342話 一色家の十八番

 上野国利根川流域 一色政孝


 1574年春


「この先にある利根川を渡れば、最初の攻略目標と定めている金窪城となります」

「だが奴らもまた俺達の行動を見抜いていたということだな」


 利根川の向こう側にはすでに陣取っている北条であろう兵達が待ち構えていた。だが問題は北条では無い。

 ここ数日の降雨で増水した利根川の方だ。


「流石に渡れぬな」

「橋を架けさせようにも、対岸には敵兵がおりますので。よい的にされるのがオチでしょうか」

「ならばやるべきでは無い。まだ戦も始まっていない段階で、こちらだけが被害を被るなど馬鹿げている」


 俺は全軍に対して行軍を止めるよう命じた。

 高広殿は佐野家を攻める北条の横腹を突くよう命じており、人手は更に減っている。

 憲景が兵を出してはいるものの、頼りになるのかと言えば何とも言えない。そちらで計算に入れることが出来る戦力は、長野家くらいか。


「仕方ない。奴らの士気を挫くところから始めるか」

「かしこまりました」

「それと調略を進めておきたいところであるが、相も変わらず風魔の妨害が止まぬようだな」

「はい。栄衆を動員するも、上手くこちらから仕掛けるに至ってはおりません」


 重治は悔しげにいった。調略を仕掛けることが可能な環境であるのであれば、もっと北条内を混乱させることが出来るというのに。

 だが忍びの対策を俺達がするのは難しい。

 だからこそ忍びは俺達相手に優位に立ち回ることが出来るのだ。こればかりは相性や信条の違い。

 栄衆の得意分野を考えてみても、忍びの相手をさせるには少々荷が重いように感じた。


「ですがこの地より東に位置する本庄城の城主である、本庄ほんじょう実忠さねただという人物がこちらに・・・、というよりは山内上杉家に与したいと申しております」

「・・・珍しいな。いやそれは失礼な話か」

「はい」


 重治は苦笑い気味に頷いたが、どうしたってそう考えてしまう。今や落ち目の山内上杉家に与したいとは。随分と変わった思考をしている、と。


「だが本庄がこちらに寝返ろうというのであれば、それほど嬉しい話もなかなかない。ただでさえこちらの調略が上手くいっていないのだ。状況の打開に繋がりそうだな」

「そう思い、承諾しております。時期を見て我らが合図を出せば、城から北条の背後を突くとのことです」

「わかった。本庄の扱いはとりあえず俺が預かる。だが状況が状況だ。上杉家が今後どのように俺達と接するかによっては、本庄家への対応も考えなくてはならない。慎重に決めることとする」

「かしこまりました。ではそろそろ先ほどの支度を進めておきます」


 重治が出ていきしばらくすると、今回ともに行軍をしている小笠原おがさわら長隆ながたか殿がやってこられた。

 かつて俺が信濃入りしたときに、長時殿と共に挨拶をされた小笠原家の嫡子である。


「政孝殿、周辺を調べたところここより上流には、渡る余裕がある場所がいくらかあるようにございました。ですが大々的に兵を動かすことは止めた方がよいかと」

「それは承知しております。全軍が、もしくは大部分が上流に向かえば北条も同様に兵を動かしましょう。永遠に渡れない状況が続いてしまいますから」

「父からの伝言にございます。背後にいる兵を一部預けて貰いたい」

「背後?となると憲景様ら上杉家の兵ということになりますが?」


 だが長隆殿は首を振った。


「必要なのは長野業盛殿らだけにございます。あの方々であれば少数であったとしても、十分に戦力となりましょう。逆に多くの兵を連れて行けば、万が一の際に上野に侵入されてしまいます」

