375話 松平の持つ影響力

 岡崎城 一色政孝


 1575年夏


「会談が上手くいったようで安心いたしました」

「まだ何も決まってはいないがな」

「それでも、にございます。此度の会談の意味は非常に大きい。日ノ本の大部分を巻き込んだ商圏構想など誰が思いつきましたでしょうか。それも未だ天下の統一は誰も成していないというのに」


 岡崎城に入った俺を出迎えたのは信康と瀬名姫であった。

 そして側には松平の一門衆である松平家忠が控えている。この男、元々は額田郡にある深溝ふこうずに城を持っていた松平の分家である。

 家康が再度今川に臣従したことで、深溝城は没収された。その後は岡崎城に入り家康を支えていたが、今回は留守を任されているようだ。

 ちなみに松平がかつて三河の大部分を支配していた歴史上、松平の分家は多く存在する。歴代の松平宗家当主の子供らが祖となっているわけだ。

 今回側にある家忠は深溝松平家と呼ばれており、十八松平の1つ。

 ちなみに家康の元に戻らず、独立した1つの勢力として氏真様に仕えている松平の者もいる。もちろんそれも家康の流れである安祥松平家を宗家としている家のことだ。

 その中で少し特異な存在であるのが桜井松平家。長らく宗家に反発し続け、東海一向一揆に際しては秘密裏に一向宗と通じていた。

 だが形勢不利とみるや早々にこちらに寝返って功を上げたために、今川の直臣として仕えることを許されたのだ。

 だが当時の当主であった松平忠正が積極的に一揆に加担したことを踏まえ、臣従後手柄を挙げた弟の忠吉が当主となることが条件とはなったが。


「たしかにこれがなれば非常に大きな意味をもたらすであろうな。だがそれが実現するのは再び行われるであろう会談が成ったとしても随分と先の話となるであろう。俺が生きている間に見たいものだが」

「何を申されます。この政策に政孝様の存在は欠かせません。必ずや生きている内に成していただかなくては」

「随分と口が上手くなったな。信康が相手であれば気分よく話すことが出来る」

「恐れ入ります。ですが今の私がこうして父の嫡子として岡崎城にあることが出来るのは、政孝様が私が不便をしないよう気をかけてくださったからにございます。もちろん殿もいつも私を気にしてくださっておりましたが」

「そうか。ならば余計に今の状況、無視など出来ぬな」


 俺の言葉にホッとした表情を見せたのは信康では無く瀬名姫。そして家忠であった。

 信康が堂々としているのは、覚悟をしたということなのであろう。事態がどう転んだとしても、その責任を取るという。

 だがそれは松平を大きく衰退させる結果となる上に、三河の支配、そして関東にまで影響を及ぼすことを意味する。

 武蔵の上役は元信殿になってはいるが、その大部分を三河衆が占めているのだ。

 家康の立場が揺らげば、武蔵南部にて大きな隙を見せることとなるであろう。それに三河統治の強化を目的として一門衆の鵜殿家から姫を迎え入れている。その辺りの関係も含めると、やはり今回の騒動は早々に収めなくてはならない。


「政孝様、何か妙案がございましょうか?」

「瀬名様、そう事を急いてはいけません。まずは状況を詳しく教えていただきたいのです」

「わかりました。家忠、改めて説明を頼む」

「かしこまりました」


 ずっと側で黙っていた家忠。歳はおそらく20歳くらいだったはず。

 俺が家督を継ぐのとほとんど同じ位の年頃であることを考えれば、随分と若い男であるが、その上で家康の信用を勝ち取り三河の留守役を任された。

 そして信康の側にいることが許され、こうしてこの場にて発言も許されている。

 松平の中でも将来が有望な男の1人だな。


「先日も申し上げましたように、此度の一件に絡んでいるのはかつての東海一向一揆に加担していた者達であると思われます。その筆頭的立場を取られているのがきし教明のりあき。この男もかつては一揆に加担しておりましたが、旗色が悪いと見るや早々に降伏しておりその後松平家の家臣として復帰しております」

「最近確認出来たことにございますが、この男、禁じられていた布教活動に精を出していたようにございまして・・・。そしてそれに関しては、かつて三河における信徒総代であった石川清兼殿も関与しているようで」

