382話 新たなる水軍強化案

 高遠城 一色政孝


 1575年秋


 越後と能登への援軍として信濃衆が出立したのが随分と前、無事俺と菊の子である千代丸が生まれたのが数日前、そして三淵藤英が京の屋敷にて義昭に殺されたと報せを受けたのが今日の出来事である。

 俺の元に京の状況を報せに来たのは、藤孝殿に留守を任されていた嫡子忠興。

 信長に保護されているという三淵の子らが人を寄越したのだという。

 そして俺はその対応に追われていた。


「織田様が二度目の上洛を果たされて以降、京は落ち着きを取り戻しておりました。まさかそのような中、兵を動かして混乱を招くような立ち回りをされるとは」

「三淵の動向を探っていたと考えるが自然であろうな。そして不審な動きを見抜かれた」


 重治の言葉には、「愚かな」という感情が大きく乗っているように聞こえた。俺も同感である。

 何故今そのような暴挙に出る必要があったのか。義助様によって幕府と朝廷の関係は改善された。ここ数代の将軍は朝廷から信頼を失い続けていたが、ようやく上向きになったと思わされたのだ。

 だが再びそれを無いものにしようとしている。というよりも現在進行形で行っている。

 全くもって愚かな行いだろう。信長は幕府を蔑ろにしてはいるが、朝廷のことは幕府よりも重視している節がある。関白が主導で行った本願寺との和睦に乗ったのもそのあらわれであろう。義昭も朝廷と仲良くしておけば、ある程度は信長と渡り合うことも出来たであろうに。


「して如何いたしましょうか?」

「とりあえず今川館と岡崎城に人をやった。信康には三淵の子らを保護して貰い、氏真様には事の経緯を説明する。本来であれば先に俺が今川館に向かうべきなのであろうが、何往復もしてられぬ。俺は岡崎城へと向かい、今川館までを共にしようと思う」

「つまりはじきにこちらを発たれると?」

「あぁ。だが菊と千代丸のこともある。本当は離れたくは無いのだが」


 俺がため息を吐くと、部屋の外に控えていた昌続がこちらに顔を覗かせる。


「姫の事は私にお任せを。それに近く竜芳様もおいでになられると文がありました」

「竜芳殿が?あぁ、千代丸の顔を観に来るのであろうな」

「目が見えぬと言われておりますが、あの方には全てを見通されているような雰囲気がございます。きっと千代丸様のことを脳裏に焼き付けて帰られることでしょう」

「そうであろうな。そして勝頼殿にお伝えする、か」

「ですが出立前に一度三峰館に顔を出して頂きたく」

「わかっている。千代丸が生まれてからまだ何度か程度しか会えていないでな。菊にも千代丸にも」


 全てはバタバタしたからであるが、それでも三峰館を高遠城の近くに築いて良かったと思う。

 あそこにいるのは各家の人質が多いわけだが、当主の母という子を産んだ経験がある方も割と多い。義昌殿の母もそうだが、その他にも子や孫とともにおられるのだ。

 これに関しては人質としてというよりも、あの地が比較的安全な場所であるからと言えるだろう。今川家にとっては重要な地であるから守りが堅い。故に安心して任せられると送り込まれているのだ。

 そしてそういう状況に三峰館があるからこそ、安心して菊をこの地へと残しておける。


「三淵の子らは、かつての縁を頼って浅井にも逃れたようだ。おそらく浅井も保護していよう。ちょうど良い駒が手に入ったと喜んでいるのではないか?」

「たしかに。織田様同様に公方様と敵対姿勢を示されておりますので、良駒として利用されましょう」


 そもそも何故三淵の遺児が浅井に逃れたのか、だ。

 浅井長政は近江平定の初手として、近江北西部に位置する高島郡を押さえた。彼の地は当時不安定であった若狭と国境を接していたためいち早く制圧に動いたのだ。

 高島郡に領地を持っていた朽木という一族は当初六角に従っていたが、後に浅井に降伏している。

 そして朽木の先々代当主であった朽木くつき稙綱たねつなと、先代当主であった朽木くつき晴綱はるつなは幕府の奉公衆に任じられており、過去には京を追われた将軍を匿ったという歴史もある。朽木全体で見れば義澄よしずみ義晴よしはる義輝よしてるの3人も将軍を匿っていることになる。

 先代当主は随分と前に朽木の本家筋にあたる高島家との戦で討ち死にしており、現当主である元綱もとつなは祖父の後見のもと、僅か2歳でその家督を継いだわけだ。

 おそらく三淵は当時の縁を頼って逃れたのだと思う。その中に浅井の反義昭感情を利用するという意味が含まれていたというのであれば、三淵は相当利口であると言えるであろう。


