295話 不完全燃焼の老将
相模国石垣山麓 一色政孝
1572年冬
「殿!物見からの報告にございます」
「北条に動きがあったか?」
「はい!石垣山の中腹に陣取っていた一部の兵が山頂に向けて移動しております。また何やら戦っている様子も確認出来たと」
これまで北条が兵を動かしたのは、こちらが何かしらの動きをしたときだ。
それ以外は基本待っている。ただ待っていれば、そして俺達の足止めをしていれば、裏切った氏元によって湯坂城が落ちるであろうからな。
しかし俺が動いていないにも関わらず、奴らが動いたとなると・・・。
「奴ら動揺しているぞ。背後の晴朝殿に合図を」
「仕掛けますか?」
「あぁ、奴らの動揺を逃す手はない」
かつて北条によって建てられた烽火台を使って背後に合図を出す。もはや混乱している北条の目など気にする必要は無い。
「晴朝殿らが前進する前に、北条の前衛を蹴散らす。やれ、景里」
「はっ!大砲隊、構え」
攻城戦と海上以外で初めて使う。
抱え大筒が乗る台を作り、ある程度の距離を楽に移動させることが可能となった。とはいえ、重い上に車輪の質も良いわけでは無い。山中を移動し続けることには向いてはいないが、平野部の移動であれば可能となったわけである。
これまでのように大量の兵が担いでくるわけでも無いから、自由も利くようになった。
よってこのような内陸部での戦でも運用出来るというわけである。
「放て!」
景里の合図で10門の大砲が火を噴いた。これは先日、源左衛門が雑賀より仕入れてきた抱え大筒の改良版であり、威力が相当に上がっている。
詳しい説明を受けたもののよく分からなかったが、もはや人が抱えて撃てる範疇を超えているのだ。
故に急ぎで台を作らせた。
精度は落ちたが飛距離は伸びている。さらに撃てる弾の大きさも変わった。つまり対人火力でいえば、この戦国の世では最強レベルなのだ。
「北条方の陣内に落ちた弾は6つにございます。他は届きませんでした」
「それでいい。之助に命を出せ。突撃し、崩れた穴を広げてやるのだ。また晴朝殿もこれを機とし、側面より攻め込まれるであろう」
「ではそう使番を出しましょう」
「頼む、さて重治」
「はい。これより背後から襲撃されることが無いと安心している者達を川に突き落として参ります」
そう言うと、残る一色の兵の一部を率いて、この地より北西に位置する湯坂城へと兵達を引き連れていく。今頃氏詮殿が奮闘してくれているであろう湯坂城の援軍のためにな。
「晴朝殿も突撃されたか、我らも後れを取るな!先日の借りを返すは今だ!」
俺の命と共に、一色本陣に残る兵達が突撃を開始した。
ただほとんどが歩きであり、馬を用いる晴朝殿には後れを取っている。しかし俺は慌てない。
側面と背後を突かれた北条は、立て直すために必ず俺達の方へと兵を動かすはずだ。そこしか逃げ場が無いのだから当然の話。
そこに予め網を張っておけば・・・。
「当たりにございます」
「であろう?ここで慌てふためく北条をことごとく滅せ!ただし深追いは無用である」
「かしこまりました!」
道房もまた兵を率いて前方へとうって出る。すでに指揮系統など崩壊しきっている北条には、あちこちに仕掛けた網を自力で突破する力など残っていない。
「弓隊、構え!」
「火縄銃隊、構え!」
「「放て!!」」
矢と鉄の弾が間断なく、逃げてくる北条の兵を打ち倒していく。味方が前に出れば、弓や火縄銃は一度ストップし、味方が退けば再び矢と鉄の雨を降らせる。
その後も一方的な展開が続き、そろそろあちらも音を上げるかと思ったとき、僅かに北条の兵が小田原方面へと動き始めた。
何事か、そう思った途端、撤退を開始する北条の壁が割れる。その間を突っ切ってくるのは僅か数名の騎馬兵であった。
敵の討ち死に覚悟の突撃かとも思った。そして兵らもそう思ったのであろう。
緊張が走り、その後すぐさま兵は槍や刀を構えて走り寄ってくる騎馬隊に向けた。しかし俺は兜と鎧の隙間より見える僅かな顔の特徴に見覚えがあるような気がした。
「みな、武器をおろせ!」
俺の合図で困惑しつつも一斉に兵らは武器を収める。
先頭を走っていた騎馬兵は、俺の目の前で目一杯手綱をひく。それに合せて背後の者達も俺達の、正確には俺の目の前で止まった。
