越後混迷

293話 襲撃

 福浦館 一色政孝


 1572年冬


 昨年末、正月も近づき今川館へと向かおうかという頃にとある噂が流れた。

 それは今川領内だけで無く、おそらく周辺国各地にも聞こえたのではないかと思われる。

 ただ間違いなく今川では混乱が生じた。

 故に新年早々、俺は兵を率いて福浦にまでやって来ているのだ。


「越中への道中で襲撃されるとは」

「誰の差し金かは未だに分かっていないそうだ」


 城代である昌秋、その下につけている房介と信綱、そして今回の出兵に同行している者達が、館の広間へと集まっている。

 他の城でも緊急時ということで、急ぎ徴兵している最中であった。特に国境を任されている者達は大あわてであろう。

 それほどまでに、越後と越中の国境付近で起きた事件はこちらに影響を与えているのだ。


「海岸沿いを進軍している最中に、山と海からの挟み撃ちとは・・・。海からの攻撃には抱え大筒のような物も使用されたとかなんとか」


 房介の言葉通りだ。

 上杉は今冬より越中平定に本気で乗り出した。政虎は越中に入り神保を牽制していた上杉顕景を助けるため、自らが援軍として大軍を率いて越中へと向かったのだ。

 しかし問題は越後と越中の国境付近で起きた。

 進軍中、突如として何者かに海と山から挟み込むように襲撃された。だがさすがは歴戦の将が揃う上杉。どうにか襲撃してきた者達を追い払うことには成功したらしい。

 しかしその後、政虎は越中には入らず春日山城へと帰城したのだという。何故か。

 あくまで噂であるが政虎が重傷を負ったやら、追い払いこそしたが甚大な被害を出したとか色々いわれている。

 あくまで噂であり、なんの信憑性も無い噂を信じて暴挙に出る酔狂さなどこちらは持ち合わせてはいない。

 だが間違いなく、この混乱に乗じて何かしらが起きるであろう。

 そういうことで俺は福浦に来ているわけだ。

重治が栄衆からの寄せられた情報を纏めていた。


「黒幕に噂されているのは、政虎殿の養子のお2人」


 つまり顕景と景虎か。


「越中にて城を預かる河田長親と鰺坂あじさか長実ながざね吉江よしえ資堅すけかたの共謀。そして北条や今川の暗躍など色々言われているようです」

「今川に何の利があるというのか。と言いたかったが、越後は政虎がいなくなるだけで簡単に瓦解する。黒幕に噂されることも仕方が無いのかも知れないな」


 河田と鰺坂、そして吉江は顕景を次代の当主へと推す者達だ。もし事実であれば、何故政虎を狙う?

 それはつまり政虎が景虎を贔屓していると、その者達の目に映ったからという可能性が生まれてくるわけだ。

 もしこの者達が黒幕であるならば、あまりにも俺の望まない展開に進んでいることとなる。上杉には早急に黒幕が誰であるのか、押さえて貰いたい。事実が判明すれば栄衆がきっと情報を持ち帰ってきてくれるだろうからな。


「しかしそれほどの怪我ともなると・・・、真なのでしょうか?にわかには信じられませんが」


 俺や重治の言葉に房介が唸った。

 たしかに戦において負け知らずと思われていた政虎が、何者であるか分からない者に重傷を負わされること自体どこか信じられぬ。

 だが突如襲撃されたのであれば、それはどうしようも無かったのかもしれない。もしこれが本当であるならば、上杉を攻める好機は今しか無いのだが、逆にもしこれが嘘であった場合どうなる?

 嘘をつくと言うことは、俺達をつり出そうとしているのではないかと疑ってしまう。裏ではしっかりと備えをして、獲物がかかるのを待っている?半端な者であれば備えごと呑み込んでしまえ、と思うかも知れないが相手は軍神政虎だ。

迂闊なことをしたくは無い。様々な可能性を考慮した結果、氏真様は判断を下された。


「氏真様は信濃に攻め入らぬよう命を下された。氏俊殿もしかと承れていたのだから信濃はきっと問題は無いであろう。ただ此度の一件で北条がどう動くかが鍵となる」

「北条は里見と一進一退だとか」

「佐竹や宇都宮が兵を集めている。それが北条への援軍なのか、里見への援軍なのか。はたまた手切れのための徴兵なのか。どちらにせよ、北条は再び背後を気にして本領を発揮出来ていないことになるな」

「これで北条は武田と同様に孤立しております。今明確に味方としての立場を表明されているのは山内上杉家のみ」

「山内上杉家もその内北条に構っていられなくなるであろう。現当主である憲景は、越後上杉に大恩がある。越後上杉家が混乱すれば関東など目に入らぬようになるであろう」


 重治の言葉に俺は頷きながら答える。今一色家中で関東の情勢に1番詳しいのは間違いなく重治だ。その重治が言うのであればおそらく間違いない。

 山内上杉家は上野1国が安堵されたとはいえ、大名家2つに介入する余力など無いはずだ。これまでの動きを見ていれば、なんとなく憲景は政虎に手を貸すように見える。


「では北条は」

「ここまで敵だらけとなれば、あとは時間の問題であろうな。しかし北条の次は上杉だと奴らが分かっているのであれば、それは少々厄介なこととなるであろう」


 政虎不在の状況で、両国が手を組んで今川にあたる。もしくは景虎が越後上杉家の跡を継ぎ、北条家の傀儡同然に動き始める。


「とはいえ俺達が北のことをきにするのはもう少し先の話。今は北条のことをしっかりと監視せねば話にならぬ。この地を北条に抜けられることは、前の戦を台無しにすることと同じであるぞ」

