363話 関係修復
大井川城 一色政孝
1575年冬
「九鬼様がそのようなことを?」
「あぁ、だが松丸だって未だ何があるか分からぬ歳。本当であればもう少し慎重になるべきなのであろうが、澄隆殿の様子を見るに早めに返事をしなければならないようにも思える」
「にしても難しい話にございます」
神高館から戻った俺は、早速澄隆殿から聞いた話を2人にしてみた。結果久も昌友も困り果てていた。
だがそれほどまでに重要な話であることは重々承知している。
2人が困惑することもまた無理は無い。
「一応聞いておくが、久としては松丸を九鬼家に入れること自体をどう考えているのだ」
問いに対して久は少し悩んだような仕草をした。
だがそれからまもなく、閉じていた口を開く。
「九鬼様に頼られている、ということは嬉しいことにございます。旦那様と私の子が他家様のお役に立てるというのであれば、それはそれで1つ良いことではあるのでしょう。ですが私は一色の女にございます。このような世で、誰がいつ死ぬかも分からぬ世で、一色の子が1人だけというのは少々寂しいことにございましょう」
「なるほどな、昌友は如何思う」
「私も同感にございます。一度九鬼家に養子として入れてしまえば、呼び戻すことも出来ますまい。そうなれば一色家が断絶という危険もございますので」
「やはりお前達も同じ考えに至るな」
久も昌友も揃って頷いた。
「ということは旦那様も同じ考えであったということに御座いましょうか?」
「あぁ、九鬼家に一色の人間が入るということは、それなりに大きな意味を持つ。我らの繋がりが濃くなることは、互いの強みをさらに強化することに繋がるであろうからな。だがなんせ跡継ぎの事、そして長らく一色家の課題であった一門衆の少なさが再び露見することとなるであろう」
俺が一色の家督を継いだとき、宗家筋の人間は俺だけだった。
分家も昌友らだけ。今信濃にいる義定らは、一族の人間ではあったが寺を守る身であったために、一色の家臣という立場にはあたらなかった。
あの時、万が一俺も父と共に桶狭間で死んでいたら、もしどこかの戦で死んでいたら、病で死んでいたら、きっと一色家は大きく混乱したことであろう。
分家当主であった昌友が継いだかもしれんがな。
とにかく一色家は宗家筋の人間が少なすぎるのだ。今も俺の子に男は2人だけ。
久や昌友が心配するのはよく分かる。
「これは少々難しい話を振られたやもしれんな」
「如何いたしましょうか?返事は早いほうが良いとのことにございましたが」
「ある程度時間がかかることは澄隆殿も承知しておろう。一度保留とする」
「よろしいので?」
「そう簡単に決められることでもない。それに多少時間をかければ、状況が変わっているかもしれんからな」
「良い方向に状況が転んでいることを願うほかありません」
「そうだな」
僅かに沈黙があった。思った以上に空気が重くなっていたようである。
だがそんな沈黙を破ったのは久であった。
「して九鬼様のもとにある初音姫とはどのような娘なのでしょうか?未だ神高島から足を踏み出したことが無いとか」
「そうだな。幼さを残しつつ、それでも整った顔立ちをしていた。将来美人になりそうだと感じたが」
一度会っただけの顔を思い出しながら、俺は久にそう答えた。
「そうなのですね。母としては一度会って話がしてみたいものですが」
「それもそうだ。では機会が設けられるか確認を取ってみるか」
「よろしくお願いいたします」
話が一段落した頃、誰かがこちらに向かって歩いてきているのが分かった。
足音は複数ある。
しかし先頭を歩いているであろう者のこの足音。どこか懐かしいリズムであった。少し歩き方が独特なせいだろうか。
「誰にございましょうか?」
「二郎丸だな、これは」
「家清殿にございますか?」
「おそらくそうだと思うぞ」
懐かしさからか、幼名が先んじて出て来てしまった。
部屋にいる3人が、ジッと部屋の入り口に目をやる。
「殿、小山様にございます」
「構わぬ、入れよ」
「かしこまりました」
外に控えていた勘吉に許しを与えると、すぐさま襖が開かれる。
だが久は驚いて俺を見ていて、昌友も俺を見て僅かに笑っていた。
そしてこちらのことなど知らぬ家清は、困惑した表情をしつつも中へと入ってくる。
「家清、久しいな」
「はい。殿が信濃に向かわれてからは、長らくお会いしていなかったのでいつぶりになりましょうか」
「そうだな・・・。数えるにしても骨が折れるやもしれん」
「確かに。ところで何を話されていたのでしょうか?随分と微妙な空気が流れておりましたが」
「なに、随分と懐かしいものだと話をしていたのだ」
結局、家清はよく分からないといった表情であった。
「して何用で参ったのだ」
と言いつつ、家清の背後にある者達を見て聞くまでもないことを察した。
「はい。大湊の上原様の元に身を隠されていた北条様の御子方を今川様の命により護衛して戻って参りました。その身を一度殿に預けるように、とのことにございます」
