383話 毛利家のとるべき道
安芸国吉田郡山城 小早川隆景
1575年秋
「ただいま戻りました」
「みな、そなたの帰りを待っておった。よく織田の手に者に捕まらずに戻った」
甥であり我らの殿は京の公方様の元に使者として赴いていた恵瓊に労いの言葉をかけられた。恵瓊は一度深く頭を下げて、再び顔を上げる。
真っ先に見たのは殿の姿では無く、私の方であった。
私はそのことに対して、思わず怪訝な表情をしてしまう。
「やはり堺に良き友を作っておいて正解にございました。彼の地は自治都市と言われている割に、随分と武家に従っているようで」
「織田に屈したか?」
「織田では無く今川のとある一族に。その地の商人と繋がりが深すぎて、迂闊な態度がとれぬようにございますな」
「道理で本願寺が苦戦していたわけか」
殿と兄上は何度か頷かれた。
「雑談は後でも良いでしょう。公方様との謁見、首尾は如何でしたか?思うようなものを得られましたか?」
「そうでございますな・・・。公方様は我ら毛利を良き理解者であると申されておりました。これからの世を築くのは毛利であると。織田も所詮は三好と同じであると申されておりましたな」
「そうか!やはり時は今で間違いなかったのだ」
兄上は膝をうって喜ばれた。殿もその姿を見て何度も頷かれた。
だが恵瓊の表情はとても晴れているとは言えず、むしろ何かを心配しているような、そんな眼差しをこちらに向けている。
話をさせろと訴えかけているように見えた。
「恵瓊、まだ何か話はあるのですか?言いたいことがあるのであれば、先に言ってしまいなさい」
「はっ。かしこまりました」
私の言葉を聞いた恵瓊は再び頭を下げ、そしてこのやり取りを聞いた殿と兄上も視線を戻される。恵瓊は一度言い辛そうに咳払いをした後、わざとらしく小さくため息を吐くと言葉を紡ぎ始めた。
「公方様は毛利を頼りにしていると申されました。ですが西国の情勢に関してはまったく理解されていない様子でした」
「・・・どういうことだ?」
「毛利が上洛する上で最大の障壁となるであろう宇喜多のことをお願いした際、公方様はそれが何者であるのか知らぬようでございました。側におられた幕臣に尋ねられておりましたので」
「ちょっと待て、宇喜多に関しては公方様のご沙汰によって独立したようなものであろう!何故それを公方様が知らぬのだ」
「おそらく浦上を味方に引き込んだことで満足されたのかと」
「そんな無責任な話があってたまるか!」
兄上が強く畳を叩かれた。
恵瓊は驚いて顔を上げたが、いつものことかと再び頭を下げる。兄上のその行動に驚いてしまっているのは殿だけである。
「そして最後には『浦上には期待していたが残念である』とだけ申されたのです」
「そのような勝手な言い分がありましょうか」
「殿、我らにも理解が出来ぬことは世にごまんと存在いたします。これもその1つだとしてご理解して頂かなければなりません」
「うむ・・・、ではこちらの要望は断られたということなのであろうか」
殿の言葉に再び恵瓊の表情は曇った。いったいどれだけ良くない話が出てくるというのでしょうか。
嫌な予感を感じつつ、恵瓊の言葉を待つ。
「公方様は
「・・・山名か、よりにもよって奴らなのか」
山名の名が出て来た途端、山陰方面を任されている兄上の表情は一気に曇る。すでに毛利家中では有名な話であるが、山名祐豊とはかつて同盟を結んで尼子を滅ぼした過去があるが、以降の関係は決して良いものでは無い。
山名は我らが領有している因幡の西部を狙っているようであるし、その山名家中でも分裂の危機に瀕しているという。
当主である祐豊と嫡子(次子)である
「山名を引き入れたからと浦上の一件が解決するようには思えませんね」
「やはり俺達の力で宇喜多をどうにかすべきか?いっそのこと俺達で浦上を滅ぼしてしまおうか」
「そのような時はかけられません。そして今の話を聞く限り、公方様が我らの上洛を心待ちにしているのは事実なのでしょう。遅れれば遅れるほどに我らに対する不満は溜まっていきます。それこそ織田家のように」
「ならば如何するのだ。宇喜多を敵に回すのが厄介であることは多くの者が感じていることであろう。それでも上洛するならば避けては通れぬ道である。背後にあれを残して東に進むなど、到底あり得ぬ事だぞ」
「それは私も重々承知しております。どうにか彼の地を治めてしまいたいところですが・・・」
上手くいかぬかと策を練ろうとするが、未だ何か言いたげにしている恵瓊の顔が視界に入ってきます。
そのような顔をされれば集中など出来るはずも無く、私はため息を1つ吐きました。
それに驚いたかのように殿が私を見られます。オドオドされずとも、堂々としておられればよいのですが。
叔父である我らに遠慮されておられるのでしょうね。長兄がご存命であれば、と何度考えたことか。
所詮我らは叔父甥の関係であり、兄上に代わって父親になってやることは出来ません。兄上が亡くなられたことを父上は相当悔やんでおられましたが、それは我らも同じ。
むしろ毛利を託された身としては、その不在を痛く思い続けるのでしょう。
「恵瓊、まだ何かあるのですね」
「はっ。これは頭の片隅にでもと思います」
「つまり本件では無いということですね」
恵瓊は頷いて、そして今度は兄上の方に一度視線を向けた。兄上もそのことに気がついたのか、怪訝な表情で恵瓊を見返しています。
