353話 関東の雄、降る

 玉縄城 今川氏真


 1574年秋


 直に冬が来る。北条との戦を如何したものかと考えていた頃、その悩みの種である北条より遣いの者が寄越された。

 その者の名は板部岡江雪斎。現在の北条家にて他国への使者を任されている僧である。

 その者曰く、近く氏政殿が麻呂の元にやってくるという。それがつまりどういう意味かを分からぬ訳ではない。

 あの手この手を用いて北条を攻めていたが、まさか今年中にこのような展開に持ち込めるとは思うてもいなかった。

 そしてその日が今日であるのだ。


「氏政殿、随分と久しいの」

「まことに」

「その顔を見れば分かる。随分と苦労をされたのであろう」


 目の前に座るは真っ白な装束を身に纏い、最後に見た頃に比べて随分と老けた様子の氏政殿。周囲を敵に囲まれここまで劣勢の中、長きにわたって抵抗をしていたのだ。

 心労が顔に出ているのであろうな。


「私は何も苦労などしていない。むしろ私が原因で起きた無謀な戦に臨んだ家臣達の方がよほど苦労をしていよう」

「そうであろうか?麻呂には十分よくやったと思うがな」


 静かに顔を伏せた氏政殿。その頭は綺麗に剃り上げられていた。

 背後に控えるのは、江戸城より連れて来たのであろう北条幻庵と北条綱成ら数人の重臣達。それと江雪斎であった。


「して此度はどうして参られた」


 言わずともわかるが、ここにいるのは麻呂だけでは無い。共に相模にて戦った今川の家臣達が勢揃いしているのだ。

 氏政殿の立場と、北条の立場を明確にする必要があった。そのために麻呂は氏政殿を敗北の将として扱わねばならぬ。

 氏政殿もその辺り分かっておいでなのであろう。両手を畳にしっかりとつけ、深く頭を下げた。

 それにならうように背後の家臣らも頭を下げる。


「我ら北条は・・・、関東に展開している全ての地において今川様に降伏いたします。どうか私の首を以て、この戦をお収めいただきたくお願いに参った次第にございます」

「その言葉、麻呂に対してということで良いのだな?」

「はっ。そして、厚かましいお願いであることは重々承知の上で、我が家臣らが未だ戦っている下総を守っていただきたい」


 つまりはそういうことなのだ。

 氏政殿は我らに対して降伏をした。つまりは佐竹ら北関東諸大名との戦は終わりを迎えていないのだ。

 ここで北条の降伏を受け入れるのであれば、我らは佐竹や宇都宮、千葉や里見を敵として下総の地を守らなければならなくなる。

 しかしそれを成すことが出来れば、房総方面は大半を失っているが、それでも広大な関東の地を今川領内に組み込むことが出来るわけであるのだ。


「だがそれも踏まえるのであれば北条を麻呂の配下とするのに、氏政殿の首1つでは少々足りぬ。もう少しそちらからの譲歩が必要であろう」

「・・・他の者の首も必要であると?」

「そうは申しておらぬ。首などいくつあっても、その者が死ぬだけで残された者達には何も残されぬ。そんなものよりも、北条が今後麻呂を裏切らぬという確固たる約束が欲しいのだ」


 黙る氏政殿。果たして麻呂と同じ結論になるのか、いや、今の氏政殿ではたどり着かぬであろう。


「国増丸という者がおろう」

「私の次子の名でございます」

「その者を麻呂の猶子とし、北条の家を継がせよ。それで北条家の取り潰しは止める。もちろん国王丸は廃嫡、氏政殿と共にしばらくは山暮らしでもしてもらうとしよう。当然今川の家臣による監視下には置くが、しばらくはその地にてゆっくりされるが良い。そして北条家の家臣団も解散とし、以後は麻呂に仕えるもよし、他に仕えるも武士を止めるも自由にさせよ。それを守ることが出来るのであれば、北条の降伏を認める。もちろん下総に援軍を向けるよう、命を下す。如何か」


 これは大幅な譲歩である。

 一度は我らとの縁を切り、今川領を含め、多くの国に戦を仕掛け回った。何度目かの河東での戦いを経て、こうして長きにわたる決着を付けようというのだ。だがそれでも北条の名は、今川が滅ばぬ限り残り続けるであろう。

 氏政殿が望む最もよい答えはまさにこれなのだ。


「私の弟達は如何する。きっと従わぬぞ」

「誰の首もらいらぬと申したのは麻呂である。従わぬというのであれば、今後は好きにさせれば良い。だがこれだけは言っておく。北条一門の働き次第で、氏政殿が我らに対して犯した罪は軽くなる」


