343話 連鎖する寝返り

 武蔵国利根川流域 一色政孝


 1574年春


 目の前にあるのは北条が少し前まで陣を張っていた場所である。今は見事なまでにもぬけの殻となっており、同じ場所に今川家の陣が張ってある。

 何故このような状況になったのか。

 理由は簡単だ。本庄実忠の寝返りをきっかけに北条内で連鎖的な寝返りが起きた。大部分が上野・武蔵国境の領主達であり、あの陣中でも敵味方が出来る異常事態になった段階で北条は撤退を開始したとのことだ。

 もちろん陣中で寝返った者達は継続した攻撃を加え続け、大きな打撃を与えたこととなる。


「殿にお目通りを願う方達が来られております」

「通せ」

「かしこまりました」


 重治が陣幕を上げると、数人の男達が一色の兵に囲まれた状況で入ってくる。

 全員鎧が泥だらけであり、中には大きな傷跡を布で巻いて止血している者までいた。


「此度のあなた方の判断、心から礼を言いましょう。おかげで迅速に武蔵国内に入ることが出来ました」


 入ってきたのは4人の男達だった。年齢はバラバラであるように見えるが、重治からの報告では尋常無く大きな手柄を挙げた者たちである。


「是非その名を聞かせていただきたい」


 4人はそれとなく視線を合わせて、一番右に立つ若い男から名を名乗り始めた。


「本庄城主、本庄実忠の名代として参りました。近朝ちかともと申します。高齢の父に代わって、ご挨拶をと思いやってまいりまいた」

「あなたが本庄殿でしたか。先ほどの北条の横腹をつく一撃は見事なものでした。おかげで不毛な時間を過ごすことなく、利根川を渡ることが出来た。改めて礼を言います」

「いえ、そのようなたいそうなことはしておりませんので」

「謙遜されますな。これは我ら誰もが認めておることにございますので」


 軽く頭を下げた近朝殿は半歩ほど身体を引いた。

 入れ替わるように少し前に出たのは、高齢の男だ。一番泥にまみれているが怪我という怪我はしていない。だが鎧の傷からその激しい戦いの様子がうかがえる。


由良ゆら成繁なりしげと申します。遅くなりましたが、我ら由良家も今川様の元で戦わせていただきたく、此度はこうしてお願いにやって参りました」

「先ほどの暴れっぷりは見事にございました。本庄家の方々と内外から上手く攻撃され、北条を混乱させることに成功いたしました。なので我が殿へ由良家が仕官できるようお願いすることは、もちろん喜んでさせていただきます」


 成繁殿はホッと息を漏らした。だが本題は他にあった。


「ですが私の元には人質として那波家の人間が居ります。今後はどうか上手くやっていただけるようお願いいたします」

「もちろんにございます。ですがそれはいらぬ心配にございましょう。確かに我らは上杉より北条へと那波家旧領を持ったまま寝返った身。ですが那波家の旧領を儂に任せたのは紛れもなく上杉様にございました。我らが那波殿に恨まれるようなことは万が一にもございますまい」

「なるほど。私の心配が杞憂に終わればよいのですが・・・」

「ですが確かにこうして新たに世話になる家に不和をもたらすわけには参りませんな。我らは極力善処いたしましょう」


 少々先行きが不安であるが、後々高広殿にも頼んでおくとしよう。那波顕宗は現在高広殿の家臣となっている。と言ってもほとんど身内のようなものであるが。

 だから厄介ごとだけは引き起こさぬよう、言い聞かせて貰わねばな。


「私は長尾ながお顕長あきながと申します。若輩の身ながら、足利長尾家の当主を任されております」

「この者は儂の三子にございます」


 補足を入れたのは、先ほど挨拶された成繁殿。


「縁あって長尾家に養子入りいたしました」


 ちなみに足利長尾家というのは山内上杉家に仕えていた一族だ。他に白井長尾家という一族もあり、両家で山内上杉家の家宰職を独占したりされたりを繰り返していたが、最終的には上杉憲政が越後に逃走した頃まで足利長尾家が家宰職を独占するに至った。

