378話 子の発覚

 大井川城 一色政孝


 1575年夏


 今川館から戻り、城に着いたとき、何やら尋常では無い様子で出迎えの者たちがいた。

 その中には時真の姿もあったため、てっきり時宗のことだと思ったのだがどうやらそれも違うらしい。


「殿、お待ちしておりました」

「如何したのだ」

「高遠城より義定殿から人が寄越されております。急ぎでありますので用意ができ次第広間にお越しください」

「広間だな、わかった。すぐに向かうとしよう」


 やはり尋常な様子では無い。

 遠くでその様を見ているのは、男ばかりでは無く久の姿もあるのだ。いったい何事であるのか。

 一抹の不安を抱きつつ、俺は着替えを済ますために場所を変えた。


「直政、お前は何か聞いているか?」

「いえ、何も聞いておりません」

「そうか、ならば良い。お前も用意をしてこい」

「かしこまりました」


 勘吉を連れた俺は着替えを済ませて広間へと向かった。

 多くの家臣らが集まっており、その中には久や鶴丸や豊、そして母の姿まである。本当にこちらにいる者、勢揃いであった。

 松丸はおそらく・・・。

 広間の外を見れば、久の侍女である美好とともに別の部屋で待機していた。


「待たせたな」

「いえ、何も問題はございませんので」

「して話とはなんであろうか。義定はいったい何と申してきた」

「それは義兼殿よりご確認ください」

「義兼?」


 義兼は義定の子である。少し前までは勘吉と共に小姓として側に置いていたが、北条との決戦の頃に高遠城へと残した。

 義定の側に置き、重治に師事させた。その義兼がこちらにいるというのだ。


「義兼、発言を許す」

「はっ。父より伝言をお預かりしております。三峰館にお住まいの菊様にございますが、どうやら子が出来たようにございます」

「・・・本当か?」

「はい。お医者様がそう申されていたと。ここしばらく体調が悪かったのは、おそらくそれが原因であろうと言われたと申されておりましたので間違いないかと思います」

「そうか・・・」


 俺がホッと一息はいたとき、広間にいる者たちがザワザワと騒ぎつつあった。すでに聞いていた者も多くいたようであるが、初めて聞いた者もいるのであろう。

 そんな中で1人、久がジッと俺を見ていることに気がついた。


「旦那様、おめでとうございます」

「父上、おめでとうございます!」


 久や鶴丸の言葉で、ざわついていた広間は一瞬静まったかと思えば、みなが揃って頭を下げた。

 豊も一緒に頭を下げているところをみると、ちゃんとその意味がわかっているのであろう。


「あとはその子が無事に生まれてくるだけであるが・・・」

「旦那様はいつも間が悪うございます。此度も立ち会うことは難しいのでしょうか?ですがあの子の側にいて上げた方が良いとも思いますが・・・」


 久からそう言われてハッとした。というよりも本当に俺は立ち会えていない。

 鶴丸の時は東海一向一揆を抑えるべく三河にいた。豊のときはギリギリ間に合った。水軍衆の家房が気を利かせてくれたおかげである。

 そして松丸に関しては、そもそも俺が信濃にいた。最初から立ち会えぬ事がわかっており、名を預ける形となったのだ。

 どれも懐かしい話ではあるが、おかげで幼い頃の子らには父として認識されていないであろうと思っていた。

 大きくなった鶴丸や、豊の様子を見る限りはそうではないとどうにか安心は出来る。松丸は・・・。そうか松丸か。


「いや、実は至急信濃に戻る用が出来たのだ。まだこちらですべきこともあるのだが、俺が戻らねばならぬ事態である。一度高遠城へと向かおうと思っていた。ちょうど良いのかもしれないな」

「高遠城に戻られるのですか?となればやはり信濃で何かあったので?」

「氏真様より任が与えられたのだ。武田の姫の輿入れが遅れているのもその1つである」

「松姫様にございますね?ですがそれは」


 昌友と俺が交わす言葉に、全員がジッと聞いている。


「上杉家中が忙しくしているでな。輿入れどころでは無いと氏真様が判断されたのだ。事実上杉様も異論無しとして、輿入れは来年に持ち越された。松姫様は現在今川館に滞在されているわ」

「その忙しいという原因はやはり」

「佐渡の平定。慣れないと予想される海戦である。それに海を渡っての戦は相当の危険が付きまとう。上杉様に万が一、ということもある。嫁いですぐにそれでは松姫様があまりにも哀れであると、上杉様が申されたようであるな。だがその佐渡平定も、上杉家安寧のためだ。我らも力になるように申しつけられた。信濃衆は佐渡と、そして織田家・浅井家の共同で攻めるとされていた能登への援軍を出すわけだ。信濃衆からな」


 能登も能登で苦戦しているようだ。理由は簡単で、日本海を使って西日本の大名らが支援しているのだ。

 現在浅井家が水軍を急いで整備しているようであるが、元々は内陸の大名。琵琶湖を用いていて勝手が分かるにしても、いちから水軍を整備することを考えると時間はかかるであろうな。


