332話 幕府の価値

 今川館 一色政孝


 1573年冬


 氏真様に佐竹の不審な動きを報告した後、先日起きた武田領佐久郡への侵攻騒動の顛末を説明した。そしてその際に交わされた会話も全て報告する。


「憲景殿は北条と距離を取りたがっておるか」

「そのように聞いております。ですがそれを聞いたのは、今山内上杉家の中央より遠ざけられている長野家の方からなので、真実である証拠もありませぬが」

「ふむ・・・。しかし長野業盛であったか?肝が据わっておるな。佐久郡の守りが手薄なうちに出陣すれば、武田は間違いなく政孝を呼ぶであろうと読んでいたわけであろう?そして交渉の場を持つために、少数の味方と共に敵領内深くへと進軍するとはな」

「長野からすれば憲景様の信頼を回復するための重要な一手であったのでしょう。失敗すれば死、というのはそれだけ追い込まれていた証であったのやもしれません」

「であろう。して先の話になるわけであるな?」

「はい。その交渉の場で聞いた限りでは、佐竹を中心とした北関東諸大名は近く北条へ攻めかかる支度をしているとのこと。それを機に北条から離れるよう声をかけられたようにございます」


 ただまぁ、憲景がこれほど美味しい話に2つ返事で了解しなかったのは、佐竹や宇都宮と山内上杉の間にある佐野家の存在があるからであろう。

 あの地の動きは全く読めない。

 北条家の御家騒動の際にも、戦火を目前としながら中立を貫いて元々の領地を維持している。

 だが北条との距離は近く、政虎が関東へ兵を出したときは氏康と共に抵抗している。更に言えば、居城である唐沢山城は政虎を以てしても落とすことが出来なかった堅城だ。

 敵に回せば厄介であることは目に見えていた。


「だが我らを頼って来たと言うことは嬉しい話であるな」

「それだけ我らが周辺国に対して影響を与えているということに御座います。今後も似たようなことは起きるでしょう」

「たしかにそうである。だがな政孝、逆もまた然りなのだ」


 氏真様は一枚の書状を俺に手渡される。

 受け取り中を確認。差出人は、かつて俺が伊豆で戦っていた頃に里見家の家督を継承した里見義弘だ。


「・・・共闘関係を白紙に戻すとあります」

「元よりあってないようなものであったが、今後は敵対することも辞さないという表明であろう」

「果たしてこれが佐竹の影響なのか、それとも我らと利を分け合うことは出来ないと判断したか、にございますね」

「そういうことである。この件も含めて伊豆における水軍の強化を図ろうと思っておる。九鬼澄隆には伊豆の最南端一帯を領地として与え、その周辺の島々を今川家で支配する」

「澄隆殿はまさに大出世にございます」


 だが俺の言葉に対して、氏真様の表情は優れなかった。何かあったのだろうか?


「その澄隆であるがな、ここしばらく体調を崩しておると、嘉隆より人が寄越された。高熱にうなされておる故、無理が出来ぬ、と」

「では先ほどの計画は」

「里見が敵になる危険があることを考えれば、水軍の強化を行わぬ訳にはいかぬ。今は麻呂が嘉隆に命じて、九鬼家の当主代理をして貰っておる。先の計画も嘉隆によって進められるであろう」

「なるほど・・・。そのようなことになっていたのですね」

「うむ。そして政孝にも命じておく。一色の領地である福浦も、海からの攻撃に備えておいてくれるか。あの地も今や一大拠点となりつつある。北条にしろ里見にしろ、落とされたときの被害は計り知れぬ」

「かしこまりました。ではその地を任せている者達に命じておきます」

「うむ。頼むぞ」


 昌秋の報告では、一応海上も警戒しているとのことであったが、さらに備えをさせておくとしようか。

 里見が敵になったことで、伊豆水軍と互角かそれ以上に戦える安房水軍が出張ってくることも十分に考えられるからな。


「話は逸れるがもう1つ大きな出来事があった」

「大きな、にございますか?」

「京で起きたことを知っておるか?」

「京?いえ、しばらくは越後や上野のことで手一杯であったため、何も聞いてはいないのですが・・・」

「麻呂も信長殿からの文でしか分からぬのだがな、畿内の勢力図が大きく変わったとのことだ」


 義秋が入京を果たした後、将軍宣下が行われ義秋が15代将軍として正式に認められた。京を追い出された足利義助は、信長の敵として有名な本願寺の顕如を頼って石山へと向かった。

 俺が知っているのはここまでだ。

 その後、兵の大部分を連れて美濃へと信長は帰った。その隙を突くように三好長治は石山より兵を出す。

 和泉や河内の南部は三好義継や松永久秀が守っていたため、不意打ちのような形であったとはいえ、そこまで押し込まれるような事態にはならなかった。

 だが問題は山城だ。

 というよりも摂津にあったという方が正しいか?


