341話 開戦

 上野国平井城 一色政孝


 1574年春


 氏真様は上杉憲景が北条の支配から脱却出来るよう、春を迎えると共に武蔵国武田領と小田原方面から北条方の城へと攻め寄せられた。

 そして時を同じく、俺達は上野の平井城へと兵を進める。

 この城は上杉憲景の居城であり、かつては憲政もここに入っていた。

 そんな山内上杉家にとって重要な城は、現在今川家信濃衆により埋め尽くされている。

 これは機を見て北部からも北条に対して攻勢を仕掛けるためであった。


「武田領より進軍しております、細川様と諏訪様は順調に東に進んでいるようにございます。武田家もまた態勢を整えておりましたので、守りの薄い彼の地で負けることはそうそう無いかと思われます」

「それはよかった。とりあえず一安心といったところか」


 俺はこの周辺の地形を頭に入れつつ、他方面の侵攻具合を遅延を感じつつ聞いていた。

 小田原方面は流石に北条の守りが堅いようだ。やはり北条としても本拠の奪還は未だ諦めていないということであろう。

 だがそんなことは想定済み。動員出来る内、大部分を小田原城やその周辺の城へと入れている。簡単に突破はできずとも、簡単にこちらの城を落とされることも無いと予想出来た。


「また噂では里見や千葉も動いているようにございますが、佐竹と宇都宮は動いていない様子。何かあったのやもしれません」

「何か、か。あるとすれば共通の敵を持つ者同士で結びついた、ということくらいか」

「となれば蘆名、もしくは伊達でしょうか?」

「蘆名だ」

「断定されますか」

「する。奴らもまた佐竹に低質な火縄銃を掴まされた、謂わば俺達や雑賀衆同様に被害者。恨む気持ちがあってもおかしくはない」


 そうなれば蘆名がどこと同盟を組もうとするのか。

 越後上杉家の混乱も含めて、間違いなく北条と組むことこそが最善である。少なくとも今の蘆名には北条としか組めない。


「上杉家は会津方面の守りを固めていると聞く。そうなれば迂闊な介入は果たせぬであろう。ならば次に狙うは南に目を向けている佐竹や他の大名達。元々蘆名と佐竹、加えて伊達家の国力は似たようなものだ。そこに北条が参戦するとなれば、間違いなく佐竹は南北の攻めに耐えられぬ」

「なるほど。佐竹が動かぬは、これまで越後にしか目を向けていなかった蘆名が東側に目を向けたからである、と」

「俺はそう考える」


 重治は頷きながら、いくつかの紙の束を俺に手渡した。

 すべてが厳重に包まれており、重要なことが書かれているのだと容易に想像出来る。


「・・・差出人は佐野家か」

「どうやら此度は我らに味方するようにございます。佐竹とは縁を結ばない代わりに、今の佐野家の領土を今後侵さないように、とのことです」

「あくまでこちらに付く気は無いということか」

「もし他に大きな家が出て来たときはそちらになびくということでしょう。しかしこれが佐野家がここまで生き延びてきたやり方ですので、文句など言えぬ訳です」


 重治の話を聞きながら俺は中身を読み進める。

 佐野家当主である佐野さの宗綱むねつなは、北条に対して敵意を示し一部の北条兵を佐野領に釘付けにすると提案してきていた。

 堅城と知られる唐沢山城の他、多くの支城を抱える佐野家はどの城も要塞と称されるほど城の守りを固めている。

 これは佐野家の敵が誰になっても良いように、全ての方面に手を入れた結果である。そして佐竹同様に火縄銃の普及に力を入れているのも佐野家の特徴だ。

 引き付ける間に、北部に位置する俺達が南下するようにとのこと。


「まことであろうか」

「これまでの生き残り術を考えれば、こうした判断もおかしなものではございません。もし此度も北条に味方するつもりであるならば、すでに上野と武蔵国境に兵を出しているかと」

