380話 援軍派兵
高遠城 一色政孝
1575年秋
未だ幼い松丸を連れて神高島へ向かったのは信濃に戻る直前のことであった。
またその際には久も同行しており、初めて初音姫と会うこととなった。それに合わせて嘉隆殿にも戻って貰い、万が一が起きた際の話もしておいた。
もし、もしも一色が後継者に困ったとき、松丸をこちらに戻すこと。九鬼家に関しては嘉隆殿が一時的にでも家督を継ぐということに了承して貰ったのだ。
元よりこちらが無理を言われていた立場。その点理解して貰えたようで安心した。
松丸は松丸で、初音姫に随分と良くして貰ったようで、優しいお姉さんという印象を抱いたままに神高島を後にした。
久も初音姫の人となりに満足しており、大方良い結果で終わった顔合わせではあったのだろう。
そしてその後、すぐに鶴丸を元服させた。
名は鶴丸改め、
予め人を集めるように手配していた。俺達が城に着いた頃には、呼んでいた方たちもすでに待っており、つまるところ俺達が最後だったわけである。
「その御方が一色家の嫡子殿にございますか」
「随分と大きくなったもので」
最初に声をかけてきたのは義昌殿と藤孝殿。藤孝殿の側には鶴丸と同じ位の歳であろう男が控えていた。
俺に視線に気がついたのであろう藤孝殿は、その者を手招きし側に置く。
「忠興にございます。数日前に元服を果たし、こうして色々な場所に連れているのです」
「
「忠興殿はいくつになる」
「今年で13にございます」
「ならば政豊とは1つ違いであるな。今後は長い付き合いとなるであろう。政豊、お前も挨拶をせよ」
俺も控えていた政豊を呼び寄せる。待ってましたといわんばかりに政豊は俺の側へとやってくる。
とりあえず俺が思ったこと。それは人見知りでは無かったことに一安心、ということだろう。むしろどんどんいきたがる。それが初めて時間をともにする政豊に抱く印象だった。
12歳となって初めての、な。
「一色政豊にございます。私も先日元服を果たし、世間を知るために此度はこうして信濃に参った次第にございます。今後ともどうかよろしくお願いいたします」
「随分としっかりとした挨拶が出来るのだな」
「はい!佐助にこういえば良いと教えてもらったので」
そんな様子を義昌殿がジッと見ていた。義昌殿の元には現在2人の子供がいる。1人目は真理姫がまだ今川の人質となる前の子だ。ちょうど木曽家が今川に降る前年に岩という娘が生まれており、そして昨年には長子である千太郎が生まれた。
岩姫は現在三峰館にて義昌殿の母親と共に人質生活を送っており、絶賛菊と仲良くやっているようだ。
その腹に子が宿っている菊を支えているのはなにも侍女だけでは無いようで、色々と人質として送り込まれている子女から助けて貰っているらしい。
「義昌殿のところは如何ですか?千太郎と申されましたか」
「うむ・・・。少々千太郎は病弱のようでな、先々家督を譲るには不安を抱いているのだ」
「それは・・・」
「いや、そう気にした顔をせずとも良い。だがもう1人、男の子が欲しいところではある」
「故の今の視線ですか?そう心配されずとも、何かあれば我らを頼って頂きたいのですが」
「わかっておりますとも、藤孝殿。我ら信濃衆の持つ仲間意識は他に負けぬ。これだけ外様達が集まって何度も戦に赴いたのだ。むしろ繋がりが深まらぬ方がおかしいであろう。何かあれば必ず頼る」
「それは良かった」
そう話している内に、俺を待っていた方々が部屋より広間に集まり始めた。
信濃衆のまとめ役としての役割を持つ諏訪頼忠殿や、北信濃で最大の領地を持つ真田昌輝殿、北条高広殿。そしてかつて信濃の中央部付近をまとめあげる小笠原長隆殿らだ。
他にも数人、此度動員しようと思っている方々も呼んでいるがそちらはほとんど代理ばかりであった。まぁ俺がそれを許したからであろうが。
「義定も俺が不在の間をよく守ってくれたな」
「何の。むしろやったのは重治殿で、こちらとしてはそれを側で見ているだけでした」
「そうなのか?」
「はい。真によく働かれる」
