362話 消えかけの灯火

 神高館 一色政孝


 1575年冬


「わざわざこのような場所まで来ていただいて申し訳ありません」

「何を申されますか。澄隆殿が病に伏せっていると聞けば、見舞いに来るのは当然のことですよ」


 神高館は九鬼家の館だ。

 小笠原家の当主である氏興殿・信興殿の支援の元で建てられたものであるが、現在九鬼家は伊豆の南部に居城を持っている。

 だから澄隆殿の療養用の館となっているのだ。


「しかし療養中であると聞いていたのに、前の関東での戦に出られていたとは」

「叔父上に無理を言ったのです。畳の上で死ぬのは御免であると。そして万が一私が死んだときに備えて、全ての支度をした上で出陣いたしました」

「氏真様がそれを許されたと?」

「もちろんそれなりに渋られはしました。ただ最後には私の想いを知っていただけたのだと思います」


 澄隆殿はこうして話をしているだけであるが、随分としんどそうであった。

 時々こぼされる咳は、やはり今の状態がどれほど良くないのかと思い知らされる。それでもなお弱気な姿を見せないのは、ジッと側に座っている幼い娘の存在があるからであろう。

 今年6才になる初音姫は、澄隆殿にとっては唯一の子。

 本人曰くもう世継ぎをつくることは出来ぬと言っていた。だからこのまま澄隆殿が回復しなければ、家督を継ぐのは叔父にあたる嘉隆殿になるであろうと予想される。


「して、病を引きずりながらの戦は如何でしたか?」

「これほど波による揺れが辛いと思ったことはありませんでした。かつて志摩を捨て、大湊より暮石屋の船にて脱出した際も辛いと思いましたが、これほどではありませんでした。関東での戦でも他の水軍衆の力があったおかげで、私の乗る船は指揮を執ることに専念出来ましたが、それでも今の私に限界を感じたものです」

「これまで海で生きてきた澄隆殿には随分と辛いことにございましょう。早く病を治さなければ」


 そう言うと、澄隆殿は僅かに笑われた。それも悲しげな笑いだ。


「そうですね。治さなければ、叔父上には随分と色々背負っていただいておりますので」

「伊豆南部の大部分を任された九鬼家は、まさに外様衆の中では大出世をした1家にございます。嘉隆殿は統治に水軍の強化、そして新たに命じられた任に追われておるようで」

「関東の南に位置する島の領地化にございましょう?たしかにその辺りの島は、大名家の手が及んでおりませんでした。ただ海賊被害もあるために現地の島民達は保護してくれる者を待っていたのです。殿はその保護者として手を挙げられた。そして海賊などには負けぬ我らの水軍にございます。島民らは喜んで我らの統治を受け入れました」

「海賊被害を減らしつつ、あわよくばこちらに引き込みながらの領地拡張」

「政孝殿が成功させていた前例があるので、海賊を水軍に組み込むことはそれほど難しいことでもなかったようです。多少規律は乱れましたが、それを正すのは我ら指揮官の役目。それこそ我らの腕の見せ所なのでございましょう」


 俺が親元ら、奥山海賊を水軍に組み込んだのは何年も前だ。当時、今川家自体はそこまで水軍に対する理解は高くなかったし、水軍の存在意義もそれほどなかった。

 だから家中に海賊を引き込む行為を公にすることも出来なかった。だが今は違う。

 水軍の存在意義は増し、氏真様も水軍の強化に乗り出し、そして現在九鬼家が命じられている誰の手も及んでいない島の領地化によって人手が不足し始めている。

 それらの理由から水軍の人員増加は、今川家所属水軍全体の急務であった。


「元々その海域を知っている者達です。我ら余所者が巡回するよりもよほど効率が良い」

「流石にそれだけ遠いと、一色水軍でも限界があるので」

「海賊を抱え込むことが認められたのは、やはり大きな事にございました」


 楽しげに話す澄隆殿。気分が昂ぶりすぎたのか、苦しそうに咳をされた。

 だがそれでも、澄隆殿は話をすることを止めない。俺としてはそろそろ休んで貰いたいのだが、腰を上げることを許さぬ勢いで話を続けられるのだ。


「ところで政孝殿」

「何でしょうか?」

「政孝殿の子らは順調に成長しておりますか?」

「子らにございますか?嫡子である鶴丸はそろそろ元服を考えております。本人も随分と気合いが入っているようで、傅役として側に付けている者もその気を日々感じているようにございます」

「頼もしい限りで。しかしここまで今川家において存在感のある一色家。それを継ぐのは随分と大変なこととなりましょう」

「まだその意味を本人は分かっておらぬやもしれませんが」


 ただまぁ元服して、城を出て場数を踏み出せば嫌でも知ることとなろう。

 かつて今川一門衆で1番、そして家中でも氏真様に直接意見することが出来た僅かな存在であった瀬名家。

 氏俊殿が当主の座を降りられた後、その後を継いだ氏詮殿にはまだそこまでの功績が無く、色々と俺も氏俊殿の役目を引き継ぐこととなった。

 その1つが信濃の上役である。

 鶴丸もまた瀬名家と同じ道を歩むことになるかもしれない。それでも氏詮殿のように、腐らず今川家の為に働けばきっと正しく評価をしていただけるであろう。それこそかつての俺のように。

