294話 石垣山の麓にて

 相模国石垣山麓 一色政孝


 1572年冬


 周辺の領地へ連携がとれるよう人を送りながら、最速で支度の済んだ俺達は早速湯坂城へ向けて北上していた。

 湯坂城は氏詮殿が入っており、いつ何時でも北条が攻めてきても良いように東側の備えはしっかりと整えられているはず。

 だが西側、つまり背後は別だ。一応葛山の養子入りのことがあったから警戒くらいはしているであろうが、露骨に防備を整えられるはずも無い。

 万が一挟み込まれれば、箱根山を抜ける道を全て掌握されてしまうこととなる。駿河への道筋を確保されることは、今川にとって一気に窮地へと追いやられることとなるであろう。それだけは避けねば。


「そう思っていたのだがな・・・」


 石垣山の麓にたどり着き、もうじき目標の上川にたどり着くかと思っていた矢先のことだった。

 目の前に現れたのは、北条の旗が揺れている陣。俺達援軍が上川を抑えることを読まれていたようだ。


「膠着状態となって数日が経っております。あちらから仕掛けてくる気配はありませんが・・・」

「攻めてくるつもりはないだろうな。待っていれば城が落ちる」

「ではやはり攻めるべきにございます」


 昌秋の言葉に俺はしばらく考える。


「重治、敵の数がいかほどか分かるか?」

「未だ里見との戦は続いております。また北関東諸将への備えとして武蔵からも兵を出している様子」

「ならばこちらに向けられた数は少ないということか?」

「おそらく。しかしもし今回の葛山様の離反に、北条が関与しているのであればこのような時期に動かしましょうか?それがずっと気になっております」

「俺も同感だ。前の戦で十分今川の強さを知ったと思ったのだがな。何故このような中途半端なことをしたのか、それが気になっていた」


 ここが本当に戦場なのか、そう疑うほどに静かだ。思考を巡らせるにはほどよい環境である。

 ただ少々寒すぎる気もするが・・・。

 そんなことを考えつつ、目の前に広がる北条軍に目をやった。


「落人様の遣いにございます。信濃の者より報せがありました」


 そこへ飛び込んできたのは栄衆の者だ。重治が買収し重治専属に抱え込んだ1人である。


「数日前、信濃国葛尾城に上杉景虎が入ったとのことに御座います!またそれに合せて信濃の上杉方は兵を信濃中央部に位置する各城へと集めていると、複数の同胞が確認しております」

「・・・政虎が重傷という話、あれは真であったか」

「疑いすぎて後手に回ってしまいました」


 重治の言葉に俺は頷いた。相手は軍神、きっと何かあると思い込んでいた。

 だから挑発に乗らないよう、氏真様に進言したのだ。そして氏真様もまた同様に考えられていた。

 信濃国上役である氏俊殿も、いや、多くの者がそう考えたであろう。

 だから好機のように見える餌をスルーしたのだ。しかしそれが判断ミスであった。


「その言葉は氏真様への批判とも捉えられる」

「申し訳ございません。私の不甲斐なさを嘆いたのみで、今川様を貶すつもりはありませんでした」

「わかっている。だが誰に聞かれているか分からぬのだ、発言には気をつけよ」

「かしこまりました」


 重治は発言自体を訂正したが、やはり俺に提言したことで結果として後手に回ったことを悔いている。俺も同じ心境であるから非常にその気持ちはよく分かる。

 だが今は足を止めるわけにはいかない。

 上杉は政虎の重傷を受けて本格的に動き始めた。あの大国が北条の属国に成り下がろうとしている。


「殿、多くの信濃衆は強うございます。先日のあれには、顕景様に付き従う者の方が戦慣れした者が多くおりました。他は慣れぬ、または勇将というにはほど遠い者が大半。弟らも、他の武田の旧臣の方々もそのような者らに負けはいたしません。安心して目の前のことに当たられませ」

