308話 侵攻のとき

 信濃国筑摩郡敷原砦 一色政孝


 1572年夏


「飛んで火に入る夏の虫とはまさにこのこと。そう言いたげに見えますぞ」

「まさかここまで舐めてかかられるとは驚いているだけにございます。おかげで敵を包囲することが出来る」


 すでに長時殿と藤孝殿らが筑摩郡を抑えるために山越えを始められている。予め重要とみていた今回の行軍路は、ある程度の兵が問題なく進むことが出来る程度には整備済みである。そしてカモフラージュも指示していたため、一度こちらがその道を利用しない限りは見つかることも無いと踏んでいた。

 頼親殿が守る奈良井城は筑摩郡における上杉領信濃国との最前線であり、これまでであれば救援に向かうために整えられた道というのは、義昌殿の城から続く旧中山道くらいだ。

 ただ防衛に徹するのであればそれでも問題は無いのかも知れない。だがこうして一発逆転を狙うのであれば、間違いなく新たな道を作っておくことが正しい選択であろう。

 負ければそこから攻め込まれることにはなるが、そこはもうハイリスク・ハイリターンと思うほか無い。


「斥候からの報せでは敵数は1000より少ないとのこと」

「1000?たったそれだけで城を落とそうというのか?」

「いえ、おそらく敵は足並みが揃っていない上に奈良井城は上杉からしても少々孤立した城。本気で落とすつもりは無いのかも知れません。こちらの兵力が分散されれば良いと思っているのやもしれませんね」

「なるほどな・・・。ならば我らは如何動く?このまま藤孝殿が挟み込むことを待ち、安全な状況となってから、頼親殿と合流する流れであろうか?」

「たった1000とはいえ、敵将を捕らえることに意味があります。攻め寄せてきた者達を逃すは愚策でしょう」

「ならば我らも藤孝殿らが奴らと接敵する頃にあわせねばならぬな」

「その通り、その際には義昌殿に案内をお願いします」

「任せよ!油断している奴らが驚く顔をするのが楽しみだな」


 義昌殿は出陣に備えて俺の前から去って行く。

 代わりに側に控えていた重治と義定を側へと寄らせた。


「義定、この砦の守りは任せる。城の包囲が解けたことが確認でき次第、砦防衛の味方を残して奈良井城まで兵を進めよ」

「かしこまりました」

「そう心配せずとも奈良井城を無事に落とすことに成功すれば、俺達も長時殿と合流する手はずとなっている。武働きはその時に期待している」

「はっ、お任せを!」


 義定にとっても、この戦はある意味初陣だ。最初から戦場に兵を与えて放り出すのは怖すぎる。

 だが一門衆の1人として、ただ武働きを望むだけでは勿体ないわけだ。

 昌秋が福浦でやっているように、ある程度は兵の指揮になれて貰わなければ困る。しばらくは重治と行動を共にさせて、人並みにこなせる様になってもらおう。


「重治は俺と共に義昌殿と先行する。敵の包囲が解ければすぐさま藤孝殿と合流し、その後の話を詰めよ」

「はっ」

「後詰め隊が合流し次第、北進せよ」

「かしこまりました」


 今頃は諏訪でも武田の動きと合わせる様に反攻作戦を開始しているであろう。人を間に介して、しっかりと時を合わせさせている。どちらかが先走れば、敵主力に瞬く間にすり潰されるであろう。諏訪と佐久へと同時に進行することで、北信濃の中央部に待機する上杉を分散させることを狙っているわけだ。


「しかし奴らの動きはこの砦から筒抜けだな」


 この敷原砦は山上にある。奈良井城はこの砦から見れば標高の低い場所に位置している。

 必然的にその奈良井城を包囲する上杉も丸見えというわけだ。

 奴らもここに砦があることを知っていように、何故かこちらに人をやって探りを入れてくる様子は無い。

 周囲は重治に従う栄衆らが警戒しているのだが、怪しいものを見た、捕らえたの報告は一切上がってこなかった。長らく俺達がこの場に留まっているから、援軍には来ぬと判断したのであろうか?それともそれをする余力すら無いか?