「信長殿による摂津平定時に降伏した池田家や伊丹家は快進撃を見せる三好に再び従った。やはり和田惟政では彼の地を治めることは出来なかったという事よ」

「織田様にお任せしておけば三好家や本願寺勢力が山城まで侵入する無かったかと思いますが」

「朝廷内でも同じ考えが飛び交っており、すでに幕府に対する不満は膨れ上がっておる」

「全く上手くいっていないようにございます」

「であるな。だが公方様は九死に一生を得られた」


 信長が美濃に戻る際、一部少数であるが兵を残していた。京の警備を名目にしていたが、それはあくまで口実。いや、事実警備としての役割を果たしていたのだから、ある意味当たりか。

 少数の織田家臣と丹波赤井家による懸命の防衛で、信長が率いる本隊と浅井長政の到着が間に合った。その後瞬く間に山城から摂津へと三好長治らを追い出す事に成功する。


「これも読むが良い」


 そう言って再び書状を差し出された。今度のは相当に分厚い。

 差出人は織田信長の名である。


「・・・足利義助様の身柄を今川家で預かるのでございますか?」

「うむ。政孝と入れ替わりになるように、織田家の者が参っておった。名ははやし通政みちまさと申しておったな」

「林、にございますか?」

「うむ、何でも義父である林秀貞が高齢であるということを理由に、代理として参ったのだという」

「なるほど。秀貞殿の縁者にございましたか」


 たしかに秀貞殿ももういい歳であろう。史実ではあと7年後くらい先に突如として織田家を追放されているが、今回は果たしてどうなるか。


「・・・織田様はまたとんでもないことを考えられております」

「麻呂も驚いたわ。だが正直に言えば、今のまま行けば幕府は終わりを迎えよう。それも公方様自身の責によって。これを見てみよ、すべて公方様からの書状であるぞ」

「・・・拝見しても?」

「構わぬ」


 大量に投げ出された書状。中から1つ、ランダムに選んで手に取った。

 中を確認すれば、かつて見せて貰ったものと酷似した内容が書かれていた。だが明確に違うことは、織田家の悪評では無く明確な敵意である。


「これが織田様に伝わるとは思わぬのでしょうか?」

「思っておってもやらずにはおれぬ、それが足利将軍家の性なのやもしれぬ。もしくは、麻呂自ら言うのは少々恥ずかしいものであるが、それだけ今川が大きくなったということであろう」


 つい先ほどした会話を思い出されながら、どこか気恥ずかしそうな表情でそう言われる。


「それも一理あるのでしょうが・・・。まさか我らに織田家の背後を突け、とは」

「そのようなことをすれば今川は間違いなく滅びる。北条と織田に挟まれてな」

「将軍になった後も前もあまり変化が無いようで。なるほど、織田様がこのような事を申されることも理解出来ます。そしてここ数年失態が続いていた幕府を未だ見放していないということも」

「麻呂はてっきり幕府を滅ぼすつもりであると思っておったが、どうやら見えていたものが違うようであるな」

「ですが確かにこれまでの武家支配の仕組みを大きく変えれば、他大名家からの反発は必至にございます。我ら一同、すでによく歳をとりつつあることを考えれば、決して不思議な選択で無いかと」


 時間をかけられないと考えているのは俺も信長も同じであったらしい。

 義助を再び将軍としてまつりあげ、その後ろ盾を信長がやる。俺も影ながら応援し、三好とは違う盤石な幕府支配を作り上げる。

 義助であれば、ある程度形が整っていれば上手くやるであろう。あとは幕臣を如何するか、その点が重要であろうな。


「麻呂は受け入れると返事をしておる。海路を用いるよう提案したのだが、今川領の発展をその目で見たいと申されているようでな。いくつかの城を経由しながら、この地へと迎え入れるよう話を付けてある。岡崎城、吉田城、引馬城そして大井川城である。政孝、義助様が駿河へと入られるまでは大井川領に留まるのだ」

「かしこまりました。精一杯のお出迎えをさせていただきます」

「うむ、他の者達にも先ほど人をやった。だがあくまでその身分を隠してのことである。その点だけ気をつけよ」

「はっ!」


 しかし何故織田領で匿わなかったのか。俺達を巻き込むためか?それとも別に目的が・・・。

 僅かに唸った後、とある答えにたどり着いた。あくまで予想ではあるが、その目的が何であるのか。

 なるほど、信長はやはりよく考えている。

 義助もまた義秋同様に信長の手駒となるのであろうな。果たしていったい誰がこの仕掛けに気がつくことが出来るのか。

 いずれ分かることか。

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