333話 1年ぶりの帰郷

 大井川城 一色政孝


 1573年冬


 正月を間近に控えていたが、俺は一度大井川城へと戻っていた。

 出迎えに来た昌友と少し話をした後、予め招集していた者達を俺の部屋に呼ぶように伝えておいて分かれる。

 そのまま久の部屋へと向かえば、中から可愛らしい、だが元気な泣き声が聞こえてきた。


「ご苦労であるな、美好。して今、中には誰がいる?」

「皆様お揃いにございます」

「わかった。入るぞ」


 美好が襖を開けると、中には頭を下げて待っている久と虎上がいた。

 その側には未だ泣き止まぬ赤子と、余裕の表情であやしている母もいる。


「お帰りなさいませ、旦那様。お出迎え出来なかったこと、まことに申し訳ございません」

「俺が良いと言ったのだから、気にする必要は無い。虎上も元気そうで安心した」


 頭を上げた2人にそう声をかける。

 だがそんな様子を不満げな表情で見ていたのは母だ。先ほどまで赤子に夢中であったと思ったのだが、どうやら俺がいることには気がついていらしたらしい。


「久しく会う母には何もないのですか?」

「母上もお元気そうで何よりにございます」

「そうですね。こうして孫を何人も抱けるとは思いませんでした。あなたは随分と遅い方でしたからね」


 すでに泣き止んだ赤子は、母の腕の中で小さな寝息をたてて眠っていた。随分と安心している様子を見るに、よく久の元にやってきてはこうしているのだろうと予想が付く。


「旦那様にお会いする前に眠ってしまいましたか」

「そうだな。だが鶴丸や豊よりも俺を父だと認識しておらぬであろう。こうして顔をあわすのは初めてなのだからな。少し不安だ」

「旦那様は毎回同じ事を申されております。そう心配せずとも松丸は人見知りをしない子にございました。最近は庄兵衛にも可愛がられております」

「庄兵衛は何をしに城に来ている?俺もおらぬというのに」

「世間話にございましょうか?色々な話を子らにしてくれます。それを楽しげにみな聞いておりますね」


 久は思い出すように話してくれた。

 ちなみにだが、生まれたのは先ほど久が言ったように松丸。つまり男だ。俺も高遠城にいた頃、久からの文で伝えられていたため、どちらであるかを知っていることには知っていた。顔を合わせるのは今日が初めてではある。


「していつ頃信濃にお戻りになられるのでしょうか?」

「そうだな。とある客人が美濃より来られる。それがいつになるのか分からぬ故、まだはっきりとは言えぬな。だが信濃のことは重治や義定らに任せておる故、そう心配はしておらぬが」

「なるほど。ではそのお客人が来られまではゆっくりできるのですね?」

「やることは昌友より生み出されるであろうがな」


 久や虎上はその情景がすぐに浮かんだのか、おかしげに笑った。

 重治は自らやりたいというタイプで、俺に回ってくる仕事は最低限で済むのだが、昌友はしっかりと仕事を割り振ってくる。

 久方ぶりの仕事量を思えば、笑うことなど到底出来はしない。


「それでそのお客人とはいったい?旦那様が留まらなければならないほどの御方ということでしょうか?美濃からということは織田様の御一門の方であることも考えられます」

「いや、織田家の方では無い。だが気を遣う相手であることに違いは無いが、今はまだ口に出来ぬ。改めて日取りが決まれば、その時に伝えようと思う」


 その名を口に出すことを躊躇っていること自体は3人に伝わったようで、それ以上は何も聞かれなかった。


「それと虎上」

「はい。何でございましょうか?」

「虎松のことであるが、1年遅くなりはしたが俺がこっちに残っている間に元服を果たさせようと思っている。その後は信濃に連れて行く」

「かしこまりました。しかしようやく虎松も元服を果たすことが出来るのですね」


 ホッと胸をなで下ろすような仕草をした虎上。


「あぁ。待たせてすまなかったな」

「いえ。それに待っていたのは私よりもきっと虎松の方でございます。会う度に一色様のお力になると随分息巻いておりましたので」

「頼もしい話だ。だがまだ力になる日は先になるであろう。その前に色々覚えねばならぬ」

「虎松ならば大丈夫ですよ。しっかりした子にございますから」


 久がそう言うと、同調するように虎上も頷いていた。


「話を切ってしまうようで申し訳ないのですが、ここ最近時宗の調子が悪いようです。あなたと会えば元気になるかもしれません」

「そうなのですか?ですが高遠城の方には何も知らされておりませんが・・・」

「時宗がみなに口止めしたのですよ。殿の足枷になるわけにはいかない、と。ですがあなたがここにいるのであれば何も問題はありません。こちらにいる間に見舞いに行ってあげなさい」

「かしこまりました。後ほど時真とともに氷上の屋敷に向かうとします」

「それがよいでしょう」


 その後も雑談を続けたが、外の廊下に誰かが来たことで俺は話を切り上げた。


「また後ほど来る。一度昌友らとも話しておかねばならぬのでな」

「お待ちしております。その時には松丸と挨拶が出来れば良いのですが」

「あぁ、楽しみにしている」


 外に出れば高瀬が待っていた。


「高瀬か」

「この部屋の側に男衆が来るのはよろしくないとのことにございます」

「昌友がそう言ったのか?」

「はい」

「わかった。気遣い感謝する。それで全員揃ったか?」

「皆様お揃いにございます」


 高瀬の格好は多少商人時代よりは落ち着いたが、相も変わらず華やかなものであった。

 港ではよく視線を集めているのだという。

 それもまた慣れたと、以前届いた文には書いてあったな。まったく頼もしいものだ。


「ここに来るのも懐かしい。俺の部屋であるはずだが」

「私は頻繁に来ておりました。殿のお部屋がほこりまみれになるなど許されぬ事ですので」

「助かる。本当に高瀬は気が利くよい子だ」


 俺の後ろを付いてきていた高瀬から、何やら強烈な視線を感じた。すぐに後ろを見たが、とくだん何かしているわけでは無い。

 俺の勘違いだったようだ。

 部屋に入るために障子に手をかけたとき、慌てた様子で高瀬が開けてくれた。中には昌友を筆頭に、今回俺の帰城に合わせて呼び寄せた者達が集まっている。

 三河の一色村と伊豆の福浦。そして大井川領の重要人物。

 その者らが所狭しと俺の部屋に集まっていた。


「勢揃いだな」

「お久しぶりにございます。お元気そうで我ら一同安心いたしました」

「俺もお前達がみな元気そうで安心したぞ。それに元気なだけでは無い。随分と各々が活躍してくれているようではないか」


 この部屋にいるのは、大井川城を任せている昌友と、福浦城を任せている昌秋。一色水軍のまとめ役である小山家房。一色村の代官を務めている林彦五郎。商人達の長である染屋熊吉。それと高瀬に俺を含めて合計7人だ。

 この面子をわざわざ集めたのには理由がある。

 一色家が直面している大きな問題を解決する為の重大な話をするため。それと畿内と関東のことも一応共有しておかねばならぬであろう。

 もうじきどちらでも新たな動きがあるはずだ。

 その際には今いる面々の働きがきっと重要になる。

 定位置に腰を下ろした俺は、早速話し合いに移ったのだった。

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