309話 はぐれた将
奈良井城周辺 一色政孝
1572年夏
「奴らは油断しているぞ!一気呵成に攻めかけよ!」
俺の声に呼応する様に、各地で雄叫びが上がる。
まだ夜が明けきっていない時間であったが、ある程度道を整備していたこと。そして俺達の軍を先導するのが、長くこの地の統治に携わっていた者であるということが完全に有利に働いていた。
太陽が昇るのを待って、再び城攻めを開始しようとしていた上杉の背後へと強烈な一撃を与えた俺達は、その勢いのままに包囲している敵兵を呑み込み始める。
「殿、城の反対側でも動きがありました。細川様が敵本陣の急襲に成功した様にございます」
「わかった。栄衆には変わらず戦況を把握させ続けよ」
「かしこまりました」
椅子に座る俺の側には時忠が控えていた。長らく重治に付き従っていたが、今は俺の側にいる。
本当は重治の働きっぷりを側で見せてやりたいのだが、今はその余裕すら無いのだ。
万が一この攻撃に失敗すれば、俺達の攻勢はいきなり挫かれることとなる。信濃統一に大きな不安を残すことになってしまうからな。
「時忠」
「はっ」
「上杉の包囲が解ければ、すぐさま城内に入り頼親殿に俺の言葉を伝えよ。兵の疲れを癒やし次第出陣せよ、とな」
「かしこまりました」
「それとこれも持っていけ。頼親殿らの士気も上がるであろう」
「はっ!」
予め敷原砦で書いておいた1枚の書状を時忠に預ける。しかし義昌殿や藤孝殿の奇襲の甲斐もあって、問題なくここでは勝ちを収めることが出来そうだ。先ほど言った失敗というのは長時殿がかつての居城である林城に入城して初めて成功したと言える筑摩平定のことである。
「俺達ももう少し前へ出るぞ。戦況をこの目で確認したい」
「かしこまりました」
時忠は全軍に指示を出す様支度をし、俺もまた次の目的地を定める。
なるべく標高の高い位置を維持して移動をしたいところ。何も戦場の真ん中に移動したいわけでは無いからな。
様子を見るだけだ。
奴らが今後どう動こうとするのか、それが重要である。
しばらく待っていると馬を連れた時忠が現れる。陣の外にはこれまで周囲の警戒に当たっていたはずの兵らが戻って来ていた。
「随分と支度が早いな」
「殿は戦の終盤になれば、戦況を見たいと毎回申されます。そろそろであると思い予め支度を進めておりました」
「・・・そうか。その癖、俺は気がつかずにやっていたな。良く気がつき、そして先に手を打った」
時忠を褒めたのだが、当の本人は何やら微妙な顔で俺から視線を逸らす。
「如何した」
「いえ、先ほど前線へと出られた重治様よりそう伝えられたのです。私はその指示に従ったに過ぎませぬ」
「戦況を見極めたのも重治か?」
「いえ、そこまでは」
「ならば良い。戦場がよく見えてきたと言うことだ。十分褒めるに値する」
呆気にとられた時忠から手綱を受け取り、地面を蹴って馬に飛び乗る。その動きに合わせて、背後の騎馬隊が馬に乗り、槍や火縄銃を携えている者達は隊列を整えた。
慌てた様子で時忠も馬に跨がり、俺達は城へ向けて前進する。
「それにしても重治は本当によく見えている。佐助や道房であれば間違いなく止めるであろうがな」
「・・・私も止めるべきにございましたか?」
「お前は師の言葉に従っただけだ。間違っていたのならば重治を責めれば良いし、きっと重治も己を責めるだろう。故に誰かに師事している内は思い切りやれば良い。でなければ後々独り立ちしたときに判断を誤るぞ」
「重治様を責めるなど」
「俺は責める。かつての俺もそうだった」
俺達の師であった雪斎は基本的に正しいことを言っていた。それに従っていればほとんど間違いは無かったし、誰かに怒られることもそうそう無かった。雪斎にはしこたま怒られたが。
だが一度だけ思いっきり間違えたことがある。それも雪斎の言葉に従って。
たしかあれは・・・。
「殿、崖の下に灯が見えます」
「ん?灯?」
手を挙げることで全軍の歩が止まる。そのまま手で合図を送ると、背後から鎧を身につけていない兵らが6人ほど走って俺の側にやって来た。
「3人ずつに分かれて、崖下の灯が何か確認せよ。何かあった際には1人をこちらに戻せ」
「はっ!」
かつて真田の一行を発見した時と同じやり方を今も採用している。
何かを発見した時は3人組の1人が監視を継続し、1人が報告に走る。1人は監視している者を少し離れた場所より監視する。万が一その者が気づかれたとしても、もう1人が継続して監視するためだ。
「みな静かにな」
背後の者に伝えれば、それ以降はハンドサインで後ろへと俺の言葉が伝えられていく。
これで音によって敵に察知される可能性は減る。
一色でしか今は伝わらないが、ハンドサインは結構有効な気がする。特にこういう隠密行動が求められるときはな。忍びは多用している様であるが、一般的に兵の中では使われない。俺は便利だと思うのだがな。
「護衛を側に付けた鎧姿の者が彷徨っている様にございます。護衛されている者は傷だらけにございました。また護衛の数は5人だけにございます」
「今川の者であることは?」
「今川家中の家紋ではありませんでした。少なくとも某には見覚えがございませんでした」
「わかった。時忠」
「はっ」
「兵を20預ける。その者を捕らえよ」
「かしこまりました」
「兵の内訳は己で考えよ。後方に向かい、迅速に必要数を揃えて奴らを追え」
「かしこまりました!」
時忠は俺の側を離れていく。すぐに背後で人選を開始し、槍隊15弓3火縄銃2で山を降っていく姿が見えた。
「落人、いるか?」
「はっ」
「敷原砦の義定に伝えよ」
「何と」
「上杉の残党が山中を彷徨っている可能性がある。三河からの増援が到着次第、敢えて山中を進み潜む者達を1人残さず捕らえさせるのだ。ただもちろんこれ以上はいないこともあるであろうが」
「ではそのように伝えさせて頂きます」
「頼むぞ」
落人は姿を消し、俺は時忠が帰ってくる時を待つ。
すでに朝日は昇っているが、未だに奈良井城の方からは両軍がぶつかり合う音が聞こえてくる。
視界が明るくなったことで、上杉が反抗してきているのかも知れない。
だが今更遅い。
すでに包囲が完了しており、何やら怪しい一団が逃げ惑っているほど奴らは劣勢になっているのだ。
むしろ落ち延びようとしている将がいることを上杉は把握しているのだろうか?そこまで把握する余裕など無いのか?
