316話 東北の大名達

 高遠城 一色政孝


 1573年冬


「そうか、京が落ちたか」

「はい。公方様は京より石山へと移り、本願寺とともに織田様に敵対する動きを見せております。また三好家は丹波方面に兵を展開しつつ、和泉と摂津の守りを固めているようです」

「わかった。しばらくは京の動向にも注視せよ。何か動きがあれば報せるのだ」

「かしこまりました」


 落人が俺の前から姿を消すと、みなが神妙な顔つきになっていた。


「朝廷が停戦を要請しないとなると、このまま近江の上様が実権を奪うこととなるのでしょうか」

「そうは限りません。ただ織田様に抵抗する術が無いだけであるとも考えられます。事実周辺国の領主達は多くが協力を表明しておりますので」


 之助の言葉に重治が返事をする。それに対して、「それもそうか」と頷く之助。

 だが俺としては之助の方があり得る話であると考えている。元々帝は織田寄りだった。だが朝廷内の権力者であった関白、近衛前久が推すから仕方なくといった面も大きかったのであろう。

 しかしその前久が推した義助は、その後ろ盾であった三好家の分裂につぐ分裂により必然的に影響力を失っていく。

 京では公方単体の評価自体はそこまで悪いものでもなかったようだが、今は力で欲しいものを奪う時代だ。

 評価が高くても、身を守る術が無ければただ奪われるだけ。義助もそのことを知っていたからこそ、信長を味方にしようと働きかけていたのであろう。自分を将軍の地位に就けた三好を見限って。


「本願寺としても織田には深い恨みがある。長島と越中では随分といいようにやられた。そして直に加賀でも織田とぶつかることとなるだろうな。顕如は日ノ本各地に点在している門徒の士気を高めるためにも、石山にて徹底抗戦の構えを見せたのだと俺は思う」

「畿内での戦も大詰めにございますか」


 義定の言葉に俺は首を振る。史実を知っていれば、そう簡単に決着がつくとは思えなかった。いったい信長は石山を落とすためにどれだけ時間をかけたのか。

 それに最後は顕如が石山から退去する、という和睦に従って終わったはず。そう簡単にあの地は落とせない。


「まだ終わらないと?」

「顕如の織田嫌いは凄まじい。それを門徒の力に変える故に本願寺は手強い」

「織田様の数は多くとも、それだけでは勝てませぬか」

「あくまで俺の考えはそうだな。だが京が落ちた、そして義秋が入ったということが重要だ。義秋は将軍を自分にとせがむであろう。朝廷としては織田のことは歓迎しようとも、義秋のことはどう思うか。そして織田がどこまで面倒を見るか、そこが鍵となるであろう」


 これまで日ノ本各地の大名が標的であったことが朝廷に移るだけで、義秋自身は何ら変わらない。

 きっと頭を抱えるであろうな、織田を支持した帝も公家も。


「京の話題はもう良い。それよりも越後だ」

「それに関しては私からご報告させて頂きます」


 重治が手を挙げる。俺は頷いて、続きを話すように伝える。


「幾度か顕景様による景虎様討伐の城攻めが行われましたが、いずれも失敗しております。城攻めが難航しているのは冬であることと、上野方面より援軍がやって来ているためかと思われます。ですが山内上杉家は未だ中立を維持されており、徐々に親北条方は押されている様子。また越後の北部にあった揚北衆の親北条派も、今は息を潜めている様で顕景様による討伐の対象とはなっていない様子にございます。それに加えて先日の北条きたじょう様のお言葉が間違いで無かったことも確認されました。蘆名家、大宝寺家が越後へと兵を動かすそぶりを見せておりました。大宝寺家に関しては、新発田家と五十公野家がともに北上して牽制したために何事も無く撤退しており、蘆名家も同様に色部家が国境付近に兵を動かしたためにらみ合い程度で事は収まっております」

「本庄は本来これを機に独立を目指すつもりだったはず。高広殿を使わずとも、上杉は単独で防いだこととなったな。だが果たして本庄による反乱の予兆を知っていたのかどうかはわからぬか」