「なるほど。我らに対する配慮だったのですね。いらぬ疑いを持ってしまいました」


 役立たずは連れて行けない、という意味かと思った。そう伝えたところ長隆殿は分かりやすい笑みをこぼす。

 どうやらその通りだったらしい。

 しかし長時殿も豪胆なものだ。

 まさか少数の兵で川を渡って既に待ち構えている北条に奇襲を仕掛けようなど。


「ではそう憲景様に伝えましょうか。直にそちらに長野家の者達が行くことでしょう」

「策を採用いただいて感謝申し上げます。それと政孝殿は今後どう動かれるおつもりで?」

「まずは正面を切って川を渡ろうと思っています。ただこの水量に加えて対岸を抑えられていては、渡ろうにもどうにも出来ません。故にまずは奴らの中に乱れを生もうかと」

「乱れ、にございますか?ですがどうやって」

「飛び道具は一色家の十八番ですので」


 なるほど、と長隆殿は分かりやすい表情で頷かれた。

 言わずともわかる俺達の十八番。それは火縄銃に抱え大筒、そして現状最長の飛距離を誇る攻城用大筒。

 大量に雑賀より購入し、まだ信濃衆には普及出来ていないものの、車輪を取り付けある程度の移動を可能とした最新版である。


「支度、整いました」

「よし、では早速やるとしようか」


 長隆殿を伴って俺達は外へと出た。

 ズラッと岸に並べられた大筒は、まさに圧巻の一言に尽きる。そしてこれらは全て暴発などしない、正真正銘の雑賀産大筒である。


「景里、支度は整っているか?」

「はい。いつでも」

「では一斉に放て。まずは敵の度肝を抜いてやれ」

「はっ!」


 景里は並ぶ大筒の中央部に立つ。ある程度離れたところには大砲隊に任じている者達が等間隔で並んでいた。

 そして大筒に寄り添う者達。この者らは火縄銃隊では無い。

 すべてこの大筒の運用をするために任命した者たちである。


「用意!」


 遠くの方から「用意!」と声が聞こえてきた。さて、いよいよだ。


「放て!!」


 再び遠くの方から「放て!」の声が聞こえてくる。

 だがその声をかき消すかのように轟音が鳴り響き、いくつもの大砲から弾を射出する。

 飛距離を求めすぎているために、精度なんてまったく気にしていないそれらの多くは川の中に落ちて高い水しぶきを上げた。

 わずかに対岸からどよめきのような声が聞こえる。


「敵は動揺している。一気にたたみかけよ。次はもっと奥を狙え!」


 俺の声にならうように、各地で「奥を狙え!」と聞こえてきた。

 先ほどは対岸に1発も届いていない。残念ながらな。だがそれでも奴らに恐怖を与えたはず。

 次は直接的に恐怖心を煽る。

 撤退にさせられずとも、弱腰にさせることが出来れば万々歳だ。


「さすがにございます」

「そうでしょう?これが1つあるだけで戦を終わらせることが出来ます。誇張でも冗談でもなく」

「たしかに。もはや刀や槍で戦う戦は終わったのでしょうか」

「さてそれはどうか・・・。ただ間違いなく、戦の終わりが来ることはとうぶんありません。武芸を磨いておいて損は無いかと」

「それもそうです。さて、敵が狼狽えている様を父に報告しなければ」

「長野家の件はお任せを。すぐにそちらに向かうよう手配を進めます」

「お願いいたします」


 長隆殿は護衛を従えてこの地より西の陣へと帰って行った。

 その後も継続して大筒の攻撃は対岸の北条を襲う。何発か陣内に命中しており、かなり慌てさせた事実は確認済みだ。

 だが奴らが撤退する様子も無かった。


「奴らも耐えるな」

「たしかに被害を出しているように見えますが・・・」


 直政は目をこらしながら敵陣を見ている。そう、確かに被害は出ているはずなのだ。

 それに今回は味方を巻き込む心配が基本的に無い故、遠慮無く撃ちまくることが出来る。その点を踏まえても、かなりの被害があるはず。にも関わらず、だ。

 敵はいっこうに退く気配を見せないでいた。


「仕方ないな。本当はここを抜けてから命を下そうかとも思っていたが」


 北条は間違いなく寡兵だ。戦線を抱えすぎたために、主戦場と定めているであろう小田原方面以外は人員の配置が足りていないとみている。

 つまり突くべき穴は多く存在しているというわけだ。


「高広殿に南進を命じよ。上手くいっているのであれば、そのまま佐野家に接する北条領を奪取するのだ」

「かしこまりました」


 時忠は使番の支度をするが、流石に厩橋城までは距離がある。

 高広殿が実際に攻撃した、成功した、失敗したという報告が俺の元に届くのは大分先の話であると予想する。

 つまり結局のところどうにかして俺達はこの状況を打開する必要があった。

 でなければ時間をただ潰すだけになってしまう。


「東西からの南進はおそらく一定の成果を出すはず」

「本庄城を寝返らせましょうか?さすれば後退せざるを得ないかと」

「だが俺達が渡れなければ、奴らは孤立して最悪死ぬこととなる」

「では如何いたしますか?現状我らがこの川を越える手段など持ち合わせてはいませんが」


 重治の言葉も尤もだ。俺だってそれを考えた。

 だがせっかく寝返りをした将をただ死なすだけの結果に終わるリスクというのはそれなりに大きい。

 というよりも間違いなく今後に響いてくるだろう。

 氏政に不満を持っている者達が、一色政孝という男はその者らをその戦におけるただの道具としか見ていないと思われる方が都合が悪いのだ。


「・・・」

「どうかご決断を」

「長時殿らが渡るのを待つのも1つ」

「我らが圧をかけなければ、返り討ちに遭うやもしれません」

「・・・そうだな。確かにそうだ」


 大きなリスクではあるが、上手くいけば大きなリターンをもたらす。

 一か八かの賭けではある。だがやる価値は確かにあった。


「わかった。重治、本庄城へと合図を出せ」

「かしこまりました」

「奴らが本庄の対処に動いた瞬間こそが最大の好機。みなにその支度をさせよ」

「かしこまりました!」


 重治と時忠は頷いた後、2人で相談しながら外へと出て行った。

 残る直政は緊張した様子で俺を見ている。


「今更緊張か?」

「いえ、ですがそのような殿のお顔を初めて見ましたので」


 直政の指摘に思わず俺は顔を触った。だが特に変顔をしている様子も無い。

 改めて直政に視線を向けると、申し訳なさげに頭を下げている。


「俺は今どのような顔をしている」

「はい。・・・とても迷っているように見えました。ですが今の私になど到底分からぬほど大きなものを背負っておられるのが殿にございます。それ故私には、未だ殿のお気持ちが読めずにおります」

「迷っている、か。誰にもそのようなこと、言われたことは無かったな」

「では初めて迷われたのでしょうか?」


 そのようなことは無い。俺だってこれまで何度も迷った。何度も何度も。

 自信を持って戦をしたことなんて正直あまりない。俺が最前線に出ずとも誰か知り合いが死ぬと思えば、ただ城で待っているときも心が苦しくなった。

 俺のことを人では無いと言った者たちもいたが、俺だって好き好んでそのような行いをしているわけでは無い。そう、しているわけでは無いのだ。

 いつの間にかこの世界の常識が当たり前になってきている感覚はあったが・・・。


「直政」

「申し訳ございません」

「いや、今の言葉は俺を初心に戻してくれた。少し感覚が麻痺していたようだ」


 困惑した様子であったが、俺も内心困惑している。

 それも今の戦が落ち着けば考えるべきかもしれない。最終的な目的に邁進しすぎて、本来の俺を見失っていたのかもしれないな。

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