320話 身に覚えの無い疑惑

 葛尾城 一色政孝


 1573年春


 葛尾城についたとき、すでに上杉家の交渉役である秀治殿は到着していた。会談の部屋に通された俺だったが、今回は正真正銘今川家と上杉家の公式の会談となる。

 城の周りは万が一に備えてしっかりと兵で固めてあり、会談の舞台となる部屋の周りも両家の護衛やら関係者が敷き詰めている状況であった。

 そんな中、部屋に入ることが許されているのは交渉を任せられている俺と秀治殿、そして補助としてそれぞれ1人の入室が許されている。

 俺が連れているのは重治であるが、秀治殿の背後に控えているのは元服を済ましたかどうか、それくらい未だ幼さの残る男。


「お久しぶりにございます。そして家中統一に関して、大勢が決したことおめでとうございます。我が主に代わってお祝い申し上げます」

「ありがたきお言葉にございます。主に代わってお礼申し上げます。ですが後継者としてのお立場を顕景様が家中で認められたとはいえ、未だ越後国内には親北条派は残ったままにございます。その者達をどうにかしないうちは、越後の混乱が終結したとは言えません」

「たしかに。ですが今回の同盟が成ることとなれば、我らとしても様々な支援を用意させていただくつもりにございます」


 最初の挨拶はここで一度終わりを迎えた。

 改めて軽く挨拶を交わして、その後は正式な会談へと移っていく。

 だが今の俺には気になることが1つだけあった。それは秀治殿の背後に大人しく座っている少年の存在。

 いったい誰であるのか、それが未だに明かされていない。


「会談に移る前に1つだけ」


 俺の視線が背後に向いていることに気がついたのだろう。秀治殿はわずかに身体を横にずらすと、その少年は少しだけ前に身体を滑らせて出てくる。

 そして深く頭を下げた後、名乗りを上げた。


「樋口兼続と申します」

「この者は顕景様の側近の1人である樋口家の嫡子にございます。いずれ上杉家を支える1人になることを期待されておりまして、此度は勉強のために私が同行させていただけるようお願いしたのです」

「樋口・・・、樋口ということは兼豊殿のご子息ということにございますね?であれば期待されることも納得にございます」

「よくご存じで」


 僅かに秀治殿の視線が鋭くなったような気がした。だがそれ以降、特に何かを言うような感じでもない。

 何か分からぬ以上、あまり口に出来ぬ事なのか。深く探りを入れて不快感を覚えられれば、この同盟にヒビが入りかねない。個人の感情で家の大事が左右されるようなことは無いと思うし、上杉もそのような感情的な者を送り込んで来てはいないと思うがな。だがそれでも一応気にかけておくべきだろう。

 にしても樋口兼続か。直江を名乗るきっかけとなった御館の乱は、現状のまま進めば起きることは無いと思われる。

 だが此度の一連の流れで生じた恩賞で史実通りの展開となれば、直江兼続の誕生となるのだろうか?

 そんな思考にはまりかけたが、俺に視線を向ける秀治殿が視界に映って現実に意識を戻した。


「ではそろそろ本題に入りましょう」

「はい。我ら上杉家としては越後に専念するためにも、やはり強固な同盟相手を求めております。此度も時を同じくして織田様にも人を出しておりますので、我らが望むがままの形に終着することとなれば、我らと今川様、そして織田様の三家で同盟を結ぶこととなりましょう。我らとしてはそれこそが理想にございます」

「元より我ら今川家は織田様と婚姻による同盟関係を築いております。これと同等の同盟を結ぶとなると、やはり婚姻関係を築くことになりましょうがそういう認識で合っているのでしょうか」

「それは追々でも。ですが早急に求めるは、両家との同盟。今こうしている間にも、他大名家より介入を受け続けておりますので」

「なるほど・・・。例えば蘆名であるとか、ですね」


 その言葉にまた視線が鋭くなった。秀治殿自体はあまり表情を変えていないようであったが、それに気がつくことが出来たのはかつて似たような感覚に襲われたことがある故のこと。

 まだ俺が一色家を継いだばかりの頃。元康より寄せられた久との縁談を、今川館で氏真様に報告したときのことだ。あの時、家中では誰もが疑心暗鬼に陥っていた。冤罪であったとはいえ、瀬名様の父である関口親永殿が元康へ内通した疑いで腹を切った直後だったのだから仕方が無い。

 そのせいか、俺も氏真様や泰朝殿に随分と疑われた。あの時は岡部正綱殿を監視にまで付けられたのだ。今の秀治殿の視線は、まさに当時の泰朝殿のものに近いように感じた。


「本当によくご存じで。まるで我らのことを調べ尽くしているようで」

「いっても我らはわずか数ヶ月前まで対立していた関係なのです。多少は情報を得ていてもおかしくはないでしょう。それに越後にはかつての盟約で、一色保護下の商人が多く出入りしております。その者らを通じて我らの領内へと伝わった話などもありますので。ただしあくまでその類いの話は信憑性など無いに等しく、その情報を基に何かをするようなことがあるわけもございませんが」

「確かにそのとおりです。少々失礼な物言いにございましたこと、お許しください」


 態度はあまり変わっていない。つまり疑う姿勢は何ら変わっていないということか。

 だが疑われるにしても、何を疑われているのか。本当に心当たりが無い。強いていうのであれば高広殿の事であるが、今まで何度も寝返りを画策してきたあの男がそう簡単に情報を漏らすなど考えられない。

 ならば他は何か。・・・何も思いつかないな。


「いえ、こちらも配慮に欠けた発言があったのでしょう。お許しください」


 迂闊なことを言わないように秀治殿の狙いを探っていた。背後に控える重治と兼続殿は、俺達の話に食い違いが起きないように紙に会談の内容を書き示していた。最後に両者の紙を見比べて、ズレが無いかを確認する。