 その後は北条に降伏していたようだが、此度こうして俺達に味方してくれたらしい。とは言いつつ、実父の意向に従ったという感じも否めないが・・・。

 だが顕長殿が居城にて反旗を翻してくれたおかげで、足利長尾家と由良家の居城は無事守られた。そのように報告を受けている。


「北条からの攻撃を凌ぎ、我らの兵がたどり着くまで耐えていたと聞きました。よくぞご無事で」


 だがこの言葉に対する顕長殿の反応はあまりに微妙であり、どうしたことかと伺えば、


「由良家の居城である金山城へ兵を入れたところ、母に追い返されてしまいました。自分達の城くらい自力で守れず如何するのですか!と・・・」


 とのことだった。

 たしか成繁殿の妻と言えば、戦国時代最強の女武将で知られる赤井輝子と呼ばれる人物であったはず。

 高齢でありながら幾度も兵を率いて戦い、由良家を存続させた。そんなイメージを勝手ながら持っている。


「なるほど。して如何でしたか?」

「母は城に籠もる兵200を巧みに操り、奇襲に籠城にと見事なまでに北条を手玉に取っておりました。確かに私の力は不要であったように見えました」

「それは頼もしい限り」


 成繁殿がここにきて初めて微妙な表情で笑われた。妻のたくましすぎるエピソードにむず痒くなったらしい。

 しかし戦線を多く抱え込んでいたために寡兵であったとはいえ、北条もある程度は揃えていたはず。

 それをたった200で撃退してしまうとは恐ろしい方だ。由良家は言っても大国相手に寝返りを繰り返すような御家。しっかりと手綱を握っておかねば、いずれ骨の折れる城攻めをしなくてはならないような気がしてならない。


「某は成田なりた泰親やすちかにございます。本来であれば兄を説得してここに連れてこられればよかったのですが、それは成せませんでした」

「そう落ち込まれず。泰親殿が土産とした須賀城もまた利根川流域に位置する重要な城にございます。あの地が我らに味方したことは、渡河をしたばかりの味方にとって大きな安心を与えてくれます。それがどれだけ助かることか」

「ですがこの戦、すでに北条様は諦めておられるとも聞き及んでおります。もしこのまま兄が北条様に従い続ければ・・・」


 こちらに寝返ったのは生き延びるためであろうが、やはり北条に残った兄も心配であろうな。

 成田家の居城は忍城のはず。須賀城は忍城より北に位置しているはずであるから、間違いなく泰親殿の動きも把握しているであろう。

 忍城にて激しい抵抗をすればきっと助命も叶わない。複雑であろうな。


「泰親殿の働き次第で私が働きかけることがあるやもしれません。ただし成田家の当主様のお気持ち次第であることもお忘れ無きよう」

「もちろんにございます」


 全員が名乗り終えたが、それ以外にも武蔵国内では今川に与する動きが急速に広がっている。

 深谷城の城主である北条氏秀の家臣、上杉うえすぎ憲盛のりもりは自身の嫡子で親北条派であった氏憲うじのりを手にかけた上で城を乗っ取った。どうやら俺達と対峙していたのが北条氏秀であったらしく、留守を上手く突いた形となったわけである。ちなみにこの上杉憲盛は深谷上杉家の人間だ。

 そしてこの地より南西に位置する御嶽城主、長井ながい政実まさざねもまた寝返っている。だが彼の地は少々孤立しているため、早急に援軍を向かわせる必要があった。

 こうして見れば分かるが、此度寝返った者達の大部分はかつて北条と敵対していた者達だ。

 氏康や氏政の武蔵・上野への侵攻により渋々従っていたが、ここ最近行われていた北条家の無謀な拡張に反感を抱いていた者たちが、本庄家の寝返りをきっかけに続々と後に続いたということになる。


「私はあなた方を信じております。今後もきっと我らは同じ道を歩むであろうと」

「もちろんにございます」


 成繁殿が頷く。


「ですが言葉では何とでも言えましょう。言ってしまえばあなた方はこうして北条家という主家を裏切っているのです」

「行動で示せ、と言うことでしょうか?」

「顕長殿、まさにその通りにございます。知っておられるか分かりませぬが、我ら今川家は一度大きく傾いております。その際、家中は寝返りに独立に、と大きく混乱いたしました。もうあのような事が起きぬよう、この点だけは徹底していなければならぬのです」


