318話 将軍宣下
高槻城 織田信長
1573年春
「まことによろしかったのですか?」
「何のことだ」
「義秋様からの褒賞にございます。斯波家の家督を得ることは何かと都合が良かったのではありませんか?」
「いらぬ。これから日ノ本を治めるのは斯波では無く俺だ。そのようなものを与えられたとて何ら意味を持たぬわ」
「管領職はあるだけで邪魔にはならぬかと思いますが・・・」
「あるだけで邪魔よ。俺が何をするにも義秋の影が付きまとう」
光秀は言葉に詰まっておった。だが本当に俺には必要の無いものばかりを義秋は与えようとしてきたのだ。
ありがたく受け取ったのは足利家の家紋である桐紋と二引両の使用許可と、弾正忠の正式な叙任だけ。それだけで十分であるのだが、その後も義秋はしつこかった。
「副将軍などなるわけがない。だいたいあれに実権など無いに等しいであろうが。俺を手元で飼い殺そうなど、義秋は随分と偉くなったものだな」
「決してそのような意図はないと思いますが・・・。純粋に殿に対して礼を尽くそうとしているのではありませぬか?」
「その根拠はなんだ」
「これにございます。義秋様は殿に対して『室町殿御父』の称号をお与えになり、こちらの文には『御父織田弾正中殿』と書かれております。邪な気持ちがある御方がこのように徹底するでしょうか?」
「分かっておらぬな。未だ石山には義助がおる。義秋は俺がまた坊主共に非道な行いをすると分かっておるのだ。故に俺を抱き込み、意のままに操ろうとしている。上洛の約束を果たした今、義秋はとうぶん俺を蔑ろには出来ぬからな」
光秀は未だに沈んだ表情のままであった。かつて義秋に仕えていたことに対する忠義など、俺からすれば何の得にもならぬのだから早々に捨ててしまえば良いと思うがそう簡単でないのがこやつの性格である。
だが朝廷も随分と思い切ったことをしたものだ。前将軍である義助は未だに石山に留まっている。にも関わらず、早々に公家を石山へと勅使を出し解任を伝えた。そしてそのまま義秋に将軍宣下をしたのだ。
俺としてはもう少し時間がかかるものであると思っておったのだがな。元より朝廷内に味方を作っていたことと、京に攻め入ったとき三好や義助に付き従う者以外を守るよう努めたことが印象良く映ったのやもしれん。
「俺が断ったことで管領と管領代は空白となったな」
「なんでも今川様にもお断りされたようで」
「貞勝、おぬしも聞いていたのか」
「はい。朝廷内でもよく話題に上がりますので。義秋様はすでに天下を分け合う二大名に見放されている、と影では言われているように御座います」
「天下を分け合う、か。良い響きだな。だが義秋にしては面白いことをすると思ったが、案の定、氏真は不快感を示したということか」
「はい。現状義秋様は三管領に対して不信感を募らせておいでにございます。細川京兆家の当主である細川昭元様は義助様と共に石山に。畠山金吾家の当主である畠山政頼様は、三好家による13代将軍義輝様の暗殺事件の際静観されていたという事実がございます。そして斯波武衛家の当主である斯波義銀様は・・・」
俺が直々に手を下した。奴は美濃での復権を目指す土岐家と、三河での復権を目指す吉良家と協力し俺や氏真を打ち負かそうとした。
故に二度目の一向宗との和睦の際にその身柄を引き渡すよう要求したのだ。奴らは身内では無い者に慈悲の心を持たぬ。さらに言えば義銀は信仰心を持ってはいなかった。故に長島城の坊主共は早々に引き渡しを受諾した。
「政頼様は随分ご不満に思われている様子。対して政頼様と共闘した三好義継様は和泉の守護に、松永久秀様は河内の守護に任じられたということもあって、義秋様に対して相当不信感を抱かれているとか。そして紀伊国内では雑賀と根来が争っております。三好との戦が終わったからといって悠長にはしていられません。褒賞も少なく、いずれ義秋様の元から離れられるのではないでしょうか?」
「であろうな。そして再び義秋は俺や長政を頼ることとなる」
だから将軍宣下がされて以降、義秋はずっと俺に対して下手に出ているのだ。
