305話 大きな決断
信濃国筑摩郡南部某廃寺 一色政孝
1572年夏
「お初にお目にかかります。私、上杉顕景様の遣いとして参りました。
「ご丁寧に。一色政孝にございます」
現在、筑摩郡にあるとある廃寺にて、上杉家の重要人物と密会中である。相手は狩野秀治。
史実でかの有名な直江兼続と並んで景勝の側近中の側近を務めた男である。そんな男がどうしてこのような場所にいるのか。
それも再び上杉との戦が始まった今に何故。その答えはすぐに分かることとなる。というよりも事前に知っていた。
「早速ですが本題に移らせて頂きます」
「お願いいたします」
そもそもで言えば上杉家の秀治殿がこのような場所にいること自体大問題である。
氏真様はこの夏、北条との戦を決められた。里見にかかりっきりになっていることを確認した故の決断である。
元信殿を大将とした先鋒隊が続々と小田原に向けて兵を動かし始めると、それを察知したのか北信濃の上杉方が南信濃に対して攻勢を仕掛けてきたのだ。おそらく北条に向かう兵を減らすつもりであったのであろうが、上杉に対しては現状信濃衆だけで対処するつもりでいる。
そのために備えを万全にしてきたのだ。そう簡単に抜かせる様なヘマはしない。
それ故に秀治殿が今川領にいることが公になっては困るというわけだ。
「まずこちらを」
「これは?」
「春日山城にて療養されております。政虎様が顕景様へと宛てて書かれた文の写しにございます」
写しというだけで信頼出来る代物では無くなってしまうが、さすがにそのような大事なものを持ち出すわけにもいかないのだろう。
だいたいそんなことは秀治殿も百も承知のはず。
「では読ませていただきます」
俺は秀治殿よりその写しを受け取って、中を確認した。
おおまかに言えば、政虎は上杉の分裂を望んではいない。だが自分が意識を失っていた間に、自身の後継者候補である顕景・景虎両者の溝は修復出来ないところまで広く大きくなっており、最早平和的解決は期待出来ないと察した。
政虎は上杉家混乱の責を取って、出家して隠居する。後継者として越後の民を深く想う顕景を推す故に、景虎を討伐する様命じられた。ということらしい。
「これが本当に政虎殿によって書かれたものであるという証拠が欲しいところですが」
秀治殿は首を振った。つまりは無いということか。
「ですがこちらとしてもある程度調べさせていただきました」
秀治殿が手を叩くと、外に控えていた男が袋の様なものに隠された何かを持ち込んでくる。
それを秀治殿の目の前に置くと、また静かに下がっていった。
「こちら、見覚えがあるのではありませんか?」
そういって袋を取り去ると、中から出てきた物は火縄銃だ。
「・・・これは?」
「お恥ずかしい話、越後では度々主家に不満を持つ者達が反乱を起こすのです。先日も越後の北部でとある領主達が反乱を起こしました。顕景様は迅速に命を下され、その者らを鎮圧いたしました。残念なことに当の本人らを取り逃がしてしまいましたが、残った城から接収したものがこれらなのです。我ら上杉も微量ながら火縄銃を保持しておりますが、このような型ではございません」
そう、火縄銃の一大産地となっている国友・雑賀・根来・堺は鉄砲伝来以降様々な改良が行われている。
国友には織田と浅井、雑賀には今川というか一色、根来は本願寺、堺はその地の商人らが金を出して独自の進化を遂げているわけだ。
だから伝来から30年近く経った今、最新のものともなれば多少なりとも形に違いが出てくる。
「調べたところ、こちらは雑賀の型であるようで」
「よくご存じで」
「つまり今川家でも上杉の現状をある程度は把握しているということでございましょう。我らとしても反乱を起こすつもりであった者達を早々に追いだしたのですから、今川家に感謝こそすれ、このような真似をされたことを恨んでなどおりません」
「その割には随分と語尾が強い物言いにございますね」
「顕景様は少々お優しすぎる。・・・随分と回り道にございました。本題をお伝えいたします。顕景様は景虎様を討伐されたあかつきには、今川家・織田家と盟を結び、越後の統治に専念されるおつもりにございます。今頃は別の者が織田家にて同じような話をされていることでございましょう」
「つまり?」
「信濃はお好きにされよ。ただし一部は上杉領として残していただきたい」
