今川家を嵌める者

317話 信頼出来る者、出来ない者

 高遠城 一色政孝


 1573年冬


「今年もどうかひとつ、よろしくお願いいたします」

「それはこちらも同じ思いです。どうかよろしくお願いします」


 少々遅めの新年の挨拶は今川館で行われる様な形式張ったものでは無く、ほとんど宴会に近いものだった。

 ただ流石に全員から挨拶は受けた。一応信濃の上役として正式に認めて貰えたのではないだろうか。面と向かって言われたことは無かったが、やはり俺に対して疑問を抱く方も多少はいたのだ。実力不足だとか、若年であるとか。とにかく色々陰で言われていたことも知っている。

 特に前任が氏俊殿という他家にも名の知れた重臣であったことも影響したのであろう。それでも前の戦で戦働きこそほとんどなかったが、裏での調略や他国との外交能力をある程度認めて貰ったのだと思う。だから今日は誰もが気分良く挨拶されていた。


「それで先ほどの話は真なのでございますか?」

「えぇ。ですがやはり人質は必要です。ただ殿としては御家の断絶、またはその危機に陥ることを望まれていないということです」

「なるほど・・・。そういうことにございましたか」

「はい。ですので、奥方を人質として出されている方は、代わりの人質を出して頂くこととなりましょう。それ以外の方は現状維持。もう不必要であると思われる方には、いずれお返しすることとなりましょうね」


 例えば義昌殿のように側室を持たず、正室を人質に出している方も一定数いる。それはそれぞれに事情があってのことであろうが、子が出来ずに万が一があったとき必然的にその家は潰れることになるだろう。だれか家を継ぐ人物がいるのであればそれでも良いが、当主の急な死で跡継ぎ争いが起きることが一番馬鹿らしい。

 だから奥方を夫が任されている領地に帰すのだ。


「義昌殿、そろそろ覚悟を決められよ。あなたの奥方は随分寂しい思いをされているそうですよ」

「・・・真里が?」

「えぇ、菊とは姉妹ですので色々な話をするようなのです。誰にも漏らしていないようでしたが、実は木曽谷に帰って義昌殿に会いたいとずっと思っておられた様で」


 真理様は武田信玄の娘だ。義昌殿の元に嫁いだのは、信濃における戦略上要所である木曽谷の統治を武田家の思うがままにするため。そのために義昌殿は一門衆に迎え入れられて利用される形となった。

 その後俺達が信濃に侵攻した際、すぐさま降伏を申し出てきた義昌殿は木曽谷における武田支配の象徴であった真理様を人質として差し出したのだ。それでようやく木曽家は武田による支配から解き放たれた。そう思えるような状況となった。

 しかし今となっては武田の娘だからどうだというのだ。武田も今川に臣従したのだから、真理様を木曽谷から追い出す必要など微塵もない。

 そして決して両者の仲が悪いわけでも無い。

 むしろ良好ではあった様だ。それでも義昌殿には守るべきものがある。木曽家の当主として、木曽谷の領主として。


「もう向き合われても良いのでは無いですか?真理様も義昌殿のことを悪くは思っておりません」


 菊は少々義昌殿を嫌ってしまっている様だが。それもまぁ身内を思ってのことだ。


「そう、か。真里は本当に怒っていないのだろうか?」

「少なくとも私が聞いた限りでは」

「菊様からのお言葉であるのであろう?ならばそれが全てであろう。もう少し覚悟を決めるまでの時間が欲しいところであるが・・・」

「しかしそれほど人質の返還は先になりません。雪が解ければすぐに木曽谷へとお送りいたしましょう」

「・・・容赦が無いな」

「義昌殿自身が蒔いた種ですので。私には関係がありませんよ」


 俺が笑うと、義昌殿は苦笑いで返される。対照的に背後に控えている者が、どこか一安心だと息を吐いていた。

 たしかかつて義昌殿が真理様を人質にしようとするのを止めようとした山村良候だったか?この者は木曽衆の1人であり、家臣団の代表的立場でもある。

 やはりずっとこの一件が気がかりであったのであろう。

 何か良候に話しかけられる義昌殿を横目に俺は席を立つ。少々酒に呑まれかけていることを自覚しての行動だった。だがそんな俺を追いかける様に、誰かが席を立つのが見える。

 その人物とは、


「少々私からもお話があります」

「藤孝殿か、如何されました?このような場所まで追ってこられて」


 大井川城から見える城下とは比べものにならないほどに小さな城下町が望める場所。それでも山中であるが故に感じる清々しさを得ることが出来る、俺のお気に入りの場所で休んでいたところに声をかけてきたのは藤孝殿だった。

