盤石の同盟

357話 同盟強化の第一歩

 高遠城 一色政孝


 1574年冬


 江戸城からの長い旅路からようやく城に戻った。

 今回の戦いは本当に長く、そして辛かった。北条を包囲しているものの、包囲している者達も全員が味方同士では無いという、少し変わった状況だった。

 氏真様は今回の戦を以て、北条と決着を付けようとされていたのだから、当然包囲を形成している大名家との競争になるわけだ。

 佐竹が本格的に介入してくる前に、どうにか降伏に持ち込めたのは本当に大きかった。


「昌続、よくぞ城を守ってくれた。そして三峰館もな」

「いえ、この1年。こちらは本当に平和にございました」

「それは良かった。一応周囲に敵はいないと思ってはいても、確実では無いからな。みなの顔を見れた今、ようやくホッと一息吐くことが出来たわ」


 そして俺の隣に座る菊にも目を向ける。


「菊。俺がいない間何事も問題は無かったか?」

「はい。むしろ殿が留守の間は、誰にもこの地を譲らないと、みなの結束が高まったようにも思えます」

「それは喜ばしいことだ。三峰館の方も問題は無かったのだな」

「問題など。みな、随分と気を落ち着かせてあの館で暮らしております」


 多くの人質が集うあの館。万が一にも敵対する者に奪われた日には信濃衆がいっきに敵となることが考えられた。

 だから昌続と、一定数の兵をある程度こちらに残していた。


「それとな、菊に1つ言わなければならないことがある」

「私に、にございますか?」

「あぁ、菊にとっては重要な話であろう。昌続にも思うところはあるであろうから、そのまま話を聞け」

「かしこまりました」


 他にも主だった者たちがいるが、その者らに聞かれても困りはしない。すでに正式に氏真様が決定されたことであり、当事者たる立場の方達も了承をしている。

 あとはいつ、それが実際に行われるか。それだけの話まで来ていた。


「此度上杉家との同盟をより盤石なものとするため、正式に婚姻同盟を結ぶことが決められた。家中の状況を見て、外から迎えた養女を上杉様の正室とすることが決まったのだ」

「外から?今川様の元には子がおられますが」

「茶々様も五郎様も未だ幼い。かつての北条のように、適齢期になるまで人質として誰かを送る、貰うという手も一応あることにはあるが、今川家中でそのやり方にあまり好感を持つ者は多くないのでな」


 つまりかつての北条氏規のような立場が出来るということ。あの事件があったが、北条氏規が何事も無く駿河で過ごすことが出来たのは、圧倒的な存在感を持つ後ろ盾が家中にあったからだ。

 もちろん幼い当人が暗殺未遂事件に関与している可能性は限りなく低かったが、それでも疑いの目は向けられていた。いや、憎しみか?

 だが義元公の母である寿桂尼様が後ろ盾であれば、誰も手出しが出来ない。

 上杉に人質を出すにしても、この存在が上杉家中にいないため何かがあるかもしれないとみな慎重になったのだ。

 そうなると、やはり上杉景勝へ正室を送り込むことこそが最大限安全な状況を作り出すことが出来るという結論に至ったわけである。


「そこで勝頼殿の妹である松姫が抜擢された」

「松が?たしかにそろそろ嫁ぎ先を考えなければならない頃にございますが」

「そうだ。そして今川の人間では無いものの、甲斐武田の血が流れている松姫であれば外交上も問題ないと思われたのであろう。これを以て、武田との関係強化も進められる」


 まさに一石二鳥だ。


「して松はいつ頃越後に向かうのでしょうか?」

「早ければ来年、冬を越した頃になるのではないだろうか?またそれに合わせて上杉様は織田様との同盟も強化されるであろう。先日、織田様は近江の浅井家とも婚姻同盟を交わしたとのこと。我らも近く、浅井家との繋がりを持つやもしれん」


 京の公方を中心に、大きな包囲網が形成されつつあるという話も聞いているくらいだ。

 直接的に関係が無くとも、互いに結びつき合い強力な結束を固めていても損は無い。むしろ今後の事を考えれば、得だらけであると思われる。


「また菊にはあまり関係無い話にはなってしまうが、上杉様による越後支配強化の一環として佐渡島の領地化を手伝うように命じられている。だが一色から兵は出さぬ」

「余所者を越後国内に入れれば反発が起こることが考えられるからにございますね」


 重治の言葉に頷いた。


「その通り。だから俺から出来ることは、海で隔たれている佐渡へ向かう手段と遠距離から攻撃するための武器の供与を考えている。つまりは上杉家の水軍強化だ」

「なるほど、それであれば人を派遣するだけで済みますので反発は起こらないかと」

「むしろこちらの技術を提供するのだから、感謝されることである。送り込む者は輿入れを待たずして先んじて入れることを考えている」


 冬の間に船団の用意に着手して貰うべきだ。水軍など一朝一夕で出来るものでもない。準備期間はしっかり設けなければ、佐渡への介入は危険なものとなるであろうから、早くより人を送るのだ。