「そうか、よくみなを無事で連れ帰った。途中襲撃される危険もあったであろうに」
「その心配も杞憂に終わったようでなによりでございます」
「そうだな。家清、寅政にも労いの言葉を伝えておいてくれるか?」
「ではそのように」
そう言って家清は下がっていった。
残ったのは北条家の子らである。人質として今川領内に残っていた国増丸は、北条降伏の条件に従って、氏真様の猶子となり小田原城に入っている。
今頃後見として小田原城に入った氏俊殿や、北条に残った一部の家臣らとともに小田原城下の統治に専念している頃であろうな。
「鳳殿、我らは約束を果たしました。今後は如何されますか?」
「今川様より私達の沙汰を聞かれているのではございませんか?」
「確かにそうです。ですが一応どのようにしたいという希望も聞いておきませんと、今後に影響いたしますので」
困惑した様子であった鳳殿。だがそれよりも1つ、俺は1人の娘に目をやった。
その娘も当然俺を見ているためか、自然と目が合った。俺が目を逸らすと、困惑した表情をわずかに残す。
「大湊にて子らと十分に話し合いました。小田原に戻りたい、氏政様の元に向かいたい、そういったことは申しません。全てを受け入れる覚悟にございます」
かつて俺の前で受け入れを要請したときも思ったが、やはりこの方は強い芯を持っている。全くブレがないように見える。
流石に情勢厳しい北条家で長らく生活していたことはあるということか。
「その覚悟が、ここにいる者たち全てにあると思って申し上げます。まず鳳殿、あなたは氏政殿と離縁されていることから小田原への帰還は許されておりません。またあなたの子である者達も基本的にはこちらに残っていただきます」
「はい。むしろこの地に留めて頂くことをお認め頂いて感謝の言葉しかありません」
「ただし菊王丸は小田原城へと入り、兄であり北条家の当主となった国増丸を支えること。そして
氏真様曰く、北条と武田を強く結びつけることが目的であるようだ。特に両家の関係は一度最悪なところまでいった。
武田家が没落した一因に、北条氏康による密約破棄があるのだ。当ての外れた武田信玄は上野侵攻に支障をきたし、命からがら甲斐へと戻った。
そして再起が叶わぬとして、今川・上杉両家に降伏したのだ。だが武田もあれ以降随分と家中の再編が行われた。
勝頼殿は過激派であった信玄や義信と違って、随分と穏健派である。だからこそ氏真様は北条との関係修復をする好機とみられたのであろう。
今後東に進む際に、両家の共闘は十分に考えられることであるからな。
「私が武田家に輿入れでございますか?」
先ほど目が合った芳姫は、驚いたような表情で固まった。そしてそれは鳳殿も同様である。
「武田家との関係は非常に悪うございます。果たして今輿入れなどして、芳姫様が無事でいられるのでしょうか?」
「武田家もまた似たようなことが近くございます。かつて敵対関係であった家に姫を送ることがどういうことであるのか、それは今武田家が一番理解しておりましょう」
松姫が氏真様の養女として上杉景勝に輿入れする。そのことに関して、主家である今川家からの命ではあるとは言え、武田家中でも心配の声は尽きないという。だからこそ、今芳姫を輿入れさせるのだ。
「ですが氏真様も此度の事に関しては、そこまで強制しようということではございません。芳姫様が怖いと言って拒まれるのであれば、この話は白紙に戻るだけ。両家の関係修復などいくらでもやりようがありましょうで、正直な考えを聞かせていただきたい」
とはいえ、やはり危険な話であることに変わりは無い。氏真様は勝頼殿に、そして芳姫にその選択を託された。
勝頼殿が了承したというのは、自身が責任を持って芳姫を守るという意思表示であろう。あとは芳姫次第だ。
「・・・時が必要にございます。今すぐに結論を出すのは」
「分かっております、鳳殿。私も今難しい選択を迫られておりますので。私は近く越後へと向かいます。こちらに戻る頃に結論を出していただければ、それで十分ですので」
「ありがとうございます。その時までには答えを出しておきますので」
鳳殿はそう言って、子女らを連れて部屋から出ていった。
大井川領内に屋敷を建てているため、今後はそちらで過ごすことになるであろう。菊王丸も俺が越後から戻り次第、色々と手はずを整えることになっている。故にしばらくは大井川領内に滞在だ。
「誰もが難しい決断を迫られております」
「そうだな。だが今の武田であれば、任せても問題は無いと思うがな」
「殿は武田様をそのように評価されますか?」
「あぁ。昌友は違うのか?」
「私は直に会ってお話ししたことがございませんので何とも言えませんが」
「そうであろうな。印象で人を決めることなど愚かなことだ。俺は直にあって話した結果、任せられると思った。だが当人らもまた勝頼殿の人となりを知らぬ。どのような答えが出ても不思議では無いな」
願わくば芳姫が受け入れてくれることを期待したい。
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