「いつ頃戻られるのでしょうか?鶴丸の元服も近くにと申されておりましたが」

「それよ、久。鶴丸にもそろそろ名を授けたいのだが・・・」


 鶴丸は期待の眼差しで俺を見ていた。ソワソワとしているのは、やはり落ち着きが無いようにも見えるが、それだけ待ち望んでいるということでもある。

 長らく共に学んできた者達の多くが、俺に命じられた地へと向かったため余計にその思いが強くなったのであろう。

 一番多くの時間を過ごした直政も、随分と前に俺の側にいるからな。


「わかった、信濃へ向かう前に元服させるとしよう。それと室も決めねばならぬな」

「・・・私に、にございますか?」

「あぁ、早いに越したことはない」


 慌てふためく鶴丸に笑いが起きた。心配そうにしているのは母くらいのものである。


「ですがいったい誰を?」

「そうだな・・・。まぁそれは追々だな」

「お、追々にございますか?」

「それが決まるまで元服は待つか?俺はそれでも良いが」


 そう問いかけると、鶴丸は姿勢を正して俺を見返す。


「いえ!元服を先に果たしとうございます」

「わかった。では先にそうするとしようか。短い滞在には成るであろうが、一度信濃にも連れて行ってやろう。鶴丸にとってもあちらの者達とは長い付き合いになるであろうからな」

「まことにございますか!?」

「あぁ、一度も大井川領を出たことが無いからな。それでも良かろう」


 時真に視線を移すと、僅かに頷いた。

 護衛に関しては本当に何かあっては困る故、より厳重にしていくことが必須ではあるがそれは俺だけでも何かあっては困る故当然のこと。

 むしろこれまでの護衛が少なすぎたのだ。金で雇った腕利きばかりではあるとはいえ、な。


「急ぎそちらの支度も進めよう」


 そういえば俺も父として何かをプレゼントをしてやりたい。

 長らく愛刀として側に置いている村正は、初陣を飾った際に母より頂いたものであった。元を辿れば今川氏親公からの贈り物である。

 大事に使ってはいるが、以降俺は何度も戦に出た。

 この刀で切った人の数も最早数えることも出来ない。劣化も進み、修復も出来ぬといわれた。

 だがそれでも破棄することはない。大事な贈り物であるのだから。

 だから鶴丸にもそんな贈り物をしてやりたいと思った。その身を守るものであればやはり刀なのであろうが、いったい何が良いであろうかな。


「話はこれで終わりだな。時真と昌友、それと久は残れ。後の者は仕事に戻るのだ」

「かしこまりました」


 多くの集まっていた家臣らが部屋をあとにし、鶴丸も豊を連れて広間から出て行った。何やらあちらが騒がしいのは、松丸が鶴丸らが戻って来たことを喜んでいるのだと思う。


「殿、如何いたしました?」

「澄隆殿の話だ。保留としていたであろう」

「まだ子は生まれておりませんがよろしいのですか?」

「あぁ。あまり状況が良くないと、一色港で在重殿に聞いたのだ。任を共にしていた嘉隆殿がそう溢されたと」

「・・・そうなのですね。では松丸は」

「殿、いったい何の話でございましょうか?私には話が見えぬのですが」


 前回この場にいなかった時真は困惑していた。

 俺に代わって昌友が事情を説明する。聞いた時真は驚いて口が開いてしまっていた。


「氏真様にはそれとなく伝えている。もしものときはお許しを得ている故問題は無いが、あとはこちら次第。菊との子が男の子であれば何も問題は無いと思うが、無事に生まれるかはその時になるまでは分からない」

「であればやはり判断が速すぎるのでは?」

「嘉隆殿には俺から申し伝えておく。もし松丸を九鬼家に入れた後、一色で何か大事があったとき、松丸の扱いをどうするのか」

「それはこちらに戻すということもあるということで御座いましょうか?ですがそのようなことをすれば九鬼家が・・・」

「あぁ、だから嘉隆殿と話し合いの場を設けねばならぬのだ。もしものときは嘉隆殿に九鬼家を任せることになるであろう。本人の覚悟を曲げて貰ってまで」


 それでも澄隆殿には思い残すこと無くして欲しいと思ってしまう。長らく今川の水軍強化を共にした間柄だ。

 九鬼家のことを、初音姫のことを思いながら死ぬのは苦しいことであろう。だから俺は急ぐのだ。

 そもそも鶴丸が無事に成長すれば何ら問題は無い。正室をサッサと決めようとしたのも、鶴丸に世継ぎが生まれれば断絶の心配も多少は減るからである。


「・・・わかりました。旦那様にそこまでの想いがあるというのであれば、私はそれに従います。ですが松丸がもし不幸の道を歩もうというのであれば、私は旦那様を許すことが出来ないやもしれません」

「大丈夫だ。もし松丸がそのようなことになるのであれば、俺が必ず助け出す。この判断をとった責任を取って」

「信じてよろしいのですね?九鬼様のお力になれることが嬉しいことであるとはいえ、やはり松丸のことが一番でございます。我が儘なことを申しているとは思いますが」

「それが普通の感情であろう。目の届かぬところに行けば、誰しも不安に思う。俺にだって不安はある。それを助けてやるのが俺や嘉隆殿の役目であろうな」


 信濃に向かう前に一度神高島へと向かう。色々と予定が詰まっているが、全てやらねばならぬ事。

 だが一番望むのは、澄隆殿が回復してくださることであるがそれは叶わぬ願いなのであろうかな。

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