「勢い余って敵陣を突っ切ってしまったわ」
「いやはや・・・、お見事にございます。流石高朝殿」
「若造にも未だ負けておらぬことを証明出来た。それに晴朝と共に戦うことも随分と久しい。楽しい戦であったわ」
1番危険な役目を今の今までされていたというのに、高朝殿は気にした様子も無く笑い飛ばされる。
背後の兵達も兜を脱げば、みな高朝殿と同じ位の老兵達だった。いや、その物言いは失礼であったな。
此度の戦における大きな手柄は間違いなくこの方々が持って行かれた。俺では真似出来ぬ芸当であったであろうし、北条が背後を警戒していなかったとはいえ、途中あそこまで兵が集中した状況でこのような結果に落とし込むことが出来たことは最早さすがとしか言えない。
「北条の者らには逃げられてしまったな」
「しかしこれで湯坂城にも向かえそうでございます。早々に葛山氏元を捕らえ、信濃方面も抑えねば」
「上杉がこうも早く動くとはな。いや政虎であればその程度朝飯前か」
「政虎ではありませぬ、父上。北条より上杉に養子入りした景虎にございます」
「そうであった、そうであった。・・・晴朝、お前も戻っておったか」
「はい。深追い無用との事にございましたので、上川を北条が渡ったことを確認し戻って参りました」
晴朝殿は俺に軽く一礼した。俺も一礼して挨拶としたが、高朝殿はあまり満足していない様子だった。
「北条には先の戦の借りを返そうと思い、こうして戦場に着いては来たが、こうもあっけないと納得出来るものでもないな。この戦を最後とし、今後殿のお側に仕えることとなるのもな・・・」
不完全燃焼のようだ。たしかに北条は伊豆での戦に重きを置いていない。だいたい氏元を助けるつもりがあるのかすら不明なのだ。本命は間違いなく信濃方面であろう。景虎がフェイクで信濃に入ったなど考えられない。それに政虎は織田との盟約のある限りは、今川に敵対しないことを約束していたはずなのだ。
それが守られていない、しかも北条よりの動きとくれば間違いなく・・・。
「殿!栄衆より源左衛門様からの文が届きました」
「源左衛門?何故今・・・」
俺が文を受け取って中を確認した。そこに書かれているのは、今ちょうど聞きたかった報せである。
あまりにも望んだ結果に頬が緩んだのであろう。
「如何されたのです?」
「揚北衆の一部が蜂起したようです。越後領内を抜けて関東に介入しようとしていた蘆名を奇襲により追い払ったと」
俺は持っていた文を晴朝殿に渡した。
「さらに蜂起した者達は、その者らで1つの勢力を築こうとしております。とうぶん上杉は全力でこちらにこられますまい」
蜂起したのは黒川清実と鮎川盛長の2人だけ。だが揚北衆はその2家というだけで、上野で上杉を引っかき回した北条高広もその中に含まれていた。
「良い報せであった。おそらく此度は奴らの侵攻を防ぐことが出来るでしょう。しかし次はどうなるか分かりませぬ。上杉の混乱が収まっていればこうはいかぬでありましょうし、政虎が当主としての役割を果たすようになれば、再び1つになるでありましょう」
「信濃の侵攻の支度をするということで?」
「相談が必要だ。この地の安全が確保され次第今川館へ向かう。箱根の山を抜けてな」
俺の言葉の意味するところが分かったのであろう。先ほど戻ってきて話を聞いていた之助が何度も頷いている。
「氏元をこれ以上野放しには出来ません。もし信貞殿が単独で対処出来るのであれば、我らは信濃に向かう。晴朝殿、この地をどうかお守りください」
「任せられよ」
「今後もし、万が一伊豆での戦が拙いと思ったら、高朝殿と共に援軍へと参りましょう」
「それは心強い話です。そうですね、父上」
「年寄りを労って欲しいものであるがな」
その後、北条方が確実に撤退したことを確認した俺達は、箱根山の西部に位置する、裏切った氏元に占領された各城を奪い返すべく動き始める。久しぶりの山越えに、それも冬場の強行に士気は下がり続けるであろうから、はやく決着を付けねばならぬな。。
その後信濃。まだとうぶん休めそうに無いな。
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