 はっきりと俺が今川家の弱みを晒したことで、僅かながらに沈黙が流れた。

 最初に口を開いたのはやはり成繁殿。


「ならば証明いたしましょう。我らがどのような覚悟を持って、今川様に御家を託そうとしているのか」

「楽しみにしております。皆様方にはこのまま我ら本隊と共に行動していただきます。目指すは深谷城。憲盛殿を救援いたしましょう」


 御嶽城は長時殿らに任せている。高広殿らは由良・長尾の居城を救援後、そのまま佐野家の援軍へと向かわれた。

 このまま一気に南下してしまいたいところ。立ち止まってしまえば、きっと北条の狙い通りになってしまう。

 タイムリミットは、きっと無いと信じたいが小田原城が奪取されるまで。それまでに武蔵の北部を大部分制しておきたいところだ。




 室町第 足利義昭


 1574年春


 名を先日改めた。ようやくこの地位が安定したが故に、気を引き締めるためである。

 そんなある日、誰かが今日も予の元に来たようだ。


「鎌倉より使者の方が参られました」


 柳沢元政は使者を1人だけ連れて予の元へとやって来た。三好の反攻を凌いで以降、外の人間はこうして人数を絞っておる。

 そうでもしなければ危なくて、迂闊に顔を見せることも出来ぬのでな。


「鎌倉公方、足利義氏様より遣わされました。簗田やなだ晴助はるすけと申します」

「うむ」

「・・・」

「・・・」


 使者として通された者は、目を逸らさずに予の目をジッと見ておった。


「そう警戒せずともよい。関東に予の威光が届いておらぬことは知っておる。故に鎌倉公方がその地の安寧のために力をふるっておるのであろう」

「その通りにございます」

「して、此度はわざわざこのようなところまで如何したのか」

「はっ!鎌倉公方様は関東の民が不憫であると深く悲しんでおられます」

「今川が北条へ攻め寄せたことであろう」

「はい。ですが北条に攻め寄せたというのは、まさに口実。実際は鎌倉公方家を滅し、公方様の意向の届かぬ地を己の気のままに統治することが目的にございます。そのようなあまりに身勝手な話に関東の多くの民を巻き込むことを、鎌倉公方様は悲しんでおられるのでございます」


 予でも分かる。これは予を利用しようとしている目である。

 だがそれよりも何よりも、今川が好き勝手にやる方が我慢ならぬ。あやつらは予の厚意を無下にしおった。

 織田と共にな。

 せっかく我が幕府にて仕えさせてやろうと言ってやったのだが、その立場をまったく理解せずに管領も管領代も断って来おったのだ。

 予に恥を掻かせたこと、決して許すことなど出来ぬ。


「予が両家の戦を止めよう。それで義氏は満足なのだな?」

「はっ!その通りにございます」

「だがただで助け船を出すわけにはいかぬ。その方らは予が上洛を決めた際、中立を貫いておったこと、分かっているでな」

「・・・もしご助力いただけるのであれば、関東において公方様のご意志を反映させることが出来るよう、必ずや鎌倉公方様を説得いたします」

「誓書を書いて、そこに血判を押せ。もし実現出来なければ、その命を以てして償うのだ。よいな?」

「かしこまりました」


 だがあの恩知らずの今川が予の命を素直に聞くとも思えぬな。織田が予の命に従うのであれば、いくらでもやりようはあるのだが、そう期待通りの働きなどアレはせぬであろう。

 であるならば方法は1つしかあるまい。


「元政、紙と筆を用意させよ」

「はっ」

「今であればまだ間にあうであろう。予が一筆書く。今こそ将軍家に恩を返すときである、そう言ってやればあの男は間違いなく動く。これで鎌倉公方家も安泰よ」


 さぁ、政虎よ。予のために働くがよい。

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