384話 礼として望むもの

 大井川城 一色政孝


 1575年秋


 岡崎城へ向かうため、俺は再び高遠城を発った。栄衆を通じて能登と佐渡の戦況はタイムラグがありつつも知ることが出来る態勢は整えている。

 不測の事態があった場合は、それぞれの責任者から人が寄越されるであろうから、そうならない限りはこちらから特に指示を出すことはないであろう。

 城に戻ったとき俺を待っている者がいると昌友に言われた。広間に向かうと、そこに座っていたのは何度か見たことがある男。ずっと上座の方を見ているようで、俺が来たことに気がついていない。


「何か気になるものでもあったか?」


 突然声をかけたことに驚いたのか、その男、大久保おおくぼ忠隣ただちかは身体をビクッと震わせながら恐る恐る振り返る。


「いつからそこにおられたのでしょうか?」

「少し前からだ。随分と熱心に何かを見ていたようであったからな」


 かつての高瀬もそうであったが、城の至る所に商人より買い取った調度品が飾ってある。慣れていない者が興味深げに城内を眺めながら歩くというのはよくある光景であった。

 忠隣も大井川城に来るのは初めてだ。おそらく同じく物珍しさに目を奪われていたのであろう。


「して家康は元気でやっているか?慣れぬ地での生活は大変であるとは思うが」

「北条家が生き残ったためでしょうか?当初の想定よりは落ち着いた統治が進んでおります。ですが氏規殿が入られている国府台城とそちら方面の領地はまだ落ち着かぬ状況にございます」

「氏規殿も、そしてその地に住まう民たちも近く起きるであろう戦に身構えているのであろうな」

「おそらく」

「あの地は房総半島方面に向かうための要所、逆もまた然り。必ずや激戦が予想される。過去に起きた戦のように」


 忠隣は深く頷いた。そしてその背後の江戸城に入る家康もまた、有事の際には真っ先に駆けつけなくてはならない。

 忠隣がこのような緊張した表情になるのもおかしな話では無かった。


「何かあれば遠慮せずに言ってくれ。できる限りは俺もする。江戸城であれば海を用いて物資を運び入れることも容易であるからな」

「こちらに来る道中、福浦にも寄らせていただきました。あの地も大井川港、一色港に負けず劣らず人が多うございました。港の整備で一色様の右に出る者はおりませぬ」

「そう褒めるな。だが気分が良いのは確かだ、気になるものがあれば土産とするがよい」


 俺が背後にいたにも関わらず、ジッと見ていたものは1つの花入である。残念ながら俺にはあまり価値のないものであり、ただの花入となってはいるが元の所有者はかなりの大物であった。


「ですが・・・」

「構わぬ。必ず家康に報告さえしていれば、俺が許可したのだ。盗み出したわけでもなく、問題も無い。必要であれば俺が譲ったという証明もつけてやる」

「本当によろしいのでしょうか?父にも叱責されそうな気がいたします」

「忠世にか?ならば忠世にも土産を持たせるとしようか」


 そもそも城の至る所に調度品があるのだが、その多くの所有者は母である。俺以上に城にいる時間が長く、商人との仲も良好であるためか城を空ける度に物が増えている始末。

 流石に倉から勝手に金を持ち出しているわけではないから口出しはしないが、物が増える一方で、城に飾れぬ物を保管している倉が溢れそうな状況なわけだ。定期的に人にやったり褒美として配ったりしているのだが、正直増えるスピードに間に合わない。こうして些細なことで配るでもしなければ、いずれ調度品に押しつぶされるのではないかと怯えているのはきっと俺だけでは無いはず。


「ついでに家康にも持たせよう。先ほど忠隣が見ていたのはこの花入であったな」


 俺が手にしたのは青磁の花入。買ったのは庄兵衛からであったが、庄兵衛が仕入れたのは周防の商人であった。まだ毛利と河野が瀬戸内を航行する船を取り締まる前の話である。


「暮石屋は大内筒と申しておったな。茶室を彩るためのものであるようだが、俺にそちらの趣味がない。忠隣はどうだ?」

「多少嗜んでおります。少し前に殿が興味を持たれたようで、その際に私も触れてみたのです」

「如何であった」

「まだその茶の良さを語るほど出来ているわけではございませんが、感情を落ち着かせることは出来ます。頭の中が軽くなるような感覚になるのです」


 語れぬと申していながら、忠隣は熱心に茶の良さを語る。あの茶室特有の狭い空間が特に良いと言っていた。

 周りの環境が整っていれば更に良い、と。

 氏真様と上洛を果たしたとき、京の商人に招待されて茶室で茶を飲んだことはあったが、作法がよくわからず味もわからず気を落ち着かせることも出来なかったのは苦い思い出だ。