「夜ともなれば松明の光で奴らの陣営がよく見えます」

「包囲の層が厚いのはやはり北であるが、基本的には背後を気にした様な陣の張り方では無いな」

「奈良井城に援軍があまりにも来ないため、本気で城を落とすように策を変えたのやもしれません。ですが城内の武器・食料の備蓄はまだまだございます。あの兵力ではとうぶん落ちぬかと」

「であろうな。そういう風にこちらが仕組んだのだから、むしろそうなって貰わなくては予定が狂う」


 これで長時殿の負担が多少なりとも減らせれば良いのだが。

 そんなとき、誰かが陣の側へとやって来たのが見えた。外から手招きする男を見た重治は、俺に軽く礼をして外へと出て行った。

 残った俺と義定は、久しく雑談に花を咲かせる。


「そういえば豊春はどうしている?急にその立場を豊崇に譲ったが」

「はい。父は祖父様の御遺言に従い、周辺国への旅に出ております。今は祖父様が志し半ばで成し遂げられなかった、能登へと向かったと兄より聞いておりますが」

「能登、か。あちらは畠山家が随分と大変であると聞いているが」

「そのようで。現状重臣の傀儡の様な扱いとなっている御当主様は、最早政に関心など無い様で。先日の幕命により行われる予定であった朝倉による能登平定も、慌てたのは実質取りしきっている重臣達だけであった様にございます」

「ちょっと待て」

「はっ」


 栄衆の報告にも、そこまで詳細な情報は無かった。先代の落人がいなくなったとはいえ、あの者達の腕が落ちたとは全く思わない。むしろこれまでの報告で俺も満足していたのだ。

 だが義定の口から出た言葉は、それよりもさらに詳しいものであった。


「何故そこまで詳しいのだ。そのような情報が出回っていたか?」

「・・・てっきり兄よりお伝えされているのだと思っておりました。これは少々話し合う必要がありそうにございますね」

「・・・そうしてくれ」


 義定は豊崇から聞いていたのか。そしてお互いに俺に報告されているものだと勘違いしていた、と。


「僧という立場は意外と便利にございます。父は本願寺とは無縁のため、畠山家の重臣方にも不審がられること無く、接近することに成功したのでございましょう」

「まぁたしかに、僧という立場が便利であるということは知っていたが・・・。そこまで家中の中枢に潜り込めるものなのか?」

「はて。それは父に聞いてみなければ分かりませぬが」


 だがかつて豊岳様がそのような話をされていたことを聞いたことがない。いや、やけに情報に精通していると感じたことはあるな。

 高瀬のことはその最たるものだ。


「いや、わかった。豊春には今後も無理なく情報を送ってくれと伝えてくれ」

「かしこまりました」


 そうこうしていると重治が戻ってきた。


「殿、松平様より遣いの者が寄せられました」

「家康が?何と言ってきた?」

「はい。伊勢の平定が済んだことで、その役目は終えたことを織田様より言い伝えられたとのこと。これよりは帰国次第、そのまま信濃へと援軍に向かうとのことです」

「そうか、それは助かる。少々計画を変更しなくてはならないだろうが、数が増えることはこちらにとって悪い話ではない。ただ家康が合流する前には、前線を上げておきたいところであるな」


 今は狭い戦場での戦が多い。もう少し俺達が押せば、各戦線が平野部へと出ることになる。

 三河衆は兵の練度も高ければ、援軍次第ではあるがそもそも数が多い。

 そして何より、三河の者達は山間部で戦うよりも平野で戦う方が得意である。これまで圧倒的にそういう戦場で戦ってきているのだから当然だ。

 そういう意味で言えば山間や狭い戦場での戦に慣れた信濃衆で、この状況を打破することが望ましいわけだが。


「少々急ぐか。藤孝殿に遣いを出せ、行軍速度を上げて急ぎ奈良井城に向かって欲しいと」

「かしこまりました」

「義昌殿にも戦支度を進めて貰おう。まずは奈良井城を救い、旧小笠原領の奪還に動く。家康には諏訪へと向かう様に指示を出せ。落とした城を維持するため、少数でいいからこちらにも寄越すように伝えるのだ」

「はっ!先ほどの者に伝えます」

「頼むぞ」


 三河衆の援軍が来るということで、一気にこちらに流れが来る。この機を逃す手はない。


「さぁ信濃を獲るぞ」

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