370話 挟まれし者

 摂津国原田城 織田信長


 1575年夏


「それが幕府の意向であると?」

「そのように聞いております。ですがその背後にはやはり本願寺がおりましょう。麻呂はそう思っておりますが」

「同感よ。だが此度はここまでで良いであろう。大方目的は達したわ」


 三好の家臣である荒木が守る城を奪取して数日が経ったある日、城には戦場に相応しくない者がやって来た。

 その者の名は九条兼孝。現在最も関白に近いと言われている男である。実父が現関白であるからであろうが、それを抜きにしても優秀な男である。

 そして義昭を次期将軍にと推したが、どちらかと言えば俺の持つ力を求めていたようなものだ。故にこうした畿内の状況においても、俺に近しい立場をとり続けている。それは実父であり関白でもある二条晴良とは逆をいっているようであるが。


「どうも父上が顕如に頼み込まれたようにございます。両者の和睦を取り持って欲しいと。顕如自身が父の猶子となっており、断れなかったのでしょう」

「そして本願寺と三好は俺にとって畿内における最大の敵である。義昭はそれを潰すことを良しとしなかった。故に幕府も動いたか」

「良くおわかりで」

「朝廷はともかく、幕府の動きなど聞かずとも予想出来る。だが関白自ら動いたのであれば、言うことを聞いておかねばならぬな」

「それが賢明であるかと。主上のお耳にも此度の話は入っておりますので」

「尚更止めねばな。幕府からの印象などどうなっても構わぬが、朝廷は別よ。今後とも良い関係を築かねばならぬ」

「では和睦に乗って頂くということでよろしいでしょうか?」

「あぁ。奴らが問題ないというのであれば乗ってやる。説得はぬしらに任せる故、好きにするがよい」

「有り難いお言葉にございます。では私は京に戻りますので」


 九条兼孝は供を連れて部屋を出ていった。しかし豪胆な男であるわ、このような血の匂いが蔓延るような場所、公家は嫌いであると思っていたのだがな。


「貞勝、見送りをせよ」

「かしこまりました」

「京まで無事に送り届けるのだぞ」

「はっ」


 そして側に控えていた貞勝には護衛を命ずる。何かあっては俺が困る故な。

 しかし摂津の大部分を落とされてようやく和睦に踏み切ったか。随分と重い腰であったようであるな。

 だが別のことも考えられる。何かを待っていたということも・・・。


「池田恒興、ただいま戻りました」

「入れ」

「失礼いたします。殿の御命通り、有岡城主である荒木あらき村重むらしげ殿をお連れいたしました」

「荒木村重にございます」

「よくぞ参った、村重よ。何でも三好を見限るつもりであるようだな」

「その通りにございます。最早三好家に仕えていたとしても先が見えませぬ故、この城の攻防を最後の奉公として務めさせて頂きました。今後は織田様の元でこの力を振いたく思います」

「ならばよし。だがその覚悟を示さねば、まことの臣として迎え入れることは出来ぬ」

「如何すれば認めて頂けますでしょうか」

「別所の説得。もし渋るようであれば、その原因を探り俺に報せよ。さすれば認める」


 サルも未だ別所の対処に苦労しておる。しばらくはこの男をサルに預けてみても良いであろう。

 有岡城は別所家の領地に近く、これまでこの男が播磨との玄関口を守っていたのだ。余所者の我らよりも勝手が分かるであろうでな。


「かしこまりました。長らく別所家とは親交がございましたので、それを用いて接近いたします」

「任せたぞ。もし刃向かうようであれば、これよりお前を預ける男と共に攻めるが良い。奴らが俺への臣従を断れば、味方にしようとするのは毛利である。播磨の東に位置するこの者らが毛利につけば何かと邪魔である故、遠慮はいらぬ」

「かしこまりました」


サルは小寺の当主である政職に会う予定を立てていると言っておった。だが未だその日取りは決まらず、なかなか播磨の攻略が進んでおらぬ様子。

もどかしい気もあるが、あまり急かせば毛利が絡んでくる。畿内に敵を抱えている今、迂闊なことも出来ぬでな。

とうぶんはサルに任せれば良いであろう。何かあれば泣きついてこようでな。


「上手くやれば旧領は安堵する。それに加えて旧主である池田の地も一部預ける」

「よろしいので?」

「奴らは一度裏切った。そして未だ俺に頭を下げてこぬ。そのような輩は信用が出来ぬのでな。であるならば成果も持ち帰った者を重宝した方がよほど良いであろう。期待している」