 だがその面持ちは神妙なものであり、少なくともあのような宴会で浮かれた気分の場所で話す内容でないことは察しがつく。


「上杉憲政殿と憲重殿を追放されるのですか?それも西に向けて」

「その通り。山内上杉家には受け取られぬであろうし、越後上杉家には入れられぬ。余計な火種として存在し続けることを俺も、そして氏真様も望んでおられぬ」

「憲重殿は僧として今後生きていくとの事にございますが」

「憲政がそれを受け入れるとは思えない。だがそれでも周りの目を気にするからな。越後に返せば、今川憎しと声を大にして騒ぐのが目に見えている。まるで義秋と同じである」


 権力に諦め悪くしがみつき続ける者は一定数いる。義秋が目指す征夷大将軍や憲政が復帰を目指す関東管領職。もっと言えば北条家が囲っている足利義氏も、今や何の権力も持たない鎌倉公方という役職にこだわり、その結果長らく古河公方時代を支えた重臣達を、今川との戦で氏政によって潰された。

 にも関わらず未だに良い気で鎌倉に居続けるというのだから、やはり周りが見えていなさすぎる。

 もはや名ばかりとなった役職では、威張っても誰も従わぬということを本当にそろそろ理解した方が良い。

 威張りたいのであれば、力を伴わせなければ意味が無いというのに。


「そしてその後、上杉は今回の顕景殿と景虎のようにいくつかの派閥に分裂し、また御家騒動が勃発する。それが起こりうるのが越後という国だ。憲政はその渦中の中心になり得る存在。もはや越後に戻すことは出来ない。殺すことも出来ないから厄介だが」

「では先日捕らえていた北条高広殿を解放したというのは」

「あの者を今川で召し抱える。何度も裏切りを続けてきたのに、生かされ続けているにはそれなりに理由がある。あの男の場合は、家中でも上位の戦上手というところであろう。景虎に従って信濃で動いた者の中で一番手強かった」

「信じられるのですか?こちらでも裏切りを働かれれば・・・」

「ならば裏切らぬように手なずけるほかないな。それを上杉は出来なかった、だからああも何度も他家に寝返えろうとするのだ。そう思わせぬほどに従順にさせる以外、あの手の者が大人しくなることは無い」


 まぁそれなりに考えあってのこと。それでいうのであれば高広に調略を頼んだ本庄繁長の方が怖い。

 なんせ母は元景虎派、後に独立騒ぎを起こして討伐。現在行方をくらませている鮎川清長の奥と姉妹関係だ。

 正室は古志長尾家の流れを持ち景虎派の筆頭的立場を持つ上杉景信、その娘である。

 側室は、現状中立の立場を表明している須田満親の娘であるが、あくまで側室の影響力がどこまであるかなど、言ってしまえばたかが知れている。

 だからこそ怖い。本来は懐に入れるべき人物では無いのかも知れない。それでも何かが起こりうる上杉に残すよりは断然こちらに置く方がマシだと判断した。

 彼の地は血や縁のしがらみが多すぎる。

 本庄繁長の乱も言ってしまえばその部類に含まれてしまう。


「とにかく俺が今すべきことは迅速に上杉と同盟を結ぶこと。でなければいつまで経っても上杉との戦を続けることとなる」

「たしかにそれは誰もが望まぬ事でしょう。上杉との関係が良好であれば、近く故郷に帰ることが出来る者もいるのですから」

「その通り。上杉から引き抜く者達とは上手くやってくれとしか言えぬ。だが裏切りに怯えてはならない。疎外感も騒ぎの原因となり得る」


 つまり今の俺に言えることは協力してくれ、としか言えない。だいたい遠江出身の俺からすれば、信濃衆も越後からの引き抜きもたいして変わらない。絶対に口にしてはいけないことだということは重々理解している。だがその程度の違いしか無い。

 それに遠江や三河、そして駿河ですら裏切る者は今川家を裏切ってきた。越後だから、余所者だから、は信用出来ない根本的な理由に該当しない。それは間違いなく俺達今川家の家臣らがよく知っていることなのだ。


「もし納得出来ぬ者がいれば俺の元へ来るよう言えば良い。遠慮はいらないと言っていたと伝えていただければ」

「・・・おそらく皆様遠慮されるでしょう。政孝殿は上役であるという点を抜いても、駿河の殿にとって非常に重視されている御方の1人ですから」

「それではまともな議論が出来ないな。その点で言えば義昌殿は良い。遠慮が無いからな」


 俺と気楽に話すまでの関係に至ったのはおそらく義昌殿が最速だ。


「ではそのように伝えておきましょう。政孝殿はまともな議論を求めておられる、と。感情だけで申されていた方々は改めて考え直されることでしょう」

「そうであってほしいものだ。今は感情を優先させるときでは無い」


 時間が惜しい。かつて共闘した信興殿が若くして亡くなられたように、俺だっていつ死んでもおかしくない。

 故に味方となる可能性が少しでもあるならば、そのための努力をした方が賢明な判断であると思う。結果実を結ばなかったときは、己の見る目の無さを恨み、そして戦わなければならない。

 時間は有限であると改めて思わされる。30才を超えた俺は、もはやゆっくりと構えているわけにはいかないのだ。

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