344話 幕府の使者

 小田原城 今川氏真


 1574年春


「鎌倉公方様より遣わされました。相馬そうま整胤まさたねと申します」

「・・・何故鎌倉公方様が麻呂の元に使者を寄越されたのか、いまいち話が分からぬのであるが、その理由を尋ねてもよいだろうか?」

「はっ。どうか関東から全ての兵を退いていただきたくお願いに参った次第にございます」

「何故その願いを鎌倉公方家がする。本来であれば北条がすべきことでは無いのだろうか?」


 整胤はしばらく黙った後、ゆっくりと口を開いた。

 

「此度のお願いに北条様の関与はございません。鎌倉公方様はただ関東の民が犠牲になることを憂いております。全てはこの地に暮らす多くの民を守るため」

「なるほど。確かにそれが鎌倉公方様の務めでありましょうな。鎌倉公方としての本来の務めを果たしておられることに安心した」

「・・・」

「・・・」


 続きを待っていた整胤は固まった。だが麻呂からこれ以上言うことは無い。

 かつて将軍家との約束にあったとおり、我らは北条との戦に関して幕府の介入はないものとして約束を交わしている。

 たとえ将軍が代わったとて、その約束に変更が無い限りは有効であるという認識であった。当然そのことを今の公方様が知っているとは思えぬが。


「改めて言っておくが麻呂は北条と戦をしておる。そしてその北条こそが関東の民を疲弊させている元凶であるのであろうと見ておるのだが、鎌倉公方様はそうでは無いとお考えであるのだな?」

「もちろんにございます。北条様が御家騒動を無事解決され、相模・武蔵の統治を開始されて以降、両国は非常に落ち着いております。現在民が疲弊しているのは、周辺国による介入が止まぬ故にございます」

「なるほど。麻呂にも確かに心当たりがあるの」

「そうであるのであれば、此度は関東から兵を退いていただきたく」


 整胤は明らかに油断しているのだな。声色が変わったように感じた。

 だが当然、麻呂達がその言葉に従うことは無い。


「ふむ。鎌倉公方様のお気持ちはわかった。後は麻呂達で話し合う故、鎌倉へ戻られよ」

「・・・ここで撤退のご意志を聞かせていただけ無ければ、部屋を出ることは出来ませぬ」

「であるならば整胤殿はこのまま鎌倉に帰ることは出来ぬな」

「今川様!何故にございますか!?」

「麻呂達はもはや退けぬところまで来ておるが故よ。ここで北条との戦は終わらせねばならぬ。これしか今川を守る術が無いのだ」


 北条は間違いなく疲弊しておる。武蔵ではすでに寝返りが相次いでおるようであるし、直に政孝よりよい報せが届くであろう。

 そして武田領より武蔵の西から進む勝頼殿も順調に兵を進めていると聞いておる。多少は小田原方面に展開していた者達が向かったと聞いてはいるが、それでもこちらの負担があまり変わらぬと感じているのだ。

 気持ち程度の援軍を動かしたと思うべきである。ならば我らが兵を退くことは間違いなく愚策。

 これまでに無いほど手応えがあるのだ。

 そしてそれはおそらく佐竹らも同じであろう。東への進出を目指す麻呂達からすれば、次なる敵であると予想される佐竹や他同盟国が北条領を得て大きくなりすぎることが、今最も望まぬ事なのだ。


「鎌倉に戻られよ。これ以上ここで話そうとも何も起こらぬ」

「後悔されますぞ」

「後悔?今の鎌倉公方家に麻呂を後悔させるだけの力があると?」

「京の公方様に停戦をお願いしております。直に京より使者が参られましょう。すでに両家の仲は険悪になるつつあると伺っております。これ以上関係を悪化させることは」


 なるほど。北条はついに京の公方様の力を頼ったか。

 そして間違いなく公方様は停戦へと乗り出されるであろう。幕府の権威を他の大名に示すため。

 そして麻呂達に対する嫌がらせのために。


「整胤殿、そなた何かを勘違いされておるようであるな」

「・・・勘違いにございますか?」

「麻呂も幕府に思うところが多少あれど、今後はどうでもよいのだ。最早公方様も麻呂をアテにはせぬであろう。同族であるとはいえ、縁など切れているとさえ思っておる」

「何を・・・」

「麻呂は幕府に対して配慮する気など無い。すれば今川が滅びる。我が父亡き後、何度そう思わされたことか。故に京の公方様が何と申してこようと、北条が直に頭を下げてこぬ限りこの戦は終わらぬ。そう鎌倉公方様に伝えられよ」