「はっ!」


 村重は下がり、忠恒だけが残った。


「殿、実は犬山城を出立した際にこのようなものを預かって参りました。何やら急ぎであったらしく、私が預かった次第にございます」

「これは?」

「岡崎城の姫様からにございます。岐阜城に届ける予定であったらしいのですが、殿に届ける必要があるとのことでしたので」

「徳からか。して何であろうな」


 だが俺はその文を開ける前に人払いをする。

 急ぎであり、俺に直接届けなければならないほどのもの。子が出来た、であればよいがそうでないことも十分に考えられる。

 このような時であり、俺にも敵があまりに多い故な。何があるかなど予想出来ぬ。単純な義昭とは随分と違って、この世は複雑である。


「おぬしは残れ」

「かしこまりました」

「して、徳はいったい何を言ってきたのか・・・」


 中身を読み進める。そこに記してあるのは、当主家康からの許しを得た上での文であるということ。

 そしてそれに続く言葉は俺を大いに笑わせた。


「殿?いったい姫様は何と?」

「気になるか?これを見てみるが良い」


 恒興に開いたままの文を投げ渡す。それを受け取った恒興は困惑した様子のまま、読み進めていく。

 そして最後まで読み終わり、俺に顔を向けた。

 怪訝な顔をしてな。


「傑作である」

「笑い事ではございませぬ。下手をすれば同盟の手切れにまで発展する危険もございます」

「それよ!どうして笑わずにおれようか!これが誰の企みであるのか、一目瞭然であろうに」


 松平家中では、嫡子であり徳が嫁いだ信康を当主としてまつり上げたうえで、三河半国を持って俺に寝返るよう画策しているという動きがある。

 そしてそのことを家康も信康も、何なら氏真までもが知っている。徳は俺の関与を尋ねてきたのだ。


「接触してきたのは本願寺の僧侶であるとあるが、その背後に誰がいるのかなど考えずとも分かろう」

「ですがそのような話、犬山城にいたときも聞いたことがありませんでした」

「ならば忍びを用いているのであろうな。六角を攻めた際、甲賀の忍びは俺に敵対しておった。此度も俺に敵対するものに協力していたとしても何ら不思議では無い」

「情報を隠している、と?」

「時が来るまで隠すつもりであろうな。だがそのことに家康らは気がついているという。ならばその内、事態は収束すると俺は予想する」

「そのように上手くいくのでしょうか」

「家康は旧北条領に領地を与えられ、今三河には娘婿の信康しかおらぬ。だがこの時期、ちょうど三河を抜けて美濃へ来る男がおろう。今川家中の統率を任されるほどの男が、これに関して何も知らぬ訳がない」

「一色殿にございますか?ですがあまり期待しすぎるのは」

「下手をすれば被害を被るのは俺であろうな。俺は氏真を信用し、美濃にも尾張にも兵を多くは残しておらぬ。対して今川は三河に余力を残している。もし奴らが両家に対して蜂起した日には、被害を被るのは俺達であろうからな。だが俺が何かすれば、ことは大きくなるであろう。ここまで隠し通されたのは、氏真がそれを望んだが故だ」


 故に今回はあの男に任せるとしようか。間違いなく関わってくるであろうあの男にな。

 だが頼りっぱなしというのも俺の性に合わぬ。いずれ特大の土産を今川にはくれてやらねばならぬ。それであいこよ。




 姫路城 黒田孝高


 1575年夏


「馬鹿馬鹿しい。どうして今更毛利につけましょうか」

「殿はそう言われた。もちろん悪手であることは伝えたぞ、儂は」

「しかし一度覆された殿は、決して曲げることはございません。叔父上がいくら粘られようが、無駄にございましょう」

「それよ。故に儂も形だけはお諫めしたが、内心諦めておったわ」


 叔父である高友たかとも様は呆れたようなため息を吐かれた。しかしそれは私も同じ。

 何故この誰にでも分かりそうな情勢が見極められぬのか。そして毛利に従うということは、さんざん口汚く罵っておられた公方様に味方することと同じである。

 播磨の支配権を浦上に、と認められたときは流石に驚いたものだったが、むしろ自然な流れで織田家に属することが出来ると思った。しかし土壇場でのこれである。


「理想は小寺の家ごと織田家に属すること」

「その理想は随分と高いものになったな。して理想通りに行かなければ如何する?儂はおぬしに従うつもりでおるが」

「かつて殿が敵対した赤松とは話が異なります。わずか数百程度の兵でどうこうできる戦力差ではないのなど明白。それは織田・毛利両家に当てはまりますが。故に万が一の際には小寺を裏切ってでも織田に仕えるつもりでおります」

「あいわかった。その覚悟に応え、儂もその道を歩むとしよう。殿には勘づかれぬようにな」

「お願いいたします。それとこれは処分しておかねばなりませぬ」


 御着の殿より私のもとに宛てられた1通の文。このようなものが織田の方の目にとまれば大変なことになる。

 早々に処分してしまうとしよう。


「あくまで我らがつくべきは織田である。そのことそれとなく殿にお願いいたします」

「気が変わらぬとは思うが、甥の頼みであれば仕方あるまい。もう少し説得してみるとしようか」


 せめて形だけでも見せておかねば、小寺共々滅ぼされかねぬ。それだけは御免である。これまで黒田の家は散々振り回されてきたのだからな。

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