苦笑いなのは、サボっていたと俺に思われたと感じたからであろうか。
そんなやり取りが聞こえていたのか、重治もまた側に寄ってくる。
「殿、月のこと無事に送り届けて頂いて感謝申し上げます。久しく顔を合わせましたが、あの頃と何も変わっていないようで安心いたしました」
「それはよかった。実は今川館でも礼を言われた」
「足利様の御正室にございましたか?しかしよくぞご無事でと言うほかありません」
「そうだな、当時の京は乱れに乱れていた。いくら身を隠していたとしても、織田家は三好勢力を探したはず。混乱の中で亡くなられていてもおかしくはなかったであろう」
「まことに運が強い御方です」
「そうだな」
義助様はこれで枕を高くして寝ることが出来ると言われていた。信長がどうにかすると言ったらしいが、流石に長らく離れていると心配であったのだろう。
と、まぁ雑談はこの辺りで良いだろう。
俺が合図を出すと義定らは少し離れた場所に控え、政豊も佐助に呼ばれるままにそちらに従った。
俺の正面には信濃衆の面々が勢揃いであり、こうして顔を合わせるのは随分と久しい。
「此度こうして集まって頂いたのは他でもない。殿より命を受けたからにございます」
「命、にございますか?またどこかを攻められるので?」
「その通りと言えばその通りでしょうか?ほとんど合っていると言えばそうですね、藤孝殿」
「ではどこを?」
「能登と佐渡。これらは織田様と上杉様が現在攻められている、または近く攻めようとしている地域にございます」
「つまり我らは援軍として両地域に派遣されると言うことですか」
昌輝殿がそう尋ねられる。
「その通り。能登の平定に力を貸すのは織田からの受けた恩を返すため」
「恩、にございますか?」
「前の関東平定において、佐竹が動かなかったことは周知のことであると思います。その理由は蘆名が南陸奥に兵を動かすそぶりを見せたため。そしてそうするように家中を扇動したのは、織田様と通じていた蘆名の者であったのです」
まぁそれも含めて色々あった結果、家中で刃傷沙汰となったわけであるが。当人は重傷を負い、襲った側も謹慎を申しつけられたが、以降どうなったのかの情報は得られていない。
果たして蘆名はどのように解決させたのか。気になるところではある。
「そのことはすでに確認済みであるので、恩を返すということで援軍を申し出ました。またその能登平定に関しては、浅井様も兵を出されます。共闘は初めての我らとしては、そちらと関係を築くことも悪いことではございません。今後も付き合いがありましょうから」
「なるほど・・・。では佐渡に関しては?我ら信濃衆の多くは海での戦を知りませぬが」
「頼忠殿の不安は尤もにございましょう。ですがそこはご安心を」
「安心とは?」
「佐渡の援軍に関しては、上杉様が佐渡への上陸に成功し、佐渡に拠点を得た後に海を渡ることになっております。相当嫌な引きをしなければ海戦など起きはいたしませぬ」
頼忠殿はその嫌な引きを万が一にも引いたときのことを思われたのか、軽く血の気が引いていた。
まぁ怖いのは分かる。海戦などそうそう体験しないし、海の上で戦うことも慣れていなければ未知の世界で怖いだろう。
「こちらに関しては上杉様との協議をもとに慎重に進めることとなりましょう。ですがまずは能登。信濃衆を二手に分けてお願いしようと思っております」
「援軍に向かうのは我らだけでしたか」
「関東の方々は敵に備えなくてはなりませんので」
そして元々の今川領に領地を持っていた方々は、飛び地ではあるがその後獲得した地にも領地を預かっている。
現状、遠江や三河の領地には代理で城を守っている方がとにかく多いのだ。
「まず北信濃の方々で、上杉と縁のある方達は能登へと向かって頂きます。上杉家の援軍に向かえば無用な混乱を引き起こしかねませんので」
そう言うと高広殿がわずかに口角を上げた。何かしようとしていたというのか、本当に底意地が悪い男だ。
「またそちらを率いるのは頼忠殿にお願いしたい。関東平定において武田領より侵攻したその手腕を氏真様は高く評価されておりました」