「信綱・・・」

「その通りにございます。それに信濃の方々は殿の助言を受けて防備を整えております。例え上杉の全軍が攻め寄せてきたとしても、そう簡単に信濃衆の方々は抜かれませぬ」

「昌秋・・・。そうだな、今は目の前の奴らをどうにかせねばならぬな」


 俺が前を向くと同時に、鎧姿の兵が1人俺達の前に現れた。側にいる者が持っている旗は右三つ巴。晴朝殿のものだ。


「我ら結城の兵は、一色様の命通りに背後に陣を敷きます。そのことを先にお伝えすべくやって参りました」

「ご苦労。今は・・・」


 晴朝殿の思ったよりも早い到着に俺はよい策を思いつく。


「時忠、使番として晴朝殿の陣へと向かえ。そして以降は晴朝殿と戦を共にせよ」

「それはどういう・・・」

「石垣山の麓は北条に抑えられている。だが抜け道まで抑えられているかといえばそれはわからぬ」


 時忠は閃いたらしい。石垣山への抜け道は本当に偶然発見したのだ。

 前の北条との戦。和睦後に石垣山に築いた砦にて氏真様と話をした。そして俺を待っていた時忠とも少し話をした。

 あの山を下りる際、獣道のようになってはいるが通り抜けることが出来そうな場所があったのだ。あの後人をやって調べたところ、近くの村にまで続いているらしい。その村のものが狩りのために使っているのであろうな。


「あの道へ晴朝殿を案内せよ。そして前しか見えていない北条の背後を突いてやれ」

「もし抜け道の存在に気がつかれていた場合は・・・」

「晴朝殿に判断を委ねよ。もしそのような一か八かの危険を冒せぬと言われれば、戻ってくるが良い。正攻法で北条を崩すまでだ」

「かしこまりました。ではそのようにお伝えいたします」

「時忠」

「はっ」

「下総で大国相手に渡りあってきた御方の戦、しっかりとその目に焼き付けて来るのだ」

「かしこまりました!」


 馬を用意した時忠は、数人の護衛と使番を連れて南へとくだっていく。それを見送った俺はすぐさま軍議を開いた。

 考えるべきは大きく分けて2つのパターン。

 1つ目は晴朝殿が北条の背後を奇襲した場合。2つ目は晴朝殿がリスクを避けられた場合、または抜け道が閉ざされていた場合だ。


「北条はこちらの動きをよく見ております。殿に命じられたとおり後方の兵を湯坂城へと向かわせていると偽報を流したところ、あちらもそれに対処するように別働隊を用意してきました」

「監視されているな。だからこそ晴朝殿には早急に判断していただかなければ、俺達と同じ状況になりかねない」

「結城様も監視されれば奇襲策も露見いたしましょう。そうなればこの場は膠着いたします」

「わかっている。そうならないためにはどうすべきだ。背後で動きがあるまでに考えるぞ」

「少々お時間を頂きたく」

「わかった。夕暮れまでに何か出すように求める」

「お任せを」


 重治と信綱はともに出ていった。

 残った者たちには、今後どのようなことになったとしても迅速に動けるよう、兵に伝えるように命じて解散させる。

 しかしどうしたものか。雑賀との交易が盛んになり、火薬を大量に仕入れることが出来ている。

 なんなら少々過剰なほどに持ちすぎているまであった。


「爆弾の類いを作ってみるか?ただ火薬を爆発させるだけでは無く、こちらのタイミングで爆発させられるタイプの・・・」


 とは言ったものの、その制作過程などは一切分からない。

 色々試行錯誤をしていかなければ、完成などしないであろう。だが相手は火薬、下手をすれば死人が出る。

 そのような危険なことを無責任に誰かに任せることもな・・・。


「機会があれば雑賀の者と話をしてみるか。答えとは言わずとも、何かしら得られるものがあるかもしれんか」


 備蓄用の火薬樽を見ながらそう呟く。

 ・・・待てよ?火薬樽であれば、あれでも使えるか?時限式にするためには・・・。


「今度寅政と相談してみよう。まずは生きてこの戦を終えるところからだ」


 未だに動く気配のない北条の陣を見ながら、俺は固く決心した。

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