304話 内緒の話
高遠城 一色政孝
1572年春
「よろしいのですか?殿は混ざられずとも」
「せっかく兄妹が久しぶりに顔を合わせたのだ。俺が邪魔をすることもあるまい」
「邪魔、と言われますが殿も立派に身内にございますよ」
「そう言うのであれば重治、お前こそ奥をこちらに呼べばどうだ?功が、などと申していたがもう十分すぎるほど働いているぞ」
「ですが・・・」
「久と離れてそれほど経っていない俺がこう思うのだ。きっと重治の奥はもっと辛い想いをしていると思うがな」
重治はしばらく考えている様であった。
藤孝殿も一時は家族を探すために今川家を離れた。それほどまでに家族との縁は大切であるのだ。
そして聞いた話によると、重治の奥は今も離縁はせずに重治の事を待っているのだという。美濃斎藤が滅び、重治が美濃を発ってもう10年は経つはず。
それほど長い間、待っているのだ。そろそろ迎えに行っても良いと思うのだがな。ただ問題は、相手が現在美濃の統治を任されている有力者の1人。安藤の娘であるということか。
それに関して信長がああだこうだと口を挟んでくることは無いと思うが。
「上杉との戦が一段落付けば考えることといたします」
「そうか、まぁ無理強いはしないが」
「いえ」
それだけ言うと重治は思い詰めた表情で部屋から出て行った。やはり本心は会いたいのだと思う。
「さて、と」
俺は机に纏めていた書類の山を引っ張り出してきた。中身は大方上杉に関係するものばかりだが、他にも色々含まれている。
商人から仕入れた情報や、栄衆からの報告。あとは各領主からの報せや相談事など色々である。全てに目を通して、全部の内容を理解する必要がある。
故にいらない情報であればさっさと処理してしまうのだ。いつまでも残しておくと、情報が混ざる上に邪魔になる。これからもこの紙の山は増えるのだから当然だ。
「失礼いたします。お茶を持って参りました」
「ん?おっ勘吉、ちょうど良いところに来た」
俺がいきなり呼んだことで驚いたのか、身体を飛び上がらせてこちらを振り向いた。
「いちいちそのように驚いていては、戦場で気をやってしまうぞ」
「申し訳ありません。それで私に御用とは?」
「算学は得意か?」
「人並みには・・・。他の商人のように早くは出来ませぬが」
「それで十分だ。出来るのであれば、今の俺には役に立つ」
そう言いながら、手にしていたひとまとまりの山を手渡した。
「これは?」
「雑賀より源左衛門を通して買わせた火縄銃の支払いだ。ちょっと無理して買った故、莫大な額となっている。支払いに問題は無いのだが、過剰に支払うことをすれば昌友が怒るのでな。俺が算出した数で間違いが無いか確かめて欲しい」
「は、はぁ。かしこまりました」
「机はそこにある分を引っ張り出せば良い。早くこなすことよりも正確に、な」
「かしこまりました」
部屋の片隅に片してあった机を引っ張り出してくる勘吉。俺が算盤を手渡すと、遠慮がちにそれを受け取り、早速計算に入っていた。
ちゃんと出来ていることを確認した俺もまた、手つかずの書類の山に手を付ける。
「えっと・・・」「これは・・・」「ん~」
背後からなかなか苦戦している声が聞こえてくるが、これも誰かと一緒に苦労していると思うとどこか居心地がいい。
いつもは1人で淡々とこなしているだけだったからな。
昌友とも時々似た様な作業をすることがある。処理する仕事は俺より圧倒的に多いのだが、優秀すぎて最終的に俺の仕事だけが残るのだ。おかしなことである。
そんなことを思いながら、俺も書類に目を通していた。
今、手にしている報告書は長時殿からのものである。小笠原家は荒神山城を居城として、その北にある龍ヶ崎城と王城を任しているのだが、あの地は最前線の1つである真田領とこの高遠城の中継地点となる重要な地だ。
王城の東にある道を北に進めば、諏訪湖の西に出ることが出来る。ちょうど真田家の禰津殿が守る花岡城の側。