「伊豆に入らせぬよう努めます」

「頼むぞ昌秋。信綱も房介もいざその時となれば」

「昌秋殿をお支えいたします。心配には及びませぬので」

「頼りにしている、信綱」


 3人が頭を下げた。

 そんなとき慌ただしい足音が響き渡る。


「大変にございます!」

「如何した?」

「進士ヶ城の葛山氏元様が反旗を翻されました!周辺の葛山家の小城を落とすと、北条へと援軍を要請したとのこと!」

「葛山様が!?」


 房介の驚愕の声も、他の者達のザワつきでかき消される。

 やはり武田から養子を迎えた程度で、不満を完全に抑えきることが出来なかったか。ただ確実にこの気の狂った離反劇は氏元殿の単独であろう。

 もし信貞殿も関与しているのであれば、葛山城も反旗を翻して早々に今川館の制圧に動いた方がよほど賢い。その後氏真様を人質に取りつつ北条の援軍を待つ。

 まだそちらの方が勝機は高いだろう。

 そういう理由から単独であると判断出来る。


「昌秋、兵を出すぞ。急ぎ北条国境を目指す」

「進士ヶ城では無く?」

「あぁ、おそらくこの報せは周辺各地に広まっているはず。そして真っ先に鎮圧に動くであろう信貞殿に任せれば良い。俺達は要請されたという北条の援軍を止めるべきだ。それがこの最前線を任された我らの役目」


 地図を広げさせて北条領から進士ヶ城への道筋を確認する。やはり要所となるは湯坂城だ。最悪あの地で北条を止めねば、氏元殿と合流されてしまう。


「氏真様のご判断を仰ぐ時間は無い。今すぐに出陣するぞ」

「かしこまりました!」

「房介、城の留守を任せるぞ。他の者は今すぐ戦支度をせよ!」


 今回初めて戦場に重治を連れて行く。そして信綱もだ。

 昌秋や、佐助の跡を継いだ之助もいる。

 今回も必ずや勝つぞ。




 魚津城 河田長親


 1572年冬


「未だに誰の仕業であるのか分からぬというのか」

「そのようで・・・」

「もし殿が私を疑われていれば、随分と危険な立場に追いやられることになるが」


 宮崎城の国清殿より寄越された者の話を聞いて私と資堅殿は頭を抱えていた。

 殿が道中襲撃されたというのだ。それを指示した者の中で私まで何故か疑われている。いったいどこからそのような出鱈目が出たというのか・・・。

 新庄城の長実殿もどうやらこの話を聞いたらしい。先ほど状況を把握するための者がこちらに寄越された。しかし詳しく知りたいのは私も同じ。

 いったいどうすれば・・・。


「殿、顕景様がご到着されました!」

「そうか。ではこちらにご案内せよ」

「かしこまりました!」


 本来であれば、今日、越中の対神保に関する策を練るところであった。故に顕景様も参られるということであったが、例の一件で無くなるかとも思った。疑わしい者の元を訪れはしない。少なくとも私であれば。

 しかし顕景様は変わらずこの城へと参られるとのこと。

 肝が据わっておられるな。それとも我らを信じてくださっているのか。


「随分と疲れた表情をしておるでは無いか、長親よ」

「そのようなことは・・・」

「政虎様の事であろう。安心せよ、色々な憶測が飛び交っておるが、私はお前を信用している」

「顕景様・・・。ご心配をおかけしてしまい申し訳ございませぬ!早急に人をやって調べますので」


 こうして言葉に出して伝えられると、随分と心にくるものがあった。何かこう・・・、救われるような気になるのだ。

 こうなればやはり早急に誰の差し金であるのか確認せねばならぬ。

 そして殿のご容態も確認せねば。

 しかし私の提案は顕景様の一言で止められることとなる。


「兼豊が全て調べておる。また政虎様より、背後のことは気にせず越中を変わらず平定するよう伝えられた。我らはこのまま椎名家を助ける」

「いけましょうか?」

「直に織田の兵も越中へと入る。それまでは無理に攻める必要は無い。ただし能登の平定は見送ることとなるであろう。無茶は出来ぬ」


 しかし能登に関しては織田も狙っているという。織田との盟約では越中を上杉、加賀を織田で分けるとしか決まっていないのだ。

 能登に関しては何も言及されていない。その能登もまた混乱の渦中にある。


「殿の御命とあらば仕方ありませぬ。では急ぎ兵を整えましょう。みな動揺しているようですので」

「そうであるな。長実にも心配せぬよう伝えよ」

「かしこまりました!」


 無条件で我らを信じてくださった顕景様。本当に何もしておらぬ我らであるが、やはりその恩は功にて返すべきであろう。

 さすれば顕景様の家中での立場もきっと変わるはず。

 余所者に上杉を任せるわけにはいかぬのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る