬと信じている。だが金が余ればみなに団子を振る舞うとのことだ。全て団子屋のおごりである」
周囲の者らは大きな歓声を上げた。もはや団子屋も断ることは出来ぬ状況。
申し訳なさげに吉房から金の入った袋を受け取っていた。
ずしっとした重さに驚いたのか、一瞬落としかけて慌てていた。その様子を周りの野次馬達は笑っている。
すでに野次馬の中には、荒れた店内を片そうとしている者もおり、この調子でいけば随分と団子に茶にと振る舞わなければならないであろうな。
「殿、そろそろ」
「あぁ、分かっている。ではな、団子屋。機会があれば俺も寄らせてもらう」
「一色様!ありがとうございます!」
集まっていた野次馬達は俺が馬を進め始めると、スッと道の脇に避け始めて俺達一行が通れるほどの道が出来ていく。
「ですがよろしかったのですか?また昌友様にお叱りを受けるのでは?」
「目の前に困っている者がいて放っておけぬ。落人にしばらく先ほどの団子屋を監視させておけ。本当に金を狙った不埒ものが出るやもしれんでな。それに渡した金はあの男から取り返す故問題は無い」
「なるほど、そういうことでしたか。では栄衆も手配しておきます」
吉房はそれ以上俺に何も言わず、少し後ろに控える。
そしてしばらくした頃、河原で直政の姿を見つけた。足下には先ほど逃げた大男が泡を吹いて倒れ伏している。
頭を切っているのか、僅かに流血しているようでもあった。
「直政、いくら食い逃げだとしてもやり過ぎだ。岡崎城下で事を起こした罪人に対して俺達がそこまですべきではない」
「誤解にございます!ここに来たときには既にこの有様にございまして」
「真か?」
「誓って私の仕業ではございません!」
と言っているのだから信じても良いだろう。直政は基本嘘を吐かぬ。
「しかしならば誰がこのような真似を」
馬を降りた俺は、その大男に近寄った。慌てたのは後ろを付いてきていた吉房である。
「殿!危のうございます」
「大丈夫だ、完全に気を失っている。死んではいないようで安心したわ」
息はある。この男から先ほど団子屋に渡した分の金を徴収しなければならない。死なれては本当に昌友の怒りを買いかねないでな。
「おい、起きろ」
頬を何度か叩くが、うめき声が漏れるだけでいっこうに目を覚ます気配がない。
だがうなされているようでもあった。
「殿、実は1つ気になることがありまして。この男をこのような状況に追い込んだ者であるのかはわからぬのですが、私がここに到着し、慌てて河原へと降りたとき、何者かが橋の上から私をジッと見ていたのです。私と目が合うと、僅かに笑ったかと思えば去って行きました。2人ほどに追わせましたが、すぐに見失ったと」
「その者かなり怪しいな。で、その者の特徴は何か覚えていないのか?」
「随分と奇怪な身なりをしておりました。おそらく女物であろう着物を羽織り、何やらよく分からぬ棒状のものを口にくわえておりました。棒の先から煙があがっておったので、驚いたものにございます」
棒のようなもの、そして先から煙、か。おそらくたばこであろうな。この時代ならば煙管か。
だがまだこの時代、あまり流通しているものでは無い。購入ルートがあるとすれば、南蛮船の入っている堺や雑賀であろう。ならばその男は畿内から来た者ということになる。
そしてその身なり、所謂傾奇者と呼ばれる者だ。だがまだ定着していない言葉のせいか、直政の説明には驚きと少しの興奮が含まれていた。
「腰にはあまりに大きな太刀を携え、脇差しも随分と長いものにございました」
「良く覚えているな」
「それだけ衝撃的であったということに御座います。まだまだ特徴はございましたが、これ以上この場に留まるのは得策ではありません」
「そうだな。また人が集まり始めた。この者は捕らえて連れていく」
兵らが縄で手を縛ると、数人がかりで籠へと押し込む。その後、俺達は河原を離れる。色々なことに巻き込まれたせいか、当初より到着が遅れてしまった。
目の前にそびえ立つ岡崎城は、かつて俺が久を迎えに来たときよりも大きくなっている。松平家の居城として相応しいようにと、何度も改修を重ねているのだ。だが防衛機能の充実というよりも、居城としての威厳を見せつけるという方が正しいか。
浅井が交通の要所である安土にデカい城を築こうとしていうのと近しい理由である。ここ岡崎も東海道を用いる者らが必ず寄っていく地である。城が立派であれば、それだけこの地の領主は出来る者なのだと印象づけることが出来るからな。
「さて、では岡崎城に向かうとしようか」
「かしこまりました」「はっ」
他の者らも直政や吉房に従い、再び歩を進める。おそらく既に待っているであろう三淵藤英の残した者達に会うために。
岡崎城城下 ???