「忠隣が茶にのめり込んでいることは十分に分かった。やはりこれは俺が持つよりもおぬしが持つ方が良いであろう。この花入もそっちの方が喜ぶ」


 後ほど家康に宛てた文を書いておかねばならぬな。

 遠慮しながらではあったが、その目元は嬉しさで目尻が垂れている。やはり欲しかったのではないか。

 突っ込みたい気持ちをグッと堪えて俺は忠隣に花入『大内筒』を手渡した。何度も頭を下げながら受け取っていた。


「して此度はいったい何の用でわざわざ江戸城より参った?」

「そうでございました!先日の岡崎城での一件を、半蔵殿より報せられたのです。殿も今川様より一色様が介入されることを知っておりましたが、まさかそこまで深く関わられるとは思っておられなかったようで・・・」

「であろうな。石川清兼を暗殺するようにそそのかしたのは俺である故、口出ししすぎたとも思っている。だがあのときは」

「それは殿も分かっておられます。あれだけ深く本願寺の僧らに入り込まれていれば、もはや手を下すほかありませんでした。故に半蔵殿は一色様の手を借りられず、先んじて手を打ったのです」


 であろうと思った。ちょうど別に目的があったため、伊賀衆の若い忍びらを用いて暗殺を実行したのだ。

 結果として未然に騒動を防いだ功として、氏真様は三河への伊賀衆移住を認められた。正成は2つの面で良い判断をしたわけだ。

 信康の側に残しておいて正解であったわけである。


「殿は何度も一色様に助けていただいているため、何かお礼をしたいと申されております。ですが一色様に物を贈ろうにも、松平が持つ物で一色様が持っておられぬ物など無いと判断され、こうしてお伺いに参った次第にございます」

「そのように気にせずとも良いのだが」

「そういうわけには参りません。下手をすれば松平の家は滅んでいたのですから、ことこれに関してはこちらが身を引くことは出来ません」


 忠隣は強く言い切った。これは何を言っても無駄であろうな、引く気が全く見えない。何か欲しいものを言おうにも調度品の類いはもういらないし、だからといって金を要求するのも違う。

 果たしてどうするべきか、そう考えていたとき1つよいものが閃いた。本当であればそこそこ時間がかかると思っていたが、これならば迅速に事態を解決出来る。


「忠隣、これから俺が申すことはあまり人に広めないでもらいたい。時が来れば一気に情報を出すつもりではあるが、それは今では無い。約束出来るか」

「必ずや」

「ならばこれから俺の言うとおりに動け」

「かしこまりました」


 俺は忠隣にいくつかの指示を出した。

 今回江戸城から連れて来た者達の中から数人を岡崎城に動かすこと。目的はとある伝言を忠隣の名で伝える必要があったため。

 そして忠隣は早々に江戸城に戻らせる。そして家康に俺が今から書く文を渡し、納得させる。


「――――ー。・・・これは真にございますか?」

「あぁ、全て事実だ。これでいよいよその時が来る。毛利も動き始めたというのであれば、もう我慢することもなかろう」

「ならば急ぎ江戸城へと戻り、このことを殿にお伝えいたします。極力誰にも知られぬように」

「頼むぞ。事は一刻を争う故な」

「はっ!」


 忠隣は岡崎城へ人を手配しつつ、慌てた足取りで城を出て行った。

 俺はそれを見送った後、城に呼び出していた者らの元へと向かう。先日の鉄甲船計画を話さなくてはならぬでな。


「殿、随分と楽しそうにございますな」

「昌友か、いつから聞いていたのだ」

「最後だけにございます。話が何やら盛り上がっておりましたので、様子を見に参りました」

「そうであったか。だが確かに楽しいぞ、ようやく阿呆からの足枷がとれると思うとな」

「阿呆・・・、なるほど。そういうことにございますね」


 敢えて名前を出す必要も無い。それだけで大方誰であるのかが分かってしまうからだ。

 だが俺も気をつけていたはずだが、そんなに表情に出ていたか。もう少し感情をコントロール出来るようにしなければならないな。

 もう少しすればまた戦も起こるであろうからな。

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