「里見との同盟が再び近づいてきているとも報せがあった。おそらく鎌倉公方家と小弓公方家の婚姻をもって、足利一族の因縁に片を付けるつもりであろう。当事者は果たしてどう思っていることやら」

「佐竹家は千葉家の肩を持ったようにございますね。私が里見の当主であれば、きっと腹を立てていたことにございましょう」

「だが千葉家の言い分も尤もなのだ。全ては佐竹が北関東同盟の主導権を手放さぬ為に、緊張した両家の間に口を挟んだのが原因。本当であれば当事者同士でしっかり話し合うべきであったのにな」

「おかげで里見家は心が離れたわけにございますね。このままでは佐竹の圧で多大な犠牲の上で切り取った房総の支配を手放さなくてはならないと」

「現状で佐竹と今川は敵対している。里見からすれば今川に味方しない手はないだろう。それがどういった形での同盟になるのかは、両国の話し合い次第だな。伊達・武田・山内上杉のような関係を築くのか、それとも越後上杉のような関係を築くのか」


 前者はつまり臣従である。命令権を氏真様が保持しており、それに従う義務がある。

 後者は対等な同盟関係。両者に上下・優劣は無く、命令では無く要請という言葉を用いることとなる。だがパワーバランスがあるため、越後上杉家もある程度は従っているが、表面上は同盟関係である。

 似たような関係は織田と浅井もそれだろう。


「どちらにしても里見と同盟が成れば、今度こそ佐竹を相手取っての戦が始まるであろう。俺達に出番があるかはさておき、万が一にも佐竹との戦に蘆名が関与してくるようなことがあれば、それはつまり」

「我らや織田様を取り囲むように同盟が成されていることも考えられます」

「その通りだ。三淵から届けられたという文の中に、毛利の使者が義昭と謁見したという話があった。畿内を織田が制している状況で、すでに義昭を支持することを表明している毛利が危険を冒して謁見したということは、つまりそういうことなのであろう」

「そしてその話に進展があったとすれば、織田様と同盟関係にある今川家も敵として見なされておりましょうし、そうなれば毛利だけでは手が足りません。蘆名は元より佐竹や他の大名家にまで話が及んでいると考えても不思議では無いかと」

「そうだな。少々用心が必要であるように思える。義昭はさておき、周囲の大名らは実力で今の勢力にまでのし上がってきた者達だ。それが同盟を組んで対抗してきたとなると、流石に一筋縄ではいかないだろう」


 そして俺の中では1つ考えていることがあった。

 織田と毛利との戦で有名なものはいくつかあるが、今俺が最も注目しているのが木津川口の戦いだ。

 史実で毛利は織田に包囲された石山本願寺を支援すべく水軍を動員した。織田水軍とぶつかったのは、現代で言うところの大阪湾木津川河口辺り。

 そして第一次木津川口の戦いでは、毛利水軍の扱う焙烙玉と火矢によって織田水軍は壊滅的被害を受けたわけである。

 その後、続いて起きた第二次木津川口の戦い。今度はかつての失敗を元に、鉄の装甲を取り入れた大安宅船を九鬼・滝川水軍が建造。大鉄砲や大筒を備えたこの船は焙烙玉や火矢の影響を受けにくく、大きな船体であり動きが遅いというデメリットを近距離戦における圧倒的火力で打破した新たな様式を取り入れて戦いに望んだのだ。

 結果は本願寺に味方していた雑賀衆にも、荒木村重の離反に呼応して攻め寄せてきた毛利・村上水軍にも大勝した。

 鉄砲や火器が全国的に普及してきた今、水軍が活躍するための一歩はまさにこの鉄甲船であると俺は考えている。その建造を一歩先んじて行おうとしているわけである。

 そもそも南蛮船でもあればイメージしやすいのであろうが、現状大井川港には外国の船は入っていない。

 来ているのであれば堺であったり、あとは九州方面であろうか。


「殿?どうされました?」

「いや、少し考え事をしていただけだ。とにかく俺は近く岡崎城へと向かうであろう、故にまたしばらくはこちらをよろしく頼む」

「かしこまりました。お任せください」

「それと義定にも色々やらせてやってくれ。全部お前がしていれば、覚えることも出来ぬであろう」

「・・・かしこまりました」


 仕事が好きなのは喜ばしいことではあるが、人の仕事までやり始めるとそれはそれで困る。義定の立場もあるからな。

 とにかく俺達も反義昭への道を歩むのだ。それは随分と前からのことではあったが、ここに来て明確にその行動を示すこととなる。

 最初の一手として三淵襲撃の非難からであろうな。義昭は一体どう動くのか、まずはそこが見物であるな。

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