1575年秋
「しっかしここも随分と立派になったもんだ」
ハッと息を吐けば、白い煙が立ち上る。
それに驚いたように周りの民らは俺を見ていた。
「あのまま松平が独立を維持しようとしていれば、このような活気もなかったのだろうな。そう考えれば元康の判断は大正解だったわけか」
馬上より見える景色は随分と絶景である。今の京よりも俺は断然こっちの景色の方が良い。
あちらは不安で民らの心は押しつぶされそうである。あの男もまことに大馬鹿者だ。
「だが流石に俺のような身なりの者は三河には少ないな。どこに行っても視線を感じるわ、だがそれも悪くはない!」
また声を上げて笑うと、口より曇った煙が舞い上がった。そして再び視線を集める。
「にしても
肩には女物の着物を羽織り、腰には大太刀に長脇差。口には大煙管ときたものだ。
だが信長様もこうなることはわかっていたであろう。養父殿は俺のこの様を嫌っている故な。
それでも同行するように命じられた。つまり何か狙いがあったって事だ。
唯一俺のことを理解しようとされた信長様の狙いなど、残念ながら俺には分からぬが、意味があったと思ってこの旅を楽しむとしようか。
そんなことを思っていたとき、前方が僅かに騒がしくなった。
通りを歩く者達が道の脇へと寄り始め、一本の道が出来る。だがそれは俺のためにあけられたものでは無かった。
「退け!その馬を俺に寄越せ!」
手には湯飲み、口には団子を咥えたあまりにもおかしな格好の男が俺に向かって叫ぶ。
しかし残念だ、この馬は人にやれぬ。大事な馬なのだ。
腰の大太刀に手をかける。そして鞘から抜かずに横一線に振った。
慌てたその男は咄嗟に太刀を躱したが、足を滑らせて河原へと落ちていく。
「なんだその身なりは!奇怪な格好をしやがって!」
「その言葉、そのままお前に返す。で、何をそんなに慌てている」
「てめぇにゃ関係ねぇ!」
すでに食べきった団子の串を俺に向けてそう叫ぶ。そんなとき、騒ぎを見物する野次馬の中から1人の男が声を上げた。
「その男、団子屋に金を払わず逃げたんだ!」
「それはまことか?」
「あぁ!直に武家様がこられる、間違いねえ」
腹が立ったような様子でその男は声の主を見上げた。だがこれだけ人が集まれば、逃げることも出来ぬであろう。
それに追っ手もあるという。松平の人間であろうよ。
「諦めるなら加減をしてやるが」
「舐めるなよ!俺を誰だと思っていってやがる」
「知らぬ。俺はこの地の者ではないのでな」
「俺は服部党の人間だ!織田家の庇護がある俺が、岡崎で好き勝手しようが、誰にも咎めることなど出来ぬわ!」
そう言って腰にあった刀を抜いて俺に向かって迫ってきた。だがそれはあまりにお粗末な太刀筋。
俺の従伯父である一益様の配下にある服部党にこのような雑魚はおらぬ。勝手にその名を語っている不埒者であると判断した。そのような者に、この太刀を抜く必要も無かろう。
上段に構えた太刀。迫る男の動きを見極め、そして横に僅かに動いて太刀を躱す。すれ違いざまに出来た大きな隙を見逃すことなく、振り向きざまに頭めがけて振り下ろした。
しっかりと頭を捉えた手応え、そして鈍い音とうめき声。ドサッという音を立てて崩れ落ちた男。
周囲の野次馬より歓喜の声が上がったが、俺は早々にその場を立ち去ることにした。松平の者が追ってきてるのであれば長居は無用である。
信長様より頂いた愛馬『赤影』に跨がり、河原を離れた。そして少し離れた場所で馬を降り、橋の上から様子を見る。
ちょうど数人の騎馬武者が河原へと降りていくところであった。そしてすぐに俺と、先頭を切って降りていった男と目があう。
実に良い目である。随分と若いようにも見えた。
「しかしすぐに俺の視線に気がついたか。面白い、実に面白い!」
思わず表情に出していしまっていた。あの者も怪訝な表情で俺を見ている。
だが本当にこれ以上の長居は無用であろう。俺にも追っ手が差し迫っている。随分と良い判断だ。一瞬で俺の関与を見抜くとはな。
橋から離れた俺は即座に赤影に跨がり、その腹を蹴ってやった。すぐに風を切って走り始める。
良い馬だ、日ノ本の馬はどれも俺に懐かなかった。
だが赤影は違う。この馬も、この煙管もすべて信長様から頂いたもの。似た者同士というだけで、随分と優遇されたものだ。
それも養父殿は気に入らぬのであろうがな。
「とりあえず追っ手を撒きつつ、岡崎城に向かうとしようか。そろそろ許して貰えたであろう。岡崎への道中、川に後ろから突き落としたことをな」
あの時の養父殿の慌てようは何度思い出しても可笑しいものであった。大目玉を食らったことはいうまでも無いが。
そろそろ城に入れてもらえれば良いのだがな。
※たばこの起源は天文年間説を採用しております。1543年の鉄砲伝来と同時という扱いです。
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