「織田家に対抗するために公方様の味方をされる方々は我ら毛利と河野様の他に畿内の三好義継様、松永久通様、顕如様、一色義定様、赤井忠家様が。畿内から外れれば山名祐豊様、蘆名盛氏様、
「・・・」
兄上の持つ湯飲みが僅かに悲鳴を上げた。ピシッという嫌な音は、殿を驚かせるには十分であったのだ。
「兄上」
「俺のことは気にするな。恵瓊、続けよ」
「かしこまりました。長宗我部は公方様からの要請に条件付きで返事をいたしました。河野家が公方様に味方である内は味方にならぬと」
「であろうな。実際長宗我部は織田とよしみを通じているとの噂もある。あの若造が狙っているのは、伊予の統一であろうよ。織田となど戦うことも無かろう」
「そして公方様は申されました。毛利と河野との関係は理解しているが、今勢いのある長宗我部を公方様に従わせるためには捨てる覚悟も必要であろうと」
「覚悟、覚悟か・・・。してお主はそのようなふざけた条件を呑んだわけではないであろうな」
「もちろんお断りさせて頂きました。河野様とは先代元就公からの盟友にございます。例え公方様からの要請であったとしても、我らが河野様を切り捨てるという選択をすることは無いと」
「でかしたぞ、恵瓊!にしても随分と新たな公方が訳の分からぬことを申す。長宗我部が織田と繋がりがあることなど、誰でも知っていよう事であるのにそれを引き込もうとするか」
「こればかりは兄上と同感です。公方様に味方したのは時期尚早であったやもしれません」
発案者であった兄上は黙ってしまわれた。
ですが本当に慎重に進まねばならぬ事態であることに違いは無いようで、我らの背後にいる大友を制する策が上手くいったのは公方様の実力を聞く限りでは偶然であったということも考えられる。
つまり背後は必ず大丈夫であるという考えは捨てなければならぬということ。
「恵瓊、最後に尋ねます」
「何なりと」
「あなたは幕府に先があると感じましたか?我らが危険を冒してまで側に寄る意味があると感じましたか?」
「・・・正直に申し上げますとそれはあまり感じませんでした。上洛までの道のりは果てしなく遠く、そして畿内にたどり着けば織田との戦を控えている。例え勝ったとしてもこちらの被害は甚大であり、そして畿内より織田を排したとしても織田を助けんと、近江の浅井が、駿河の今川が力を貸しましょう。公方様に味方すると表明している蘆名では力不足であるように思います。あのように広大な地を得た今川を単独で押さえられるとは思えず、むしろ余力を残して織田に援軍を出してくるやもしれません」
「厳しい戦いになりそうだな」
それは承知の上でした。武闘派を率いられている兄上らが、公方様の元に馳せ参じて織田を京から追い出すと申されていたとき、すでにある程度の覚悟をしていましたが、恵瓊の報告を聞けば聞くほど不安にさせられる。
勝算は元々持っていた。調略も進め、織田家中でもこちらに寝返るようにと手はずも整えていたというのに、その後のことを考えると・・・。
「叔父上方、これは私からの提案にございます」
「何でございましょうか」
「今の話を聞いて、私は公方様を信用しきることが出来ません。故にあくまで織田討伐は公方様のためでは無く、これから巻き込まれるであろう西国の大名らを助けるため、やり過ぎた織田に灸を据えるための戦であるとして戦うのではどうでしょうか?さすれば織田との和睦は幕府を介す必要がありません。あくまでこの戦は我ら毛利と織田の戦であるのですから」
「だが包囲網へと参加した大名らは黙っておらぬであろう。それこそ勝手に和睦など結ばれれば、他の者達は置き去りであろうで」
「ならば我らで先んじて手をうっておくのです。東国の大名らは放っておいても問題はありません。遠く、我らに与える影響など微々たるものですので。それより山名と本願寺、そして浦上には話をしておくべきでしょうが」
なるほど、殿の提案には一理も二理もある。そして話をしておくべきという人選も完璧であった。
その者らは心から幕府に屈しているわけでは無い。織田という共通の脅威に立ち向かうべく手を取り合っているのだ。浦上に関しては成り行き上、幕府に縛り付けられていると言うべきでしょうが。
故に織田という脅威が無くなったら、いつまでも織田と敵対し続ける必要など無いのです。
「それは名案にございます。私は殿のご意見を支持いたします」
「本気か、隆景?」
「はい。一度は幕府を傀儡にでも、と愚かなことを考えましたが、これこそが父上が望まれたことであったと今分かりました。父上はあれだけ勢力を広げたにも関わらず、上洛という言葉は一度たりとも使われなかった。つまり京という日ノ本の中心を毛利が押さえることに意味を見出されなかったということです」
「・・・わかった。俺達の意見を呑んだのはお前だ。俺もお前の意見を尊重しよう。そして輝元の考えもな」
「叔父上方!」
恵瓊は顔を上げると再び私と目が合った。私が頷くと恵瓊も頷く。
「それでは私はこれより山名へと向かいましょう」
「はい、頼みましたよ。他の地への手配もこちらで進めておきましょう」
あとは本願寺への支援ですか。この交渉の鍵を握りましょうから、しっかりとその役目は果たさねば成りませんね。
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