352話 情緒不安定

 江戸城 北条氏政


 1574年秋


 思った以上に今川の動きが速い。

 僅か前に三崎城に上陸したかと思えば、一気に半島を制圧された。そして景宗らの報せにより、玉縄城の後方に上陸気配があるということを聞いて、居城である江戸城へと下がったわけである。


「成田家が降伏していたか・・・」

「武蔵北部からの侵入を許して以降、寝返りに降伏にと止まらぬ様子にございます」

「氏邦を当てようと思ったが、そうすれば下総の守りが手薄になろうな」

「氏規様の抱える負担が増えるだけにございましょう」


 幻庵の言葉は尤もである。これ以上弟達に負担をかけさせるわけにもいかぬ。

 だが・・・。


「水軍衆の景宗殿が、沿岸防衛のためにもう少し人を頂きたいと申されております」


 大藤だいとう政信まさのぶが人を伴って私の元にやって来た。


「沿岸防衛・・・。今いる者では足りぬか?」

「はっ。この戦が始まって以降、我ら水軍勢力は壊滅的被害を受けております。今は船に乗って戦うことが出来る者も希少な存在となっており、沿岸の防衛を務めることが出来るは、負傷し船上で戦えぬ者達ばかり。これでは満足な防衛策など練られませぬ」


 だがもう送ることが出来る兵などおらぬ。

 本当であれば優先して送るべき戦地の1つであるにも関わらずな。三浦半島が今川の手に落ちた今、江戸湾の防衛策は早急に練らねばならぬというのに・・・。


「殿、如何いたしましょうか?」

「分かっていよう、幻庵。これ以上送る人手など無い」


 ここ江戸城を守る兵も残りを僅かとしている。というのも相模での戦いが一気に動いた。

 各方面に兵を動かした結果、未だ余力を残していた今川の反攻が小田原城より始まったのだ。

 おかげで我らの小田原方面軍は大打撃を受けた。


「・・・景宗に伝えよ」

「はっ」


 遣いの者は私の言葉を察したのか、返事に力は無かった。いや、それは私も同じか。


「援軍は出せぬ。今ある戦力で対応するように」

「・・・かしこまりました。そのように梶原様にお伝えいたします」

「すまぬ」

「いえ。では失礼いたします」


 これでは景宗にまで見限られような。武蔵国で相次いで私を見限っている者達同様に。

 何のためにここまで無茶をしてきたというのか。全ては北条に在るみなの期待に応えるためであったというのに。

 氏邦は何も言わなかったが、彼奴には大きな荷を背負わせてしまった。養子として入った藤田の家を、自分を慕う者もろとも殺させてしまった。

 父も同じである。私には何も言わず、派手に裏切り者として死んだと思っているのであろうが、結局跡を継ぐであろう私を想っての御家騒動であったことは明白である。

 少し苦労したが、その後、北条の結束は随分と高まった。そして相模に接する武蔵を越後上杉家からも全土奪還することが出来た。

 北条家の重臣である綱成や幻庵も、父を慕っていたであろうに私に付き従いこうして今も終わらぬ戦を共に戦ってくれている。

 だと言うのに・・・。


「甲斐方面からの攻勢が強まり、氏照様が押されております。至急援軍を!」


 飛び込んできたのは氏照と共に甲斐方面の防衛を任じていた小笠原おがさわら康広やすひろであった。

 すでに傷だらけとなっている鎧より、彼の地の戦の苛烈さが想像出来る。


「あちらの戦況はどうなっているのだ」

「武田による攻勢は戦略的なものへと変化しております。遠距離兵器を多用し、悔しい話ではありますが効果的な運用に我らは手も足も出ませぬ。どうやら誰か別の者が指揮を執り始めたようで」

「そうか」


 だが氏照であろうとも返事が変わるわけでは無い。何度も言うが送り出す兵も割く兵ももはや居らぬのだ。

 援軍を求められようにもどうすることも出来ぬ。

 氏照はここまでよく戦ってくれているというのに、本当にすまないことをした。

 もう少し私が上手く戦うことが出来れば・・・。


「殿」

「すまぬ。考え事をしていた」

「お顔の様子が悪うございます。それ故に声をかけさせていただきました」

「問題ない。未だ攻撃の無い城にいる私が疲れを見せることなどあってはならぬことだ。そうであろう?」

「殿の心労具合、我らにはきっと計り知れぬものなのでございましょう。一概に殿のお言葉に頷くことは出来かねます」

「気を遣うでない。康広」

「はい」

「援軍は出せぬ。氏照には不利であると思えば戦線を下げても良いと伝えよ」

「・・・」

「もう行くのだ。こうしている間にも氏照らの兵は疲弊する一方である」

「かしこまりました」


 あれはもう駄目であろうな。氏照も私を見限ろうか、康広はそのように報告するであろう。

 頼りの無い当主であると思っているのであろう。

 だが如何すれば良かったというのだ。もはや我らは詰んだ戦を行っているのだ。

 このまま負け戦に興じるのは。だがこの次のことを考えれば、もう少し粘らなければ。


「殿、急ぎお伝えしたきことがございます」

「次は江雪斎か、如何したのだ」

「鎌倉御所が落とされました。また御所を包囲していた石巻いしまき康保やすもり殿、康敬殿がお討ち死にされたとのことにございます」

「何だと!?あの者らが死んだというのは真の話であるのか!」

「はい。鎌倉公方様に最後の挨拶をするため、御所に滞在していた私も一時捕らえられました。その際に今川方の人間に聞いたので間違いは無いかと思われます」

「康保、康敬・・・。私がいらぬ命を下したばかりに。そもそも鎌倉公方家など捨て置けば良かったのだ。にも関わらず・・・」


 私の落胆を余所に、幻庵は江雪斎に続きを諭した。


「鎌倉公方様はその後どうなったのであろうか」

「御所自体は今川家に占拠されておりますが、現状鎌倉公方様の身は無事にございます。戦が終わるまではその身を今川家で預かると」


 ドンっという鈍い音が数度、部屋の中に響いた。

 本当に無意識であったのであろうな。私は怒りにまかせて床を何度も殴っている。痛みはあるが、それよりも討ち死にしていった多くの者達の方がよほど痛い思いをしたのだ。

 私の身勝手な行いが、こうして私以外に返ってきているのだ。

 その責をどうとればよい?ここまでの被害を出しておきながら、自らは生き延び今川に頭を下げろというのか。

 いや、それも1つの選択肢ではあろう。そもそも戦が始まった頃より覚悟はしていたはず。私が恥じを晒してでも、守るべきものはある。


「それでも・・・」

「殿!気を確かに持たれよ。今すべきことは物に当たることではございませぬ」

「では如何すれば良いのだ、幻庵!私を慕ってくれていた者達が続々と死んでいるのだ!私は敵から一番離れた場所で、のうのうと生きている!どうすれば・・・」

「我らをお頼りくだされ、そのために長く殿のお側にいるのですぞ」

「お前達にまで私の重荷を背負わせることは出来ぬ!私は北条の当主として、全ての責と業を背負って戦わなければならぬ。それを他の者に背負わせるなどっ!」


 そんなとき、小姓の1人が部屋に姿を現した。


「次は何だ!如何したのだ!?」

「はっ、河越城の北条綱成様がおこしにございます」

「綱成が?」

「何やら大事な話があると」

「・・・わかった。通せ」

「はっ」


 綱成、あの者も城を枕に討ち死にする覚悟があると申しておった。だがその河越城を離れなければならないほどの事態が発生したというのか。

 何やら嫌な予感がする。これはまたも出来もしない覚悟を決めるときが来たのやもしれぬな。

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