374話 水軍衆指揮官の本音
津島湊 一色政孝
1575年夏
西美濃三人衆の1人であった安藤守就殿の見送りのもと、俺達は津島湊にまで来ていた。
多くの者達が馬に乗っているが、それとは別に来たときには無かった籠が2つある。
いずれも女人が乗っているのだが、船に乗ればその姿も出されるであろう。今はあまり人目に晒したくない。
特に1人に関しては。
「一色殿、どうかお二人をよろしくお願いいたします」
「しかと承りました。お二人を無事に目的地にお連れいたします」
「・・・して重治は元気にやっておりましょうか?などと儂が聞くのもおかしな話なのですがな」
「結果として美濃は斎藤のもたらした混乱から早々に立ち直ることが出来たのです。重治がしたことも、安藤殿の判断も間違いなかったということでしょう。そして重治は元気にしております。今も信濃にてその腕を振ってくれております。まこと頼りになる男にございます」
「そう言っていただけると多少は救われる。長らく娘が辛そうな顔をしておったので、判断を誤ったのではないかと悔やむ日々が続いていたのだ。ようやくその日々からも解き放たれそうである。娘の顔もとうぶん見られぬであろうからな」
1つの籠に目を向けた。
その中には重治の奥である月姫が乗っている。斎藤龍興を殺し、竹中の家を守るために重治は家を出た。
その際に離ればなれとなった奥をようやく迎え入れる気になった重治は、義父である守就殿とやり取りをしていたようだ。もちろんそのことを氏真様も信長も知っている。
密かに連れてこようというわけでは無いのだから、こうして堂々と連れ帰ることが出来るわけであった。
「船を出す前に1度お話しされますか?」
「いや、既にそれは済ましておる。故にもう良かろう、余計に辛くなるだけであろうでな。それと竹中の家のことは安心するよう重治に伝えてほしい。重矩は儂の子と上手くやっておる。竹中の一族も上手くやっておるとな。織田での立場もそう悪いものでは無い故、安心して今川様にお仕えせよと」
「わかりました。ではそのように伝えておきましょう」
と話している間も、守就殿の視線は籠に向いている。俺がいる手前、あまり素直になることができないのであろう。
ここは気を利かせるとしようか。
「少しあちらの者達と話をして参ります。何かあれば声をかけてください」
「わかった。いや、すまぬな」
「いえ」
俺は守就殿を残して、近海に不審な船が無いか巡回中の水軍のもとへと向かった。
寅政がジッと海を眺めており、その先にはいくつかの船が浮かんでいる。
「寅政、様子はどうだ?」
「これは殿。いえ、特に問題はございませぬ」
「ならば良い。いつものことではあるが、今回も失敗は許されぬ。しかと気を張るようみなに伝えよ」
「かしこまりました。しかし重治殿もようやく呼ぶ気になられたのですね」
「そうだな。あれはあのようにふらっとしているように見えて、実は家中一頑固者だからな。中途半端な姿を見せたくなかったのであろうが、俺からすれば家族を第一に考えて欲しいと思ってしまう」
「殿は優しい御方ですので」
寅政は俺を見ず、海を見ながらそう言った。
俺がその腕を見込んで、商人から初めて引き抜いた男だ。東海一向一揆では、腹の内を明かして語り合った。
数少ない同年代だからであろうが、寅政とはそれとなく主と家臣の間柄を越えた関係が顔を覗かせることが稀にあるのだ。例えば今のように。
「本当にそう思っているのか?顔が笑っているようであるが」
「本当に思っております。水軍強化を名目に領民から多く人員募集をかけましたが、あれも領民達の困窮を多少なりとも解消出来るようにでございましょう。水軍の多くは徴兵では無く専属の兵として運用しております。殿が抱えているという扱いのため、定期的に米やら銭を頂くことが出来る。それを仕送りとして家族に送っている者、自分のために使う者、酒を飲み合うために散財する者。色々おりますが、多くの者が殿に感謝しておるのですから」
「本気であったのか。てっきり茶化しているのかと思ったわ」
「そのようなこと、出来るわけがございません。私も殿に救われた1人にございますので。あのままでは優秀な兄に甘えて生きていくだけでした。最早私に関心すら示さない父に怯えて」
「見返してやったな。先代の染屋の主とは面識がほとんど無いが」
「父も悪い人ではないのです。ただ商人としての人格があまりにもしっかりしすぎていた。屋敷に戻ってきても、商いのことばかりでしたので」
超絶仕事人間だったらしい。
そしてそれが極まった結果、商人としての才能を持っていた熊吉を寵愛し、商人としての才能を持ち合わせていなかった寅政は蔑ろにされた。
だがそれを見捨てなかったのが兄である熊吉だったのだ。船上での指揮能力を見込んで護衛業も始めた。
当然その頭になったのは寅政であり、染屋の家に少なからず金を入れることが出来た。俺が半ば強引に引き抜いてしまったが、それでもなお先代は寅政を認めようとしなかったらしい。
単に荒事が嫌いだったのか?