だからこそ長時殿には道をしっかりと整えておく様に命じている。整備されていない山越えのつらさはおそらく今川家中で俺が一番分かっていると思うからな。
何度信濃の山を越えたことか。
「しかしかつては信濃で覇権を争ってきた者達が、こうも上手く手を取り合うことが出来るとは」
「・・・」
勘吉からの返事は無い。
自分に話しかけられていると思わなかったのか、はたまた計算に集中しすぎて気がつかなかったのか。
邪魔してしまうことを可哀想に思った俺は、結局独り言として処理することにした。
「ただ信濃の南北で分かれた者達はわかり合えるのだろうかな」
「難しいかと思います」
「なんだ、勘吉。聞こえていたのか?」
「いえ、独り言であるのかと思って黙っておりましたが、おそらく話しかけられたのだと考え直して・・・。無視をするつもりはありませんでした」
「いや、それはいい。返事があって当然だと思った俺も悪かった」
僅かに首を振った勘吉は、再び計算の世界の中に没頭していった。流石自分で商人から武士になりたいと言っただけはある。
喜八郎も申していたが、この手の作業は苦手の様だな。
「しかし勘吉の言うとおり、おそらく難しいであろうな。どうしたものか・・・」
もし俺達の攻撃が上手くいったとして、佐久郡は武田に全譲渡。残った土地を俺の影響下にある者達で分けるとなると、どれだけ広大な土地を与えることになるのか、という話になる。
当然駿河や遠江、三河や伊豆に領地を持つ者らは不満に思うであろう。新参者に土地を与えすぎだ、とな。
ならばやはり飛び地として一部の地を分け与えていくか?流石にその権限は俺にないから、一度氏真様に話を通して・・・。
「面倒すぎる・・・。しかしそれ以外に道は無いか」
旧領復帰を願う者達の領地も入れ換えなければ、あまりに過多となる。諏訪郡も頼忠殿に返すことを考えれば、真田は全領を小県にしなければならない。
それを他の領主も同様に繰り返した結果、すでに滅亡した家や今川に与していない家の領地は空くわけだ。それを俺が全て管理するわけにもいかないので、結果的に最初の考えに戻る。
「駄目だ、今は勝つことだけを考えなくては。まだ勝ってもいないのに、勝ったときのことを考えるのは阿呆のすることだ」
頭を振って、面倒すぎる事務仕事の煩わしさを追い出す。そうでもしなければ今から気持ちが押しつぶされそうになる。
「殿、こちら合っておりました」
「ん?そうか、良かった」
「まだ何か私に出来ることはありましょうか?」
「そうだな・・・」
勘吉がそう言うのであれば、色々任せてみるとしようか。少し遅い時期から俺に仕えたため、仕事に慣れることは急務である。
こういう積極的な姿勢は後々のことを考えても悪くない。
「ではこれを頼むとしよう」
「これは・・・」
「誰にも言ってはならぬぞ。俺の側にいるということはそういうことだからな」
口に人差し指を当てて、シーッとやってみた。だが今度こそ本当に俺の動きが目に入っていない。それくらい今の勘吉にとって、この書状は衝撃的なものであったらしい。
ちなみにこれを知っているのは、俺と重治の2人。それと内密に人をやったことでおそらく他には漏れずに伝わったであろう氏真様だけであろう。
それを勘吉に見せてみた。
「これを人目に付かぬ様処分してくれ。燃やすのであれば、跡形も残らぬ様に。埋めるのであれば、今後誰にも堀り当てられない様に。処理の仕方は任せるからな。頼むぞ」
「か、かしこまりました!」
渡した紙をギュッと強く握った勘吉は部屋の外へと出て行く。僅かに怪しさはあったが、まぁ上手くやってくれるであろう。
それにいずれは分かることだ。今は口外してはならない。それだけの話であるからな。
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