「殿!ただいま戻りました」
「良くぞ無事に戻った。その背後にいる者が先ほど報せにあった男か?」
「はい」
時忠が横に避けると、縄で男を拘束している兵らが前へと出て来た。側には万が一に備えて臨戦態勢の兵が刀を構えて控えている。
「その方、名は?」
「・・・」
「何故あのような場所にいた」
俺はそう質問をしながら、鎧に刻まれた家紋に目を向ける。竹に二羽飛び雀。
これは間違いなく上杉の家紋、藤原氏勧修寺流の物と一致している。
「上杉家の方とお見受けするが」
だんまりであったが、『上杉』という言葉に過剰に反応する。目を剥き、こちらに噛みつきかねない勢いで顔を上げた。
「やはりそうであったか。おそらく奈良井城を攻めておられたのであろうが、いったい城より南に位置するこのような場所で何をされていた」
「・・・」
「勝てぬと踏んで逃げられたか」
「逃げるだと!?儂が敵を前にして逃げるなどあり得ぬ!儂は関東管領上杉憲政であるぞ!」
その後すぐにしまったという顔をした。別に誘導尋問のつもりでは無かったのだが、この男が勝手に口を割った形となった。
当然鵜呑みにするわけにはいかないが、もし上杉憲政であることが事実であれば偶然の出来事とはいえかなり運が良い。
・・・いや、今のこの男にどれほど人質の価値があるのか。
景虎に付き従って俺達と争っているということは、顕景は政虎の様にこの者を保護することも無いだろう。
だからといって上野に送っても、それほど何か見返りがあるようにも思えない。むしろ迷惑がられそうだ。いっそのことこの場で斬るか?いや、流石にあまりに早計であろうな。
「"元"関東管領にございましょう。しかし一度ご子息を迫り来る北条の前に残して逃げられた方が、そのようにお怒りになられるとは驚きにございます。しかしこうしてこのような何も無い山中で出会ったのも何かの縁。ご一緒して頂いてもよろしいでしょうか?もちろんそちらに拒否することは出来ませんが」
とりあえず人質として連れていこう。顕景か憲景か、はたまた北条かが受け取ってくれるやもしれん。
「何故儂が!情けはいらぬ。ここで斬れば良いであろうが」
といいながらかなり身体が震えている。死が怖いのは同感だが、こうして敵を前にするときは極力抑えなければ、強がりも意味を成さない。
「時忠、周囲に護衛を付けて連れていくぞ」
「かしこまりました」
「儂の話を聞いているのか!この場で斬れと!」
「少々静かにして頂きたく思います。この地で騒がれれば、あなたのように上杉の将が迷い込んでこられますよ。そして今のあなたの姿を見られるのです」
これまでも見栄・プライドを高く持って生きてきたのであろう。それが悪いことであるとは言わないし、思いもしないが、悪い方に向かうこともある。
さきほどまでの強気な態度はどこへやら。急に大人しくなった。
助けられる可能性よりも、今の惨めな姿を見られる方が辛いということだ。むしろ今まで良く無事で生きてきたものだ。
きっと北条が攻め寄せてきて、長尾家に頭を下げたときも尋常で無い葛藤があったのであろうと推測出来る。
「さぁ、そろそろ戦も終わることであろう。もう少し前へと向かうぞ」
俺の合図で再び行軍を開始する。時忠は俺の指示通りに、憲政に護衛を付けて馬の歩を進めた。
しかし上杉の奈良井城攻めの大将は誰だったのだろうか?これだけプライドが高い憲政を従えるほどの器量がある人物が、景虎方にいたということか?
だが少数の兵しか従えておらぬ。さらにこちらの調略が容易に決まったことも疑問である。
何故なのか、尽きぬ疑問を残しつつ俺達は奈良井城のおおよそ西に位置する場所へと向かうのだった。
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