織田・今川包囲網結成

379話 織田包囲網の主戦力

 二条御所 瑶甫ようほ恵瓊えけい


 1575年夏


 隆景たかかげ様が焚きつけた三木家は、当初の予定通りにこちらに味方すると表明した。それを聞いた織田は、本願寺の和睦の後に播磨へと兵を出し、その隙を突いて私は京へ入ることが出来た。

 私の前に座る男は、役職上日ノ本における武士の棟梁である。


「恵瓊よ、よくぞ参った。歓迎するぞ」

「勿体なきお言葉にございます。ですがあまり時間がございませぬ。堺は織田ともある程度の関係を築いておりますので、急ぎ戻らねば船を押さえられてしまいます」

「それは悪いことをした。して此度の用件を聞こうか」

「はい。我が殿は上洛の意を固められました。そして近く、公方様を蔑ろにし、己の欲のままにこの世を支配せんと戦い続ける織田信長をこの地より排してご覧に入れましょう」

「ようやくであるか。ようやく毛利は予のために動くのだな」

「はい。後顧の憂いも断つことが出来ました。全て公方様のおかげにございます」


 豊後の大友がしばらく厄介であったが、さらにその南に位置する島津が随分と勢いをつけている。

 そしてこの男のおかげで大友は島津を無視することが出来なくなったのだ。さらに島津に従う大名らも大友を敵と認識し、我ら毛利の味方として奮闘している。

 これこそ上洛の好機。元就公の御遺言であった機を待てとはまさにこのことであったのだ、と元春もとはる様は申しておられた。

 私はどうしてもそうであるとは思えぬが。であるが外交僧を任されている立場上、この重要な役割を断ることも出来ず、悩む内に京に入ってしまったわけである。


「そうであろう、そうであろうとも!全て予の企み通りに事は進んでおる。畿内でも直に信長から離れる者達で溢れるであろう。そして全ての引き金を引くのは毛利、そなたらよ」

「我らにそのような重要な役割を任せていただけるので?」

「当然であろう。この策、そなたら毛利の力なくして実現などせぬ。毛利が播磨を制すれば、どっちつかずの態度をしている者達も理解する。これからの世を築くのは織田では無く毛利であると。織田も所詮はかつての三好と同じであるわ」


 上機嫌に笑われる公方様。取り巻きの者らも機嫌良く笑っておる。

 何故信長がこの男を蔑ろにしているのか、実際に目にして良く分かった。であるが、それと同時に扱い易いであろう男でもあると言える。

 我らは織田と違って蔑ろにせず、傀儡としてこの幕府を手中に収めるのであろう。それが隆景様のお考えである。殿は血の気の引いた顔で心配されるのであろうがな。


「公方様、その重要な役割を果たすべく1つお願いがございます」

「如何したのだ」

「我らが播磨にいたる間に厄介な男が立ち塞がっております。かつては浦上に属しておった"宇喜多"という者が我らにとっては非常に厄介なのです」

「宇喜多・・・、宇喜多とは誰であったか?」


 公方様は一番側に座る取り巻きの者に問いかけられた。私の本心をいえば、その程度は知っていて欲しかった。

 今の一連のやり取りだけでも、西国への関心の無さがうかがえる。


「宇喜多とは浦上様のやりように反発し、すでに滅亡した宗家筋の幼子を擁立して反発している者の名にございます。現在、備前の西部にて勢力を維持しております。また浦上家中でもその動きに賛同する者もおり、浦上家は現在相当に荒れております」

「そうであったのか。浦上には期待しておったのだが残念であるな」

「その宇喜多という男は油断出来ませぬ、味方として我らと上洛を共にしようものならば背後を刺されかねない。宇喜多直家とはそれほどに危険な男にございます。浦上が備前を制することが出来たのも、宇喜多の力あってこそ。あれは暗殺と謀略を用いて一大勢力を築きました。主家である浦上ですら制することが出来ぬほどに」


 浦上から離れたときは毛利に助けを求めてきていたが、今は違う。孤立していながらその勢力を維持しているのだ。

 それが我らにとっては非常に厄介。上洛を急ぐ我らとしては、そのような粘り強い者をどうこうしている暇は無い。

 よって我らが願うのは公方様に再度浦上の混乱を押さえて貰おう、そう思っていたのだが今の反応を見て察した。

 この男ではそれが出来ぬ。何だ、今の反応は?

