319話 馬鹿げた話
信濃国小県郡某所 一色政孝
1573年春
「まるで馬鹿げている」
馬に跨がる俺はそう呟いた。
後ろに従う重治は、何も言わないものの小さく何度も頷いている。何故俺が呆れているのか、それは先日立て続けにやって来た幕府からの使者が原因であった。
使者は2度とも摂津晴門という男だ。
わざわざ2度も何をしに遠き駿河へとやってきたのか。それも小田原城にて、北条の侵攻を警戒されていた氏真様を今川館に引き戻してまで。
「1度目の使者は管領代に。2度目の使者は管領にと、でしたか?」
「そうだ。かつて三管領と呼ばれた一族はことごとく力を失っている。義助に従う細川、三好と幕府の混乱を日和見した結果義秋からの信用を失った畠山、行方知れずの斯波。義秋が三管領という慣習に倣わなかったことは評価しても良いと思うが、よりにもよって氏真様に要請されるとは」
「まこと馬鹿げております」
これまで頷くのみで口には決してしなかった重治すらも、そう吐き捨てるほどには馬鹿げた行いをしている。
しかも何が俺達に対して余計に不快感を残したのか、それは晴門の態度である。己が政所執事の代理になることで気が大きくなったのか、異常なほど不遜な態度で交渉に臨んできたようだ。
そのことを氏真様は注意されたようだが、特にそれに関する謝罪も無かったとのこと。
「かつて御一家と呼ばれた家も残るは吉良家のみ。それも三河にて家康の配下として残る吉良義安だけ」
御一家筆頭である三河吉良家は東条・西条という2つの家に別れていた。
西条吉良家当主であった吉良義昭は、東海一向一揆で今川を裏切ったために一色で捕らえて首を刎ねている。
対して東条吉良家当主である吉良義安は、家康が独立騒ぎを起こした際にそれに従って東条城に籠もっていた。それも俺達の手で捕縛するに成功したが、その後の和睦交渉にて解放している。
家康が再度今川家に臣従した際、氏真様の命で東条吉良家と西条吉良家の統一が言い渡され、三河吉良家は再び1つの家として吉良義安が継承したというわけだ。
「他二家はすでに御家を潰しております」
「石橋はかつて信長と対立し、尾張に持つわずかな所領すらも失った。渋川は国府台の戦いにて当主が里見方に討たれて、残された者達は帰農した、だったか」
「そのように言われております」
「であれば余計に吉良家やその傍流である今川家の持つ意味は大きくなると思うのだが」
「三管領という仕組みを無視された公方様の事です。きっと御一家に関しても同様に考えられているのやもしれません」
「そうだな」
今向かっているのは小県のとある城。名を葛尾城といい、かつて村上義清が居城としていた城である。
現状は上杉領であるのだが、今は完全に武装解除がされているとのこと。上杉顕景に呼び出された俺は、万が一に備えて昌輝殿や頼忠殿の兵合わせて3000を率いて葛尾城を目指していた。高遠城には義定を残し、俺に万が一のことがあった場合はすぐさま長時殿や藤孝殿、その他重要な地域を任せている方々に信濃侵攻再開の遣いを出すように命じてある。
「しかし結局上杉景虎は越後に留まりましたか」
「さすがに越後の民とはいえど、冬場の攻城は堪えたようだ。攻めきれずとも明らかに劣勢となる景虎を見て、多くの者達が顕景を次期当主として支持した」
「結果従うだけであった信濃の諸将は、上杉様のご命令により武装を解除されたと」
「未だ何があるか分からぬ故に、警戒するに越したことはないが一応は安全であると思っても問題は無い。だが油断だけは決してさせるな」
さらに背後を進む時忠に伝えた。時忠は気を引き締めた表情で頷くと、背後の兵に何やら命じている様が俺の元からでもうかがえる。
「高広殿から、越後国内での調略は順調であるとも人が寄越された。何やら他にも上杉に対して不満がある者を引き連れてくるようだ」
「・・・それは喜んでもよろしいのでしょうか?」
「今はまだ何とも言えぬ。だが今回の交渉ではその辺も加えて話していこうと思っている。少しこちらも譲歩する必要が出てくるだろうがな」
「譲歩、にございますか。あちらはあまり強気に出ることが出来ぬ立場であるが故、そうそう無茶な要求は無いでしょうが」
「だが家中の者をこちらで預かりたいなど、普通は認められるわけが無い。外に漏らされては困ることを握られていれば、国内のなんやかんやが筒抜けとなりかねない」
「はたしてどうなることやら」
重治は眉間に皺を寄せて、これから行われるであろう会談を憂いた。俺も多少緊張こそあれど、そう悪い結果になることは無いという確信はあった。
何故か?そんなことわかりきっている。顕景が越後上杉家の大半を掌握したことで、俺達が同盟を組むメリットは非常に大きなものとなったわけだ。
越後統治に専念したい顕景にとっては他国の敵対勢力に対して牽制する、または脅かす力を持つ我ら今川家は喉から手が出るほど欲しい同盟相手のはず。
そこまで期待されるほどの力は持っているつもりであるし、信濃の大方全土を手に入れることが出来れば、それだけこちらに意識を向けることも可能であると思う。
それらの根拠の元、多少は強気の交渉をしても許されるであろう、そう考えてはいるわけだ。
「ですがあまりこちらに従おうという者はいないようです」
「北信濃の者達は、やはり多くが上杉家に対して恩がある。そう簡単に主を変えられぬか」
「そういうことにございましょう。ですが1つだけ、1つだけ気になる者がおります」
「気になる者?重治、お前がそう気にかけるほどのか?」
「はい。ですがこちらはいずれ話させていただきましょう。まだどうなるかは分からぬ先の話にございますので」
「・・・わかった。またいずれその話は聞くとしよう」
「お願いいたします」
未だ肌寒い信濃である。早く葛尾城に入りたいと思うものの、今いる場所は前の戦で昌輝殿が一番深く侵攻するに成功した長窪城周辺。
一度長窪城にて休憩を取った後、もう少しの道のりを再び歩き始めることになっているが、まだ距離があることは予想される。
「にしても遠い、遠過ぎはしないか?」
「殿が申されたのでしょう?先日はわざわざ遠き道のりを来て頂いた故、今回は上杉領内でも構わない、と」
「そうだが、もう少し近くを指定されると思っていた」
「それは殿の見通しが甘かったことにございます。葛尾城と言えば北信濃でも重要な城とされる場所の1つ。指定の候補地として十分に考えられました」
「先にこちらから提案しておくべきだった。さすればこのような長き道のりを進むことはなかったのだがな」
距離的に言えば半分を超えたのかすらも分からない。未だ先の見えぬ道のりにため息を我慢することも忘れてしまう。
「寒い上に遠いとは」
「仕方なきことにございます。じきに長窪城へと到着いたしましょう。一度ゆっくりと疲れを取っていただき、再び葛尾城へと進むのです」
「・・・そうするとしようか」
またため息がこぼれた。
さすがに上杉との国境最前線である。迂闊な話は出来ないし、たわいも無い話だけで暇を潰すには限界がある。
重治も相当気を遣ってくれているようであるが、やはり段々と言葉数が減ってくるものだ。
「無の境地とやらを開くとする」
「警戒だけは怠らないようお願いいたします」
「分かっている」
馬に揺られる俺は、そのような状況においても新たな何かを得たような気がした。
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