「やはりそう思うか」


 北条が崩れれば、居城が落ちずとも加担した佐野家も終わる。

 そうならぬ為に先んじて手を打たねばならぬ。特に佐野家のような難しい立地に位置する者は。


「内密に唐沢山城へ人を送れ。此度に関してはよい味方でありたいものだ、とな」

「かしこまりました。そのように」


 重治が出ていき、待っていたかのように北条きたじょう高広殿が入ってこられる。


「北条もここまで来ると脆いものよ」

「そうだな。どこもかしこも穴だらけだ」

「危うく負け馬に乗るところであったわ。先見の明があったのであろうな、俺にも」

「全ては運が良かったようにも思えるが?」

「・・・悪く言えばそういうことよ」


 高広殿はばつが悪そうに顔を背けた。

 だが俺の正面に腰を下ろすと、地図を指さす。


「この地に俺を派遣しろ。さすれば未だ憲景に協力的では無い者達を動かしてみせよう」

「この地?」

「かつては俺が取り仕切っていた地域一帯だ。そして北条の御家騒動の最中、俺に付き従って北条に味方した者達が未だに多く残っている」


 自信満々な様子でそう言いきった。

 だが俺にはどうしても即答出来ない理由がある。それは高広殿とその一族のみが政虎に許されて越後に戻ったこと。

 残った者たちは憲政によって随分と酷い目にあったと、今は大井川領で道場を開いている主水に聞いたことがある。もしかすれば恨まれている可能性があることを考えれば、そう易々と彼の地へと高広殿を送り出すことは出来ない。

 万が一刺されでもすれば、せっかく良好な関係を築きつつある今川家と山内上杉家の関係はたちまち悪化することであろう。


「そう心配せずとも良い。すでに手回しは済んでいる」

「一応聞くが、表沙汰になったとき大きな問題にならぬのであろうな」

「ならぬ。と思っている」

「・・・」


 そういう場合、だいたい碌な事にならない。相場がそうだと決まっている。


「何、もし俺を殺そうとしていれば返り討ちにして北条のせいにしてやるわ」

「理想でならば何とでも言えるであろう」

「俺ならばそれを実行するだけの力を持っている。知っておろう」


 あくまで自信は満々だ。

 だが確かに信濃衆も二分していることを踏まえれば、山内上杉家にも極力兵を多く出して貰わなければ、北部からの侵攻に迫力が欠ける。

 つまり今この戦に乗り気では無い者達を動員する必要はどうしたってあるわけで。


「わかった。だが決して油断だけはするな。今は誰も欠けるわけにはいかぬ」

「わかっておるわ。そうならぬようにの手回しであろう」


 ひとしきり笑った高広殿は颯爽と部屋を出ていった。これから厩橋城の方へと向かうのだろう。そしてかつての仲間達を従えて俺の前に来たとき、それは大きな力となるであろう。

 あまり期待はしていないが。


「さて直政」

「はっ!」

「直に戦だ。最初は俺の側を離れるな。その目に今川の戦を焼き付けよ」

「かしこまりました」

「初陣であるな。緊張しているか?」

「いえ、むしろ気分が昂ぶっております」


 そう言った直政は、たしかに嘘をついているようではない。

 本当に、心から初陣を心待ちにしていたのだと思った。


「そうだ。俺はお前にこれを渡そうと思っていたのだ。戦の際には側に置いておくがよい」


 俺は先日、雑賀の火縄銃を1つ買っていた。

 直政が初陣を果たす日に渡してやろうと思ってだ。


「それ1つあれば敵を威嚇することが出来る。1人であれば葬ることも出来る。全ては使い方次第、火縄銃の取り扱いは一色家の得手であると心得よ」

「これを私に、にございますか?」

「そうだ。この重さは俺が直政にかけている期待であると思え。今はまだ振り回されるであろうが、いずれは立派に取り扱えると信じているからな」


 おそるおそる手を伸ばした直政に、火縄銃を渡してやった。

 未だ発育途中の背格好では少々火縄銃の方が大きい。だがいずれはこれを慣れた様子で扱う日も来るであろう。

 その日が楽しみだ。


「かしこまりました!殿の期待に応えることが出来るよう、より一層精進いたします」


 両手でしっかりと握る。火縄銃を眺める双眸はやる気で満ち溢れている。頼もしい限りだ。

 きっと今頃小田原方面より昌秋らも出陣しているであろう。次の世代を担う者達を伴って。


「殿、支度が整いました。出陣の時にございます」

「わかった。佐野家の事も念頭に入れつつ、俺達は武蔵国北部の主要な城を落とす。全軍にそう通達せよ」

「はっ」


 重治が再び出ていけば、直政はすでに覚悟を決めた様子で俺が立ち上がるのを待っている。


「さて、では初陣を果たすとしようか。直政よ」

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