 浦上が荒れている全ての原因は自身にあるということを、全く理解していないではないか。


「ならば他の者らを使えば良い。但馬の山名を美作を用いて備前に入れれば良い。奴らの東には一色や赤井がおる故、織田と直接は接しておらぬ。多少兵を南に割こうとも何ら問題は無いであろう」

「では公方様がそのように命じていただけるということで御座いましょうか?」

「もちろんであろう。予が直々に命を下す。さすれば何人も断ることが出来ぬでな。毛利はよき理解者として優遇すると決めておるのだ。全ては日ノ本を幕府の手で再び治めるため。その時は毛利も然るべき役職へと任ずるであろう。楽しみにしているが良い」

「それはまことに嬉しきことにございます。我が殿にもそのように申し伝えさせていただきます」


 しかしきっとお側におられる御方が鼻で笑われるであろう。隆景様は頭を使わぬ者が大の苦手であるゆえ。

 時々元春様の事で愚痴をこぼされていることもある。

 ご兄弟、仲がよい故の私の立場であるのであろうが、私からすれば元春様も隆景様も御一門の1人。

 なんとも言えぬ気分にさせられる。


「それと毛利には1つ頼みがある」

「頼みにございますか?」

「本願寺に兵糧を運び入れてやってほしい。堺があまり協力的な態度をとらぬ故、包囲されれば物資の運び入れが随分と難しいのだ。顕如は織田を倒すためならば予に協力すると申しているのだがな」

「・・・かしこまりました。水軍衆を動員して物資を運び入れることが出来る態勢を整えさせていただきます。ですがそうなると1つ懸念がございます」

「なんであろう」

「阿波の細川・・・。いえ、その背後にある長宗我部はどうなっているのでしょうか?あの者らが敵としてあるならば、本願寺への物資搬入は非常に難しいかと思われますが」

「長宗我部、か。うむ、長宗我部であるな」


 公方様の歯切れは非常に悪くなった。それが意味するところは、結局我らにとって良いものではないことなど容易に想像がつく。


「元政、長宗我部は何ともうしておったか」

「長宗我部様は公方様に味方出来ぬと。少なくとも河野様が公方様に味方する限りは、公方様のお声に乗ることは無いと申されておりました」

「そういうことである、恵瓊よ。そなたらにとって河野家がどれほど大きな同盟相手であるかも分かっているつもりであるが、長宗我部の方が勢いも勢力も影響力も大きい。奴らを従えるためには捨てる覚悟も必要であろう」

「我らに河野様を切れと申されますか?あの方々は先代元就公が小身の頃からの盟友にございます。そのような方々を切るなどとてもではないが認められませぬ」


 私の強い口調での拒絶を見た公方様は、慌てた様子で手を振られた。


「何もそのようなことを申しているわけでは無い。そもそも河野が毛利の手から離れれば、大友が伊予に流れ込むであろう。窮地に追いやられた大友に逃げ道をあえて用意してやることなど無いのだ。そうであろうな、元政よ」

「その通り、今の言葉は失言にございました。どうか御容赦を」


 わざとらしく頭を下げる元政と呼ばれた男。おそらく今のは失言では無い。

 それとなく私に幕府の思い描く策を伝えたかったと推測される。であったとしてもそれを飲むことは出来ぬ。

 むしろ長宗我部と良縁を持つなど、河野家を巡って何度も争っているが故に実現などはせぬ。実現するとするならば、河野を切り捨て伊予から完全なる撤退を我らがしたときであろうな。


「何はともあれ、備前のことは万事予に任せるがよい。毛利が容易に上洛出来るよう、予が支度をしておこう。その代わり播磨にたどり着いたあかつきには、温存した戦力を存分に予のために使うのだ」

「かしこまりました。では次に会うのは織田を排する戦の際にございます。どうかそれまでご辛抱を」

「辛抱することには慣れておる。であるが、こうしてようやく予にも光が見えたのだ。再び幕府に力が戻る日が近づいてきていると思うと、予も嬉しい限りである」

「本願寺の件にございますが、できる限りはさせて頂きます。毛利の水軍を動員し、志を同じとする者達をお救いいたしましょう」

「うむ、頼りにしておる。それと出来るならば能登へも物を送ってやって欲しいのだ。あちらには山名より物を送ってはいるが、浅井が水軍を整えつつある。より強力な水軍を持つ毛利であれば、やつらの水軍など敵では無いと思うのだ」

「かしこまりました。畠山様は長らく孤立無援の中、良く耐えられております。その奮闘に敬意を示し、荷を運び入れられるよう手配いたします」

「頼もしい限りである。これからも良い関係でありたいものであるな」

「そう願っております」


 謁見が終わり私は二条御所を後にした。

 織田が2度目の上洛を果たして以降、京は戦と無縁なものとなった。この活気も織田の支配あってこそなのであろう。

 そしてそんな織田を帝も信用しているという。だがここ数代の関白は帝の思うようにはなっておらぬ。前関白の近衛前久様は親三好派として、最後にはその地位を辞した。

 現関白の二条晴良様は、公方様に推薦された恩があり親足利の立場から脱することが出来ておらぬ。そしてその隙を着々と狙っているのが、その実子であり、九条家に養子入りしている九条兼孝様である。あの御方は未だ織田家の近くにあり、一番情勢を上手く読んだ上で、行動が出来ている。

 なんでも本願寺との和睦には一役買ったとも聞いている故、まったく油断が出来ぬ御方であることも調べ済みであるのだ。

 あの御方が次期関白となれば、帝もようやく安心して諸々を任せることが出来るであろう。それを阻止しようとしているのが皮肉なことにも我らであるわけであるのだがな。


「なにはともあれ、一度国へと戻るとしようか。公方様の印象と幕府の行き着く先を伝えねばならぬでな。船が織田に押さえられていなければよいが」

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