 背後の綱成と幻庵が僅かに表情を変えた。


「北条が降伏するということは、これまででも足りなかった人手が更に不足することである。使えるのであれば相手が誰であろうと麻呂は拒まぬ。例え麻呂を憎いと思っている者であっても、協力する意思がある間は今川の家臣として仕えることを認めるであろう」

「それは真の話なのでございますか?」

「二言は無い。氏政殿が今後の北条に口出しすることは出来ぬであろうが、再びこの乱世に返り咲く機会は与えるつもりでいる。国王丸にも同様にな」


 氏政殿はわずかに震えておった。顔を伏せているせいで、よく見えぬが喜んでいるのであろうか。それとも頭を剃ってまで示した覚悟を不意にしたと怒っているのであろうか。

 だが畳に落ちた涙を見て、泣いているのだと分かった。


「今川家中のことは気にせずとも良い。麻呂がどうにかまとめ上げる。今は憎しみや恨みを言うよりも、確かな力が必要なのだ」


 そして麻呂は背後に座る者達を見た。


「北条綱成、北条幻庵」

「「はっ」」

「その方らは麻呂に力を貸してくれるであろうか」

「殿の為、必ずやお力になってみせましょう」


 綱成はそう言った。あくまでその力は氏政殿の為に使うということ。だがそれでもよい。氏政殿が麻呂の手中にある内は、その身にむち打って働くことであろう。

 だが幻庵はしばらく黙っておった。


「老体の身なれば、これ以上働くことは難しいでしょう。故に今川様のお力にどれほどなれるかは分かりませぬが、城を任せている者達にはしかと言い聞かせておきます。それとこの老いぼれ、先代の当主様より殿の身を任されております。故に今後も殿のお供をさせていただきたく」

「小机衆が麻呂に従うというのであれば、それを認めよう。追って命じることとなるであろうが、それでも良いな?」

「それで十分。有り難き幸せにございます」

「さて、氏政殿。お二方は氏政殿の為、麻呂に力を貸してくれるとのこと。氏政殿は如何であろうか?」


 畳は涙で濡れていた。ずっと涙を流していたのは、何故か。麻呂には到底わからぬものである。

 だが春より氏政殿の人となりを何度も聞いた。かつて友好関係を築いていた頃は、こうして戦い合うなど想像もしていなかったが。

 春曰く、氏政殿は責任感が異常なまでに強い。そのせいで、いつも1人で抱え込むのだという。氏政殿のそんな姿を知っているからこそ、周りは協力するであろうに最後まで頼らぬのでそうだ。

 だからこそ、此度も氏政殿は1人で多くのものを抱え込んだ。自身は戦場に出ていないと言うが、ずっとこの戦に関して自分を責めていたのであろう。


「ここまで配慮を頂いて、断るなど愚かな話。どうか我が一族を、そしてこのような凡愚な当主を支えてくれた多くの者達をよろしくお願いいたします」

「わかった。では北条家の降伏を認める。十郎兵衛、各戦場に人をやるのだ。北条との戦を止めるよう。そして次なる敵は佐竹であると」

「かしこまりました!」

「それと政孝に伝えよ。古河城にある北条氏邦の助力をするようにな」

「ではそのように」

「北条の忍びもお使いください。その方が何かと都合が良いかと思います」


 十郎兵衛は頷くと、すぐさま姿を消してしまった。


「家康は未だ動ける三河衆を率いて江戸城へ向かうのだ。その後は国府台城に入り、北条氏規を助けよ。また水軍衆はすぐさま安房周辺の海域に船団を展開し、やつらの反撃に備えるのだ」


 勝頼殿にはしばしの休息の後、甲斐へと戻って貰うとしよう。仕方ないとはいえ、随分と厳しい役回りを任せてしまった。

 最後は氏俊の力もあったとはいえ、多少は武田家へ領地を分割しても良いであろう。十分に成果を示したでな。


「佐竹との和睦が結ばれるまで、各々油断せぬようにな。奴らは我ら今川を敵としてみている。それは疑いようのない事実であるのだ」


 里見の水軍が迷うこと無くこちらに攻撃を仕掛けて来おった。最初からこちらも信じていなかったため、返り討ちにしたとのことであったがつまりはこれからも同様のことが起きるであろう。

 北条との戦では無事区切りを付けた。次は佐竹よ、あくまで優位に終わらねばならぬな。

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