「申し訳ありません、そこまでは探れておりません」


 重治は頭を下げたが、それでも十分すぎるほどの成果だ。越後は順調に顕景の手中に収まりつつある。


「さて、では俺からみなに考えて貰いたいことがある」


 そう言うと、みなの視線が俺に集まる。いったい何事か、と。


「此度の本庄繁長の画策した独立騒ぎ。先日高広殿が申しておった大宝寺の自立が関係しているとのことだ」

「確かにそう申されていたようですが・・・。それが何か?」

「問題はここからだ、逸るな之助」

「これは・・・、申し訳ございませぬ」


 一度咳払いをして、改めて全員に視線を向けた。


「何故この機に大宝寺は自立を目指そうとした。今は上杉家にとって重要な時期だ。不穏な動きがあれば即刻対応されるであろう。先日の反乱の様にな」

「黒川家と鮎川家の反乱にございますな?たしかあれは顕景様を支持されている方々がすぐさま兵を展開し、それぞれの城があっというまに落とされたという話であった様に思いますが」

「その通りだ、義定。それを考えてみれば、事を起こすならば今では無い。むしろ全ての問題が解決し、油断したところを狙うべきだ。少なくとも越後の最北端である彼の地で騒ぎを起こすのであればな」


 だが大宝寺家は、いやこの場合主導しているのは間違いなく蘆名家であろう。蘆名家は何故かこの時期を狙って強行してきた。

 その理由が何であるのか。ただ越後の北部に進出する足がかりが欲しかっただけか?それに目がくらんで、時期を見誤ったと?あり得ないな、今の蘆名家当主であれば間違いなくそれは無いと言える。


「何故か。それが問題にございますか?」

「あぁ、是非ともみなにも頭を使って貰いたい。俺の満足のいく答えを出した者には何か褒美を出そう。ちょっとした遊戯であると思えば良い」

「褒美にございますか?俄然やる気が出て参りました」


 之助は腕をまくって考え始める。義定や時忠も同様に考え始めた。

 重治は余裕綽々といったところであろうか?特に俺から視線を動かすこと無く、ただジッとしている。

 そしてうなり声が部屋に響くことしばらく。時忠が手を挙げた。


「考えは纏まったか?」

「はい」

「では申せ」

「かしこまりました。まず栄衆の調べでは揚北衆の動向が見えません。そしておそらくそれは蘆名家や大宝寺家といった周辺各国も同様であると思います。蘆名家は越後進出を目指しており、そのためには越後国内に味方を作る必要がある。そちらの方が迅速に越後への侵攻が可能となりましょうから」

「確かにそうだ」

「ですので今回強行したのは、そもそも侵攻の意思はそれほどなく領主達が誰に与して動いているのか、それを判断するためであったのでは無いかと思います」

「本庄だけでは無く、味方に出来る者がいるのであれば取り込みたい。そういうことだな?」

「はい」


 なるほど、時忠も随分とものを考える様になった。現在の師である重治は時忠の回答に小さく頷いてはいるが、満足している様な表情をしていない。

 そんなとき、僅かに外から音が聞こえた様な気がした。しかしそんなあからさまの場所に不審者がいれば栄衆が報せてくるはず。何事も無いというのであれば問題ない人物がいるということか。

 ならば放っておいても問題は無いだろう。


「義定、そなたはどうだ」

「まったく己で納得出来る答えが見つかりませんでした。せいぜい今であれば越後上杉家の目は越後上野国境に向いているため、容易にことを起こすことができると考えた程度しか・・・。しかしそれは前の反乱鎮圧を考えればあり得ぬ答えであると思いますので」

