人物紹介④ (254話~356話)
★注意★
タイトルにある()内話数に登場する人物を書いています。356話まで読んでいただいている前提で書いているため、極力避けてはいますがある程度ネタバレも含んでおります。
まだ一切手をつけていない段階で、()内の話数を気にせず読まれる場合は自己責任でお願いします。
※名前横にある()は1560年のものとなっています。またそれ以前に亡くなっている・以降に生まれた人物に関しては西暦を書いておきます。
※基本的にはオリジナル人物のみの人物紹介です。ただし史実とはまったく違う動きをしている史実人物は紹介しておきます。
【一色家】
[本家筋]
・
一色政孝・久との間に出来た次子。父である政孝と顔を合わせたのは、一度大井川領に戻ったときだけであり、ほとんど面識の無い親子。
[一色分家]
・
兄である豊崇が一色家の菩提寺である縁東寺を継ぐと、還俗して一色政孝に仕える。
これまでの縁東寺が担ってきた功績が認められ、一色分家を名乗ることが許される。
・
新たに一色家の分家を名乗り始めた一色義定の子。1571年に小姓として政孝に仕え始める。
同時期の仕官では暮石屋の末子である黒石勘吉がいる。
・
一色昌秋の長子。1574年に政孝の命で、父が任されていた福浦城に同行する。昌秋の側近となった真田信綱に師事した。
福浦一色家の祖となる。
初陣は関東出兵の相模からの侵攻だった。
[一色家臣団]
・
一色四臣の一角である尾野道房の長子。1574年に尾野家を継ぐ。
福浦にて一色昌秋を支える。
・
尾野道房の次子。1574年に政孝の命により、林彦五郎の後任として一色村の代官となった小山房介の補佐に就く。
高齢を理由に一色村の代官を辞した彦五郎は福浦の地に移り、房介の代わりに福浦にて港・水軍関係を任された小山家利の補佐を命じられた。
・
一色四臣の一角である秋上佐助の長子。元服後は父と共にいくつもの戦に参加した。1570年に当主の座を譲られ、以降は政孝と共に信濃に移り上杉や北条と渡り合った。
[栄衆]
・
菊姫の侍女として1571年より側に仕える。年は菊と同じ位であるように思われる。
甲斐から出たばかりの菊には、大井川領にある物全てが目新しいようで、いつも振り回されていた。
現在は信濃の三峰館にて館の主となった菊を支えている。
・
当初定められていた任期を終えた初に代わって、久の侍女に任じられた。歳は20前後であると思われる。
初との別れを惜しんだ久ではあったが、美好との関係が悪いといった様子は無い。
【大井川商会】
[市川]
・
市川源左衛門の弟。信濃にある市川の商いを任されている。
越中・越後国境付近にて上杉政虎を襲撃した者達が雑賀の抱え大筒を用いていた事実が判明し、武器を黙って他国に流していた疑惑が出たため、それらを取りまとめていた市川の人間が政孝に呼び出される。近場であるという理由から、源四郎が呼び出されている。
その後の調査で黒幕が佐竹であったことが決定的となったため市川は信頼を取り戻した。
↓ここから史実の人物↓史実とは別の動きをした者が中心↓
【今川家】
・
今川氏真と市姫との間に出来た長女。側室となった早川殿との子も同時期に生まれており、そちらは男であったが市姫は特に気にしていない様子。
・
九鬼家当主である九鬼澄隆の長女。澄隆にとって初めての子であったため、溺愛された。
同時期に生まれた子として、今川氏真の子である茶々姫や五郎がいる。
・
松平家康の側室。今川一門の鵜殿長照の妹。
三河衆の結束を強化するために、氏真の命で家康の元に嫁いだ。1572年に史実より遅れて督姫(史実:北条氏直の正室)が生まれた。
・
松平家康と瀬名姫の長女。同母兄に松平信康がいる。
兄信康は、家康が今川家に再臣従した際に今川館に人質として出されたが、亀姫は岡崎城に留まった。
三河衆の1人である奥平信昌に嫁ぐことが決まっている。
・
木曽義昌と真理姫の間に出来た長女。
今川家に木曽家が単独で降伏した前年に生まれている。
政孝が信濃の上役として入った際、一部で人質の入替えが行われ、母である真理姫に代わって今川の人質となった。現在は真理姫の妹である菊姫が主とされている三峰館に滞在している。叔母にあたる菊姫との仲は良好。
【蘆名家】
・
伊達稙宗の娘。
会津を支配する蘆名盛氏に嫁いで、後の蘆名家17代当主となる蘆名盛興を生む。1561年に盛氏が嫡子であった盛興に家督を譲ったが、盛興が酒毒となり当主としての役割が果たせないと判断した盛氏によって当主の座は再び盛氏に戻った。
親子関係が不和という訳ではなく、むしろ良好であったが為の交代であったが、東姫は失意の内に1569年に死亡した。当主の交代は1568年のこと。
【山内上杉家】
・
長野業正の三子。和田山極楽院にて出家し、名を円良として父を供養した。
その後は兄である長野業盛を支える。
長野家が少数で信濃に侵攻した際には、単身政孝らの陣に乗り込み決死の交渉を試みた。
結果それが山内上杉家の今川臣従に繋がる。
【足利家】
・
足利義晴の娘。足利義昭の妹。
1574年に和泉守護に任じられていた三好義継への輿入れが決められた。
これは兄義昭による反織田への働きかけであり、断れない立場を持つ義継はこの婚姻を受け入れた上で、かつての家臣であり現在大和守護に任じられていた松永家もろとも義昭に従う。
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