「しかし佐渡の領主である本間家は、上杉様に付き従っていたのでは無いのですか?そのように認識しておりましたが」

「俺もそうであると思っていたのだがな」


 昌続の指摘通り、俺も上杉家と本間家の仲は決して険悪では無いと思っていた。だが氏真様の話を聞く限りでとある疑惑が浮上したのだ。

 そもそも佐渡本間家とは、元は武蔵にその由来を持つ者達だ。武蔵七党と呼ばれる武士団の1つであり、横山党海老名家の分流である。ちなみに横山党という同族で言えば、前の関東出兵においてこちらに寝返った由良や成田などがある。

 その本間家がとある経緯により一族総出で佐渡へと移り住んだわけだが、それからしばらくした頃、総領家と分家で佐渡の覇権を巡って幾度も争いが起こるようになった。結果として総領家である雑太さわだ本間家は没落した。

 その後、佐渡の大部分を制したのが総領家と争った河原田家である。当然他の分家はこの支配に反発した。

 俺が佐渡家との関係がそこまで悪いものでは無いと思っていたのは、上杉家の先代当主である謙信が、両者の仲裁を行ったからである。結果としてその後も対立はあったであろうが、佐渡では長らく戦が起きていない。


「何かありましたか?」

「例の襲撃に本間家が関与している、かもしれぬ」

「・・・あり得ぬ話ではございませんね」

「だろう?だから氏真様は早々に上杉との関係強化に踏み切った。今、越後が揺らぐことがあってはならない。ましてや蘆名の介入などもってのほかだ」

「上杉様が越後統治に専念出来るようにするため、佐渡を抑えていただく。我らはそのお手伝いをさせて頂くということに御座いますね」

「そういうわけだ」


 そもそも越中との国境付近で、蘆名の手のものが襲撃をかけたというのはそう簡単な話では無い。

 蘆名領からの距離的にも、その襲撃地点の立地的にも。

 だから付近に協力者がいるのでは無いかという考えに至ったわけである。それが佐渡であれば、本間家であれば不思議なものでは無い。

 黒幕ばかりに目がいっていたが、協力者というか関与しているものにも目を向けるべきであったのかも知れない。おかげで一時であるとはいえ、越後は大きな混乱の中心となったのだ。


「本間家の当主は、河原田家出身の本間ほんま高統たかつなである。その男、未だ若いながらに悪知恵が働くとも有名であるようだ」

「我らが北を気にせず兵を出せるのは、越後の安寧あってこそ」

「その通り。だからこそ、出し惜しみはしない」


 出せる技術は全部出したっていい。大井川領でも水軍に関する研究は日夜行われており、技術提供した程度で俺達の強みが死ぬことなど決して無い。

 だからここは俺達の強みを晒してでも上杉には強くなって貰うと決心した。


「その送り込む者であるが、親元の異母弟の血族ではどうかと考えているのだ」

奥山おくやま高安たかやす殿らにございますか?ですがあの方は、親元殿の副官としての立場がございます。現在、指揮官としての立場を継承しつつある海里殿の補佐も任されておりますが」

「海里の補佐としての役目は、海里の夫である親時ちかときも請け負っているであろう。だがもし高安が抜ける痛手があるというのであれば、その倅を送り込む。あの者であれば水軍の技術を把握しておろう」


 親元もまた、歳を理由に第一線から離れつつあった。内政能力を示したため福浦の発展に努めているのだ。代替わりとして親元が指揮していた者達の頭となったのが娘の海里である。

 俺に仕えた頃よりその実力は認められており、親元の後は海里であるとされていた。長期にわたる親元の活躍の跡を継ぐのは大きなプレッシャーであったであろうが、夫の親時や他の者達の支えもあってどうにか上手く纏まってくれている。

 一色水軍の主戦力であるから、俺としても安心した。

 そして異母弟の血族とは、親元の弟であり親元に付き従い参謀としての役割を果たした高安の家系を指している。高安の子である高良もまた、親元と共に多くの海戦に出た経験を持つ。その知識を上杉にも伝えて貰いたい、そういう意味で言えば人材に不足なしと言えるであろう。


「話は戻るが、まずは俺達が両家の同盟強化の一歩目を踏み出す。今川家の今後を思えば失敗は許されぬ。俺達が成すべき事は、上杉家の佐渡平定が成功することを見届けることだけだ。その平定の失敗すら許されない。そのための支度をしばらくは進めることとする」


 この場にいた者たちが頭を下げた。

 そして俺は改めて菊を見た。


「菊、俺はそういった理由もあって大井川城に戻ることとなっている。とうぶんはあちらで過ごすつもりでいる。だが」

「はい。わかっております。私はこの地であの者達の生活を助けなければならない立場、殿に無理を言ってご迷惑をかけることはございません」

「すまないな。せっかく帰ってきたばかりだというのに」

「そのようなお顔をしないでください。私は殿が活躍される話を聞くだけで嬉しくなるのでございますから」


 広間より「姫・・・」という昌続の声が聞こえた。

 声が震えているのは、きっとその健気な菊の姿に心を打たれたのかもしれない。だが流石にこのまま大井川城に戻ることは気が引けた。

 雪が降る前にあちらに入れば良いのだから、もうしばらくはこちらにいよう。そしてできる限り、菊との時間を過ごすと決めた。

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