 絶句した様子の整胤であった。


「泰朝、整胤殿のお帰りである。見送りをせよ」

「かしこまりました」

「やっ、まだ帰ることなど出来ませぬ!」

「これ以上、そなたと話すことはない。まことに有意義な時間であった。だがもうこうして話し合うことも無かろう。少なくとも麻呂にはな」


 抵抗を試みる整胤であったが、城の者達が数人で取り囲むと、直に諦めて部屋から退出していった。

 隣の部屋で話を聞いていた御方が、静かに襖を開けられ顔を覗かせる。


「さきほどの話、本心なのであろうか?」

「本心にございます。少なくとも、今の幕府に麻呂が忠義を示すことは無いかと」

「あくまで"今の"、であるのだな?」

「そうでなければ、あなた様を匿う真似などしませぬ。今川家が今後、幕府に関わらぬ気でいるのであれば、あなた様の存在は我が家に不利益しかもたらしませぬので」

「それを聞いて安心した。今後は心穏やかに過ごすことが出来るであろう」


 先代の公方様であった義助様は、どこか安心した様子で麻呂の目の前に腰を下ろされた。

 此度はお忍びでの動向である。一部の者しかこのことを知らぬ。


「そうしてくだされ」

「そうさせてもらおう」


 しかし幕府の介入は決定的であろうな。武力を持たぬ故、他の手段を講じてこようが、果たしてどのように介入してくるのか。

 まったく北条も厄介な真似をしてきたものよ。先に子らを逃してきたことから、すでに覚悟を決めたのかとも思ったのだがな。

 まだ悪あがきを続けるというのか?まったく氏政殿らしくも無いの。


「ただ・・・」

「氏真殿?」

「いえ、改めて覚悟を決めることが出来た。それだけにございます」


 何者にも今川の行く末を委ねるわけにはいかぬ。特に幕府には。




 春日山城 上杉景勝


 1574年春


「私が上杉景勝である」

「急な訪問にご対応いただき感謝申し上げます。公方様より遣わされました、一色いっしき藤長ふじながと申します」

「公方様の使者殿が、何用で上杉家に参られた」


 今は将軍家に構っている暇は無い。

 領内の統治は順調であるが、それと同時に外敵からの侵攻に備えなければならぬときなのだ。

 下らぬ話に付き合っている暇はあまりない。


「上杉様は関東で現在起きていることをご存じでございましょうか?」

「知っておる。今川家と北条家が武蔵・相模を巡って戦をしておるのであろう?それに加えて北関東の諸大名らも北条を攻めていると聞いておる」

「その通りにございます。実は先日、京に鎌倉公方様より人が寄越されたのです。関東の民が疲弊しており、そのことを鎌倉公方様は憂いておられると」

「そうであろうな。北条は連日、多くの大名家に戦を仕掛けては成果を上げられずにいた。民が疲弊するのも当然であろう」


 藤長は私の言葉に口を閉ざした。何か言いたげであったが、私の両家に対する評価は、公方様と同じでは無かったようだ。

 だがそれも当然であろう。

 例え今川に非があろうとも、最早私はそれを認めることが出来ぬ身。

 むしろ共にその道を歩むであろう。同盟国としてな。


「上杉様は過去に何度も関東に住まう者達を救うため、関東へ出兵されたではございませんか?此度もどうか関東の安寧のため、兵を出していただくことは出来ませぬでしょうか?それが此度の当事者である北条様や今川様を救うことになるのです。今川様とは政虎様のこと、信濃のことで深い溝があることは存じておりますがどうか!」

「先に申しておくが先日、養父ちちは名を謙信と改めておる。それと何か勘違いしておるようであるが、上杉と今川にそのような深い溝など存在せぬ。どこで掴まされた噂を申しておるのか知らぬが、勝手なことを吹聴せぬようおすすめしよう。更に言うのであれば、養父は先日、公方様にお許しを得た上で関東管領職を辞しておる。最早我らが関東に介入する必要も無いかと思うが」

「関東管領職に任じた上杉憲景様はあろうことか、今川家に与して関東に兵を出されております。そのような御方を関東管領と認められませぬ。そう公方様は申されました。異例のことではありますが、再び関東管領を越後上杉様に任じてもよいと申されております。ですがそれよりも上杉家と今川家との関係の悪化は無いと申されるのですか?」

「信濃の大部分を今川に譲ったのは、上杉の統治に限界を感じた故の事。越中を織田に譲り、能登から手を引いたことも同様である。養父の一件もすでにその黒幕に目星はついておる。我ら上杉は、織田家・今川家と同盟を結ぶことで越後の安寧を手にしたのだ。これ以上、他家のことに構っている暇は無い。お力になれぬ故、京へ戻られよ」


 まことに何の成果も無い会談であった。

 藤長は多少抵抗をしておったが、最期には家臣らに引きずり出されるように部屋から連れて行かれた。残ったのは秀治と兼続である。


「殿にしては随分と言葉を発されていたようで」

「おぬしらに任せてもよかったのだがな。あのような重要な話であれば、私から言わねば信じぬであろう」

「ですが公方様が信じられるとも限りませぬ」

「そのために織田家との同盟を結んだのだ。越後に何かを仕掛けるのであれば、北からしか無くなった。南は今川家が山内上杉家を味方として武蔵方面で押しているようであるからな」


 藤長が持ち込んできた公方様からの書状は、跡形が無くなるように破っておいた。

 同盟に亀裂を生じさせるようなもの。例え私が呑まなかったとはいえ、これがあるだけで疑いを持たれることはあるであろう。

 先んじて処分しておかねばならぬ。


「兼続、これを後ほど燃やしておくのだ。その後は誰の手にも渡らぬよう、灰もばらまいておくようにな」

「かしこまりました」

「うむ、ではその方らも少し休め。直に新発田領へと向かう」

「かしこまりました」


 さて、京の公方様より会津の蘆名をどうにかせねばならぬな。早々にあの三国がぶつかり合わぬものか。

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