「石川?」

「はい。石川数正様の祖父のことにございます」


 思わず頭を頭を抱えてしまった。

 石川数正も前の戦の功により関東に領地を与えられている。故に現状家康と同様に留守を一族の者に任せている状態なのだ。

 そのような状況で、祖父が本願寺に肩入れしていると知られれば本当に三河が崩壊しかねない。


「今足助城に残っているのは誰だ」

「清兼殿の三子である家成殿にございます。数正様は武蔵に骨を埋める覚悟であちらに向かうと申されていたようで、三河の統治は家成殿の家系に一任されると伺っております」

「だがそれが余計に危険であるな」

「その通りにございます。清兼殿の実子である家成殿の方が、何かしらの隙を生むことは考えられます」

「ちなみにこのこと、家成殿は存じているのか?」

「いえ。まだ何も申しておりません」


 いよいよどうしようか。教明のことはどうとでも出来るが、やはりあの停戦条件では甘かった。

 江戸時代に行われたキリスト教の踏み絵では無いが、本願寺の介入が出来ないほどに徹底的にすべきであった。そもそも石川数正の祖父が信徒総代であるという話すら知らなかったのだ。

 これは失敗したかもしれない。あの時の俺の詰めの甘さを恨むほどに。


「・・・家成殿にはこちらから伝えておくとしよう。そしてその際に協力を要請する。もし家成殿がそれを断れば二心ありとして、仕方が無いが死んで貰うほか無いだろう。だがもし此度も協力的な姿勢をとるつもりであるならば、打つ手はあるだろうな」

「如何されますか?」

「清兼を城に呼び出して城中で暗殺する。教明に関しては別の者に家督を譲らせて、その後見は松平の分家に任せることとしよう。そして今度こそ反旗を翻さぬように監視する」

「大人しく譲りましょうか?」

「譲らなければ仕方あるまい。清兼殿と同じ末路を辿って貰うだけだ。氏真様には病死したと伝えれば良い。真実を知るものはここにある者と、協力するであろう数名だけで済む」


 だがそうなれば家成殿と接することはあまり得策とは言えない。此度密かに同行させている栄衆の者に書状を託すとしよう。

 さすれば万が一城に呼び出すこととなっても、不審がられることは無いであろう。


「もしもの事がある、その身はしかと守れるようにしておくのだ。信康、そなたは家康にとって宝だ。今川一門の立場を外されたとはいえ、確かにお前には瀬名様と家康の血が流れている。それは紛れもない事実である。故にその身をもっと大事にせよ」


 驚いたような表情をしたのは信康である。瀬名様も少々表情を動かしたが、ただ静かに聞いていた。


「政孝様、それはその・・・。あまり口にして良い言葉では」

「問題は無い。家康は再び今川家中でその存在意義を見せつけ始めている。今やあの男の存在は必要不可欠であるのだ。かつて起こした大きな過ちを掘り起こして、あれの足を引っ張ろうとしている者は、家中でも随分と少数派となった。それは同じような立場であった俺がそう思うのだから間違いは無いだろう」


 桶狭間以降、多くの家臣が死んでいった。中には俺に敵対心を持つ者もおり、それらは家康も敵視していた。功を上げようが、全く認めようとはしない。

 確かに一度裏切りを働いたのは家康であるのだから、それは自業自得ではあるのだが、いつまでも過去に縛られ、いつまでも足を引っ張ろうとするのは間違いである。

 現実として今川のために働いている家康の努力を否定しているのと同義であるのだから。


「何とも言いにくいですが・・・」

「それは良い。とにかくその身を大事にせよ。此度も俺が必ずや守る。何かあれば必ず俺に言え」


 信康は幼い頃から知っていた。今川館で人質として生活していた際も、不憫な思いをしないように随分と手を回した。

 久や母の為でもあったが、やはり信康自身を守ってやりたいという想いはあったのだ。


「かしこまりました」

「ただし、もし本当に悪事に手を染めていたときは遠慮無くやらせてもらう。そのことは」

「重々承知しております。もし私が道を踏み外せば、この首をおはねください」


 首筋を見せた信康。また瀬名様は慌てた表情でこちらを見られる。

 俺はそれに対して微笑み返すと、再び信康を見た。


「そうならぬよう俺は信じているからな。しばらく滞在したいところではあるが」


 あまり長居すればそれこそ怪しまれかねない。手はずを整え、兵の一部を岡崎城に潜ませておくとしよう。

 俺は一色港にまで移動し、あの地よりこちらの情勢を確認する。もう少し詰めるべき事はあるが、これで秘密裏に事態を終わらせる。

 余計な被害が出ないことを願うばかりだな。



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