「そうだな。たしかにそれは難しいだろう。むしろ今の方が警戒されているはず」


 項垂れる義定。そして重治の反応を見た時忠もまた、改めて別の答えを探している様だった。

 重治はもう我慢が出来ない様で、ウズウズとしている。

 だがもう1人に話を聞いてみても面白いかもしれない。外から俺達の話を盗み聞きしている者に向けて声をかけてみることにした。


「菊、盗み聞きとは感心できぬな。用があるのであれば遠慮無く入ってくれば良かろう」

「も、申し訳ございません!」


 慌てた様子で菊が部屋へと入ってくる。その格好はいつもの飾ったものではなく、動きやすさを重視したものとなっている。

 全ては完成間近の人質を集める館の準備を進めるため。


「それでは菊の話も聞いてみるとしようか。考えていたのであろう?」

「・・・何故それを?」

「外からも可愛らしいうなり声が聞こえていたのでな。誰も必死に考え込んでいたために気がつかなかったのであろう」

「まぁ!そうだったのですね?恥ずかしい声を聞かれてしまいました・・・」

「そう気にするでない。それで菊はどう考えたのだ」

「私も答えにたどり着いたわけではありません。ですが1つだけ気になる話があります」

「気になる話?」


 今の今まで必死に考え込んでいた者達も、菊の気になる言い回しに、思わず顔を上げている。

 菊はそんな様子も気にしないままに、俺に向かって話し始めた。


「先日、新たな館に入れる装飾を届けてくれた商人の方が申されておりました。現在常陸方面で商売をされている様なのですが、常陸の大名である佐竹様が戦支度を進められているため、多くの商人が集まっている様なのです。武器を取り扱う者や食料、特に米にございますね。それらを扱う商人が港に殺到しており、大変賑わっている様なのです。またさらに北に行けば、これまでは小国が割拠しておりましたが、その中で伊達という一族が頭1つ突き抜けていると。勢いが凄まじく、婚姻同盟をかつて結んでいた家すらも滅ぼして勢力を拡大しているという話を聞きました。その原因は何であると思われますか?」


 そう言って重治に尋ねた。まさかここで逆に質問されるとは思っていなかったのか、わずかに目を見開いた重治は、即座に頷いて答えを述べる。


「佐竹の目が一切北に向いていないためでしょう。それによって伊達は周辺の大名らをせめる隙を突くことが出来た。今までは常陸の佐竹、会津方面の蘆名でどうにか均衡を保っておりましたので」

「なるほど・・・。ではおそらくそれが此度の事の発端となったのではないかと思います。蘆名家としては早急に頼りになる味方が必要となった。佐竹は大国の相手に忙しく、現状はアテに出来ない。自分の意のままに動かすことが出来る味方が欲しかったのではないでしょうか?」

「大宝寺は自立したがっている様だが」

「そんなことは後で何とでも言えます。恩着せがましく迫れば、これまで援助を頼って生きてきた者達は断れません。それが弱者であった者達の立場です」


 まるで菊は武田のことを言っているかの様な感覚に襲われた。これまで明るく振る舞ってきたことも、武田に残る者たちを心配させないためであったと考えることも出来る。

 少々俺も配慮が足りなかったであろうか?

 そんなことを考えていたとき、重治が珍しく声を上げて笑った。驚いた菊は身体を跳ねさせて重治の様子を窺い見る。


「さすがは殿の側室に、と嫁がれた姫様にございます。真に聡明であられる」

「そうでしょうか?私はただ人に聞いた話をしただけなのですが・・・」

「それでもです。私もまさにそれを言おうと思っておりました、先に言われてしまいましたが」

「そうなのですか?」

「はい。時忠殿、今の菊様の考察の様に視野を広く持たねばなりません。今回の騒動の当事者たる上杉家以外にも蘆名、佐竹、そして伊達。他にも北に進めば多くの大名家が割拠していります。そのことを踏まえて考えれば、此度の一連の騒動は決して当事者だけの問題で済まないのです。そしてその火の粉は間違いなく我ら今川家も被ることとなるでしょう」

「重治の言うとおりだ。とにかく佐竹の動向は今後も注意が必要であると俺も考えている。先日俺は氏真様に佐竹との同盟を進言するつもりだと伝えたが、考えが変わった。もはや奴らとの共闘の道は無い。少なくとも里見家と敵対行動を取る限りはな。そしてそれらの余波はこちらにも来ている。決して遠き地での出来事だと、無視しないことだ。よいな?」

「かしこまりました!」


 時忠は強く頷き、義定は眉間を抑えていた。まぁ今はこれで良い。

 今の越後を取り巻く状況をみなが把握していれば、何か起きた際にはすぐさま行動に移せるはずだ。

 しばらく後に、少々遅めの新年の挨拶がある。今川館では無く、ここ高遠城に人が集まり挨拶を交わす。その時に今の話を含めて少々大事な話をするとしよう。

 上杉との話が纏まれば、次に目指すは上野国。山内上杉家になるはずだからな。

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