 だから鶴丸には色々学んで貰わなければならない。直政同様に俺のいくところには基本的に連れていきたい。だが次期当主という立場上、あまり危険な場所には連れて行けないが。


「して他の子らは如何にございますか?」

「豊も随分と大きくなっておりますよ。ただほとんど顔を合わせておらぬ為、もはや父親の顔など忘れているやもしれませんが」

「それは・・・、いえ子はなんだかんだと親の顔を覚えているものにございます。私も幼い頃に父を失いましたが、未だにその顔は良く覚えておりますので」

「そんなものでしょうか」


 今度は俺が力なく笑う番だった。

 娘と一緒に過ごす時間は、嫁に出す事を考えれば息子らと違って余計に短い。だから一緒に過ごす時間は極力大事にしたいし、顔を忘れられているというのはかなり寂しいものだ。

 だが今の立場ではなかなか長期にわたって信濃を留守には出来ない。

 我が儘を言うことは出来ないが、本当にこれだけは結構辛いところだ。


「松丸に関しては本当に私のことを覚えていないでしょう。最後に会ったのも相当前のことでしたので」


 そんな俺の言葉。これまでとはうってかわって真面目な顔で俺を見つめられていた。


「初音、政孝殿にお茶を持ってきてはくれないか?」

「お茶にございますか?かしこまりました」


 館に仕えている者に頼めば良いものを、澄隆殿は娘である初音姫にそう伝えた。

 そして初音姫は、何も疑問に思わなかったのか父の言葉に従い部屋を出ていった。


「娘に聞かせられぬ事でございましたか?」

「いずれは言わねばならぬ事。ですがこの場で聞かせることも無いかと思いまして。それに万が一断られれば、娘が辛い思いをするでしょうし、政孝殿も本音が聞けないやもしれませんので」

「そこまで配慮が必要なことにございましたか」

「はい」


 そこで無理矢理身体を起こそうとする澄隆殿。苦しそうに身体を起こすものだから、俺は慌てて手を貸した。

 澄隆殿は俺の手助けを断ることなく受け入れて、表情を歪めながら身体を起こすと俺に対してまっすぐ身体を向けた。


「これは叔父上とも話し合ったことにございます」

「嘉隆殿とも?」

「九鬼家の家督に関してにございます。私が万が一このまま男の子がおらぬまま死んだとき、叔父上は当主の座に就くことを拒まれました。初音こそが九鬼宗家の跡継ぎであると」

「たしかにそうでしょうが。ですがそうなると実際に色々問題が生じましょう」

「故に他家から養子を貰おうと思うのです。未だ幼い初音の相手となれば、相手方もそれ相応の歳となりましょう。もし元服を果たすには早すぎるとあれば、叔父上がその後見として自立出来るまでは九鬼を守ってくださります。そう前の戦の前に約束していただきました」


 なるほどな。何と無く何が言いたいのかわかった気がする。

 そして何故、初音姫をこの場から外したのかも。


「政孝殿は九鬼家にとって恩人です。そんな政孝殿にこんな事をお願いするのもどうかと思いましたが、それでも私は敢えてお願いしたいと思います。政孝殿の次子である松丸殿を、九鬼家に迎えさせていただきたい。初音の夫として、そして次代の九鬼家当主として」

「やはりそういう話であったのですね」

「勘づかれておりましたか?」

「何と無く。初音姫をこの席から外したのは、俺がこの話に乗らぬ時、断りにくいと思われたからにございましょう」

「よくおわかりで」


 こうして頼られることは悪い話では無い。それだけ一色の影響力も広がるし、水軍の強化を掲げる俺としては、九鬼家と縁戚関係になるのは良いことの方がきっと多いであろう。

 だが問題は別にあった。それは一色家には男が2人しかいないということ。鶴丸に万が一があったとき、そのあとの一色家はどうなるのか。

 豊がいる故、最悪の事態は九鬼家同様回避できるであろうが、本当にそれは最悪の場合、最終手段としたい。


「こうして頼られることに悪い気はいたしません。いたしませんが、即決も出来ませぬ。事が事にございますので」

「わかっております。故に此度はこの話を持ち帰って頂きたい。そして改めて返事をいただければと思います。出来れば私が生きている内に答えを出していただけると有り難いのですが」

「また弱気なことを」

「弱気ではございません。最早この病がよくなることはございますまい。お医者様は言葉を濁されておりましたが、自分の身体のことですので詳しくは分からずとも先が短いことは何と無く察しております」


 小さくため息を吐いた澄隆殿。

 まだ20を過ぎた辺りの若者が、命の灯火が消えそうだと話しているのだ。治す術も無く、ただその身を病に任せるだけなのだという。

 何と悲しいことであるのか。俺がかつて医者であれば話は変わったであろうか?そんなありもしない現実に空しい気持ちになった。


「私は澄隆殿が回復することを祈っております。ですが急ぎ返事をしなければならないことも事実。近く返事をさせて頂きます」

「待っております。決して私を哀れんでの返事だけはしないようにお願いいたします。大恩ある一色家を九鬼家のために潰すわけにはいきませんので」


 とりあえずは大井川城で昌友らと意見を交わさなければならないな。そして久とも。

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