「最近は年を取って丸くなったと聞いております。先日染屋の護衛を兵助に頼まれたのですが、その際に兄より・・・、熊吉殿より聞きました」
一色が定める保護式目を思い出したかのように訂正した寅政。
武家と商人によるズブズブの不正を防ぐために、明確に両者の関係を分けたのが元々のそれである。数日前に岐阜城にて提案したあれも、これを元にしている部分はある。
両者の関係が近すぎることも遠すぎることも良くないわけだ。適度な距離感が求められる。
それが一色商家保護式目であり、これからの協定締結にて目指すものでもあった。
「そうか」
「はい。前の関東平定では随分と北条や里見の船を沈めました。海里殿や家房殿と共に立てた手柄は、敵方の水軍衆を震えさせるには十分にございましたので。どうやらその話を父も聞いたようで」
「寅政は・・・」
「殿?」
俺は一瞬言い淀んだ。
今回の会談が上手くいったとき、寅政の兄より保護下の商人達がどうするかの報告がされる。
もし商人らが保護下を外れて、新たな協定の枠組みに入るとなれば一色商家保護式目は事実上の凍結となる。ならば寅政や庄兵衛の孫ら、そして昌友の次子である烏丸を縛るものは無くなるわけだ。
またこの者らは家族としての付き合いを始めることが出来る。
「もし今後式目の効力が失われたとして、寅政は染屋の家に戻ろうと思うのだろか、と考えていた」
「・・・それは例の協定に関する話にございますね。多くの商家がどう動くべきか、見極めていると聞いておりますが」
「全ての意見を纏めるのは長である熊吉の役目。もしあの者らが保護下から離れる選択をすれば、お前は自分をようやく認めた父のもとへ向かうことが出来る。今であればそう邪険にされぬであろう」
「確かに戻るやもしれません。ですがすぐにこちらに戻ります。私の居場所はここにしかありませんし、殿には返しきれぬほどの恩があります。例え染屋が再び護衛業を始めるといっても、この役目を辞することは無いかと。それにみな、私を慕ってくれておりますので」
僅かに照れたような笑いをこぼしながら俺の方を見た。
随分と可愛らしいことをいうがこの男も30を越えており、親元らが施したトレーニングでムキムキな海の男となっている。それこそかつての面影など無いに等しく、これには先代も腰を抜かして驚くかもしれない。
それを思えば会わない方が幸せであるのでは無いかとも思ったが、寅政の中には一色を離れるという選択肢は無いようだ。
最初からそれは無いと思いつつ、だがどこかで不安に思っていた自分もいた。
「そうだな。まことに全てが上手くいった。水軍衆もここまで大きくなった。ここから見える船は全て一色が保有する船であると思えば尚更な」
「此度は護衛専門の兵助も船を出してくれております。今の我らに敵はありません」
「そうだな。ならばこういうべきであったか」
海を見つめていた俺は寅政に向き直った。
「いつも通りに頼む。俺が船を下りた後も抜かりなくな」
「かしこまりました」
「一色港にまで行けば在重殿がおられるはずだ。そこからは在重殿の抱える水軍と共に駿河まで向かえ。必要であれば休憩を入れつつな」
「かしこまりました」
チラッと守就殿のほうを見てみると、すでに戻って来ているようだった。
ではそろそろ船を出すとしようか。
「さて寅政、用意は整った」
「皆様を乗せる船は既に用意が出来ております」
「ならば案内せよ。今川領へと戻るぞ」
「はっ」
次の会談はいつになるであろうか。都合の良い時期を織田家で纏め、そして改めて岐阜城にて会談が行われる。
面子はおそらく変わらぬであろうが、次は良い返事が聞きたいものだ。あまり先になって貰っても困るがな。
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