「しかし御一家である吉良の傍流たる今川家に対して管領代就任を打診するとはな」
「朝廷内でも困惑の声は当時から上がっておりました。断られたこともあって様々な憶測が広がっておりますが、先ほど申しましたように義秋様は見限られたやら、怒りを買ったと言われておりますな」
「元々そういう話をしていたようであるがな。まだ俺が奴を引き取る前の話であるが。そうであるな、光秀?」
「はい。今川様が武田家と戦をした際、その停戦の仲介に乗り出された際の話にございます。その時は別件で今川様はお怒りになられたと聞いておりますが、もしかすると諸々の蓄積であったのやもしれません」
「氏真も随分と義秋に舐められたものである。僧籍に入っていたために、その辺りの事情に疎いのか?」
「であったとしても側近達が止めなくてはなりません。そうしなければ義輝様の二の舞となりかねません」
「その通りだ。だがもうまともな者が残っていないのやもしれんな、あれの側には」
側にいる者は義輝の頃からの幕臣である者達に、元々摂津で三好に与していた者達。その者達の一部は早々に我らに降伏し、俺と共に三好家の諸城を攻めた。
その成果もあって、池田城主である
ましてやあのような要所、俺に任せておけばよいものを。そう思うが義秋、これだけは譲ろうとしなかったのだ。
「とにかく三好は再び勢いを取り戻す」
「我らは如何いたしますか?」
「放っておけ。直に俺は国に帰る故、あとは好きに泳がせておけ」
「よろしいのですか?それではまるで囮ではありませんか」
「それで良い。死なぬ程度に奴を驚かせやればよいのだ」
一度痛い目を見なければわからない。義秋はその類いの男だ。
そして三好や本願寺は想定以上の快進撃に気をよくして、一気に戦線を広げることであろう。俺が美濃へと退いていることを知っていれば尚更にな。
その隙を再び突いてやる。石山は攻めるに難く、守るに易い。
そのような地で戦をするほど馬鹿でもないのでな。せいぜい自ら死地に赴いてくるがよい。
「光秀、お前には少数であるが兵を預ける。朝廷護衛を名目に京に滞在せよ」
「かしこまりました」
「義秋はどうでも良いが、朝廷にまで戦火が及べば俺のこれまでの努力が無駄となる。それだけは避けるのだ」
「はっ。してどう動けばよろしいでしょうか?」
「俺が来るまで耐えよ。心配せずとも長政にも要請はしておく、孤立無援になどさせぬでな」
「では私は京にて殿のご到着をお待ちしております」
「うむ、待っておれ」
そう話していたとき、わずかに外が騒がしくなった。誰かがこちらに向かって走ってきておるのか?
そう思った矢先、誰かが外の廊下に立つ影が映る。
「失礼いたします!父上、大変にございます」
「信忠ではないか。如何したのだ、そのように慌てて」
「申し訳ございません。ですが急ぎの報せがございます。先ほど朝廷より人が寄越されました。関白近衛前久様がその位を解任され、前の関白二条晴良様が復職されたとのことにございます!」
「二条?九条兼孝の父であったか?」
「その通りにございます」
貞勝が頷くと、信忠もまた同様に頷いた。
「なんでも公方様が働きかけたと」
「近衛は長らく義秋の前に立ち塞がっておったからな。しかしこれで足利と近衛の関係も終わりであろう。その後近衛は如何しておる」
「石山に向かわれたという話は聞いておりますが、その後はどうするのか・・・」
「そうか。だがこれで朝廷における義秋派が動きやすくなるであろう。もっと奴らを混乱させてくれることを期待せねばな」
「まことに」
貞勝のみがこの言葉の意味を知っておる。長年朝廷との交渉を任せてきただけはある。
「さて信忠、美濃へと一度帰るぞ。兵に支度をさせよ」
「帰るのでございますか?」
「このような地に長居は無用よ。それに次の戦に備えねばならぬでな」
俺は美濃へ帰る。とは言っても直に京に馳せ参じることになるであろうが。
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