「まことにございますか!?」
「はい。あれだけ厳しい環境において、甲斐からの侵攻が総崩れしなかったのは、勝頼殿含め、その指揮官が出来た者であったからであると言われておりましたので」
海に怯えていた男と同一人物であるのが嘘のように、その表情は明るくなっている。隣に座っている正直殿が落ち着くようにと、言葉をかけていた。
「そして佐渡に関しては藤孝殿にお願いしたい。この中では一番海での戦い方を心得ておりましょうし、万が一があったとしても冷静に判断出来ると考えてのこと。上杉様との協議はすでに氏真様を通じて行われておりますので、越後に入る際に混乱は無いと思っております。その辺りは心配なく」
「かしこまった。しかしこうした場面、必ずや兵を率いて前線に出られていた政孝殿が出陣されぬのは随分と珍しいことで」
「少々やらねばならぬことが立て込んでおりまして・・・。例の話も未だ纏まっていないことを考えると、戦に出られぬと判断いたしました。何かあれば人をこの城に送っていただければ、多少時間はかかりましょうが返事はいたします」
「いやいや、不満に思ったわけではありません。ですが何かあれば頼らせて頂きます」
その後は誰を援軍に向かわせるかの詳細を話した。流石に信濃をあけるわけにはいかぬ故、留守役も任じておいた。
そしてその後は各々が情報交換をしようかとしたところで、先にその場をたっていた藤孝殿が廊下の外より手招きしている姿が目に入る。
「如何されたので?」
「実はこのような文が兄より届いております」
懐から差し出された文は、最大限小さく折りたたまれておりそして汚れてもいた。
「兄と言えば幕臣である三淵殿であっただろうか?」
「その通り。義輝様が亡くなられた後は義昭様に従い、現在は京におります」
「その三淵殿がいったいなんと?」
「全てはここに書いてあります。読まれた後は政孝殿にお任せしたい」
「わかった。とりあえず読んでみようか」
受け取った書状を開く。
紙がくしゃくしゃになっていて所々読みにくいが、大まかに言えば義昭に愛想を尽かしたということだ。
これまでは義昭を信じ命じられるままに働き続けたが、大名らと接する内に何が正しいのか分からなくなったと書いてあった。
だが義昭は自分を信じて疑わない。その現実に向き合うのはいつも派遣される幕臣だけである、と。義昭の側にある幕臣らはご機嫌取りばかりで実質他国との使者として働いている幕臣の言葉など無視しているのだという。
「思ったよりも酷い状況であったのだな。いっこうに公方の行いが変わらぬと思ったら」
「はい。そもそも公方様は大名らからどのように思われているのか、全てを知らぬと思われます」
「その側にいるという幕臣が都合の悪いことを全て自分で止めているのだな」
「さらに三好義継様の元に妹を嫁がせて、反織田の用意を着々と進めている、か」
本当に三好は厄介なことになったな。三好三人衆の将軍暗殺という暴挙から、まったく悪い方向にしか事が進んでいない。
自業自得であると言えばそうなのであろうが、代わりに俺達が光を得たのだから文句を言える立場では無いな。
「兄は私を頼って、どうにか今川様に仕えられぬかと申しております。どうか1つ頭の片隅にでもお願いいたします」
「・・・義助様の事がある」
失念していたと言わんばかりに藤孝殿は宙を仰ぐ。
「どう転びましょうか」
「わからぬ。だが公方や幕臣らは義助様が生きていることを知らぬ。知っていれば今頃大騒ぎであろうからな。だがあまり時間が無いのであろう。こちらに状況をながした限りは早々に京から離れねば危険である。氏真様には俺から話しておこう。三淵殿にはすぐに京から出るように人をやって欲しい」
「かしこまりました。ではそのように」
だがこの段階で、今の俺には異常なほどの嫌な予感がしていた。この判断が正しかったのか、その答えを知るのは思っていた以上に早いものとなったのだ。
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