307話 三国同盟の基盤

 小谷城 織田信長


 1572年夏


「上杉との同盟にございますか」

「うむ。しかし背後は氏真がおる故、別に飲まずとも良いと思ったのだがな」

「飲んでも良いと思わされる条件でも出されたので?」

「旧神保領。つまり越中半国と能登への介入放棄、そして当初の予定通り加賀平定の際の援軍。あまりに俺に都合が良すぎていると思ったのだが、上杉はもうこれ以上の勢力拡大は出来ぬと踏んだのであろうな。顕景という男は現実が見えておる。政虎とはまた違った怖さがある」


 近江へ兵を出す予定を立てていた頃、突如上杉家より使者が寄越された。使者の名は直江信綱と申しており、その父である景綱は政虎の側近である。

 信綱と申した者はその政虎の遣いでは無く、養子の1人であり、後継者の1人として北条から迎えた養子と対立している顕景からの使者と申しておった。


「上杉は幕府と距離を取ろうとしておる。政虎が隠居すると同時に、関東管領職は山内上杉家の当主である憲景になるであろうからな。ちょうど良い時期であるということだ」

「なるほど・・・。しかしその顕景殿は後継者争いに勝つことが出来るのでしょうか?負ければ越後は北条の意思を汲んで動く、実質北条の傀儡となるわけでございましょう?」

「負けぬ為に俺や氏真に手を回したのであろうよ。同盟というのもそれが理由だ。ちょうど今頃信濃を巡って戦が起きている最中であろうからな」

「信濃が今川の手に落ちれば」

「顕景が後継者争いに勝つことは十分にあり得よう。越後北部はすでに顕景を支持している者達が抑えていると聞いておる。蘆名も迂闊に介入など出来ぬ」

「これは信濃の動きを注視せざるを得なくなったわけにございますか。上洛への道のりもまた遠ざかりそうにございます」

「そうでもないぞ、長政」


 ため息を吐く長政に声をかけると、やや驚いた表情で俺に視線を向けてきた。

 しかしこの男は知らぬか、いや、それも当然であろうな。近江からすれば信濃の動向などさして気にする必要も無い。

 俺と長政が同盟を組んでいる限りはな。だが知っておいて損もあるまい。


「長政」

「はい」

「今川氏真という男がどのような者か知っておるか?」

「氏真殿が上洛された際に城に招きましたので、その時に少々。ですが随分と優しげな御方にございました。あのような性格であれほど領地を大きく広げられるとは・・・。と思ったのが正直な感想にございます」

「義元が死んだ後、俺も今川は勝手に滅び行くと思っていた。三河や遠江におる者らで、義元に不満を抱いていた者は多くおったからな。俺の娘が嫁いだ松平もその中の1つであったし、他にも俺との繋がりを得ようとするものは多くおった」

「ですが持ちこたえた」

「そうだ。持ちこたえただけで無く、義元ですら手を焼いた北条や武田とも対等に、いやそれ以上の力を示した。最早疑うこともあるまい」


 市も子が生まれたと言っておった。子は女であった様であるが、そこは問題で無い。俺としてはその娘こそが、俺と氏真との繋がりを証明づける。

 それに市が蔑ろにされていない様で何よりよ。


「だが当然ながら氏真の力が全てというわけでは無い。むしろその周りにいた者達が優秀であったのだ。古くからの今川家重臣である朝比奈、岡部は言わずもがな。家康も今川に戻り、そして何よりも一色という男がいる。あれが側にいる限りは今川の衰退などあり得ぬわ」

「一色・・・。上洛の際に付き従っていた者にございますね。これまでも信長殿より話を伺っておりましたが」

「雑賀の火縄銃、その性能の高さは国友村の鍛冶らが目指すものである。そして雑賀の火縄銃をほとんど独占する様な形で取引しているのが一色だ。また多くの金をつぎ込み、火器の改良にも力を貸している。今川が、ではないぞ。今川のいち家臣である一色が、だ」

「我ら両家で国友の発展を進めておりますが、雑賀はたった1家。それも大名で無い者が」

「恐ろしいとは思わぬか?俺からすればわずかな領地しか持たぬ者が、俺と匹敵するほどの金を動かしているのだ。気になって当然であろう」


 商人の保護は簡単な話である。だが保護するためには力が伴わなければならない。それに商人同士に諍いはつきものであるからな。

 だが年々一色の保護下にある商人は増えているのが現実。

 尾張や美濃ではある程度商人に自由を与えておるが、領内で商いをしている者の中にも一色に保護されている者たちが多くいるのだ。もう蔑ろには出来ぬ。

 すれば多くの商人が俺の元から去るであろう。


「厄介よ」

「確かに・・・」

「しかしそれこそが今川の足下を支えておる。そして今は信濃の全域を任せられている。上杉景虎とやらは勝てぬわ。何もかもが奴の手の平の上であろう。そういえば話は変わるが俺はかつてお前に市を嫁がせようとしていた」