 そんな作業をしている重治であったが、何やら不穏な雰囲気を感じ取ったようで筆を置く。


「殿、逸れております」

「ん?あぁそうだな」


 重治から声をかけられた俺は、改めて秀治殿に向き直る。

 少々無駄話に興じすぎた。本来の目的は上杉家中の状況を探ることでは無く、両家の納得のいく同盟関係を築くこと。それが実際可能であるのかを今日は検討しなくてはならない。


「話を戻しましょう。同盟関係において婚姻は後々でも良いということに御座いますが、元より決められていた信濃の大半の割譲は確かに実行していただけるということでよろしいでしょうか?」

「それはもちろんにございます。今の我らではとても信濃の半分を何事もなく統治し続けることは難しいでしょう。すでに越中西部は織田様に譲っております。信濃も同様にお譲りいたします」

「それは良かった。ではそちらの条件を聞いてもよろしいでしょうか?」

「条件、条件ですか」


 ここにきて初めて秀治殿は歯切れの悪い返事を繰り返す。

 そして何かブツブツと申された後、背後にいる兼続殿へと振り返ると何かを伝えた。その指示を受けた兼続殿は、やや緊張した様子で頷くと、そのまま立ち上がって隣の部屋へと姿を消す。


「しばらくお待ちください」

「はぁ」


 俺は一度重治に振り返ったが、重治も何が何だかという表情だ。そしてしばらくした頃に兼続殿は何やら小さな包みを持って帰ってきた。


「こちらを」

「うむ」


 受け取った秀治殿はそのまま俺の前にその包みを差し出す。


「これは?」

「開けていただければおわかりになられるのではないですか?」

「開けても良いので?」

「はい」


 その包みを手前に引き寄せて、厳重に紐で固定されたその包みを開けていく。開けていくにつれて、何やら堅い物体があることが分かり始めた。

 全て開ききったとき、手に残ったのは何やら鉄片。それも黒く焦げており、相当に劣化も進んでいた。


「これは抱え大筒の破片、か?」

「どうやらそのようにございますね」


 たしかに損傷は激しいのだが、俺は何度もこれを見たことがある。故にすぐこの物体の正体に気がついた。


「我ら上杉家が混乱に陥った原因をご存じにございますね?」

「何者かに政虎殿が襲撃されたというものでありましょうか?たしかに聞いておりますが、それとこれは一体何が」

「船に乗り、襲撃してきた者達の残骸よりこれが出て来たのです。そしてこれもわずかに形状が違うものの、かつて大量に越後へと運び込まれた雑賀のものと同様にございました。そこで我らの中でとある疑惑が浮上したのです」

「・・・我らがこちらにも関与している、と?」

「実行に移したのはこれもまた蘆名家であることは確認出来ております。ですが蘆名家がはるか遠き地で売買される火縄銃を手にするための手段はそれなりに限られております。決してあなたを疑っているわけではありませんが、一色家の保護下にある商人が売ったということも考えられますので」

「なるほど・・・。先ほどからの鋭い視線は、私を疑ってのことでしたか」

「これから同盟を組もうという相手に大変失礼なことをしていることは分かっております。ですがこれは我らとしても真実を知っておかなければなりません」


 強く手を握る秀治殿、そしてその様子を見守る兼続殿。

 これが解決しない限りは、信頼のある同盟関係など望めないか。それはこちらの望むことろでもない。

 本当に蘆名家に火縄銃や抱え大筒を流したことは無いが、雑賀産であるというのであれば上杉家で探るより、俺が動いた方が都合が良いか。


「わかりました。では信濃の譲渡はこの件が判明してからにしてください。早急に所領へと人をやり、調べさせましょう」

「いえ、信濃は先にお譲りいたします。故にお願いにございます。どうか必ずその真相を教えていただきたく思います。政虎様は大きな失意の中で今も彷徨われております。そこから救い出すことが、この真実を知ることで出来るかは分かりませんが・・・」

「お任せください。我らとしてもそのような遺恨を残したまま同盟を結ぶなど、気持ちが悪うございます。ただ少なくとも保護下の商人が雑賀より買い取る火縄銃は完全に一色家で管理しておりますので、間違っても蘆名へと保護している者が流しているということはないと思いますが、それも改めて確認いたしましょう」


 もしそのような事実があれば『一色商家保護式目』の元、処罰を実行しなければならない。

 そして保護下の商人で、武器関連の売買を一任しているのは市川家のみ。


「・・・重治、これは思いも寄らぬ事態だ。早急に昌友に人をやれ」

「かしこまりました。すでに事の成り行きは記しておりますので、このまま人をやりましょう」

「頼む」


 改めて秀治殿にむき直した俺は、佇まいを直す。


「この件、少々時間を頂くこととなりましょう。ですが必ずや真実を明らかにした後、秀治殿にお伝えいたします」

「よろしくお願いいたします。この一件の真実は信濃半分を譲渡してでも得るべきものなのです」

「わかりました。分かり次第越後に人を出しましょう、信濃の譲渡に関しては徐々に南より譲り受けていくということでお願いします」

「わかりました。では同盟締結の詳細を詰めていくといたしましょう」


 重治が戻ってきてから、詳細が話し合われた。

 聞いた感じだとそこまで悪い条件では無い。だが婚姻に関しては、上杉家と氏真様との直接交渉となるであろうから、俺からは簡単に報告をあげる程度に留まる。

 さて、あとは高広殿らのことだが、果たしてどうなることやら。

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