「高井郡と水内郡にございますか?」
「その通り。・・・かつて政虎様の側近であられる御方のご子息が織田様に言われたようです。関東管領は上杉家には重すぎたのだ、と」
どういった経緯でそのような話になったのかは知らないが、確かに信長の考えは的を射ている。現に政虎は関東管領を任じられた辺りから、明らかに動きに一貫性が無くなった。いや一貫はしていたか。義を貫くという点においては。
だがハッキリ言えることもある。関東で助けを求める者達全てを助けようとしたことは間違いなくミスであった。
結果巡り巡って上杉は分裂に危機に瀕している。
「それを聞いた時、最初は腹が立ちました。何も知らぬ者が何を言っているのかと。目の前で政虎様の苦悩を見てきた我ら上杉の家臣達は、関東管領に任じられた政虎様を信じていたのです。ですが徐々に織田様の言葉がどういう意味で言われたのか理解し始めた。私も、他の家臣の方々も」
俺は黙って聞いていた。
上杉家は、まともに越後の将来を憂いている方々はどういう結論に至ったのか。
「越後を治めるためにはやはり強い力が必要にございます。長尾家時代より政虎様がどうにか築き上げた結果、ようやく越後は纏まりつつある。ですがこれ以上は難しいでしょう。外に目を向ければ再び越後は荒れるのです。此度の黒川・鮎川の反乱の様に些細なきっかけですぐに戦が起きるのです。ですので顕景様はこれまでの経験の元、多くの地を手放し、越後に専念されることを決められました。またその旨、政虎様にもお伝え済みにございます。上杉家の信濃衆には好きにする様伝えております。すでに一部は顕景様に従うと決めている声も聞いておりますが、もし万が一信濃に戻りたいという者がいれば、どうかその者達を迎えていただきたく。どうかよろしくお願いいたします」
「信濃のことは私に任されておりますので、もし・・・。いやその話を考えるのはやはり信濃を切り取った後でございましょう」
しかし顕景、随分と思い切った真似をするのだな。言っても信濃は上杉家が実力で切り取った地なのだ。それをほとんど手放すとは、多くの者が反感を抱くであろう。
ただ忠義を誓う者は、越後の重要な地を任された上で顕景を支えるべく奮闘するのか。
「そういえば織田にも人をやったとか」
「はい」
「何と言って盟を結ぶつもりであるのか聞いても良いでしょうか?」
「・・・はい。今川家と織田家は同盟関係にございます。言っても問題は無いと判断しお伝えいたします。我らは越中を平定いたしましたが、椎名家にはその全域を治める力は無いと判断いたしました。当初は我らで治めるつもりでおりましたが、越後一国に専念するということから、旧神保領である越中の西部は織田家に譲ります。また能登の混乱にも我らは介入をいたしません、と」
「飲むと思われるか?」
「はて・・・。私は織田様にはお会いしたことがございませんので何とも」
「でありましょうな。私は飲むと思いますが、その後の付き合いは間違わない様ご忠告させていただきます。あの男を決してなめてかからない方が良い」
俺も散々良い様にやられたからな。悔しいが信長には勝てない。
前世の知識をフル活用しても、負けた・やられたと思うときがあるのだ。史実と変わりすぎている今、信長の思考は最早読めない。
「その言葉、顕景様に必ずやお伝えいたします」
「そうしてもらえるとありがたい。そして上杉家とこれ以上戦をしないで済む様願うばかりにございます」
「それはこちらの同じ事。ですのでどうか信濃のこと、よろしくお願いいたします。我らは越後を制しますので」
「確かに承った。これで遠慮無く戦えるというものです」
元々俺が北信濃への侵攻を命じられなかったのは、上杉と全面戦争になることを恐れたからだ。
だから当初から信濃の最北部にある地域へ侵攻することを避ける様な言葉を使っていた。北条に付き従う様に動く景虎だけであればそれほど問題では無い。だが上杉が相手となれば、流石に分が悪すぎるからな。信濃衆だけではしのげなかったであろう。
それが今回の密談で、敵となるのは景虎とその一派だけであると確定したのだ。もう何も怖がることは無い。
北条侵攻には負けられない。こちらもまずは一手を打つ。そこから始めるとしようか。
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