「・・・いきなりの話にございますね。しかし市様ですか?いつ頃の話にございましょう?」

「六角と本格的に敵対した頃であろうか。今川との同盟もまだ実現など考えられる様な状況では無く、むしろ美濃の西が混乱することを望んでおらぬ時期であった。故に浅井の使者に問うたのだ。長政に良い人がいるのか、とな」

「私が信長殿に人をやった時の話にございましたか。ですがあの頃には」

「六角の重臣の娘が子を生んでいたのであろう?確か万福丸と申したか?」

「その通りです。今や立派に育っており、私も安心しておりますがそれが何か?」

「俺の娘を嫁に迎えよ。歳も近く、近江の主となったお主の元であれば安心して送り出せる」


 娘の冬はかつての市と同じく、嫁ぎ先がどこになるのかと頻繁に俺へと尋ねてくる。市が幸せそうにしている姿を時々送られてくる文から感じた故なのであろうが、誰かの元に嫁ぐことに幸せを見出しているのだ。


「それは嬉しい話にございますが、万福丸の元でよろしいのですか?我らは近江を押さえこそいたしましたが、未だ周辺国は不安定にございます。三好が分裂を繰り返しており、先も見えない状況が続いておりますが」

「ならば此度の戦で不安を全て拭い去るほかあるまい。まずは朝倉、そして若狭の篠原。それと同時に各地にて反抗を繰り返す延暦寺や本願寺の坊主共」

「いずれは京にございますか」

「義秋がそろそろ五月蠅い。京にさえ押し込んでしまえば、多少は静かになるであろう」

「わかりました。では万福丸が元服するとき、織田家より姫を迎え入れましょう」

「良く言ってくれた。話も纏まったことだ、俺達も出陣するとしようか」


 此度の戦は、嫡子信忠の初陣である。まずは嫡子としての立場を確実なものとするべく、必ずや勝たねばならぬ。頼りないと思われれば、上杉の様な惨状にもなりかねぬでな。




 室町第 足利義助


 1572年夏


「織田は再び動き始めた。だが三好は纏まれぬか」

「・・・」

「若狭を奪った長房であるが、伊勢の奪還は難しいであろうな」

「申し訳ございませぬ。家中を統率出来ずにいたことは、我ら年寄りの力が及ばなかった故にございます」

「ならばその責を取って迅速に長房を捕らえ、私の前に引きずり出さねばならぬ」

「かしこまりました。現在、殿が戦支度を進められております。すぐにでも若狭へと兵を向け」

「長治は真に長房を捕らえることが出来るのであろうか?讃岐にいた頃より、長房を側に置いていたのであろう?それに兄上が殺された際にも、長房の弟である自遁をすぐさま討伐するという決断をしなかった。私はあの者を信用出来ぬ」


 側近であった者達であるからな。判断が鈍ることは仕方が無い。しかしその責を未だに誰もとらぬことが気に入らぬ。


「・・・では如何いたしましょうか?赤井に命を下しても、最早我らの言葉に従うとは限りませぬが」

「織田が上洛に向けて兵を動かしていると聞いている。未だに義秋を擁しての上洛であるが、信長が比叡山を焼いたことで両者の仲は過去に無いほど険悪であると聞いている。もう少し揺さぶれば、信長は義秋を見捨てるのではないか?」

「どうされるおつもりで?」

「私にこの先を言わせるのか?薄々勘づいているであろう、長逸よ」

「三好は長きにわたって平島公方家をお支えしてきておりました」

「その平島も今や長宗我部の手にある。そしてかつて私を擁して上洛した強き三好はおらぬぞ」


 三好はもう幕府の後ろ盾たる力を持ち合わせてはおらぬ。ここまで分裂を繰り返し、家中の掌握すらままなっておらぬのだ。

 長治の力量もたかが知れていた、ということである。


「織田に遣いを出す。幕府からの命として、若狭の討伐を命ずる使者を出せ。まずは様子を見るところから始める。三好にはそなたから話せ、長逸よ」

「・・・かしこまりました」

「昭元、朝廷に人をやるのだ。此度の混乱は私が責任を持って治める、故に見逃して欲しいとな。礼はきちんとすることも伝えよ」

「かしこまりました。武家伝奏である飛鳥井様にお願いいたします」

「頼むぞ」

「はっ」

「話はこれにて終わりである。だが万が一信長が断ったとき、私は再び三好を頼らざるを得ぬ。その時こそ私の期待を裏切らぬ事だ」


 だが信長は頼まずとも若狭に兵を進めるであろう。・・・もし此度も信長が義秋を見捨てるという選択を取らねば、私が京に留まることもいよいよ難しくなるであろうな。

 しかし三好をあてにはせぬ。いや、出来ぬと言う方が正しいか。

 かつて多くの国を支配し、幕府とすら対等にやりあった三好の姿はもはや消え失せてしまった。この世は何と厳しいことであるのか。そう思わされる日々が続くの。

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